2012年7月17日火曜日

タンタンも冒険したコンゴ・キンシャサ


この本は、福音館発行のペーパーバック版”タンタンのコンゴ探検”(原題:”TINTIN AU CONGO”)だ。
物語の作者は、ベルギー人のエルジェ(Herge)。
タンタンの冒険シリーズは、ブリュッセルの新聞社の週1回発刊の子ども版の企画として誕生したのだそうだ。
そう、もともとエルジェは新聞記者だったのだ。


タンタンの冒険シリーズは、1929年の”タンタン、ソビエトへ”から、1976年の”タンタンとピカロたち”まで計23冊が、「7歳から77歳まで」をキャッチフレーズに、世界60カ国のそれぞれの言葉で出版されているのだそうだ。

日本では福音館から、そのうちの21冊が出版されている。


”タンタンのコンゴ冒険”が新聞に掲載されたのが1930年。翌年に、シリーズの中では2番目の物語として白黒版で出版されている。

物語は、少年新聞記者タンタンが愛犬スノーウィと共に、ヨーロッパ,北米、南米、アフリカ、インド、中国を駆け回り(残念ながら日本へは来ていない。)、ついには月旅行にも出かけ、その当時の政治や社会状況を反映しているシリーズもの、と言えるのだろう。
構成は、漫画タッチだ。吹き出しを使い、コマ割りが小さくて、絵本というより「漫画」だと思う。

タンタンがコンゴ・キンシャサに来た1930年、というのはコンゴ・キンシャサがまさにベルギーの植民地だった時期だ。当然、物語中でも当時のベルギーの世相を反映した描写が見られる。
登場する黒人たちは、腰蓑(こしみの)をまとっただけ。戦闘場面では槍と盾を持ち、どんぐり眼に分厚い唇で描かれ、何故だかお金持ち黒人マダムは裸足なのに白手袋と毛皮コートを着せられている。アフリカの人たちを愚かで怠け者で低等な人たちとして描写している。

それが理由で、今世紀に入って、イギリスの人権機関から批判を受け、南アフリカ共和国では、公用語の一つ、アフリカーンス語の出版が停止されている。
また、地元のブリュッセルでもコンゴ出身大学生が「植民地主義のプロパガンダだ。」と主張し、出版停止の訴訟を起こす事態を招いた。
また、イギリス、アメリカの書籍チェーン店で、タンタン・コンゴ冒険の本を児童書コーナーから大人向けコーナーに移す現象も起きている。

エルジェ本人は、戦後の1946年にカラーの改訂版が出版された時に、植民地支配に関する部分だけを削除した、ということだ。

英語版では、子ども向けのカラー版が出版されたのは2005年、と新しく、巻頭には、「当時のヨーロッパ人のステレオタイプ的な見方に基づいてアフリカの人々が描かれ、不快に感じる読者もいることでしょう。」というコメントが添えらたらしい。

わたしの手元にある、福音館ペーパーバック版にも、「この本には、2つの問題~① コンゴの人々の描き方、と② 野生動物への野蛮な考え方が含まれている。この本が生まれた時代~植民地全盛の歴史的背景を考慮して読んでいただきたい。そして、タンタンが生きた20世紀の時代変遷を見つめ、人間が犯してきた愚かな行為にも思い至ってほしい。」という添え書きが1ページ目に載っている。

そんな差別表現や描写の問題をひとまず無視して読んでみるとしよう。

コンゴ冒険の物語の冒頭に、タンタンの愛犬スノーウィが犬仲間に、「退屈しのぎに、ライオン狩りでもと思ってさ。」とコンゴ行きのいきさつを語っているように、ライオン狩り、ヒョウ狩り、ゾウ狩りが出てくる。他に、オウム、ワニ、鹿、猿、蛇、サイ、かば、きりん、バッファローも出てきて、アフリカの動物が出てくるたびに子どもたちはタンタンの活躍とともに楽しめると思う。

大きい子どもたちには、もっとアフリカを知るキイワードが目白押しだ。
日本にも昔存在した蚊帳、アフリカ探検と言えば短絡的に描写されるサファリルックとジープ(もう過去の物だが!)、酋長と呪術師、祈りの対象となる木彫りの像、丸木舟も出てくる。


さらに注意深く読むと、当時のアフリカをしっかり描いるなあと感心してしまうものたちが多く登場する。

当時、教会を建て、病院と学校を作って開拓の原動力となった神父様たちキリスト教布教者の存在。
現地の不甲斐無い戦闘隊と対比して「ヨーロッパ仕込みの精鋭揃い軍隊」という触れ込みの軍隊。(先進国の国々は自分たちの国益のために、かれらを操りアフリカの政府を優位に動かしてきた、と言えるのではないか。)
アフリカ探検を阻んできた、河に多く点在する”滝”。(今も、滝が大型船を内陸部までの運航を阻害している。)
「ヨーロッパの有名動物園御用達の密猟プロ」の暗躍。(こういう人たちがいるから、欧米の動物園で珍獣を見学できるということも知ってほしい。また、タンタンが仕留めたゾウの象牙をかついでいる場面も登場する。)
コンゴの最初の探検家・スタンレーのあだ名が、後に植民地の支配体制を総称する言葉となったことも知れる。(ベルギー人にとって、スタンレーさんは馴染みの探検家なのだろう。)
外国人用の豪華ホテルの存在。などなど。


もちろん、現在のコンゴ民主共和国の人々が暮らす町や村には、もはや大型の動物たちはいない。ケニアのサバンナの動物たちが棲むのは、国立公園という保護された地域なのだ。

そして、腰みの姿に槍と盾を持ったアフリカの人にも、もちろん会えない。(この国の首都・キンシャサはビルが林立し交通渋滞甚だしい都会だ。)

ただ、今も蚊が媒体となって発症するマラリアは広く存在し、日本のNGO団体が蚊帳を現地に送ってマラリアでの死亡率を減らそうと活動したり、先進国から武器類が入り込んで(槍や盾では決してない!!)天然資源の採掘権奪還を目的に戦闘を続ける地域が存在し、密猟者たちで動物たちは激減している、という事実は、現在も進行中だ。

タンタンは、大型客船でコンゴ入りし、サバンナに迎えに来たセスナ機でコンゴを飛び立っている。
現在は普通に旅客機が飛び交っているけれども。


アフリカの何十年も前の姿と、現在の姿と。
小さな子どもたちが混同してしまうのは仕方ないが、大きい子どもたち(!)は、どうかしっかり昔と今の線引きをしながらタンタンのコンゴ冒険を楽しんでほしい。


最後に、作家・曽野綾子がアフリカの日本人宣教師を支援しアフリカを訪れた感想を述べている箇所を抜粋する。

「アフリカは強靭な大陸であった。けなした意味でもなく、褒めた意味でもない。ただ、日本的判断を大きく超えた人間の生の闘いが挑み続けられている土地であった。」
(「生きて、生きて、生きて」海竜社刊より)

2012年7月10日火曜日

アフリカの夕暮れ


これは、絵本”だれかが星を見ていた”(アスクミュージック出版)からのものだ。
動物園勤務経験のあるあべ弘士氏の絵には、大雑把なのにしっかりサバンナの動物たちが描けていると感心する。
動物たちの一頭一頭のシルエットが夕陽の雄大さを教えてくれる。
わたしの大好きなアフリカの夕暮れの絵の一つだ。


     辛夷白み夕日の魔法まだとけず

日本の友人から送られてきた俳句(小野はなさん作)の、”夕日の魔法まだとけず”という言葉から中央アフリカ バンギにいた頃、飽きもせず毎夕、西側ベランダから緑濃い熱帯雨林に沈まんとする大きな夕陽に見入っていたことを思い出した。

そのうちに、熱帯雨林が広がる地平線に巨大な夕陽がドロリ、と呑み込まれてゆく様をどうにか表現したいと思うようになり、これは絵では表現できない、そうだ俳句でしか表現できないのだ、と思えて、毎夕、地平線にとろけるように消えてゆく夕陽を前に、紙とペンで格闘しいくつもの句を書いてみたものの、どれとしてぴったりくるものはなかった。

さだまさしの”風に立つライオン”を聴くと、やはりバンギの夕日を思い出す。


バンギは北緯4度くらいにあったから、ほぼ一年中夕方6時前後が日没時間だった。
夕陽がジャングルの丸く広がる地平線に近づくと、さらに真っ赤にトロリとなり、地平線のジャングルが燃えるのではないか!と思えるほど、太陽がドロリと溶けて呑み込まれてゆく。
地平線に太陽の端っこが当たってから上端まですっかり呑み込まれてしまうまでわずか数分だった。それから、ジャングル一体に静寂観が徐々に広がり,と同時に、赤色から赤みがかったむらさき色へ。そしてきれいな透明なむらさき色があたり一帯を制したか、と思ったら、さーっと”墨の一筆”のように黒色が加わり、夜を迎える。
その刻一刻と色彩が変わり、昼から夜へ移っていくひとときを、わたしは毎日見とれていた。


そのむらさき色が広がる瞬間を描いた絵本がある。


”ぼくのだいすきなケニアの村”(BL出版)だ。
今、わたしの手元にこの絵本がないから、その夕暮れの場面を描いたページをお見せできないのが残念だが、表紙に描かれているケニアのある村に住む元気いっぱいの少年が一日の冒険を終え夕暮れ時を家路に急いでいると、遠く我が家の前で少年の母親が立っている。
おかあさーん、と少年が走って、笑顔で腕を広げた母親のふくよかな胸元に帰った瞬間、夕暮れはむらさき色となり、夜を迎えんとするケニアの村だった、という場面がなんとも幸せで、わたしは大好きだ。

今、日本で、夕暮れまで冒険いっぱいめいっぱいの遊びを終えて満足げに家路に戻る子どもたちっているのかなあ、とか思ってしまう。
また逆に、今わたしが住むコンゴ民主共和国の東部で戦闘状態が続く村では、こんな長閑な子どもらしい生活を送って母親に愛情いっぱいに迎えられる子どもたちっているのかなあ、とも思い至る。


さて、もう一つ、夕暮れではないが、夜明けの美しさを描いた絵本も紹介したい。


”よあけ”(福音館)だ。
作者のユリー・シュルビッツは確かポーランド人だ。唐詩”漁翁”(詩人 柳宗元作)をモチーフに描かれた絵本だと聞くが、東洋の文芸・美術に造詣が深い作者の感性が光る。
湖畔で夜を明かすおじいさんと孫の二人が、夜明けと共に湖に船を漕ぎ出す場面の美しさは格別だ。前編、無音のままで読み終わる絵本だ。

まったくの余談だが、学生時代、一夜漬け専門だったわたしは、ラジオ深夜放送を聴きながら徹夜したものだ。深夜0時を回り3時台までは夜中と理解していて余裕なのだが、ラジオ放送も4時になると”おはようございます!”という雰囲気に変わり、そうなると焦りが出始める。そして夜が白み始め、ああとうとう一日が始まった、と心までしらじらした心境になる。

そんな夜から朝の狭間でよくラジオから流れていた中島みゆきの”時代”の、♪廻る廻るよ、時代は廻る♪という歌詞を、わたしは♪周る周る4時台は周る♪と聞き間違って、ああ、4時台が周って、朝が来る~!、と焦りまくっていたことを懐かしく思い出す。

余裕のある時の夜明けは、まさにユリーさんの描く、闇夜から透明なブルーに変わってゆく”よあけ”をわたしは静かに堪能していた。


話をまたアフリカの夕暮れに戻そう。
キンシャサの真っ赤な夕陽は、雄大なコンゴ河に沈んでゆく。
キンシャサはバンギとは赤道を対称軸に真反対の、南緯4度辺りだから、やはり一年を通して日没は夕方6時前後だ。
コンゴ河の十数メートル(と遥か遠くから眺めるわたしにはそう見えるだけだが・・)直上まで来ると、夕陽はコンゴ河の水蒸気に隠されてしまって見えなくなる。
真っ赤な夕陽が地平線に呑み込まれることは決して、ない。

それでも、やっぱり、アフリカの夕暮れは壮大な儀式を思わせる。

2012年4月18日水曜日

”Le Paradis des BONOBOS”~コンゴに棲むボノボたち

ご無沙汰しています。キンシャサから母の寛子です。

キンシャサに着いた今年1月1日。リビングでやれやれ・・とくつろぐわたしに、夫から「ホレッ!」と1冊の本を手渡されたのが、この「Le Paradis des BONOBOS」(Seuil jeuness 刊)だった。
コンゴ民主共和国のしかも限られた4州にしか棲まない、人間に最も近いと言われる類人猿・ボノボの保護のためにNGO活動を展開するフランス人女性(ベルギー人かも)、Claudine Andreさんが監修して出版された本だ。

クロディーヌさんと、彼女たちのグループ、ABC(les Amis des Bonobos au Congo)が運営するサンクチュアリ,”Lola Ya Bonobo"で保護されているボノボたちと一緒に写った写真がこの本をめくると載っている。 当初、ボノボたちのサンクチュアリはキンシャサのアメリカンスクール敷地内にあったが、後にキンシャサ郊外の森を買い取り、ボノボたちがより喜びそうな環境へ移転したそうだ。
”Lola Ya Bonobo"は現地の言葉、リンガラ語だ。フランス語では、”Le Paradis des Bonobos"。まさにボノボの楽園だ。
夫は昨年夏、ボノボの楽園を訪れた時に、売店でこの本を購入。わたしがキンシャサに来たときにプレゼントしようと思って取っておいたのだそうだ。
そして、とうとう、先月、わたしはこの"Lola Ya Bonobo"に行って来た。

水辺が好きで、木々を軽々と飛び移るボノボたちにうってつけの環境だった。ボノボたちは、果物、葉っぱ、木の実、小さな虫たちを食糧とし、狩はせず、とても繊細な平和的な動物だそうだ。地上では、2本足歩行もし、すっきりした体型で、観察していると本当にわたしたち人間に似ている。

この本は、クロディーヌさんへの質問形式での自己紹介で始まる。

彼女の父親がコンゴで獣医さんをしていて子どもの頃コンゴで育ったのだそうだ。そういう環境下にいたから物心ついたときから自然や動物達が身近にいたのだそうだ。4歳の時には1匹の小猿さんと仲良しだったそうだ。

そして、彼女が47歳の時キンシャサの動物園で、両親を食肉用に殺されて衰弱したボノボの孤児を売ろうとしていた人から引き取り、助からないだろうと言われたそのボノボ孤児の命を救った、ということから彼女の闘いが始まった・・・という。


次項から、ボノボの動物学的な位置づけ、ボノボの特徴と絶滅状態にある現状について、ABCが運営する"Lola Ya Bonobo"の案内と役割について、そしていよいよボノボを森へ還す時のことがイラスト入りで分かり易く説明され、最後にこれからの展望~観光に力を入れたら良いこと、若い世代にボノボを知ってもらうためにサンクチュアリに招くことなど~で締めくくられている。


何よりも、人間にいちばん近い類人猿、ボノボの存在を多くの人々に知ってもらい、コンゴ民主共和国の限られた場所にしか生息していず、コンゴ民主共和国の国力が衰退し国民の生活苦からボノボが絶滅の危機に瀕していることなどの実情をPRしてゆくことだろうなあと感じた。


この本には、サンクチュアリで撮影されたボノボの可愛らしい写真がたくさん掲載されているのも魅力だ。


そろそろ、日本ではゴールデンウィークの話題が出始めるころだろう。そのころから、わたしは「夏の絵本屋」の準備に本格的にとりかかっていた。

昨夏は、レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」を下地にした選書だった。

今夏は、残念ながらコンゴにいるから見送りだ。

もし、「夏の絵本屋」を今夏も開店できていたら、間違いなくこの「Le Paradis des BONOBOS」の本を紹介するのになあ。

ぜひ、皆さんにコンゴに棲むボノボたちのことを知ってもらいたい。

2012年4月10日火曜日

夏の絵本屋さん~過去の案内ハガキ

娘のYukiです。

写真を整理していたら、2009年~2011年の3回の夏にOpenしたL’éléphant vert(緑のゾウの絵本屋さん)の案内ハガキが出てきました。

知り合いのデザイナーの方が快くデザインを引き受けてくださり、こんなにかわいい案内ハガキを作ってくださった時は感動しました!

                          17~30.08.2009 L’éléphant vert

                          01~29.08.2010 L’éléphant vert

2011年の案内ハガキはお人形作家でいらっしゃるNancy Scarletさんが手がけてくださいました。


 03~30.08.2012 L’éléphant vert


この”タコみたい…”とも言われてしまう(笑)ゾウは、私が中学の頃から良くノートや至る所に落書きしていたゾウさんです。
小学生の頃に住んでいた中央アフリカ共和国で、ピグミー族の案内のもと、森の中に住む野生のゾウを見に行ってからゾウが好きになりました!懐かしい思い出の1つです。



母の夢である絵本屋さんを、毎年たくさんの方々がご協力くださって、L’éléphant vert(緑のゾウの絵本屋さん)として開催できていたのだなぁっと、写真を見ながら改めてしみじみ感じました。

また次回、今までのL’éléphant vertの様子を写真を交えてお伝えしたいなぁっと思っています!

懐かしい絵本を発見!

娘のYukiです。

先日、私の住む町、Antibes(アンティーブ)の図書館に行った際、懐かしい絵本を発見しました。
『雨、あめ』(作・絵:ピーター・スピア/出版社:評論社)


フランス語でのタイトルは、直訳すると、『雨が降っているよ』(?)になるのでしょうか。
この絵本は、字のない絵本。
雨の日が好きになる絵本です!

フランスで、幼い頃よく読んでいた(眺めていた!?)絵本と出会うと、懐かしさからホッとした気持ちになります。

アンティーブの図書館は、近代的な巨大な建物で、内装も茶系の木造建築でモダンで落ち着く空間。
絵本コーナーも充実していて、赤い椅子がかわいらしい居心地の良い空間です。

まだアンティーブの図書館には数回しか足を運んだことがないのですが、また懐かしい絵本との再会、そして新しい絵本との出会いが今から楽しみです。

2012年2月2日木曜日

フランスの小さな町の図書館

娘のYukiです。

日本と同じく、こちらフランスも、全国各地で冷え込みが激しく、パリは日中でも氷点下だとか。
私のいる南フランスも、珍しく寒さが続いています。
全国各地が悪天候でも、ここだけなぜかお天気が良いのが自慢~!っと良く耳にするのですが、さすがに週末から週明けにかけて、雨降りの日々が続きました。
昨日今日は清々しい晴天です!

さてさて、先週まで夫の実家のあるアルプス山脈のふもとの町、Saint Jean de Maurienne(サンジャン・ド・モリエーヌ)に滞在していたのですが、ここが本当に田舎町!
町中の人が知り合いっといっても過言ではないくらい。
「あらまぁ!あなたTOKYOから来たの~!?退屈でしょ、この町だったらぁ~。」
なんてことをしばしば言われていましたが、「はい、退屈な町です!」なんて返事ができる訳もなく…笑

小さな町だけれど、お気に入りの場所ができました!
図書館!です。
小さな町だけれど、立派なモダンな2階建ての図書館。
広々していて、大人向けの本の数の少なさが益々目立ってしまっているのですが、子供向けの本や絵本は充実しています!
雰囲気もかわいいし、お昼過ぎの人が少なそうな時間帯にここでのんびりするのがお気に入りでした。
お昼過ぎはほぼ貸切状態!
午前中は、かわいらしい生意気そうなおしゃまな幼稚園生が先生に引き連れられてどばぁぁぁ~~~うじゃうじゃ~~~っといて、ちょっと居場所がなくなってしまうので…笑
チビちゃん達に混ざって絵本を読むのも楽しいのですが!


予定のない日はこの図書館に行き、絵本を読んだり、勉強コーナーの日差しの入る窓際の机で書き物をしたり。
絵本コーナーに散りばめてある色とりどりの様々な形のスポンジの椅子に、不安定な状態を上手にコントロールしながら(大人用ではないのは確実…)、たくさんの絵本を読みました。

Laure Igami(ロール・イガミ)という題名の絵本は不思議な絵本でした。
ロール・イガミという日本の紙(和紙のことでしょうか)でできた女の子のお話。
ぺランと薄っぺらい紙でできたロールちゃんは、本棚で退屈のあまり、ある日旅に出る~というお話です。
なぜ日本の紙なんだろ…。不思議な名前だし、不思議な絵だけれど、印象的な絵本でした!



今私がいる南フランスにあるAntibes(アンティーブ)の町にも、大きな近代的な建物の立派な図書館があります。
ここは本、絵本、雑誌、CD、DVDと様々な文献や書物が充実しています。
絵本コーナーは木材と赤が内装のポイントとなっている温かい空間。
また絵本をご紹介しますね!
こっそり写真も撮れたら一緒にご紹介しますね!
(サンジャン・ド・モリエーヌの図書館は貸切状態で撮影し放題!でしたが。)

2012年1月15日日曜日

ゴリコちゃん緊急手術

ご無沙汰しております。
娘のYukiです。

年末のとある夜のこと。
町中が眠りにつこうとしている頃…
事件は起こりました。

「きょぉわぁぁぁぁ~~~~!!!おぉぉぉ~~~!」
なんとも言えない叫びが聞こえてきました。

夫の叫びです。


何事かと思って、叫び声のする寝室へ行ってみると…
なんとも悲しい表情をした夫がおろおろとゴリコちゃんを抱いていました。


ゴリコちゃん。
昨年夏のみどりのゾウの絵本屋さん(L'ELEPHANT VERT)にお越し頂いた方は、この愛くるしいゴリコちゃんとご対面した方もいらっしゃるかもしれません。
ゴリコちゃんは絵本屋さんで人気者でした。
人形作家さんが手作りしたパペット人形、ゴリコちゃん。
以前、母のブログ記事にも書いてあった通り、私達の養女となり、ここフランスまで一緒に来ました。

そんな私達の養女のゴリコちゃんに事件は起きました。
ゴリコちゃんの愛くるしい足の指がポロリッっと取れてしまったのです。



夫は、「おぉぉぉ…」 なんとも悲しい表情…
どうやら、寝る前のひと時、ゴリコちゃんとじゃれあっていたらポロリッっと指が取れたらしい。
ゴリコちゃんには申し訳ないけれど、そんな様子を目前に、私は大爆笑してしまいました。
「おぉぉぉ…大変だぁ…どしよ…」 相変わらずおろおろしている夫。

背の高い夫は…お猿さんみたいだから…同類のゴリコちゃんに起きたただならぬ事件に動揺してしまったのでしょう。


ゴリコちゃん緊急手術。
「私にまかせとけぃっ!」
夫の見守る中、無事に手術は終了しました。

2012年1月3日火曜日

アイルランドの浦島太郎

成田からパリに向かう機内で、アイルランド出身の29歳の青年ポールさんと隣り合わせになりました。
彼が隣席に座った時、村上春樹の英書と日本語の漫画本を携帯していたので期待感がありましたが、予感通りの気さくな好青年でした。
ほとんど日本語で会話できたのもラッキーでした。
ポールさんは現在、ダブリン大学で留学生の研修に携わる仕事をしていて、以前は大阪の高校でAETとして働いていたのだそうです。
今回、日本へはプライベート旅行で、大阪の知人を訪ねて日光を周ったのだと満足した表情で話していました。
あなたはコンゴで何をしたいですか、と問われて、コンゴの民話を集めたいなあと話すと、それはおもしろそうです、どこの国にも昔から伝わる話がありますからね、と言って、アイルランドに伝わる話を一つ教えてくれました。
彼は、アイルランドにも浦島太郎にそっくりな話があるのですよ、と話し始めました。
浦島の太郎さんは助けた亀の背中に乗って海の中の竜宮城へ連れて行かれたけど、アイルランド
の太郎さん(名前聞くのを忘れた!)は、助けた馬の背中に乗って海に浮かぶ島に連れて行かれて厚遇されたのだそうです。おもしろ楽しく、月日の経つのも夢の内・・・おいとまを告げて彼の故郷に帰ってみると知らない人ばかり。玉手箱を持たされたのかは聞かなかったけど、島で過ごした数日間は実は何十年もの時間で、彼はハッと気づくとおじいさんになっていました、という話なのだそうです。
彼は大阪の高校でこの昔話を題材に英語の授業をしたのだそうです。
話は逸れますが、わたしは浦島太郎の話と、40年以上も前に流行ったフォークソング「帰ってきたヨッパライ」とそっくりだと思うのです。
浦島太郎は亀に乗って酔っ払い運転をし、はっと気づくと竜宮城という天国にいて、♪天国良いとこ一度はおいで♪酒は美味いしネエチャンはきれいだ♪んっわ、んっわ、んっわっわあ~♪
みたいな。重なると思うんだけどなああ・・・。
ま、そんなような愉快な話、賢者の話、いろいろ聴いて集められたらなあ。
さて、そのポールさん。日本のお正月のおせち料理もお屠蘇も経験ないのだそうです。
わたしたちが日本に戻ったら今度は日本の正月を楽しむために日本にいらっしゃいな、と再会を約束しました。
わたしたちもいつかダブリンを訪ねてもみたい。
あ、そうだ。
わたしが、「我が家にはアイリッシュハープがあってね。日本のICU大学でアイリッシュハープの講習をするレベッカさん夫妻から購入したのよ。」と言うととても喜んで、アイルランドのユーロ硬貨のデザインはアイリッシュハープが使われているんだよと教えてくれました。
見てみたいなあ、そのアイリッシュハープのユーロ硬貨を!

2011年12月31日土曜日

いってらっしゃい!

娘のYukiです。

母の書いた以前のブログにもある通り、フランスに嫁ぎました。
アルプス山脈のふともの町出身の大きな優しいお猿さんのような人と九月に結婚しました。
そして、先週こちら、フランスに引っ越ししました。
まだ一週間しか経っていないのに、家族のもとでぬくぬく過ごしていた私は、東京の実家が恋しくて仕方ありません…。

そんな東京の実家にいる両親ですが、本日アフリカに向けて出発です。
しばらく、数年くらい?、日本よりもフランスから近いアフリカに両親が住むことになります。

この l'éléphant vert のブログでは引き続き絵本に関するたわいもないお話を母娘で綴っていけたらと思っています。
このブログとは別にも、母娘それぞれブログを持っているのですが。

とにもかくにも、両親が無事にアフリカの目的地までたどり着きますように。

2011年12月25日日曜日

夫婦ふたりきり

以前、神田の古書店で入手したペイネの版画が、遂に我が家のリビングに飾られました!
娘たちがフランスへ行ってしまう前に見せてあげたいなと思って、古いビニルから取り出してリビングの壁に掛けてみたら・・・・なんと!!
もうドンピシャ!!
ここの壁に昔、昔からあったかのように、この絵の何もかもが我が家にぴったりだったのです。
よくぞ我が家にたどり着いてくれたねええ・・・ペイネの絵がとっても愛おしく感じられました。
(この絵について今日までずっとノーコメントを通している我が夫は、怒ってはいないようだけど・・ブキミだしフシギ。)

娘夫婦もとても良い絵だと褒めてくれて、大満足。
これで、娘たちの住むことになる南仏・アンティーブと繋がったぞ!!
この絵の中から、わたしはいつでも娘たちのいるアンティーブの町にピューンと飛んでいけるような、そんな気分でいます。
まるで「ナルニア国物語」の、洋服ダンスの中からナルニア国に繋がったように・・。

そんな日から2日後の今月21日のAM11:10成田発の便で、娘たち夫婦はフランスに向けて出発したのでした。
もう泣けて、泣けて。
娘を思っては涙。メイルが届いてまた涙。
ハイジの話で恐縮ですが、おじいさんの元から無理やり引き離されてクララの住むフランクフルトに連れて来られて、おじいさんに会いたくて会いたくて、とうとう夢遊病になった時のハイジの気持ち・・・ってもしかしたら今のわたしじゃん、とか思ってまた涙。

そんな日々ではありますが、わたしはこのペイネの絵をリビングに残して、夫とともに12月31日夜便でキンシャサに発ちます。
娘は、来年6月半ばにフランスで出産の予定です。

ペイネの版画には、すずらんの花がたくさん生えていて、鳩が2羽、小鳥が4羽、りすが1匹、かたつむりが1匹、きつつきが1羽、そして天使が1人描かれています。
よくよく見ると、天使にはちっちゃなオチンチンが付いています。

これから我が家は本当に夫婦ふたりの生活になります。
ああ、ペイネの版画が我が家に来てくれてよかった!!

母の寛子でした。