2013年5月22日水曜日

いせひでこ  絵描き




いせひでこ 作  絵描き


先日参加したキンシャサ・オープンゴルフで、8番ホールのプレイを終えて小高い丘に立ったとき、西の空に真っ赤な夕陽が大きく沈もうとしているところに出くわした。

はーっ!!!

思わず息をのむ美しさだった。
なんと大きく、真っ赤で半透明に見える、厳かな夕陽だったろう。


キンシャサは今ちょうど、雨季と乾季の”端境期”だ。

雨季のときは、空に厚く厚くグレーの雲がこれでもかー!というくらい垂れ込めた、と思ったとたんに大粒の雨が降り、すっかり雲を落としてしまうと天空には真っ青な空が広がる。

乾季のときには、雨を一粒たりとも落とさないように、うまく、実に絶妙にバランスをとりながら空をグレーの雲で埋め尽くし、いつも太陽を隠している。

その気候は、キンシャサを流れる大河,コンゴ河に由来していると思われる。
(だから、ここの乾季は、乾季といえども乾燥はせず、朝晩の露で緑は保たれ、気温は上がらず、まるで夏の高原のような気候なのだ。)

この雨季と乾季のほんの数日の間にだけ現れる”いわし雲”。
まるで日本の秋の空のようだ。
そのほんのわずかの間だけ、この厳かな真ん丸で真っ赤な夕陽がキンシャサで拝めるように思われる。

大抵の季節、西の地平線に沈もうとする夕陽はコンゴ河上空の分厚い見えない層になっている水蒸気で隠されて、地平線よりはるか上空で真っ赤な夕陽はかまぼこ型になって消え入ってしまうのだ。
キンシャサの西側にはコンゴ河が流れているのだから、しかたない。
   


さて。
ゴルフコースの丘から見た真ん丸い真っ赤な夕陽を見ながら思い出したのが、この「絵描き」という絵本だ。
いせひでこさんの作品。

彼女は東京芸大の出身で、パリにも滞在して絵を描き続けた経験を持つと聞く。
パリの製本職人le relieurと女の子の交流を描いた「ルリユールおじさん」、雲の多彩な表情を描いた「雲のてんらん会」、ゴッホと弟のことを描いた「にいさん」などがある。

デッサン力は本物で(という言い方は横柄に聞こえるけれど)、さらに心で感じて描く、”絵描き”(le peintre)だと思う。



絵本「絵描き」の主人公は絵を描くことを大切に真摯に生きる青年だ。
自然の中に身を置いて、心のままに風景を切り取ってスケッチ紙に写し取っていく姿に感動する。

今日は夕日を切り取って帰った、というくだりをこの絵本の中で見つけたとき、この絵本はわたしにとって宝物となった。
そしてまた、いせひでこさんという人は、まさにこの主人公のように生きているのだろうと胸に迫るものを感じる。



「世田谷文学館でいせひでこさんの個展をやっていて、今日までなんだって。」

わたしがいせひでこさんのファンだということを知っている友人からの電話で、ふたりで彼女の個展会場に駆けつけたことがあった。
原画の大きな油絵に圧倒され、魅了され、ふらふらと会場内のカフェに入ると、いせさんご自身がいらした。
「絵描き」の絵本にサインしていただいたときに、
「この絵本,大好きです。今日は夕日を切り取って帰った、というこのページが特に。」
と伝えると、
(そうよ、この絵本を絶版にしてはいけない。)
いせさんは自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。

当時、絵本「絵描き」は、理論社から出版されていた。
理論社が民事再生法を出し、「絵描き」の版権が宙ぶらりんになっていた時期だったように思う。

今回、このブログを書くに当たり調べてみると、平凡社から復刊されていることがわかり、ほっとした気分になった。

(そうよ、この絵本を絶版にしてはいけない。)
いせひでこさんのつぶやきが今も耳に残っているようだ。


2013年5月2日木曜日

ロバのシルベスターとまほうの小石

ZONGOのコンゴ河で採った石ころたち

この写真の石ころたちは、今年の正月に訪れたZONGOのコンゴ河で採ってきたものだ。
近くに滝があって、うっそうとした茂みが続く河岸だったから、水晶が見つかるのではと期待して探したが、徒労に終わった。

思い起こせば、わたしは小さい頃から、きれいな石ころを集めるのが好きだった。
どこに行っても、きれいな石ころを見つけては家に持って帰って、母から迷惑がられた。


そんなことを思い出しながら、一冊の絵本が浮かんできた。




絵本 ”ロバのシルベスターとまほうの小石” の表紙


「ロバのシルベスターとまほうの小石」(評論社)という絵本だ。


ロバの子、シルべスターは、変わった形や色の石を集めて楽しんでいた。
ある日、シルベスターはきれいな赤い小石を見つける。
それは、願い事が叶う魔法の小石だった。

その時、シルベスターの眼前に突然ライオンが現れ、とっさに小石を持ったまま、「岩になりたい!」と思ってしまい、本当に岩になってしまったのだった。岩のそばには、赤い小石が残されたまま・・・。

ああ、岩になってしまったシルベスター自身の驚きようと嘆きを想像するだけで、読んでいる側も胸が張り裂けそうになってくる。

そして、そんなこととはつゆほども知らないシルベスターの両親、ダンカンさん夫妻の嘆きも察して余りある!
行方不明になった息子を探し回るダンカンさん夫妻の表情!


さあ、果たして誰かが魔法の赤い小石を拾い上げて、シルベスターが元の姿に戻ることを願ってくれるのだろうか!!



奇想天外な筋書きで、親が子を想う深い愛情を表現してる、というところにこの物語の魅力があるのかもしれない。
我が家でも、子どもたちが小さいころ、身を寄せ合いながら(共に間近にいる安心感をもって?)何度この絵本をいっしょに読んだことだろう。


ウイリアム・スタイグ作で、アメリカでの初版は1969年だそうだ。
そして翌年に、コルデコット賞を受賞している。

日本では瀬田貞二の訳で1975年に評論社から出版されている。
(・・ということは、この絵本もわたしの幼い頃には存在せず、母親にならないと出会えなかった絵本だったのかもしれない。)


娘は、この絵本を読みながら(読んでもらいながら)、岩になった自分を想像して、声も出せない、手も足も出せず身動きひとつできない状況を「怖いと思った」と言っている。


ああ、わたしが拾った小石たちが魔法の小石ではなくてよかった!

そして、子どもたちが魔法の小石を見つけなくてよかった!