2011年12月31日土曜日

いってらっしゃい!

娘のYukiです。

母の書いた以前のブログにもある通り、フランスに嫁ぎました。
アルプス山脈のふともの町出身の大きな優しいお猿さんのような人と九月に結婚しました。
そして、先週こちら、フランスに引っ越ししました。
まだ一週間しか経っていないのに、家族のもとでぬくぬく過ごしていた私は、東京の実家が恋しくて仕方ありません…。

そんな東京の実家にいる両親ですが、本日アフリカに向けて出発です。
しばらく、数年くらい?、日本よりもフランスから近いアフリカに両親が住むことになります。

この l'éléphant vert のブログでは引き続き絵本に関するたわいもないお話を母娘で綴っていけたらと思っています。
このブログとは別にも、母娘それぞれブログを持っているのですが。

とにもかくにも、両親が無事にアフリカの目的地までたどり着きますように。

2011年12月25日日曜日

夫婦ふたりきり

以前、神田の古書店で入手したペイネの版画が、遂に我が家のリビングに飾られました!
娘たちがフランスへ行ってしまう前に見せてあげたいなと思って、古いビニルから取り出してリビングの壁に掛けてみたら・・・・なんと!!
もうドンピシャ!!
ここの壁に昔、昔からあったかのように、この絵の何もかもが我が家にぴったりだったのです。
よくぞ我が家にたどり着いてくれたねええ・・・ペイネの絵がとっても愛おしく感じられました。
(この絵について今日までずっとノーコメントを通している我が夫は、怒ってはいないようだけど・・ブキミだしフシギ。)

娘夫婦もとても良い絵だと褒めてくれて、大満足。
これで、娘たちの住むことになる南仏・アンティーブと繋がったぞ!!
この絵の中から、わたしはいつでも娘たちのいるアンティーブの町にピューンと飛んでいけるような、そんな気分でいます。
まるで「ナルニア国物語」の、洋服ダンスの中からナルニア国に繋がったように・・。

そんな日から2日後の今月21日のAM11:10成田発の便で、娘たち夫婦はフランスに向けて出発したのでした。
もう泣けて、泣けて。
娘を思っては涙。メイルが届いてまた涙。
ハイジの話で恐縮ですが、おじいさんの元から無理やり引き離されてクララの住むフランクフルトに連れて来られて、おじいさんに会いたくて会いたくて、とうとう夢遊病になった時のハイジの気持ち・・・ってもしかしたら今のわたしじゃん、とか思ってまた涙。

そんな日々ではありますが、わたしはこのペイネの絵をリビングに残して、夫とともに12月31日夜便でキンシャサに発ちます。
娘は、来年6月半ばにフランスで出産の予定です。

ペイネの版画には、すずらんの花がたくさん生えていて、鳩が2羽、小鳥が4羽、りすが1匹、かたつむりが1匹、きつつきが1羽、そして天使が1人描かれています。
よくよく見ると、天使にはちっちゃなオチンチンが付いています。

これから我が家は本当に夫婦ふたりの生活になります。
ああ、ペイネの版画が我が家に来てくれてよかった!!

母の寛子でした。

2011年12月8日木曜日

風に立つライオン

                「だれかがほしをみていた」(アスクミュージック出版)より

わたしは、さだまさしさんの「風に立つライオン」という歌が大好きだ。

それは、ケニアのナイロビに医師として赴任して3年が経つ青年が、元恋人から結婚通知を受け取り、彼女に宛てた近況を知らせる手紙、という形で書かれた歌だ。
彼女に伝えたかったこと・・・
「ビクトリア湖の朝焼け、百万羽のフラミンゴが一斉に飛び立つとき暗くなる空や、キリマンジャロの白い雪、草原の象のシルエット、何より僕の患者たちの美しさ」
「この偉大な自然の中で病と向かい合えば、神様についてヒトについて考えるものですね。・・・・闇の中ではじける彼らの祈りと激しいリズム、南十字星、満天の星、そして天の川。診療所に集まる人々は病気だけれど、少なくとも心は僕より健康なのです。」

さださんの澄んだ歌声を聴いていると、20年近く前家族と暮らしたアフリカの自然と人々を、涙が出るくらい懐かしくはっきりと思い出す。

あれは、1992年12月のクリスマス休暇で、中央アフリカのバンギからコンゴ共和国のブラザビルを経由してケニアのナイロビへ旅行したときのこと。ナイロビでの滞在先は夫の会社の宿舎だった。
ナイロビ最終日の前日、夕食にめちゃくちゃまずいカレーをわたしは作ってしまい宿舎のおじさんに激怒された。
お詫びに、染みだらけの宿舎ダイニングテーブルのクロスを洗濯して真っ白にし、いざアイロンかけだ!と思ったらアイロンがプチっと言って壊れた。
まさに泣きっ面に蜂・・。
途方に暮れたわたしは裏庭にある使用人棟のドアをノックした。宿舎で働く若いケニア人夫婦に助けを求めた。

宿舎のおじさんにまずい料理を作って怒られて、お詫びにテーブルクロスをぴかぴかにしようと思ったらアイロンを壊してしまった、わたしは今夜の飛行機で帰るから、急いでおじさんに知れずにアイロンを修理したいのだけど・・・と。
使用人夫婦の「今日は日曜だから店は閉まっているけど、明朝、わたしたちがこっそり修理に持って行くから大丈夫だよ。」という優しい言葉に、わたしは思わず涙がポトリ。
奥さんが、「おいしいミルクティーを作るからさあ入って!」。
いいのかなあ・・・Do I disturb you? お邪魔じゃない?
いいえ~、さあ入って、入って・・という言葉に部屋に入ると、まあ本当にきれいに片付いた部屋だった。
たんすやテーブルの上のそこここに奥さん手製のニットのクロスが敷かれ、西日の当たる清潔な明るい部屋にわたしは感動した。

二人がいままで座ってくつろいでいたと思われる椅子のところに編みかけの男の子用のベストが置かれていた。
もうすぐクリスマス休暇で帰省します、実家に幼い息子を置いてきているから再会が楽しみなのだと話す夫の傍で、わたしは編み物が好きだから、息子のためにこれを編んでいるのよ、と奥さんは優しく微笑んで話しながら、手際よく熱いケニアの生姜入りミルクティーを、さあ飲みましょう、体が温まるのよ、とテーブルに置いた。
その熱いミルクティーのおいしかったこと!
わたしのために入れてくれた彼らの温かい人柄とジンジャーの香りが心を和らげてくれた。
どうして小さな息子さんをナイロビに連れてこなかったの?という不躾なわたしの質問に、私たちが住み込みで外国人宅で働くのに子供連れだと仕事がないのよ、とちょっと寂しげに説明してくれた。

さあ、戻らなくっちゃ、飛行機に乗り遅れるわ、ありがとう、あなたたちのご親切に。
わたしはそういってドアをあけると、どっかりした地平線に届きそうな大きな夕日が本当に胸に染みた。

本当にしっかりと人生を受けとめてアフリカで生きる夫婦だった。
さださんが歌う、「アフリカに生きる人たちの瞳の美しさ」のところに来ると、ナイロビで出会ったあの夫婦をいつも思い出す。

この曲の間奏に「アメイジング・グレイス」のメロディーが使われているのが、またどうしようもなくいい。

さて、わたしは今夕、そのさださんのコンサートに行ってまいります!!それでは!
母の寛子でした。

2011年12月6日火曜日

「本当にあった話?」と訊く子と、「作り話をして!」と言う子と

もうじき5歳になるという頃から3年間アフリカのフレンチスクールに通っていた息子 の話から。

「”Il etait une fois ・・・”(イレテチュヌフォワ~)~”昔、昔あるところに~”と先生がお話を始めると、 '入れてッちゅーとふわぁ~ん~,."*,'*','*~という呪文で、たちまち物語の世界に入り込んでいた。あの言葉は不思議な響きだったなあ。」

息子より4歳上の娘は、私が物語を読み始めるとしばらくして必ず、「ねえね。これってホントにあった話??」と訊いていた。
「そうだよー。本当にあった話だよー。」とわたしが言うと、安心して更に深く物語に入り込んでいた。明らかにフィクションだと分かっていても、わたしは、「そうだねえ。本当にあった話だといいねえ。」
娘は了解したように静かに天井をじっと見ながら聞いていた。
「この話、おもしろいね!」というサインと、気に入った話が「本当のことであってほしい。」という願いからの言葉だったのだろう。

そうやってアフリカの長い夜、「ローラシリーズ」、「やかまし村シリーズ」、「牛追いシリーズ」、「飛ぶ船」、「年とったばあやのお話かご」・・と親子で読んでいった。
ずいぶん後になってのことだが、息子が、「お姉ちゃんはいつも”本当にあった話?”って聞いていたけど、フツーに考えて、あるわけねーだろ!!って思う話のときでも訊いてたよね。」と言ったのには笑った。

友人の息子さんがバンコクにいた頃(多分、4歳から7,8歳くらいの時かな)、お話上手のお父さんに、「ねえ。ツクリバナシして!!」とおねだりしていたそうだ。彼にとっては、「ツクリバナシ」が「作ったお話」だとは思っていなかったのかもしれない。
それでも思う。
「これって本当にあった話?」と訊く子と、「作り話して!」とおねだりする子と、もしもこの二人が姉弟だったら、毎晩大変なことになっていただろうなと。

余談だが、小さい頃から食いしん坊だった娘。食事の時、1,2口食べてから「おかわりある?」というのが、「おいしいね!」の合図だった。「うーん!たっくさん!」と応えると本当に幸せな顔をみせた。

それぞれの個性が楽しい。

2011年12月3日土曜日

ペイネの版画、見つけたっ

久しぶりです。母の寛子です。この1ヶ月間、何をしていたんだろう、と思うくらい瞬く間に過ぎていき、そしてわたしはまだ日本にいます。へへ。

昨日、わたしは神田神保町の古本屋でペイネの版画に出会ってしまいました。

わっペイネだ!!、と感動して店主のおじさんに、この9月に娘が南仏アンティーブ市役所の結婚の間で入籍式を挙げ、その部屋には、生涯をアンティーブで過ごした愛の画家、ペイネの大きな油絵が2枚掛けられていて、とっても美しい街で、ペイネ美術館があって、式の引き出物はペイネのカップで、そこへ娘は今月嫁いで行くんです、だからペイネ、欲しいな・・・とかぺらぺら感動して話していたら、そのおじさんは、この絵なかなか売れないし、そういうことならお勉強しましょう、と言ってくれて。
でも、狭い我が家で無駄遣いが多すぎだとわたしを責める夫の顔が過ぎり。
でも、娘たちとペイネの絵が結びついて、ペイネの版画に出会うチャンスはもう二度とないかも・・・とかも思って。
それで、諦めて店を出たけど、結局帰りかけた道を引き返して買ってしまいました。

若いカップルが、天使が飛び交う明るい日差しのベランダで見つめ合ってお茶を飲んでいる、といった絵です。
南仏の太陽は黄色なのですね。
駅に着いて、85×70の木枠の額をわっせわっせと持って帰りながら、どうやって我が家に運び入れてどこに隠そうか、やっぱり取りあえずは夫には見せないでおいたほうがいいな、よし、そうしよう。
そのとき、ぬうううう~っと横から覗き込んできたモノが!!!
ギャアア!コワアーイイ!
なんとわたしの顔前方15センチのところに見えたものは、夫の顔でした。

まだ、帰ってきてペイネの絵を開けて見ていません。正直、見たくてうずうずしています。
(上の写真は、娘の夫が2度目に来日した時にプレゼントしてくれたペイネの絵柄の大きな花瓶です。)
夫が不気味に沈黙を守っていましたが、先ほど、どこにそんなお金があるのか、どこにそんな大きなものを飾るスペースがあるのか・・・とぼっそり言いました。

それでも、もしかしたら本物のペイネの版画じゃないかもしれないけど、これから娘が遠く離れて暮らしても、いつも傍にいてくれるような温かいペイネの絵を眺めて暮らせるんだから、幸せだなあ・・と思っています。
ペイネの絵に出会えてよかった!