2018年10月8日月曜日

夏に作った、孫娘への”ひらがな豆本”

なみちゃんひらがな豆本
また今年も、夏の扉が開いて、そして閉じられた。
そーっと。パタン。
ヒューン。


娘一家が今夏も4週間の夏季休暇で我が家に滞在した。
孫娘も6歳になり、この9月から、フランスでは小学生になった。

この夏は、その孫娘と一緒にひらがな豆本を作った。
手のひらサイズのまっさらのノートが我が家の文具引き出しに入っていたので、この小さなノートを使った。

1ページにひとつのひらがな。
ひらがなの下に、雑誌や広告などから切り取った絵、写真を使って、頭文字のひらがなの該当ページに貼っていこうと思って、一緒にジョキジョキとはさみで切り抜いた。
でも、孫娘は、わたしに絵を描いてほしいと希望してきたのだ。
貼り絵ではなく、マジックで絵を描いてと言うのだ。
よし!
上手い、下手よりも、心のこもった手作り豆本にしよう!
孫娘の希望する絵を、わたしはせっせと豆本に描き込んでいった。
下絵なしに。
我ながら大笑いしたのが、「ふ」のページに描いた”ふくろう”!
目がやたらに大きい”だるまさん””みたいになったけど、孫娘は喜んでくれた。
動物、昆虫、植物、文房具、台所用品、衣料、体の部位、など、日常に使われる言葉を孫娘と考えて(時には娘も入って)、選んで、豆本のそれぞれの”あいうえお”の文字の下に描き込んでいった。

45文字だから、45ページを使った。
残りのページには、家族の名前を書いた。
大きく、わかりやすいひらがなで。


そして、もう一冊。

ひらがなあそびブック

ピンクの小さめのスケッチブックを買ってきて、ひらがなのあそび歌を書いた。
リズミカルに唱えて歌って、ひらがなを覚えてもらおう、とたくらんだのだが。

  あいうえおっと、おっとせい

  かきくけこっこ、もうけっこう

  さしすせそーっと、どあしめる
  
  たちつてとんとん、とんとん・ち

  なにぬねのりまき、おいしいな

  はひふへほ、ほ、ほーたるこい

  まみむめもしもし、でんわしよ

  や・ゆ・よんだ、ほんよんだ

  らりるれろぼっと、あそぼうよ

  わん、わん、いぬさん、さようなら

「とんとん・ち」の”トントン”はフランスの幼児言葉で、“おじちゃん”という意味。
”ち”というのは、「こういち」と言えずに最後の”ち”だけが残った。
孫娘の造語、「ち・おじちゃん」が出来上がったのだった。
孫娘の大好きなユーモラスな叔父さん。
そんな言葉も混ぜてできた、「唱えてたのしい”あいうえお”」だ。
語呂合わせで、おもしろがって覚えてくれないかなあ。
おばばごころ、である。

このスケッチブックも、最後の数ページが余った。
この夏、孫娘と歌って遊んだ童謡の歌詞を書いた。
孫娘が選んだ歌は。

♪ こがねむし
♪ あの町この町

ちょっと暗いよなあ。
でも、孫娘は習っているクラシックバレエのステップを踏みながら楽し気に歌うのだ。

そして、もう一曲、わたしが書いた童謡の歌詞は・・・。
なんだったかなあ。思い出せない。
もう、娘一家がアルプスの地方都市に帰って、1ヶ月半。
学校では、アルファベットで勉強しないといけないし。

周囲で日本語を話すのは、母親である娘だけ。
いろいろな葛藤があることだろう。
でも、ちょっとずつでも、日本語を覚えて、話せて読めて書けるようになってほしい。

ああちゃまは、あなたのひらがなで書かれたおてがみをまっていますよ。

2018年5月9日水曜日

青猫書房 「木と森の本」展 ごあいさつ

青猫書房での企画展、「木と森の本」展が始まって1週間が過ぎた。
2日の初日には、タンザニア・ティンガティンガのペンキ画家、SHOGENさんが、ギャラリーの中、ライブペインティングでとってもすばらしい絵、”想い出の場所で”を描いてくれた。

タンザニアのティンガティンガ村に住む女の子、ザイちゃんがバオバブの大木にさがったブランコをこぎながら、夕方から夜に移る頃、もうじきお母さんが帰っておいでご飯だよと声がする頃、心が自然の中に溶け込んで”無心”になっている女の子の姿を描いたのだとSHOGENさんは言った。

かれの絵を紹介する前に、企画展入口に掲げたわたしのあいさつをここに載せたい。



ごあいさつ

 もう、30年以上も前のことです。
 ネパールの首都、カトマンズのラジンパットという街区に、とても大きな木のある白い家がありました。
そこに、日本から来た女の子が両親と住んでいました。
お父さんは、女の子のために木片とビニルロープで簡単なブランコを作り、大きな木の太い幹にロープを結わえつけました。
女の子はいつもいつもブランコを空高く空高くこいで遊んでいました。お母さんは、いつか女の子がヒマラヤの山々まで飛んでいくのではないかと思うほどでした。
そして女の子は、大きな木の幹にするすると登る楽しみも覚えました。幹に登って、はるか遠い空に浮かぶ白いヒマラヤをじっと見ているのでした。

 女の子が日本に戻って、初めて幼稚園に行った日のことです。
女の子は、天使園という幼稚園の小さな園庭に何本かの木が植えられていることを見つけ、さっそく木の幹に登りました。
園長先生がやってきました。
女の子は、園長先生に、こっちに来てごらん、おもしろいよ、と声をかけました。
ちょっと歳を取った園長先生が梯子を持って来て、どらどらと登って来たのだそうです。
女の子は、木に登って来てくれた園長先生と天使園がこの時から大好きになりました。

 女の子が住む家の裏の”しいの木公園”に、名前の通り、大きな椎の木がありました。女の子は、その木に二つの幹が交差して座り心地の良い場所があることを見つけました。
幼稚園から帰ると、かばんに水筒とおやつを詰めて、小さな座布団を抱えて、しいの木公園に向かうのでした。おやつの時間を椎の木の上で過ごすためでした。周りの大人たちはあまり良い顔をしませんでしたが、女の子の幸せそうな顔を見て、お母さんは女の子の至福の時期を大切してあげようと思いました。
女の子がお母さんから読んでもらって大好きになった「長くつ下のピッピ」のピッピの真似をしたのかもしれません。

 そして、「木はいいなあ」という絵本に出会いました。
女の子も、女の子のお母さんも、この絵本が大好きになりました。

  カトマンズで毎日ブランコをこいで、木に登って遊んでいた女の子は、今、アルプス地方に住んでいます。あの頃の女の子そっくりの元気な女の子のお母さんです。

 木はいいなあ。木がたくさん集まった森はいいなあ。しみじみ、そう思います。
 
小さなお子さんから、ティーンエイジャー、そして大人の方たちにも、木や森にまつわる本をぜひ手に取っていただきたい。その願いから、今回「木と森の本」展を企画しました。
ゆっくり、本屋の”木と森”の中で遊んでいってください。

                                 子どもの本「青猫書房」




青猫書房 「木と森の本」展内にて


カトマンズの大きな木の下でブランコを漕いで遊んでいた女の子は、実はわたしの娘だ。
その娘のことを、以前このブログで、絵本「木はいいなあ」とからめて書いたことがあったが、それを下地に、今回の企画のあいさつ文を書いてみた。
やっぱり、あの思い出が、わたしを木に惹きつけて行ったのだと思うから。
SHOGENさんは、わたしのブログを読んで、かれの世界に入り込んで描き込んでくれたそうだ。
大自然の中で、心を無にしてブランコをこぐ女の子。
ティンガティンガ派の絵は動物を描くものだそうだが、SHOGENさんは女の子のそんな姿を描きたくて、あえて動物は描かなかったとも言っていた。
涙が出る絵だなあ。

すばらしい絵を、SHOGENさん、ありがとう。


                                 


2018年4月29日日曜日

青猫書房 「木と森の本」展 ご案内

来月5月2日から、赤羽の青猫書房ギャラリーで、「木と森の本」展が始まります。
5月21日まで(火曜定休)です。



また、期間中の5月19日(土)午後2時から、青猫書房ギャラリーで、ボランティアグループの ”一期一会” の音楽と朗読のコンサート ”いのちをみつめて「木」” も企画されています。
コンサートの中の朗読は、「葉っぱのフレディ」と「チェロの木」。



さて、「木と森の本」展の選書は・・・。




 
1. 「木はいいなあ」(偕成社) ジャニス・メイ・ユードリィ作、マーク・シーモント絵
保育園の先生ユードリィが、木がたくさんあるのはいいなあ、たった1本でも木があるのはいいなあ、というメッセージを絵本全体で届けている。春夏秋冬の、子どもたち動物たちが木と共に暮らす豊かさを素直にキャッチしよう。〔絵本〕

2. 「もりのなか」(福音館)マリー・ホール・エッツ作
ひとりの男の子が紙の帽子をかぶり、らっぱを持って森の中へ散歩に出かける。そこで、動物たちに出会い、楽しい楽隊の出来上がり。かくれんぼのおにになって目を開けると…。森の静けさが伝わってくる。〔絵本〕

3. 「また もりへ」(福音館)マリー・ホール・エッツ作
わいわいがやがや、にぎやかな声が森から聞こえてくる。そこでは動物たちの得意技の披露大会が繰り広げられ、男の子も仲間入り。森の中からかわいい笑い声が聞こえてくるよ。やっぱり、森の静けさを感じる。〔絵本〕

4.「モチモチの木」(岩崎書店)斎藤隆介作、滝平太郎絵
臆病な男の子の豆太は大好きなじさまと暮らしている。ある日、モチモチの木に明かりが灯って美しく輝いていた。男の子はもう臆病豆太ではない。切り絵の美しさもどうぞ。〔絵本〕

5.「ペカンの木のぼったよ」(福音館)青木道代文、浜田桂子絵
大きなペカンの木(西洋くるみ)のある園庭で、障害を持つ仲間をどうにか一緒に木登りさせようと皆で知恵を出し合う。大きく枝を伸ばして緑の葉が繁り、実を付けるぺカンの大木のある園庭で園児たちは木と遊んで大きくなっていく。〔絵本〕

6.「木」(福音館)佐藤忠良絵、木島始詩
日本の彫刻の第一人者、佐藤忠良が鉛筆画で描く木たちは、どっかり図太い。
そして、詩人、木島始の紡ぐ言葉の連なりもたくましい。
大人の方にこそ味わってほしい。〔絵本〕

7.「葉っぱのフレディーいのちの旅ー」(童話屋)レオ・バスカーリア著
アメリカの著名な哲学者、レオ・バスカーリア博士が書いた生涯でただ一冊の絵本。一枚の葉っぱを通して、まだ経験したことのないからこそ怖れる、”死ぬ”ということを真正面から語る。世界は変化し続ける。万物が変化し続けて、”いのち”は繋がっていく。絵と写真が交互にページに載っている。〔絵本〕
一期一会のコンサート使用の絵本。

8.「はるにれ」(福音館)姉崎一馬 写真
1978年こどものとも1月号として出版され、のちに1981年10月ハードカバー出再版。北海道の草原に立つ一本のはるにれの大木の姿を季節の移り変わりとともに写真家、姉崎の目で切り取られる。〔絵本〕

9.森はオペラ(クレヨンハウス)姉崎一馬 写真
姉崎一馬の目でシャッターを切って映し出される森。緑が限りなく美しい。やっぱり、森には音楽がある!〔絵本〕

10.「木を植えた人」(こぐま社)ジャン・ジオノ著
仏プロヴァンス地方、マノスクという岩肌が露出する荒れ果てた寒村で、1900年初め、第1次世界大戦の間も第2次世界大戦の間もグフィエは岩山に木を植え続ける、名もない一人の男の姿を描く。〔物語〕

11. 「チェロの木」(偕成社)いせひでこ作
木は森の中で見たり聞いたりしたことを語るかもしれない。楽器になって。
森の木を育てた祖父、楽器職人の父、そして音楽に目覚める少年。森に行くとおじいさんがどこかに隠れているように思えた。そして、いろんな歌が聴こえてきた。〔絵本〕
一期一会コンサート使用絵本。

12.「おおきなきがほしい」(偕成社)佐藤さとる作、村上勉絵
大きな木は子どもの夢そのもの。わたしもそうだった!それをあらためて思う。
ページをめくりながら木に登っていくようだ。ライプツィヒ国際図書デザイン展銅賞受賞。〔絵本〕

13.「森のおくから」(ゴブリン書房)レベッカ・ボンド作、もりうちすみこ訳
昔、カナダであった本当の話。1914年、5歳になる夏の頃。アントニオは忘れない、人間も動物たちも一体になって湖に入って山火事から逃げた日のことを。
祖父アントニオが自分の子どもたちに語って聴かせ、それを母が作者に語ってくれたこの話が一番好きだった、と著者は語る。〔絵本〕

14. 「遊んで遊んで リンドグレーンの子ども時代」(岩波書店)クリスティーナ・ビヨルク文、エヴァ・エリクソン絵、石井登志子訳
リンドグレーンの作品、「長くつ下のピッピ」、「やかまし村の子どもたち」などには、大きな木で遊ぶ場面がたくさん登場する。
その原点はリンドグレーン自身が育った環境にあったのだと痛感する本。リンドグレーンのことがぎっしり詰まっている。彼女は言う。「遊んで遊んで遊び死にしないのが不思議なくらいだった。幸せな自分の子ども時代のことをふり返ると、子ども時代の環境がその人の人生の土台になる」と。〔絵本・物語〕

15. 「おじいちゃんの口笛」(ほるぷ出版)ウルフ・スタルク作、アンナ・へグルンド絵
嘘っこの孫と、老人ホームに暮らす嘘っこのおじいちゃんの交流の物語。おじいちゃんが子どもの頃、大好きだったこと。木に登って、さくらんぼの実を枝の上で食べること。おじいちゃんのために嘘っこのたんじょう日を作っておじいちゃんの好きだったことをもう一度叶えてあげる。温かい風を感じる。おじいちゃんの口笛『ヨハンナ、口笛が吹けるかい』の軽快なメロディがまた良い。」〔絵本・物語〕

16. 「木をかこう」(至光社国際版絵本)ブルーノ・ムナーリ作、須賀敦子訳
イタリアの著名な造形家が、深く”木”という存在をみつめて出来上がった本。
60cmの針金27本で彼の説明通りに束ねてねじっていくと。できた!本物そっくりの木が!訳者は須賀敦子。〔絵本・エッセイ〕

17.「グリーン・ノウのおきゃくさま」(評論社)ルーシー・M・ボストン・M・作、ピーター・ボストン絵、亀井俊介訳
グリーン・ノウ物語の第4作。物語はコンゴの熱帯雨林の棲むゴリラ一家の日々から始まる。舞台はロンドンの動物園に移り、そこで一頭のゴリラの子と中国系難民の男の子と出会う。そして、グリーン・ノウの森へ。一頭と一人の男の子の感動の交流をどうぞ。〔物語〕

18. 「旅をする木」(文春文庫)星野道夫著
少年の頃からずっとアラスカに惹かれ、26歳でアラスカに渡り、18年間そこに根を下ろして暮らした写真家のエッセイ。アラスカの大自然を写真家の詩的な描写で綴る。”旅をする木”。彼自身のことか・・。あとがきもぜひ!〔エッセイ〕

19. 「羊と鋼の森」(文春文庫)宮下奈都著
森のそばで、森から響く音を聴いて育った青年が、学校の体育館に置かれたピアノを調律する場面に出会いピアノに”森”を感じた。ピアノ調律師を目指して真摯に進む青年の姿を追う。〔小説〕

20.「木」(新潮文庫)幸田文著
木を愛してやまない文さんが日本中の木を訪ね歩いて綴るエッセイ。文体が美しい。
文さんの”木好き”の根本も明かされる。〔エッセイ〕

21. 「たったひとつのどんぐりがーすべてのいのちをつなぐー」(評論社)ローラ・M・シェーファーとアダム・シェーファーー文、フラン・プレストン=ガノン絵
森の一本の木で育った、たったひとつのどんぐりが、いろんな生命と出会って命を繋いで、そして、豊かな森になっていく。シックな絵の色彩が、独特の世界を醸し出す。
FSCミックス;責任ある木質資源を使用した紙で作られている。〔絵本〕

22. 「もりのてぶくろ」(福音館)八百板洋子文、ナターリヤ・チャリーシア絵
ロシアの文化の中心都市、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)に生まれ育ち、現在も在住の画家ナターリヤの絵も美しい。
森に落ちた一枚のいつつでの葉っぱ。いろんな動物たちが、自分の手と大きさ比べをしながら通り過ぎていく。〔絵本〕

23.「えんやらりんごの木」(偕成社)松谷みよ子作、遠藤てるよ絵
赤ちゃんにわらべ唄の持つリズム感の楽しさ、心地良さをという松谷みよ子さん作の絵本。一本のりんごの木を真ん中に置いて、わらべ唄ふうの文が繋がっていく。
木の上でみんなでお昼寝なんていいな。〔絵本〕

24.「Diapason」フランスの字のない絵本
”Diapason”Diapasonとは、”音叉。音域”という意味。森の中で奏でられる交響曲?はたまた、ピアノ調律師がピアノを静かに、そしてダイナミックに鳴らしながら調律する過程?宮下奈都著の「羊と鋼の森」と重なってしまう。
びょうぶ風の絵本を立てかけてみると。ひとつの大きな森が出現する!
今は、ページめくりの絵本だけがフランスで出版されている。〔絵本〕

25.「ARBRE」フランスの字のない絵本
”ARBRE”とは、”木”。
堅い紙でできた、ちょっと不思議な形をした絵本。ページをめくってみると、一本の木の一年の移り変わりが描かれる。まるで、人の人生のように。立ててぐるっと360度に広げてみると、なんと、一本の大木になる。〔絵本〕


こんな絵本、物語、随筆、小説を選んでみました。本と本が繋がり合ったり、響き合ったりするのも、私自身の楽しい発見でした。ギャラリー内では、木にまつわる詩を4篇そして数枚の写真をパネル展示しています。
タンザニア、ティンガティンガ派のペンキ画家、Shogenさんの木の大作もこの企画のために描いていただくことになっています。

最後の2冊の絵本はわたしがフランスで見つけてトランクに詰めて持ち帰ったものです。
「Diapason」のびょうぶ風の絵本は現在出版されていないとのことで、びょうぶ絵本は1冊のみの販売です。ページめくり型の絵本は2冊用意しています。
「ARBRE」は現品1冊のみの販売です。

それでは、青猫書房でお待ちしています。

2018年3月20日火曜日

童謡 春よ来い

    
      ”春は名のみの風の寒さや~♪”

「早春賦」の出だしだ。
ここ3,4日、春めいた陽気で、ベランダの蘭の花がいっきに咲いた。
っと思ったら、今日は一転。小雨がぱらついて寒い寒い。
三寒四温で春が近づくとは言うけれど。
まさに、春は名のみの風の寒さ、だ。

息子のところの孫娘が今月、初節句を迎えた。
そんなわけで、今月のわたしの鼻歌は、「春よ来い」だ。

♬1 春よ来い 早く来い
   歩きはじめた みぃちゃんが
   赤い鼻緒の じょじょはいて
   おんもへ出たいと まっている

いいなあ、この詩。
なぜだか、かわいくって、みぃちゃんのよちよち歩きのすがたが目に浮かぶ。
どうしてだろう。
ああ、そうだ。
この詩には、幼い子の言葉がそのまま使われているのだ。

じょじょはいて。
おんもへ出たいよぉ。
春よ、来い来い、早く来い。

みぃちゃんのよちよち歩きがはっきり見えてくる。

「唱歌・童謡ものがたり」読売新聞文化部(岩波書店)

久しぶりにこの本をめくってみた。
30年近く前になるだろうか、読売新聞日曜版の一面に唱歌、童謡誕生の背景を紹介する企画が連載されていて、小さい頃に父が童謡、唱歌の絵本を買ってきては挿し絵をめくって歌を聴かされて育ったわたしには、日曜版のその企画が待ち遠しかった。
そのときに、童謡、唱歌の詩が2番、3番と最後まで載っていて、ああ、童謡、唱歌は最後まで歌ってこそ、感動がさらに膨らんで伝わってくるのだなあと思った。

その後、夫のキンシャサ勤務に伴ってコンゴ民主共和国に赴き、一時帰国で健康診断を受けに行った御茶ノ水の書店、丸善に平積みされていたのが、この本だった。

わあ、懐かしい!
ページをめくるまでもなく、即決でレジに走って入手した本だ。
2013年10月16日第1刷発行、とある。

「唱歌・童謡ものがたり」は、春、夏、秋、冬に分けてそれぞれ15~20篇ほどの歌が紹介されている。作詞、作曲者の紹介から、その歌の作られた時代などの背景まで、興味深い記事だ。(全71曲)
最初に紹介されている歌は「早春賦」。
そして次が「春よ来い」。

「春よ来い」の作曲は広田龍太郎。
作詞は相馬御風(そうま・ぎょふう)。
かれは、早稲田大学の校歌の作詞もした人だ。
故郷の新潟県糸魚川市に戻ってからは、良寛の足跡をたどって世に紹介した最大の功労者なのだそうだ。彼自身も、良寛のように村の子どもたちと無心に交わった希代の思想家、芸術家だと記されている。

♬2 春よ来い 早く来い
   おうちの前の 桃の木の
   つぼみもみんな ふくらんで
   はよ咲きたいと まっている

おうちの、前の、桃の木の~♪
”の”が4つも重なって、とても軽やかな、春らしいリズムを醸し出しているなと思う。

でもね。
春よ来い!、といちばん待ち望んでいるのは、赤ちゃんを抱えてずっと家内で育児をしていたお母さんだよね。
わたしの娘は11月生まれだった。
とびきり寒い冬を過ごして、早く春よ来い来い、と待っていたことを懐かしく思い出す。もちろん、まだまだ娘は歩くことはできなかったけど、娘を抱っこして緑の春風の中を歩きたかった。もう30数年前のことだ。

娘は現在、春遅いアルプスの町に暮らしながら、幼稚園に通う孫娘と、きっと、春を待ちわびていることだろう。
もうひとりの娘も、昨年12月に生まれた孫娘を抱っこして窓越しに外を眺めながら、やっぱり、春よ来い来い、と歌っているのだろう。

春よ来い 早く来い
ふっくら 小さな手をつなぎ
春の野花の 道のなか
散歩をしたいと まっている

~なんて続きは、いかが?(寛子作)

2018年3月6日火曜日

雪山讃歌

雪に輝く北アルプス(雪山写真のHPより)
南仏Antibesからアルプスを望む(2015年2月、本人撮影)

雪よ岩よわれらが宿り
おれたちゃ町には住めないからに
おれたちゃ町には住めないからに

シールはずしてパイプの煙
輝く尾根に春風そよぐ
輝く尾根に春風そよぐ

けむい小屋でも黄金(こがね)の御殿
早く行こうよ谷間の小屋へ
早く行こうよ谷間の小屋へ

テントの中でも月見はできる
雨が降ったらぬれればいいさ
雨が降ったらぬれればいいさ

吹雪の日にはほんとにつらい
アイゼンつけるに手がこごえるよ
アイゼンつけるに手がこごえるよ

荒れて狂うは吹雪かなだれ
おれたちゃそんなものおそれはせぬぞ
おれたちゃそんなものおそれはせぬぞ

雪の間に間にきらきら光る
明日は登ろよあの頂(いただき)
明日は登ろよあの頂(いただき)

朝日に輝く新雪踏んで
今日も行こうよあの山越えて
今日も行こうよあの山越えて

山よさよならごきげんよろしゅう
また来る時にも笑っておくれ
また来る時にも笑っておくれ



2月最後の日曜日のこと。夫の母校のある鳥取の工芸展が目黒のギャラリーで開催されているというので、二人で中目黒の駅に降り立った。
信号を渡っていると、チャイムが街中に響いてきた。
懐かしいこのメロディーは何の曲だったかな?
「オーマイダーリン、オーマイダーリン」という詞がふっと頭に浮かんだ。
そして、なぜだか雪を被って真っ白の山々の景色も浮かんできた。
はて?
ますます混乱してきた。
雪山の景色は、平昌オリンピックで感動をもらっていた選手たちの活躍と重なったのかな。
そして。突然、♬ユキヨ イワヨ ワレラガヤドリ♬ の歌詞が口についてきた。
ああ、そうだ!「雪山讃歌」だ。

あらためて詩として読むと山を愛する山男たちの心情が浮かび上がってくる。
調べると、メロディーは、アメリカ民謡。1849年あたりのゴールドラッシュに沸いたアメリカで働く男の娘、クレメンタインが過って川に落ちて亡くなるという悲しい話らしい。
その歌を京大山岳部の部員たちが愛唱歌にしていて、ある冬の数日、山の悪天候で足止めに合った部員たちが嬬恋村の温泉宿で、主将の西堀栄三郎を中心に独自の詞を付けようということでできた「雪山讃歌」なのだそうだ。
西堀栄三郎は後に第一次南極観測越冬隊長となっている。
タロとジロの物語で知られる「南極大陸」としてテレビドラマ化され、西堀さんをモデルにした役を香川照之が熱演したらしい。(原作は、北村泰一著「南極越冬隊 タロとジロの真実」)

「南極大陸 タロとジロの真実」北村泰一著(小学館文庫)


冒頭に「雪山讃歌」の詩(詞ではなく、あえて”詩”と書きたい。)を載せてみた。
しみじみと良い詩だなあと思う。

どうしてこの”いとしのクレメンタイン”が京大山岳部の愛唱歌になったのか。
愛しのクレメンタインが川に落ちて亡くなったということと、部員仲間が山で滑落死したことを重ねているのだとも聞いた。
ゴールドラッシュに沸くアメリカ新大陸で労働者として生活した荒くれ男たちと、「俺たちゃ、街には住めないからに」、吹雪も雪崩にも「俺たちゃ、そんなもの恐れはせぬぞ」と詩にした山男たちと。
同じ心意気みたいなものを感じてしまう。

平昌オリンピックで「限界なんて忘れよう」と力を出し切って雄姿を見せてくれた選手たちの姿とも重なってしまう。

「雪山讃歌」が誕生した鹿沢温泉には、この歌碑が立っているのだそうだ。
また、嬬恋村では正午を告げる防災無線のチャイムにも「雪山讃歌」のメロディ―が使用されているとも知った。

でも、どうして中目黒の街に「雪山讃歌」のメロディーが流れてきたのだろう。

山(と言っても険しい山ではなかっただろうけど)に登ることが大好きだった父がよく歌っていたなあ。と書いたが、わが父は今年95歳になり、元気に独り暮らしをしている。この前も、電話先で、この歌をリクエストしたら、しっかり、時々間違えて(!)歌ってくれた。

アルプスの山々 ”猫の頭”の愛称で知られる猫の耳のような山も見える。(2018年2月娘の夫撮影)

「雪山讃歌」の歌のすばらしさを思い出させてくれたことに、ありがとう。

2018年2月14日水曜日

かまくらへのあこがれ

秋田乳頭温泉 かまくらの街路灯~友人のFacebookより

九州で雪が積もったと日曜日のニュースで伝えていた。
わたしの故郷、北九州市の八幡でも雪は積もるんだけどな。
ただ、数十センチも積もらないだけ。
平昌オリンピックに出場したフリースタイルモーグルの村田愛里咲選手は福岡県北九州市出身だとテレビで何度も紹介されていたが、きっと雪のない地方から冬のオリンピック選手が誕生したことが珍しかったのだろう。
雪が降らないことはない。ただ、たくさんの積雪がないだけのこと。

わたしの小さい頃は、冬になると雪だるまを毎年こしらえて楽しんでいた。
でも、かまくらを作るほどたくさんの雪は積もらなかった。
だから、かまくらへのあこがれは強い。

雪国の子どもたちがかまくらの中で餅を焼いたり、みかんを食べたりしているのを見るたび羨ましく思ったし、かまくらの中に神棚があるのも神聖な感じがして、ますますあこがれが膨らんだものだ。

冒頭の写真は、友人がFacebookに載せていたもの。
静かで美しい光景だ。秋田の乳頭温泉の光景ということだ。
小さなかまくらが並んで、中に灯りがちらちらと燃えて、雪道をほんのり照らしてる。

友人からのこの写真を見て思い出した絵本がある。
荒井良二作の「きょうというひ」だ。


絵本「きょうというひ」荒井良二作(BL出版)

銀色を背景にして雪の結晶が舞い降り、その中で温かくロウソクの火が燃えている。


きのうのよる ゆきが ふりました
あさひが ゆきをてらして きょうというひの はじまりです・・・


おんなのこはセーターと帽子とマフラーを編んで、雪の原に出かけます。
そして、ロウソクが入るくらいの小さないえを作ります。
せっせ、せっせと。
たくさん、たくさん。

女の子は小さないえのひとつひとつにロウソクを入れて、火を灯します。


おんなのこのロウソクのいえ

きえないように きえないように
きえないように きえないように

女の子の小さな祈りが聴こえてくるようだ。


雪の原のちいさなかまくらにたくさん灯ったロウソクたち

きょうというひの ちいさな いのりが きえないように
きえないように 


おんなのこの祈りで染まっていく夕暮れ時。
ロウソクの火と夕焼け空が混じり合ってなんとも言えない朱色に染まっていく。
響きの美しい「灯ともしごろ」~ひともしごろ~ということばが美しく再現される。
たくさんのロウソクの灯りで。

おんなのこの小さな祈りがひろがっていく。


・・・よるに また ゆきがふりました


音ひとつ聞こえてこない、静かな絵本だ。
今日はバレンタインデー。
平和でありますように。

2018年1月31日水曜日

寒い日のお楽しみ~2冊の絵本とともに

毎日、寒い日が続いている。
赤道直下のキンシャサから帰国して久しぶりの冬だから、ますます寒さが身に応える。ヒートテック下着を2枚重ね着しているのに、寒い寒い!

でもなぁ。
50年前のわたしの故郷、北九州の八幡の冬はもっともっと寒かったな。
冬の朝、土の中に埋まっている宝石の原石のようにキラキラと輝く霜柱を踏みながらサクサクという感触を楽しみながら登校していたし。

洗濯物を干したまま朝を迎えた時は、洗濯ものたちに”つらら”がぶら下がっていた。(当時は、脱水機付きの洗濯機なんてなかったしな。)

そして、何よりの楽しみは、冬の夜バケツに水を入れてベランダに出して寝ると、朝には、しっかり全面に氷が張っていた。2、3センチの厚さはあったはず。

それから、手袋にそっと雪の一粒を受けて、小さな六角形の雪の結晶を観たりもした。
家に帰りつくと、ストーブの前に陣取って、母の温かい手でかじかんだ耳たぶを覆って温めてもらったな。


今冬、いちばんの冷え込みになると天気予報で聞いて、よし、氷を作ろう!と、夜、プラスチック容器に水を張ってベランダに出しておいた。



しかし、この通り!
なんとがっかり! 氷は半面にやっと数ミリ程度張っただけだった。


その時、思い出した写真絵本がある。
「ひとしずくの水~A DROP OF WATER」(あすなろ書房)だ。

写真絵本「ひとしずくの水」(あすなろ書房)ウォルター・ウィック写真

”水”のいろいろな状態の瞬間を撮ったこの写真絵本は、まさにわたしの宝物だ。

水がぽたりと静かに滴る瞬間。

水がしぶきを上げて落ちる瞬間。

王様の冠になった! 

わたしは、幼稚園で毎月配本されていた絵本の中に、雨が地面に跳ねる一瞬を王冠のように描く絵を見て、わあ!雨って跳ねたときに王冠みたいになるんだ!と感動して以来、雨が地面に着地する瞬間を幾度となく観察してきたが、この絵本の写真家が本当に水が冠のようになった一瞬を映像としてとらえていることに深く深く感動してしまった。

表面張力、毛管現象、蒸気、気化、液化。
霜、露。
くもの巣にくっついた露のしずくの美しいこと!

水滴ビーズのネックレス!

そして、氷、雪。
雪の結晶の美しさといったらなかった!
自然が作った、二つと同じ結晶はないという摩訶不思議さにはまいったな。

写真絵本「ひとしずくの水」より


こんな美しい自然からのプレゼントに魅了されて、雪の結晶を撮り続けた写真家がいた。
それを知ったのは、絵本「雪の写真家 ベントレー」(BL出版)を通してだった。

絵本「雪の写真家 ベントレー」(BL出版)J.B.マーティン作 M.アゼアリアン絵

150年以上も前にアメリカの豪雪地帯に生まれたベントレーは、最初は、手書きで根気よく雪の結晶を描き続け、両親にカメラを買ってもらってからは顕微鏡写真を工夫に工夫を重ねて撮り続け、庭で幻燈会を開いて皆に雪の結晶の美しさを観てもらって楽しむのだった。
小さな村で暮らすひとりの農夫が自然の美しさに魅了されて、皆にも観てもらいたいと写真を多く撮りためて、ついにべントレーは世界的にも雪の専門家として認められて、写真集が出版された。
写真集が完成してわずか1か月後に亡くなったベントレーの記念碑が村の真ん中に建っているという。

  ”雪を愛したベントレー”
  ジェリコが生んだ
  世界的な雪の専門家

作者のジャクリーン・ブリッグズ・マーティンは、ベントレーについて、
”誰も気づかなかった美をみつけ、それを他の人にも見せたいと願ったウィリーの夢と努力、そしてお金ではなく雪の美しさこそ『宝物』であるという信念が、私の心を強く動かしたのです。”と語っている。

メアリー・アゼアリアンによる木版画の挿し絵がこの絵本の魅力を倍増している。
また、この絵本は1999年度のコールデコット賞を受賞している。

  ”Sense of Wonder”

この気持ちを忘れずに生きてゆきたい。