2017年5月25日木曜日

上智大学で開催中の”Africa Week2017”

上智大学「Africa Week」のポスター(馬野晶子氏facebookより)

娘の母校、上智大学で、「Africa Week」と題されて、アフリカを多方面から捉えて見つめてみようという企画が、5月22日から26日まで開催中だという。
なんとうれしい企画だろう!

その中に、「アフリカの子どもたちと文学」と題された企画を見つけた。
残念なことに、この企画は23日の17:00~18:30に開催され、すでに終了している。

「本企画では、アフリカ各地に広がる豊かな民話について、特に絵本を中心に西アフリカの児童文学を紹介します。」と書かれていて、文学部フランス文学科の学生有志によるカメルーンの民間伝承をフランス語で語る(日本語字幕あり)というプログラムも用意されていたのだそうだ。
また、会場では、アフリカの絵本や絵画の展示も行われる(期間中の展示?)と紹介されている。
主催は、上智大学教育イノベーションプログラム。

特に気になったのは、アフリカ文学研究者の村田はるせ氏による「アフリカの絵本ってどんなの?」と題された講演だ。わたしの記憶に間違いがなければ、村瀬氏は西アフリカのベナンの児童文学を中心にアフリカ児童文学を研究しているかただ。
わたしも聴きたかったな。
わたしの名前の”Iroko”~イロコの木も登場するというベナンの物語についても質問したかったな。

"La Perruche, L'iroko et Le chasseur"~「 インコとイロコと狩人」表紙

アフリカのほとんどの部族が独特の書き言葉を持たない中、旧宗主国の言葉である英語やフランス語が公用語として用いられていて、さらに口承文学と言われるアフリカで、どのように絵本や物語が出版されているのか。現状を知りたいと思う。

コンゴ民主共和国の児童文学の出版状況は貧弱なもので、わたしたちがキンシャサ生活を始めた2012年のころはキリスト教の出版社のパウロ社の出版物を見かけたくらいだった。

2012年当時のパウロ出版キンシャサの本屋内

その後、パウロ書店はごみごみした商店街の一画に移転し、売り場面積も縮小してしまったが、地元の人々の住む地域で、小さいながらもいくつかのパウロ書店が活動しているのを見かけてはホッとしたりしている。
また、6月30日通りに面したところに(2014年だったか)大きな本屋も開店した。
”LIVRES POUR LES GRANDS LACS”(湖水地方の本屋、と訳すのか) というコンゴ民主共和国の本屋だ。キンシャサに2店舗、Bukavu、Kinduにそれぞれ1店舗の計4店舗を構えているのだそうだ。
でも、児童文学のことを訊くと、3,4冊を出してきて、漫画っぽいもの、戦争のような戦ものの内容のもので、がっかりしてしまった。
下の写真は、先週、コンゴの地図を探すために訪ねたLes Grands Lacs本屋の店内の様子だ。


”LIBRES POUR LES GRANDS LACS”本屋の店内と店員さんたち

もちろん、ここで、「インコとイロコと狩人」の本のことも尋ねたが、探し当てることはできなかった。

コンゴの国の公用語は旧宗主国がベルギーだから、フランス語だ。
そして、国語として、リンガラ語、スワヒリ語、キコンゴ語、チルバ語の4言語が存在する。
そのどの言語を使って絵本や物語を出版するのか。また、出版費用に見合い庶民の手の届く範囲内での価格設定のこともある。問題は山積みだ。

最後に、お月さまのことに触れてみたい。
日本では、お月さまには「二匹のうさぎが餅をついている」と教えられ、その歌も存在している。
マリ出身のトアレグ族のひとりの女性から、「わたしたちは、お月様には針仕事をしているおばあさんがいる」と聴かされて育ったという話を聞いた。そして、その歌も存在したのだそうだ。
では、コンゴでは。
ウェッツさんという慶応大学日本語プロジェクトで日本語を習得し、日本人以上に尊敬語を上手に操るコンゴ人の若者から聴いたところでは、「お月さまには、お母さんが子どもをかたぐるましている」と考えるのだと言うのだ。
なんと興味深いことだろう。お父さんではなく、お母さんと子ども、と聞いて、ボノボ(ヒトにいちばん近いといわれる霊長類)が母親社会を形成しているということを思い出し、その関連性にひとり勝手に(?)深く感動するのだった。
ただ、この「お月さまの中でお母さんが子どもをかたぐるまする」歌は存在しないということだった。

ウェッツさんが一昨日、キンシャサに長期滞在して日本語プロジェクトで活動する一人の慶応大学の学生と一緒に我が家に遊びに来てくれた。
そのときに、わたしは、日本には「絵描きあそびうた」というのもあるんだよと話した。
この4月に、かるたあそびで日本語を教えるというかれらの授業に参加したので、ひらがなを使っての「絵描きあそびうた」も参考になるかと思ったのだ。さらには、先月読んだかこさとし著の「未来のだるまちゃんへ」という本の中におもしろい絵描きあそびについて、かこさとしさんが触れていたので。
子どもの頃、多くの方が「へのへのもへじ」で顔を描いて遊んだことだろう。
地方によっては、ちょっと違うひらがなが使われていたりして、そこに興味を持ったかこさんは日本全国の絵描きあそびうた収集をライフワークにしていると書かれていた。
あるとき、女子高で講演したときに教えられたのが、「へめへめしこし」だったというのだ。
ちょっと、この4つのひらがなで人の顔を描いてみてほしい。
なんと!お目目ぱっちりのおちょぼ口の女の子の顔が完成しませんか!
そんなあそびを通して、またこれもひとつの日本独特の子ども文化なのですとコンゴの人々に伝えられて、興味を持って文字を覚えてもらえたら、などと思って、日本語プロジェクトで活動するコンゴと日本の若者に話したのだった。

そして、できたら、わたしもこの国に伝わる子どもの文学やあそびや歌を知りたかったな。
もう時間切れだけど。
でもまたいつかきっと。

と、上智大学のAfrican Weekの企画の話から、逸脱してしまったが、アフリカの子ども文化について、これからもわたしは観続けていきたい。
もし、情報がありましたら、ご教示ください。

2017年4月18日火曜日

NHKカルチャーラジオ 「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」を読んで

生命誌絵巻(JT生命誌研究館蔵)

わたしたちが昨年末に、キンシャサの治安不安定を受けて一時帰国を余儀なくされたとき、たまたま本屋で見つけたNHKカルチャーラジオ、2017年1月~3月放送予定のテキスト。

「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」(中村桂子著)

NHKカルチャーラジオ 2017年1月~3月放送のテキスト

わたしはちょうど、まど・みちおさんの詩「ぞうさん」(こぐま社)が絵本になったものを手にして、そのシンプルさに心沁みていたときだったので、”まど・みちお”という文字に惹きつけられて、このテキストを手に取って、パラパラとページをめくってみた。

第6回の放送分、”つながっていく生きもの~ゲノムと「ぞうさん」”で、まどさんの「ぞうさん」の詩が取り上げられていた。
ふむ?
自然科学の分野である生物学が、まどさんの詩とどのようにつなげられて展開されるのだろう。
生物学、ではなく、生物史、でもなく、「生物誌」ってなんだ?
13回分の講義はプログラム表を確認すると、最初から一度も聴くことはできない。
でも、毎回ラジオを聴いたつもりになって、自分で読んでいこうと思って、テキストを購入してキンシャサまで持ってきたのだった。

この「ぞうさん」の詩が取り上げられる第6回の冒頭部分でまず出てくるまどさんの詩、”空気”。
  
 
 ぼくの胸の中に いま 入ってきたのは いままで ママの胸の中にいた 空気
 
 そしてぼくが いま吐いた空気は もう パパの胸の中に 入っていく

 同じ家に住んでおれば いや 同じ国に住んでおれば 

 いやいや 同じ地球に住んでおれば

 いつかは同じ空気が 入れかわるのだ

 ・・・・・・(中略)

 5月 ぼくの心が いま すきとおりそうに 清々しいのは

 見わたす青葉たちの 吐く息が ぼくらに入り 

 ぼくらを内側から 緑にそめあげてくれているのだ

 ・・・・・(中略)

 一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!

 それはうたっているのか 忘れないで 忘れないで・・と

 すべての生き物が兄弟であることを・・・と


外とのつながりがあって、そして、「すべての生き物は生き物からしか生まれない」ということ。
ゾウはゾウからしか生まれない。
ヒトはヒトからしか生まれない。
でも、ヒトが持っているDNA~ゲノムは、一人ひとりみな違っている、という事実。
そして、ヒトは生まれて死ぬまでの間にさまざまに変化しながら、でも底の底では変わらぬ自分としてつながり、そうやってすべての生きものは38億年もの歴史を持ち続け、連綿と繋がっているという事実。

その相関図がこのブログの最初に掲げた「生命誌絵巻」だというのだ。

人間は生きものであり、自然の一部だ、とまどさんも詩の中で表している。

そして、まどさんは小さな蚤や蟻の目線から大きく大きく視点を広げていって、生きものの舞台を「地球」、そして「宇宙」にまでふくらませて見ている!

「みなさんは 日本の子どもである前に 地球の さらに宇宙の子どもです。」(百歳の言葉)

大きなくくりで、ヒトも含めて生きものとしての繋がりを時空間で考えてみる。
そうしたら、あたえられた人生のちっぽけなこと。
でも、そのひとりひとりのちっぽけな人生が繋がっていって歴史が創られ続いていく。
そう考えると、わたしの人生、友だちの人生、みなの人生をしっかり大切にして繋げていきたい、
と思えてくる。

中村桂子さんは、まどさんの”ぼくがここに”という詩も大きく取り上げている。


 ぼくがここにいるとき ほかのどんなものも 

 ぼくにかさなって ここにいることは できない

 もしも ゾウがここにいるならば そのゾウだけ

 マメがいるならば その一つぶのマメだけしか

 ここにいることはできない

 ああ このちきゅうのうえでは こんなにだいじに

 まもられているのだ

 どんなものが どんなところに いるときにも

 
 その 「いること」こそが なににもまして

 すばらしいこととして


生きものの歴史、38億年のなかで、 今、ここにいること、そのことがすごいこと。
存在することそのことへの賛美、憧れ、畏れをもって生きよう。
そう提唱する生命誌。

また、「生命誌」は、”生きものは長い歴史の中で、唯一無二の個体を生み出すと同時にその個体に老いと死を組み込んだ”ということ、そして、いわゆる障害ということにも触れ、さらりと教えてくれていると感じる。
 
”生命科学が急速に進展され、それらの技術が産業を進歩させていきました。でも、その結果、世の中は、「生きること」を大切にする方向に向かったでしょうか。”
と読者に投げかけ、
”DNAを基盤にする科学を「生きものを生きものとして見る」という新しい見方に繋げたい、ということで「生命誌」という分野を創った。”
この巻の”はじめに”で中村桂子さんは明言している。
 
わたしは、自然科学の分野が人文科学の視点を持って、垣根を取っ払って新しい見方を提示してくれたように感じて、この「生命誌」の捉えかたに魅了された。
大げさに言うと、時空間の中でヒトとしての本来の生き方をも見せてくれるように感じた。

わたしたちが、”時間”と”関係”とを大切に生きることが、「こころ」を働かせることであり、皆でそのような生き方をしていくことが「こころを考える」ことだ、というのが「生命誌」から引き出せる答えです、とも中村桂子さんは結んでいる。

「生命誌」の求めるもの・・・今、ここに子どもたちが、「人間は生きものであり、自然の一部である」
という当たり前のことを、当たり前として育っていくこと、とも言い換えている。

大きな視点と繊細な視点を混ぜ合わせて、長く続いてきた生きものの歴史の流れと、大きな宇宙、空間の中で”自然の一部である生きもの”として生きているわたしたちの存在をもう一度見つめ直
させてくれる科学者であり、同時に哲学者のような視点をも合わせ持つ中村桂子さんグループ(?)の提唱する「生命誌」に触れて本当に良かったと思う。

かのじょのお歳を考えるとわたしの亡き母よりちょっと下くらいのかたか。
子育て期間中は、研究者としての仕事を辞めて子どもと向かい合ってもいらっしゃる。
そういう生き方をしてこられたからこそ、生物科学を普段の生活にまで下ろして考えほぐして見せてくれる柔軟な視点もご自身の中で育まれたのではないか,と想像したりした。
学問と学問の境界域の空白部分こそ研究がなされてその境界線を無くすということは重要な作業だと思えてならない。

この、中村桂子さんの「生命誌」と、まど・みちおさんの「詩の世界」との融合について、3か月にわたる講座内容をわたしなりにまとめて残しておきたいと思いつつも、なかなか書き出せないでいた。

そんな中、わたしの大切な友人で、現在、ALSという病気と向き合うケイコさんが送ってくれた詩が
今朝届いて、その詩がわたしの背中をそっと押してくれた。

最後にその、ヘルマン・ホイヴェルス神父の詩を引用して締めくくりたい。


 「最上のわざ」 ヘルマン・ホイヴェルス著 ”人生の秋に”より

  この世の最上のわざは 何?
 
  楽しい心で年を取り、働きたいけど休み、しゃべりたいけど黙り、
  失望しそうな時に希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

  若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
  人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
  弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔軟であること。

  老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
  まことのふるさとへ行くために。

  おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ外していくのは、 真にえらい仕事。
  こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
  神は、最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

  それは、祈りだ。
  手は何もできない。
  けれども、合掌できる。
  愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
  全てをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
  
  『来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ』と。

 
宇宙を感じながら自然の中の生きものの一つとして、人生を全うして次世代にバトンタッチしたいな。
いつか、中村桂子さんのお声をお聞きしながら、お話を伺う機会がおとずれますように。

2017年3月24日金曜日

「少年少女の文学全集があったころ」に寄せて

 昨年11月末だったと思う。
キンシャサで、小さいころ少年少女文学全集が家に並んでいたという思い出話をしたことから、わたしたち世代に興味深いエッセイ本があるよと言って貸していただいた本が、松村由利子さん著の「少年少女の文学全集があったころ」(人文書院刊)だった。


松村由利子著「少年少女文学全集があったころ」(人文書院)

わたしと同世代で、福岡で生まれ育った著者。
でも、わたしと違うのは、祖父母や両親も読書家で、いろんな本に出合う環境が整い、特に母親と繋がりながら読書を楽しめたこと、そして、岩波の本たちと出会えて読書の世界を深めていったことだ。
松村由利子さんの幼いころからの読書量は半端なくすばらしい。
大人になって、原書とも出会って日本語訳と比較しながら、言葉あそび、音あそびの面からの訳者の力量のすばらしさを感じ取り、さらに物語の世界を広げている。
また、子どもの頃に出会った文学を起点に、深く掘り下げていっているのにも舌を巻く。
そして、著者は、新聞記者となり、記者の目から少年少女の文学の世界を分析して楽しんでもいるのだ。
長じて、かのじょは現在、歌人として活躍している。
そんな言葉の世界でゆっくりじっくり楽しんで大きくなった著者のエッセイがぎっしり詰まったこの本は、ずっとわたしの手元に置いておきたい本の一冊だ。

わたしのことをふり返ってみよう。
3歳のころから、製鉄会社の社宅で育ち、高度経済成長期とも重なり、社宅は教育熱心な家庭が集まっていたように思う。
父は、よく、会社帰りにバス停のところにあった「千成堂」という本屋さんで、童謡の絵本を買ってきては歌を歌いながら、挿絵の美しさを語った。
そして、カトリックの幼稚園で毎月配本される「こどものせかい」という絵本で、物語の内容というより、挿絵の美しさを楽しむ子だったと思い返す。
父親が余暇に絵を描く”日曜画家”だったのだから、その影響は大きかった。

わたしが小学校に入るころだったろうか。
父がわたしに「こじき王子」という本を、妹に「イソップ物語」を買ってきた。
それから、毎月、挿絵の多く載った童話集が我が家に届いた。
今も、赤羽の我が家の本箱に2,3冊ある。
偕成社の「幼年絵童話集」だった。

最初に手にした「幼年絵童話集」(偕成社)

こじきの少年と身分の違う王子さまが入れ替わって生活するのにはびっくり仰天した。
黄色の挿絵の二人の少年との出会いをはっきり覚えているが、同じ本に収録されている「アルプスの少女」のほうの存在は薄いのが不思議だ。
やはり、挿絵を優先して楽しむ子だった。

そして、このころから物語の内容にも入り込んでいったように思う。
わたしが、いつも傍に置いていた本だ。


幼年絵童話全集「小公女」と「フランダースの犬」

カラーの挿絵がなんともきれいで、何度も何度も読み返して、喜び、心痛めた。
この挿絵の楽しい童話全集は調べると全20巻だった。
1962年から1964年の間に発刊されている。
監修者に、川端康成、浜田廣介、宮原誠一、村岡花子の名前を発見。
文担当者として、川崎大治、久保喬、与田準一、土家由岐雄・・・。
画家には、岩崎ちひろ、若菜珪、太田大八・・・。
大きくなっても、この童話全集をめくって楽しみ続けた。

そして、小学校高学年になる頃だったか、とにかく、この「幼年絵童話集」の毎月配本が終わって間もない頃から我が家に届き始めたのが、小学館の「少年少女世界の名作文学」だった。
全50巻。
1964年から1968年の発刊だ。

小学館「少年少女世界の名作文学」全50巻


カトリックの幼稚園だったこともあり、ステンドグラスのような天使の絵には親近感を覚えたし、箱から出して、表紙の紙を取ると、世界の名画も載っていてこれも毎月の楽しみだった。

小学館「少年少女世界の名作文学」表紙を飾る世界の名画

アメリカ編、フランス編、・・・と国別に編纂されていた。
でも。
この本の分厚さと、挿絵が極端に少ないことに馴染めず、毎月、本箱に並んでいくこの文学全集を横目に見ながら学校の勉強や塾通いの方に忙しくなっていった。

あの頃の社宅バス停前の本屋には、岩波出版の本は置いていなかった。
唯一、わたしの幼い頃の岩波の本は、岩波少年文庫のケース入りの「星の王子さま」だ。
従弟から贈り物としてもらった本。もう、半世紀も前のことだ。
今も手元にあるが、わたしなりに王子さまの世界を楽しみ、子どもながらにも下手だなあと思えるサンテグジュペリさんの挿し絵にも親近感を覚えた。
何度も何度もページをめくって王子さまに出会っていたのに、子どもの頃のわたしは最後に王子さまがどうなったのか、不思議なことに全く記憶に残っていなかった。

わたしが母親となって出会った岩波の本の奥行きの深いこと。幼年シリーズも、少年文庫も、子どもと一緒に楽しんだ。
わたしの夢は、老後の日本での生活で、岩波少年文庫全編を読破することだ。
「少年文庫」とはいえ、小学生、中学生で人生の機微を深く味わうには難解だと思われる内容の物語を発見する。
人生後半に入った今こそ深く入り込んで堪能できる物語が多く存在する岩波少年文庫再読を楽しみにしている。

松村由利子さんのこの本を読み、「少年少女世界の名作文学」をやっぱりもう一度、しっかり読み返してみたい、と思った。たくさんの面白い物語が吟味して編纂されているのだったら、小さいときにしっかりと読んでおけばよかったと反省もした。
実家の二階の本箱にそのまま残っていると信じよう。

松村由利子さんのエッセイを紹介してくれた友人に、そして何より、子どもの物語の、宇宙のように壮大で魅力的な世界を思い出させてくれたこの「少年少女の文学全集があったころ」の本に、ありがとう。

2017年2月20日月曜日

とんび

キンシャサ滞在の前、赤羽の子どもの本専門店、”青猫書房”で、スタッフとして楽しんでいた。
当たり前の話だけれど、スタッフ皆、本が大好きで、すぐに本の話題になった。
子どもの本、とひとくくりに表現するけれど、大人にこそ手に取ってほしい絵本や児童書がある。
逆にティーンエイジャーにこそ出会ってほしい小説やエッセイもある。
だから、年齢枠を取り払って、自由に本の世界へどうぞようこそ、というのが青猫書房の姿勢だとわたしは思っている。

そして、今日は、この本。


以前、青猫スタッフと重松清さんの小説の話題になった。
わたしが、「その日の前に」は大感動ものだ、と話すと、「とんび」も大感動だよと勧められたことがあった。
そして、先月、再度キンシャサに戻るときに、スタッフからこの「とんび」をプレゼントされてこちらへ持ってきた。
なんとなく、読むのがもったいなくて。
楽しみを温めて温めて。
そしてとうとう。
一気読みだった。
涙、涙で読了。

生後まもなく実母が亡くなり、実父とも生き別れ、家族の縁が薄いヤスさんが、これまた広島原爆で家族を失い疎開先でひとり助かったミサコさんと結婚し、ふたりで懸命に幸せな家族を作ろうとする姿にまず心動かされる。
1934年生まれのヤスさんと、2歳年下のミサコさんが1956年に結婚し、1959年にアキラくんが誕生する。
会社の社長にカメラを頼み込んで借りては家族で出かけて写真を撮りまくるヤスさん。
家族で出かけるたびに車が欲しいと思い、車だったら家族を疲れさせることもないと一大決心をして車を手に入れたヤスさん。運送会社勤務のヤスさんには車の運転は朝飯前なのだった。
当時の映画を観て、生まれてくる子が女の子だったら吉永小百合の「小百合」、男の子だったら小林旭の「旭」だと心に決めたヤスさん。
何ごとにも一生懸命の熱血漢で、超照れくさがり屋で、そんなヤスさんのすべてを理解して支えるミサコさん。
高度経済成長期の日本で、家族を一途に思って滑稽なくらい護り抜くヤスさん。

そして。
そのヤスさんとアキラくん父子を、これまた深い愛情で見守る広島備後の人たちの交流にもほのぼのし、読後は魂がすっかりぴかぴかに洗われたようになった。

さすが、重松清さんの筆さばきに完全にはまってしまった。
かれの、文庫本あとがきの一行目に、
「不器用な父親の物語を描きたい、というのが始まりだった。」
と記している。

この物語も、ぜひ、幅広い年齢層のかたたちに読んでほしい。


今朝、起きてすぐ、ALS(筋委縮性側索硬化症)と向き合って真摯にすすむ友人のブログを開けた。
かのじょは、クリス・ハートさんの歌う「いのちの理由」について書いていた。
作詞は、さだまさしさん。


わたしが生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため

わたしが生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため


まさに、このままの姿勢を貫き通して生きてきたヤスさんだ、とまたまた朝から感動を新たにするのだった。
「とんび」とは、「とんびが鷹を生んだ。」の「とんび」。
失礼ながら、ヤスさんのことだ。

こんな生き方をするヤスさんにわたしは多くのことを教えてもらったな。

2003年10月から、2004年7月にわたって、中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、神戸新聞などに連載され、その後、2008年10月に角川書店から出版されている。

ヤスさん、1934年広島県備後市生まれ。
今も仲間たちと備後の町で、きっときっと元気ににぎやかに過ごしているのだろう。

2017年2月6日月曜日

絵本「ぞうさん」とまどみちおさん

絵本「ぞうさん」(こぐま社)

    ぞうさん ぞうさん

    おはなが ながいのね

    そうよ かあさんも ながいのよ


    ぞうさん ぞうさん

    だれが すきなの

    あのね かあさんが すきなのよ


まどみちおさん作詞 團伊玖磨さん作曲の童謡がこんなに絵本になっているのを、昨年、キンシャサに行く前に赤羽の子どもの本専門店「青猫書房」で見つけた。

たった数行の、でも、心温まるこの詩を1ページに1,2行ずつ。
「わたしのワンピース」などの作者、にしまきかやこさんの素朴な挿絵とともにリズミカルにめくって音読を母子で楽しめる絵本だ。

このシンプルな構成が、まどみちおさんの詩の世界の深いところまで連れて行ってくれるように思える。

まどみちおさんが104歳で亡くなって今月末で丸3年。
今年1月から3月までの3か月の予定で、NHKカルチャーラジオは、「まどみちおの詩で生命誌をよむ」が始まった。
案内役はJT生命誌研究館館長の中村桂子さん。
まどさんの詩を、生命科学の視点から掘り下げて読み解いていくという興味深い取り組みだ。
わたしは残念ながらラジオを拝聴できないので、テキストを購入して、週1回の放送分を独りで読んでおもしろがっている。


NHKカルチャーラジオ2017年1月~3月テキスト(NHK出版)


ぞうさん、といえば、土家由岐雄さん著のノンフィクション童話、「かわいそうなぞう」を思い出す。
秋山ちえ子さんが、1970年から毎年8月15日にラジオでこの童話を朗読されていたということを2年ほど前にちえ子さんが亡くなってから知った。
この童話は、太平洋戦争中の東京・上野動物園でぞうが戦時猛獣処分を受けたという実話を元にして著されたものだ。
1970年初版とあるから、ちえ子さんは、この童話が世に出てからずっと、終戦記念日に朗読を続けてこられたことになる。

中村桂子さんも、カルチャーラジオ番組の第6回 ”つながっていく生きもの~ゲノムと「ぞうさん」”の中で、「ぞうさん」の詩に絡めたエピソードで、これらのことに触れている。

終戦まもなく、まどさんはお子さんと共に上野動物園を訪れたのだそうだ。
でも、動物園の象舎は空っぽだった。ライオンもいなかった。
戦時猛獣処分という命令で殺された動物園の猛獣たち。
がらんどうの動物園でがっかりする子どもたちを見て、まどみちおさんも戦争という暗い影を痛感したことだろう。
まどみちおさんは、空っぽの象舎の前で、
「ぞうってとっても大きくて鼻が長くて耳も大きい動物なんだよ。」
と、お子さんに説明したのだそうだ。
そして、そのときの気持ちをもとに生まれた詩が「ぞうさん」だったと書かれている。

また、この詩で、お母さんから子どもへの繋がりを表すとともに、もうひとつ、「いじめ」もテーマにしていると、まどみちおさんが説明されていたことも知った。

中村桂子さんはテキストの中で、
”動物学校の教室で誰かが「おいお前、鼻が長いなあ。他にそんなおかしな鼻をしている奴はいないぜ。」といっているようにも読めます。子どもたちは違いに敏感です。皆と同じがいい。そしてちょっと違うことに気づくといじめます。人間の学校もそうですから、動物学校だったら大変でしょう。鼻が長いとか、しっぽが短いとか、いくらでも違いを見つけられます。そこでめげてはだめです。「そうだよ。母さんだって長いんだよ。あのすてきな母さんが長くて、ぼくも長いんだから。なんにも悪くないよ」。
まどさんの説明を知ってからは仔ぞうの頑張りも感じながら歌っています。”
と書いている。

母と子の深い絆を感じる、まどみちおさんの「ぞうさん」の詩がますます好きになる。
そんな深い愛情を、母子で寄り添って、この絵本のページをめくりながら味わってほしいと思う。

わたしの本箱に、大切な絵本がまた1冊並んだ。


アジアゾウにアフリカゾウ。
アフリカゾウのほうが体が大きく、耳も大きいんだったな。
ディズニー映画の”ダンボ”は耳がやたら大きく生まれてきていじめられるんだったな。
ぞうさんを描くのが好きだった娘の落書きを、「夏の絵本屋」のトレードマークにしてポスターを作って、3年間だけだったけど夏の絵本屋(+冬の絵本屋)、”L'elephant vert”(みどりのぞう)を開店して楽しんだな。
マレーシアの画家で、ぞうさんの絵をカラフルにコミカルに描くユスフさんとの交流もうれしかった。
毎夏、かれの描いた2枚の水彩の絵を絵本屋に飾ってお客さんを迎えたんだった!


我が家のぞうさんコレクション一部 
右端の緑ゾウは、夏の絵本屋開店のお祝いに人形作家のナンシーさんが制作してくれた宝物!


わたしが滞在する、コンゴ民主共和国、そして隣国のコンゴ共和国一帯には、”マルミミゾウ”という絶滅危惧種のぞうがいる。

2016年11月9日水曜日

"ほうせき"の思い出

小さい頃、自宅にあったベージュとシルバーの表紙の大百科事典を眺めるのが好きだった。
全部で13巻か14巻くらい並んでいたと思う。
その10巻目くらいに載っていた、世界の宝石・原石のカラーページがわたしのいちばんのお気に入りだった。
ルビーやエメラルドやサファイヤ、そしてダイヤモンド。
昔の王様の冠もあったなあ。
そしてカラーページをめくると、宝石の世界分布図というのがあった。
インド洋のセイロン(まだスリランカと表示されていなかったような。)は宝石できらめく島のように思えたし、アフリカ大陸はダイヤモンドだらけで輝いて見えた。
いつか宝石探検に行くぞ、と虚弱体質気味のわたしは夢見ていた。

だから、わたしは、「しあわせの王子」とか「小公女」とか、宝石を連想する物語が大好きで繰り返し読んでいた。
広場に立つ「しあわせの王子」の像が、仲良しになったツバメに、ぼくの剣や帽子や靴に付いているエメラルドやルビーやサファイヤをあそこの貧しい家に届けておくれと依頼し、ツバメは宝石や金箔が取れて貧弱になってゆく王子のために冬の飛行を止めて最期まで王子のそばに寄り添い、二つの命は尽きてしまう。
優しく切ない物語の中で、きらめく宝石たちの名前に想像は膨らんだ。
一方、「小公女」の主人公セーラは、フランス人の母とイギリス人の父を持ち、インドで事業を展開する父親と暮らしていたが、イギリス社会の風習(?)で一定の年齢に達すると、セーラもロンドンの寄宿舎学校に入ることになる。優しいセーラは学校でも人気者となってゆく。

わたしの父が今度、インドでダイヤモンド鉱山の仕事を始めるのよ、ダイヤモンドを掘り当てたら、あなたにも首飾りを作ってあげるわね。

ああ、どんな首飾りをプレゼントしてもらえるんだろう~想像して、わたしはうっとりした。
大人になって思うと、ダイヤモンドで首飾りのプレゼントをしましょう、なんてちょっと鼻持ちならない女の子だなと胡散臭く感じるけど、物語の中の優しいセーラが小間使いの女の子にも話しかけるのだから、当時のわたしは正直に受け止められて、想像を膨らませたものだ。


岩波少年文庫 ”小公女”


わたしが最初に読んで楽しんだ「小公女」の本は、偕成社のもので子ども世界名作童話集とかいうものだった。多くの挿絵(カラーのものもあった)が載っていて、さらに夢を与えてくれた。

そんな時だっただろうか、わたしが暮らしていた製鉄会社の鉄筋コンクリートの社宅に一人の女の子が引っ越してきた。当時は日本中が浮足立っていて高度経済成長の真っただ中だった。
公害がひどく、工場地帯そばにあった社宅が廃屋になったのでこちらへ転校してきたのだと聞いた。わたしの通う小学校には、そんな子どもたちが結構な人数で転校してきた。
かのじょは、さちこちゃんと言った。
くりくり巻き毛の色の白い、かわいい女の子だった。
その子は、いつもクラスの女子たちに話すのだった。
わたしが引っ越す前の家にはたくさんのきらきらの”タカラモノ”があって、すべて、我が家の倉庫に入れてきたのよ。
今度、倉庫に行けたら、あなたにもそのタカラモノで首飾りを作ってあげるね。
あなたにはどんな首飾りが似合うかなあ。

クラス中の女の子たちは、さちこちゃんの話に想像をどんどん膨らませていった。
うっとり、さちこちゃんが作ってくれた首飾りを身に着けているような気分になるのだった。
そして、わたしの頭の中で、かのじょの倉庫がきらきらまぶしく輝きだすのだった。

でも。かのじょは、一向に以前の家の倉庫に行く気配がない。
いつ倉庫に行くの?、と尋ねても、そのうちね、でも近いうちに必ず行くからと繰り返した。
いつの間にか、さちこちゃんを取り囲んでいた女の子たちは離れていった。
そして、かのじょは、父親の転勤で遠くの町に引っ越していった。

そのかのじょの作り話にどのくらいの期間、幸せの想像を膨らませていたのかわからない。
一年だったのか。
もしかしたら、2,3か月のことだったのかもしれない。

今思うと、わたしの”タカラモノ”とか、”ほうせき”は、ガラス玉やプラスティックビーズだったようにも思う。だって、プラスティックの指輪をおばあちゃんに買ってもらって、ずっと宝石箱に入れて、時々、指にはめてみたりして大切にしていたもの。

それでも、わたしはこの歳になっても、かのじょのことを鮮明に思い出す。
ずっとずっと、忘れないだろうな。
ひがきさちこちゃん、あなたのことを。

うっとりするきらきらの思い出を、ありがとう。

2016年10月8日土曜日

物語 ”グリーンノウのお客さま”

今年5月末、アメリカのオハイオ州の動物園での出来事にわたしは愕然とした。
ゴリラの獣舎に男の子が転落し、人命救助のためにゴリラを射殺したのだった。
17歳の雄、ニシローランドゴリラ、Harambe。
遠いアフリカ、コンゴ周辺国から運ばれ、独りアメリカの動物園の檻の中に閉じ込められ、たまたま落下してきた人間の男の子を獣舎内で引きずり回しはじめたのだそうだ。
園側は当初、麻酔投与も考えたようだが、効き目があらわれるまでに数分はかかると考えられ、射殺された,と記事には書かれていた。


ニシローランドゴリラ 17歳の ハランべ(Harambe)



わたしは、このローランドゴリラ、ハランべと、「グリーンノウのお客さま」に登場するゴリラのハンノーが重なってきて、もう一度、この物語を手に取った。


我が家の旧版 ”グリーンノウのお客さま” 表紙

ルーシ・ボストン夫人による、「グリーンノウ物語」シリーズ(評論社)のうちの4番目のこの巻の挿絵は、ピーター・ボストン。ボストン夫人の息子さんだそうだ。
表紙の絵は、ゴリラのハンノーと父ゴリラの絵。
ほのぼのとしたゴリラ父子の様子が伝わってくる。

物語は、コンゴの密林で暮らすちびゴリラのハンノーの一家の日常から始まる。
すべての生き物の汗がしたたり落ちるような湿度の高い熱帯雨林の中で、お父さんゴリラが中心になって集団を作り、移動生活を送る。お父さんゴリラは、赤ちゃんゴリラの面倒をよくみると表現されている。
そんな平和なジャングルでの日々に突然、密猟者が入り込み、ハンノーとお姉ちゃんゴリラが捕まってしまう。子どもゴリラは親から離されると精神的ショックから、間もなく命を落とすのだと聞く。
お姉ちゃんゴリラは搬送途中で絶命。
ハンノーひとりが、遠いロンドンの動物園に運ばれて、檻の中でひとり成長していく。
人間以上の背丈で大きく育ったであろうハンノー。
飼育員の愛情ももらったであろう。
でも、集団でジャングルの中を移動して暮らすゴリラの習性で、檻の中のハンノーはどんな気持ちだったのだろう。
その動物園に、ビルマの戦争で父親と離れ離れになりロンドンの難民収容所で暮らす中国人少年のピンが見学に訪れ、二人(一頭と一人)は出会い、深い友情が育まれていく。
そして。
ある夏の休暇を幸運にもグリーンノウに暮らすオールドノウ夫人のお屋敷で過ごすことになったピン。
孤児のピンにとっては心解放され、オールドノウ夫人とどんなにか穏やかな生活を楽しんだことだろう。
そのお屋敷に隣接する森の中になんと、ロンドンの動物園の檻から逃亡してきたハンノーが逃げ込み、二人(一頭と一人)は再会する!
それから、ピンは密かにハンノーをかくまうことを決心。
優しいオールドノウ夫人に隠れてせっせとハンノーに食料を運ぶピンの、心苦しくも心弾む心境が伝わってくる。
オールドノウ夫人への裏切りに苦しみながらも、それでも、ハンノーの自由を、幸せを守ってあげたいと思ったのかな。
自身の境遇と重ねたはずだ。

この物語の悲しい結末と、うれしい結末。

猛獣とされる動物たちはどんな行動にも危険視される。
一見、暴れて危険に見える行動でも、我が子と遊ぶように接していたのかもしれない。あるいは、ストレスやパニックで起こした行動なのか。見分けは難しい。

やはりこの五月に井の頭自然公園で69歳で亡くなった象のはな子も、幸せな生涯だったのだろうか。
昭和24年にタイから来日し、昭和29年からずっと井の頭自然公園で過ごしたはな子。
象も森林の中で群れで過ごす動物だ。当初は、檻の中でストレスを感じていたのかと想像する。
井の頭自然公園に移って数年の間に、酔っ払い男性、飼育員を圧死させて、「人殺しの象」、とレッテルを貼られた時期もあったと聞く。以来、はな子は鎖をはめられて過ごすことになるが、新たな飼育員によって半年後に鎖をはずしてもらえたのだそうだ。
それからは、来園者に可愛がられ、お別れの会には全国から多くの参列者やメッセージが届いたと伝えられていた。

動物園側も、なるべく自然に近い形で動物を飼育しようとする動きが出てきている。
絶滅危惧種への対策も世界レベルで整ってきている。


新版 ”グリーンノウのお客さま” 表紙

新版のこの物語の表紙には、少年ピンがグリーンノウの森の中に作った竹の小屋と、後方にゴリラ(ハンノー?)が描かれている。

1961年に出版されたこの「グリーンノウのお客さま」は、同年度のカーネギー賞を受賞している。
この賞は、1936年に始まり、毎年もっともすぐれた子ども向けの本に与えられてきた、イギリス児童文学の世界で最高の名誉とされている賞、ということだ。

ピン老人(?)は、今頃、グリーンノウのお屋敷で(と信じて)、どのようにお孫さんたちに(!)かれの思い出を語っているのだろう。