2012年12月22日土曜日

3人のちいさな人魚

3週間ほど前だったろうか、我が家で数人が集まってわいわいと夕食をとっていたときに、コンゴ河で捕獲された人面魚をYoutube上で見た、ということが話題に上った。

不気味な姿で本当に人魚のようだったとか何だとか、話に尾ひれが付いて本当のところはわからないが、”人面魚”というとやっぱりちょっと見たくない感じがする。
ワニやら巨大なまずが棲息するアフリカのジャングルを蛇行しながら流れるコンゴ河に住む人魚には、申し訳ないが悲恋の主人公も似合わなければ、可愛いアニメにも不向きだと思ってしまう。
”人魚”はあくまでもきれいな光に満ちた海に住んでいなくっちゃ。

さて、人魚、といって思い浮かぶのは、アンデルセン作、「人魚姫」ではないだろうか。
あの話は最後の最後まで悲恋の物語だった。
失恋ばかりで生涯を独身で過ごしたアンデルセンおじさんの心境が映し出された物語だったのかもしれない。

この「人魚姫」にヒントを得て出来上がったのが、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」だと聞いたことがある。
わたしはこの映画を観ていないが、決して悲恋物語ではないようだ。


我が家の食卓でコンゴ河の人面魚の話題で盛り上がっているとき、わたしがひとり密かに思い出していた物語が、「3人のちいさな人魚」(評論社)だった。

コーラに、フローラに、ベラ。
南国の透き通った美しい海に住む、歌のとっても下手~な3人の人魚たちのかわいくも愉快な物語だ。






ティファニーカラーのブルーの表紙からして、お洒落でしょう。
上品でおしゃれなかわいらしさのあるイラストで、悲恋の”ヒ”もないどこまでも健康的(!)な物語だ。

作者は、ふたりのトレさん・・・・Denise Trez さんと、 Alain Trez さん。
勝手に、おしゃれなフランス人のカップルかな、と想像している。

物語は、3人の人魚たちが歌うあまりにひどい歌声のせいで沈没した客船に乗っていた可愛い女の子を救出したことから始まる。
沈没と言ったって、悲壮感のかけらもない。

人魚たちによって救出された女の子はしばらくかのじょたちと南国の島で暮らすことになる。
人魚たちの暮らしぶりはお洒落で清潔で明るく、海も島もいたってシンプルに描かれる。

人魚たちの日々の生活ぶりがまた愉快だ。
水の入った人魚たち用ベッドと、女の子のためのベッドが並ぶ場面にもうなずいてしまう。
海の底のあこや貝の中から、真珠の粒を集めて、女のこのためにネックレスを作ってあげる場面なんて、大人でさえもうっとりしてしまう。

すっかり人魚たちの生活になじんだ女の子だったが、魚たちに頼んで女の子を人間の住む陸地まで送り届けることになった。
最後に、女の子を送る歌を性懲りもなく人魚たちが歌うのだが、”忘れまじ~”という古典曲のような題名の歌だ、というのがまた笑える。

色味を抑えたページに明るいブルーが入り、人魚たちの住む透き通った光の世界をイメージできる。

1979年発行の絵本は、わたしと娘の大のお気に入りの一冊だ。
寒い日が続く冬の季節にこそ、暖かな人魚たちの南国の生活を想像して縮こまった心身をほぐすのも名案かもしれない。

2012年12月10日月曜日

むこう岸には

小さい頃、自分が住む町だけが、この世に存在する世界だった。
あの山の向こうも、こっちの坂の向こうも、誰も住んでいない何もない森か山か草地だろうと思っていた。
ある時、坂の向こうにも小学校がある、と聞いた。
へえ・・、向こうにも違う町があるのかもしれない。

坂を越えてみたら、わたしの住む町と同じように、バスが通り、パン屋があり、学校があり、町が広がっていた。

小学校の音楽の教科書で歌った、”どこまで行っても 続く道・・・”。
本当にそうだった。
坂の向こうにも、わたしが住む町と同じような町があった。


十何年前になるだろうか、NHKテレビで韓国のドラマ「冬のソナタ」を観た時も、同じ感覚を持った。
海を越えた、いちばん近い外国、韓国にもわたしたちの国ととても良く似た文化を持って暮らし、同じような感情を持って生きる人々がいる、というとても当たり前のことに驚愕した。
欧米の映画は見慣れているから、日本と違う彼らの文化や暮らしはよく知っていたのに。
いちばん近い隣国のことは、ぼやけて素通りしていたように思う。


そんなことを思い出す絵本が、ほるぷ出版の「むこう岸には」だ。


絵本 「むこう岸には」 表紙

川の向こうには、わたしたちと違う人種が住んでいるから、向こう岸には絶対に行っちゃいけません、と大人たちは言う。
どんな風にわたしたちと違うんだろう。
大人が行っちゃいけない、っていうのだからきっと危ないところなんだろう。女の子は漠然とそんなふうに考えていた。

ある日、向こう岸でひとりの男の子がこっちに住む女の子に手を振って笑いかけている。
女の子も手を振ってみた。
そして、またある日、岸辺にボートがたどり着いて、向こう岸から男の子が手招きをしている。
女の子は、それに乗って向こう岸に行った。

なんだ、少しわたしたちとは違うけど、わたしたちと同じように家族仲良く暮らす人々がいるんだ。
男の子の家族の中で楽しい時間を過ごして、また女の子の住むこちら側に帰った。
そして、ふたりは仲良しになる。

わたしたちの夢は、いつかこの川に橋を架けること。
そうしたら、いつでもわたしたちはこっちとあっちと会いに行けるんだもの。

この物語の冒頭に、作者のマルタ・カラスコさんの言葉が載っている。
世界平和を強く願うメッセージ。
チリの有名なイラストレーターだったマルタさんは2008年に亡くなっている。
絵も文章も彼女の手によるこの絵本は、マルタさんの遺作となった。

女の子が着る白いワンピースは、子どもの純粋無垢な心を象徴しているように思える。
大人は何にでも境界線を引いてしまうけれど、子どもの心にも、大人の考える境界線を植えつけてはいないだろうか。



12月2日の日曜日、キンシャサで第1回日韓親善ゴルフコンペが開かれた。
これまでの両国間の難しい歴史関係、そして今も領有地の問題が存在するわたしたちの国同士。
そんな中でこの企画は画期的なことだった、と思う。
キンシャサのゴルフクラブには多くの韓国人がメンバーでいるが、今までは挨拶程度しか交わりがなかったように思う。
そんな交わりの少ない日本人、韓国人間で、ゴルフコンペの企画を立て、コンペが行われ、夜は表彰式を兼ねて食事会を持ち、楽しい交流を持った。
きっとこれからは、ゴルフ場であってもキンシャサのどこであっても、立ち話の光景があちこちで見られることだろう。
キンシャサの小さな交流かもしれないが、大きな一歩だったと思う。



アフリカ大陸の地図を見ると、国境線が見事きれいな直線に引かれていることを見つけるだろう。

1884年、当時のヨーロッパ列強13カ国が参加したベルリン会議で、アフリカにおける植民地が分割され、列強の意のまま境界線が決定した。
”アフリカの年”と言われた1960年、多くの独立国が誕生したとき、植民地時代に引かれた直線の境界線がそのまま国境になった。列強が引いた境界線は、当然、民族とは無関係のものだった。
同一民族が離れ離れになったり、対立する民族が一緒にされたり。それが後の民族紛争の原因となる。
また、経済的に豊かな土地と貧しい土地が同一国家に組み入れられたことで、後に、豊かな土地が独立運動を起こすことにもなった。

わたしたちが現在住むコンゴ・キンシャサ(コンゴ民主共和国)は元ベルギー領。
コンゴ河を挟んだ対岸は、コンゴ・ブラザビル(コンゴ共和国)で元フランス領。
ふたつの国の首都同士が対岸で向かい合っている珍しい地域だ。
もとは、ここには中小の王国が割拠していたはずだ。それが、ベルギー領とフランス領に分けられ、その境界線のままそれぞれが独立した。
向かい合ったそれぞれの首都が、一つの経済圏を形成してると言われるが、両都市間は、フェリーで結ばれるだけだ。(空路もあるが。)
現在、両都市間に橋を架けようという計画案が浮上しているのだそうだ。
実現すると2kmほどの長い橋になるのだろうか。
橋の建設が両国間にどんな影響をもたらすのか。
3つの地点の候補が挙げられているそうだ。他方向から調査、検討する必要があるのだろう。

垣根のない交流。
交流があって初めて、真の理解が生まれる。
そんな生き方を自身でも心がけたいし、子どもたちにもさりげなく示してゆきたい。

2012年12月6日木曜日

クリスマスまであと九日~セシのポサダの日


コンゴのブラックウッドで作られたイエス降誕人形
 いよいよ、12月。
世界のいろいろな町で、クリスマスイルミネーションが瞬いている様子が目に浮かぶようだ。

キンシャサは、雨季真っ只中。
暑くて、クリスマスの雰囲気は感じられない。
また、クリスマスイルミネーションも今のところ見かけない。

キンシャサの我が家にもクリスマスの雰囲気を運びたくて、以前、中村寛子シスターに教えていただいたLimete5番通りにあるカトリック教会のブティックに、イエス降誕の木製人形を買いに行った。
ブティックを入ると、正面に大きな馬小屋がこしらえられてマリア様、ヨセフ様、3人の博士に羊飼いたちの人形が置かれていた。クリスマスが来るのを実感した瞬間だった。

その日購入した降誕の人形が、上の写真のものだ。
この人形たちをリビングに飾りながら一冊の絵本を思い出していた。

ひとりの女の子を通して、メキシコのクリスマスを描いた「クリスマスまであと九日~セシのポサダの日」だ。



絵本「クリスマスまであと九日」の表紙


アメリカの絵本作家、マリー・ホール・エッツとメキシコの作家、アウロラ・ラバスティダの共作で、日本では冨山房が最初、「セシのポサダの日」の題名で出版し、その後、しばらく品切れが続いていた。

その、品切れ状態が続いている時だった。
娘は幼稚園の先生にセシちゃんのこの絵本を読んでもらって以来、大のお気に入りとなったのだが、本屋では見つからない。
たまたま近所の文庫の会でこの本を見つけてからは、よく借りてきて読んだことを懐かしく思い出す。

そしてしばらくして、「クリスマスまであと九日」の題で(”セシのポサダの日”は副題となって)、再版されたのだった。


メキシコでは、クリスマスの前の九日間、毎晩どこかの家で”ポサダ”というパーティーが開かれるのだそうだ。
そのパーティーで、紙粘土でできた大きな張子の”ピニャタ”の中にたくさんのお菓子やくだものを詰めて庭にロープで吊るし、目隠しをした子どもたちが順番に棒を持ってピニャタを割る、という大きな楽しみがあるのだ。

メキシコの(おそらく)裕福な家庭で愛情いっぱいに育つセシという女の子が、お母さんから我が家でもポサダを開きましょう、と言われる。
市場に行ってセシちゃん自身のピニャタを選んでいいと言われて選んだのが、金色に光る大きな星のピニャタだった。
セシちゃんがポサダを迎えるまでの日常を、メキシコの町や、学校、市場の様子、お手伝いさんたちとの交流を確かなデッサン力と豊かなタッチで描いている。
1959年初版というから、きっと当時のメキシコの人々はこんな日々を送っていたのだろうとうかがい知れて楽しい。
メキシコを愛したマリー・ホール・エッツの温かな視線がこの作品の端々に注がれている。




セシちゃんの家の庭で開かれた、待ちに待ったポサダの様子が見開き2ページにわたって丁寧に描かれている箇所がある。表紙にもなっている場面だ。

セシちゃんが市場で選んだ大きな星が、満タンのお菓子を詰めて吊るされているのが見える。
きらきら光って、セシちゃんには「大切なわたしの星」だと思えてしまう。
メキシコの民族衣装を着ておめかしをしたセシちゃんとお友だちが、誇らしげにマリア様、ヨセフ様の人形を持って、ろうそく行列の先頭に立って行進している。
まるでセシちゃんのかわいらしい歌声が聴こえてくるようだ。

仲良しの人形をいつも抱えるはにかみ屋のセシちゃんが、クリスマスの行事を経て一段階、成長する様子もまた微笑ましい。

1960年にコルデコット賞(アメリカ)を受賞している。

コンゴの人々をこんなに優しく豊かに描写する絵本があればなあ。

世界中のキリスト教の町々で行われるクリスマスのイベントを、今年も楽しく想像してみよう。

2012年12月3日月曜日

外村吉之介 少年民藝館



少年民藝館 表紙

前回、「直感こども美術館 プリミティブアートってなあに?」の写真図鑑絵本(?)を紹介した。
だったら、あの本もぜひとも紹介しなければ!、と強く思ったのが、これ!

外村吉之介さんが愛情深い文章でつづる、「少年民藝館」。
1984年初版。用美社からの出版だったが、長い間の品切れを経て、数年前(?)に筑摩書房から再版された。

柚木沙弥郎さんの染め絵の装丁が、ページをめくって広がる、民芸品の素朴な”用の美”の世界を予告してくれるようだ。

やはり、夏の絵本屋で取り上げた本だ。
生活の中でどっかりと生きる、主張のない”ものたち”の美しさを大きなサイズの写真で見せてくれる。
外村吉之介さんは、倉敷、熊本の民藝館を創設し館長も務めたかただそうで、かれの文章にも、生活の中で生き続けてきた”用の美”を温かい目で見つめる姿勢を感じる。

アジア、欧米、アフリカから、食器、染織、玩具などが集められ、外村さんの優しい審美眼で紹介されている。

やはり一家に一冊、老若男女どなたにも楽しんでもらえる本だと思う。



ここで思い出されるのが、デンマークの首都コペンハーゲンにある、デンマーク工芸博物館だ。
数年前にここを訪れた時、さすが家具の国、シンプルな”用の気品”が漂う椅子たちがずらりと展示されていた。
ああ、ここは、生活の中で育まれ、シンプルにそぎ落とされた美しさを見せてくれるところだ、と感動した。
そして、ここには何と、日本の、わたしが小さい頃御用聞きの叔父さんが必ず着けていた、藍色の厚手キャンバス地(?!)の「前掛け」が展示されていた!!
デンマークの人たちは、遠く離れた日本の醤油や酒造会社の前掛けの中にも、”用の美”を見つけていたのだ!


デンマーク工芸博物館 椅子のコーナー

柳宗悦たちが、生活道具に”用の美”を見出し、民藝運動を起こして、わたしたちにもかれらの考えが浸透してきたように思う。
ある時、娘の友人のお茶会の会場に行くと、柳宗悦の書の古い掛け軸があった。
小ぶりの正方形に近い、抹茶色を使った掛け軸だった。
漢詩で表された宗悦さんの書に、「着飾らずありのまま、そのままで茶の一服を楽しむ。」、といった内容が読み取れ、彼の一貫した生きる姿勢を感じたものだ。


さて、今回は、コンゴの太鼓、”MBUNDA”と、マラカスを紹介しようと思う。




コンゴの太鼓、”MBUNDA”



コンゴのマラカス




どちらも、中村寛子シスターがいらしたンガリエマ修道院のお御堂でも礼拝の中で聖歌を歌う時に実際に使われているものだ。
我が家のリビングに置いて目で楽しみ、そしてわたしは鼻歌交じりで、これらアフリカの打楽器で遊んでいる。