2013年7月3日水曜日

大地を踏みしめて生きる~アフリカの音

絵本 アフリカの音 表紙

アフリカに生きる人々が大地を踏みしめる音が、生活の響きが確かに聴こえてくる絵本を知っている。


沢田としきさんが描く、「アフリカの音」(講談社)という絵本だ。


この絵本のサブタイトルに、”A STORY OF WEST AFRICAN DRUM  & DANCE”、
(西アフリカのタムタムと踊りの物語)とあるように、アフリカの人々の生活に欠かせない音楽~タムタム(西アフリカでは”ジャンベ”と言うらしい。)とダンスのことを描いている。

正直に言うと、わたしの目には、このサブタイトルが全く入ってこなかった。
「アフリカの音」という題名だけが目に飛び込んできた。
そしてページをめくるたびに、アフリカの人々がしっかりと大地を踏みしめて生きる”音”を聴いた。
音楽の響き、というより生きる響きを感じたのだ。

ドーン、ドーン。

アフリカで暮らしていると、人々はどっしりと”今”を生きているなあと痛感する。

アフリカの人たちは音楽が大好きだ。
わたしの住むキンシャサはリンガラミュージックの発祥地だ。
タムタム(リンガラ語では”ンブンダ”)は身近な楽器だ。

中村寛子シスターがいらしたカトリックの教会でも、ミサのときにオルガンはもちろん、ンブンダ(タムタム)、団子三兄弟のようなマラカス、おもしろい形の金属の打楽器がリズムを刻み、シスターたちも神父様も、信者たちも皆が手を動かし、足を動かして楽しそうに聖歌を歌っていた。

我が家の家政婦はプロテスタントの信者で、さらにリズミカルに歌う。
床を拭きながら、アイロンかけをしながら、大きな声で歌う。

アフリカの人たちは、からだじゅうでリズムを表現する。
それは、かれらの生き方そのもののような気がする。


この絵本の表紙にも描かれているように、小さな荷物でも大きくて重い荷物でも頭に載せて運ぶ。
我が家のアパート前のコトー通りで粗末な木切れで作った小さな棚に並べて、毎日、野菜を売るマダムがいる。
かのじょが我が家の玄関まで野菜を売りに来るときは、大きなたらいに入れてやって来る。
そーら、見ておくれ、わたしんとこの野菜は新鮮でおいしいよ。
かのじょは、よいこらしょと、たらいを頭から下ろす。
たくましいマダムだ。

野菜を運んで我が家の玄関に現れたマダム

古いアパートが建ち並ぶコトー通りは小さな通りなのだが、露店で野菜やこまごまとして日用品、パンを売るマダムたちがあちこちにいる。
どのマダムたちも陽気だ。

我が家で働く家政婦も、勤務が終わるとバナナや飴玉や小さな日用品を仕入れて露店で売るのだそうだ。
かのじょが言った。
例えば、だんなが月に100ドルを稼いでくるとするよ。
100ドルなんて何もしないと、食費なんかで10日で使い果たしてしまうよ。
だから、わたしたち主婦は、100ドルで飴玉とか小さな日用品を仕入れて、道端で売るのさ。
売れてもうけが出たら、それでその日の食材を買って帰って夕食を作れる、ってわけさ。
6人の子どもたちが待ってるからね。

なんとどっかりした生き方だろう。
貧乏だ、お金が無い、なんて嘆いている暇なんてないのさ、と言わんばかりのたくましいマダムたち。
そして、歌を歌って、打楽器鳴らして、踊って。
アフリカの町で村で、ダイナミックにどっかりと生きる人々。


キンシャサの木の下で~床屋と荷物を頭に載せる女性


そんな人々の生きる音が聞こえてくるように描く作者、沢田としきさんってどんな人なのだろう。
調べてみると、画家であり、音楽家であり、絵本作家であり、多才な人だった。
アフリカを題材にした絵本も出している。
アフリカと繋がった仕事をされていたのだろうか。
と過去形になったのは、かれは3年ちょっと前に、急性白血病で51歳という若さで急逝されている。

絵本「アフリカの音」のページをめくると、確かにアフリカの人々がたくましく生きる”音”が聴こえる。