2014年7月5日土曜日

絵本”ちいさいおうち”が登場する小説”小さいおうち”

先月下旬、キンシャサ商業地域の、ビルが林立する地域に建つ、このアパートに引っ越した。
太陽も星も月も見えず、緑も見えず、小鳥のさえずりも聴こえないキンシャサの大都会の中で暮らし始めた。
その心境を、絵本”ちいさいおうち”に寄せてブログに書き、そして、それをわたしのフェイスブックでシェアした。

そうしたら、日本の友人が、「飯田橋ギンレイホールで観た映画”小さいおうち”にバートン作の絵本”ちいさなおうち”がちょこっとだけど出てきたよ。」とコメントを寄せてきた。

それが日本の映画だと知り、あれ?その原作の文庫本、確かにキンシャサに持ってきてるぞ、と思い出した!
昨年10月の一時帰国中に本屋で見つけて、絵本のような題名に魅かれて、また、文庫本に掛かった帯に「映画化決定!」とあるのに魅かれて買ったのだった。

早速読んでみた。
オレンジ色の表紙。
フランス窓にたたずむ二人の女性の、ちょっとノスタルジックな雰囲気を持った絵。
この物語のどこに、どんなふうに、バートン作の絵本”ちいさいおうち”が出てきて、どのようにかかわるのだろう?
そんな思いから読み始めた。

そして、ちょっとした感動をもらった。


小説 ”小さいおうち” 中島京子著

物語は、この表紙に描かれるフランス窓を持つ赤い三角屋根の、昭和十年築の洋風の家が舞台。
表紙の女性二人(プラスに一人の男の子)の交流が中心に物語は進む。
そのうちの一人、女中のタキさんが晩年に記憶をノートに綴っていく形で物語は進んでいく。

それだけだったら、市原悦子主演のテレビドラマ”家政婦は見た”とか、松島菜々子主演のテレビドラマ”家政婦のミタ”となんら変わり映えのしない家政婦物語で終わっていただろうが、この物語には幾重にも仕掛けがあって、最後まで予断が許されない展開だった。

物語は、タキさんの手記を読んでいくという形で進み、戦中、戦後を経て、最終章で広がりを持ち、さらに、現代に繋がる思わぬ登場人物が時間差で出て、さらに違う視線から語られ始め、物語は立体感を帯びて、わたしたちの前に浮かび上がってくるのだ。

この小説の中で、バージニア・リー・バートン作の絵本”The Little House”が登場するのは、最終章だ。
この章では、二人の女性(プラス一人の男の子)の生活が描かれる本章にも登場する、美大出身の若い男性がまったく違った形で登場する。
その男性の書斎には、1942年にアメリカで出版された原書”The Little House”がかなり愛読された状態で残されていた、というくだりが出てくる。

最終章は現在の人物が登場して話が進む。
二人の女性も美大出身の男性も亡くなっている。

著名な漫画家になっていた男性が残した紙芝居形式の作品「小さいおうち」に、、バートンの”ちいさいおうち”の影響が色濃く認められる、とか、その紙芝居形式で描かれた16枚の絵には文章がない、そして、絵の中に丸囲みで描かれた登場人物3人きりの”物語”と丸の枠外で描かれる別の”物語”が交わらずに同時に進行するという二つの物語の入れ子構造の描写になっている、とかの説明があったり、フィクションとはいえ、リアルにイメージできて、ああ、この一つの紙芝居の中に二つの物語が同時進行で語られる「小さいおうち」を実際に観てみたい、と思わせる巧みな構成(これこそ、物語中に物語があって”入れ子構造”ではないか!、と感嘆してしまう。)に、どんどんとのめり込んでいった。

この小説には「家政婦」ではなく、「女中」と表現されている。
女中さんとは、住み込みで、若い女性が花嫁修業を兼ねて上流家庭に赴いて働く、立派な職業だったのかもなあ、とこの小説から思ったりもした。昭和初期から戦中までのシンプルモダンを思い浮かべる物語だ。


わたしの”ちいさいおうち”紹介のフェイスブックに、また一人の友人からコメントが入った。

小津安二郎監督の『東京物語』を思い出しました。
「そろそろ帰ろうか。」
「お父さん、もう帰りたいんじゃないですか。」
「いやぁ、おまえが帰りたいんじゃろ。東京も見たし、熱海も見たし。もう、帰るか。」
「そうですなぁ、帰りますか。」


この小説が原作となった映画もぜひ観てみたい。