2014年6月26日木曜日

大型絵本 ちいさいおうち~引越しに寄せて

大型絵本 ちいさいおうち 表紙 (岩波書店)

数日前、キンシャサの住宅地ゴンベGombe地区から、ごちゃごちゃとした商業地区のアパートに引っ越した。
緑広がり、小鳥のさえずりに和まされ、夕日の沈むコンゴ河を眺められた環境から一転し、商店が立ち並び、見渡せば、近代的ビルとはいえない、また植民地時代のものと思われるビルもごっちゃに林立する独特の雰囲気のキンシャサ大都会のど真ん中に移ってきたとき、ふっと思い浮かんだ絵本がこの「ちいさいおうち」だった。

作者は、アメリカのバージニア・リー・バートン。
かのじょは、1942年に長女のためにこの「ちいさいおうち」を描いたのだそうだ。そして、この絵本でコルデコット賞を受賞している。
日本では、1954年に岩波書店から石井桃子の訳で「岩波の子どもの本」シリーズの一巻として発行される。
その後、1965年に原書に近いサイズの大型絵本で発刊されたのだそうだ。

物語の舞台は150年ほど遡った時代のアメリカ。
表紙からも分かるように、緑豊かな自然たっぷりの小高い丘の上に、小さいけれど堅牢に建てられたこの家に、若い夫婦と子どもたちが幸せに住んでいた。
太陽は東から昇り西に沈み、月は満ちて欠け、季節は春から夏、秋、冬とめぐって月日は流れ、”ちいさいおうち”は静かにいろいろな変化を見続けてきた。
はるか遠くの街の灯りを見て、憧れや興味をもって眺めてもいた。

やがて、その街の灯りが徐々に近づいてきて、”ちいさいおうち”の建つ田舎にも開発の波が押し寄せてきて、大きな舗装道路が通り、車が走り、高い建物の建設が始まった。
月日はさらにめぐって、ちいさいおうちは誰からも忘れられたように大都会の真ん中でビルに囲まれてぽつんと残された。

ある日、そんな大都会のど真ん中に見捨てられたように建つその家の前を偶然通りかかった女性が、祖父の祖父の祖父が建てた家だったことを知り、”ちいさいおうち”をまた広い自然の中の丘に移築し、よみがえらせてくれたのだった。


・・・そんな物語だ。
また、作者のバージニア・リー・バートンがバレエダンサーだったせいか、物語の展開が実にリズミカルなのだ。
舞台の上のセッティングのように絵本のどのページにも「ちいさいおうち」を中心に置き、その周りに太陽の一日の動きや月の満ち欠けの周期を、また季節の風景の変化を描くことによって、移り変わる歳月の流れをよどみなくリズミカルに表現している。

移り変わっていく自然の中で、日々の暮らしが営まれ、また世代交代していく家族。
そんな家族を見続け、しっかりと建てられた”ちいさいおうち”は周囲の環境の変化の中で、星も見えず、夜になっても明るく騒音に満ちた都会の中で誰からも見向きもされなくなり、ただひとりぽつんと変化を受容するしか術のなかった”ちいさいおうち”の気持ちに、今さらながら思い至ってしまう。

でもよかった!
また、新しい家族が”ちいさいおうち”に命を吹き込んでくれたのだ。

この絵本の表紙に描かれる空の青さのブルー、幸せ満ちた目のように描かれた”ちいさなおうち”の窓、生命の息吹が上がっているような煙突のけむり、りんごの(と思われる)木に、にこにこお日さまの下でさえずり回る小鳥たち。
”ちいさなおうち”の幸せイコール住人たちの幸せ、なのだろうなあ。


アフリカ大陸の大都会キンシャサのど真ん中に移り住んで、緑豊かな自然から離れ、見えるのはアフリカ独特の高層ビル群だけという地域に身を置いたとき、ふっと思い浮かんだこの物語。
あらためて、”ちいさいおうち”が自然豊かな環境に移築され、家族に住んでもらえるようになってよかったなあと胸撫で下ろすのだった。



キンシャサ住宅街ゴンベ地区のアパートからの風景 緑の向こうはコンゴ河


キンシャサ大都会のアパートからの風景

2014年5月17日土曜日

 南アフリカ共和国からの写真集   ”SOUTH AFRICA”

5月の連休時に、夫婦で訪れた南アフリカ共和国のケープタウンとヨハネスブルグ。

帰りのケープタウン国際空港の本屋で一冊のきれいな写真集を見つけた。
写真家 Gerald Hoberman が著した”SOUTH AFRICA”だ。

南ア・ケープタウンで見つけた写真集 ”SOUTH AFRICA”


この写真集をひっくり返すと。

本の裏には、壁に描かれたンデべレ族の幾何学模様の写真が全面に

これは、南アフリカ共和国北東部のトランスバール地方に居住するンデベレ(Ndebele)族が家壁や塀に描く、鮮やかな色彩を黒ラインで引き締めた独特の幾何学模様だ。


外国の写真集といえば、大型本をイメージするが、この本は、横長で縦13.5cm、横18cmの本で、絵葉書の大サイズだと思えばいいかもしれない。
気軽に手にとってぱらぱらとめくれるサイズがまた嬉しい。


本を開いてすぐ、南アの地図が載っているのを見つける。
そして、その右ページに著者のメッセージ「はじめに」が載せられている。
メッセージ中にかれが旅して訪れた南アの多くの町の名が出てくるのだが、並んで載る南アの地図をなぞりながら読むのもまた興味深い。


南アフリカ共和国地図 ”South Africa”より

そのメッセージを読むと、ああ、この人は南アフリカ共和国をこよなく愛しているのだなあ、ということが伝わってくる。
それもそのはず、著者Gerald Hobermanさんは1943年にケープタウンで生まれている。
1960年後半、写真家になるべくロンドンに渡り、後にスタジオとラボを開設。しかし、家族経営の石炭配達業に加わるために1973年に南アに戻り、1996年に会社を売却するまで会社経営に携わる。

かれはまた、写真家としてだけでなく,出版業、作家業でも世界的な名声を得ているのだそうだ。

1981年に、かれにとって初めての著作となる”The art of Coins and their Photography”という貨幣の写真集を出版し、評判となったようだ。
1994年からは、スタジオを出て、息子のMarcと共に、野生動物の撮影のために世界中の旅を開始する。
かれは実に多くの国の写真集を出版しているが、その中でもケープタウンや南ア国内の写真集をいくつも著しているのに気づく。そこに、かれの祖国,南アを愛する心を感じるのだ。


この本を開くとすぐに目に飛び込むのが、”SOUTH AFRICA  by GERALD HOBERMAN”~ゲラルド・ホバーマンによる南アフリカ~という、この写真集についての解説文だ。

「著者Gerald Horbermanのレンズを通して見る南アは、時代の大きな流れを越えて、不思議で陰謀が渦巻き、なのに光り輝く色彩を放つ場所だ。
畏敬の念と共に,かれはムプマランガMpumalangaの”God's Window”と言われる急斜面に現れる日の出の美しさ、ケープタウンのブドウ畑の秋の色に染まる美しさ、天を突くドラケンズベルグ山脈の美しさを切り取り続けている。ンデベレ(Ndebele)族の家壁、バストー(Basotho)族の室内、フクロウハウスと呼ばれ、たくさんの鏡で神秘的な光の踊る芸術家の部屋~そんな鮮烈な色彩をかれの写真はとらえている。

かれのイメージする祖国は、また、人々が街角でとうもろこしを売り歩く、そして、南ア独特の食料雑貨店で日用品を買う、そしてまた、黒人居住地区で通行人に屋台で香ばしく焼かれた肉を売るといった光景が繰り広げられる場所なのかもしれない。

かれは、興奮と変化の時の流れの中で、祖国の美しさとそこに生きる人々を表現してきた。しかし、かれは変化しないものを見つめ続けてもいる。古い場所、昔からの習慣といった、時間に支配されないように見えるものたちを、だ。
かれの写真たちはかれが愛する祖国、そしてアフリカの突端に位置する祖国をいとおしんで生きてきた人々への贈り物だ。

この本は,ネルソン・マンデラ元大統領の釈放直後に撮られたロッベン(Robben)島の写真のように、60年代後半から70年代前半にかけてのBo-kaapとDistrict Sixから取られた歴史的な価値のある写真も含まれている。」


ケープタウンのブドウ畑 ”South Africa”より

サミーおじさんの雑貨屋 ”South Africa”より

バストー族(Basotho)の家 ”South Africa”より


著者の故郷ケープタウンはまた、アパルトヘイト撤廃のために闘ったネルソン・マンデラ元大統領の故郷でもある。マンデラさんは名門ケープタウン大学で学んだと聞く。
そしてまたマンデラさんが28年も捕らえられていたロッベン島はケープタウンの沖合いにある小島だ。
今回訪れて実感したのは、ケープタウンの町の美しさだ。
テーブルマウンテン、喜望峰を含む国立公園で豊かな自然を保護し、ブドウ畑が広がり、港湾の設備も整った美しい都市だった。
著者はこの写真集で、まずそんなケープタウンの町を色んな写真に切り取って、わたしたちに見せてくれる。


ケープタウン全景 ”South Africa”より


ケープタウンにそびえるテーブル・マウンテン頂上 ”South Africa”より


さらに、南アフリカ共和国の国民の民族の多様性にも驚く。
原住民の黒人も、オランダなどヨーロッパから移住してきた白人も、またその混血の、一見すると太平洋地域からの民族かと見まがう有色人も、共に南ア国民として共存している。
そこに、この国の持つ裏と表があり、オリジナル性も、そして困難さも見え隠れする。


ポート・エリザベスの街並み ”South Africa”より


豊かな動物相、植物相を持つ南アフリカ共和国  ”South Africa”より

著者は「はじめに」のところで、
「偉大な美しさを持ったこの地は、素晴らしい景色,多様性のある文化に富んでいて、動物相,植物相のバラエティ豊かさはほぼ間違いなく比類のないものだと言える。」
と祖国の持つ色んな角度からの美しさ、魅力を紹介している。

そして、
「この本で、我が祖国の美しさを紹介できて、そこに暮らす人々や不思議な魅力を見せる街の魅力を伝えられて、この南端の地を訪れてくれた方たちにすばらしいメモリーをプレゼントすることができたらと思う。」

「わたしが撮ってきた祖国の写真たちの中でもお気に入りのものを選りすぐってこの本を編んでみた。そんな写真たちをみなさんと分かちえることを楽しみにしている。

  Joy shared is joy doubled.   Gerald Hoberman」 

シェアするよろこびは、よろこびを倍にする。

ゲラルドさんの生きる姿勢を表したような言葉だ。


ぶどう収穫を喜ぶ人々 ”South Africa”より


白人として南アに生まれ育ち,祖国として南アを愛し、南アの魅力ある自然や文化や街や人々を写真に表し、さらに世界に飛び出してシャッターを切り続け、多くの著作や写真集を送り出してきたGerald Hobaermanさんは、闘病生活の末、かれの故郷ケープタウンで昨年12月21日に亡くなっている。

ケープタウンの空港の本屋で平積みされていたかれの写真集。
布張りの表紙の写真の美しさとサイズに惹かれて手に取った写真集。

旅先での写真集の出会いも、うれしい。

2014年4月27日日曜日

「唱歌・童謡 ものがたり」

昨年、10月末に一時帰国したとき。
検診に出かけた御茶ノ水で、時間つぶしに丸善書店に足を運んだ。
店内で平積みされている多くの書籍の中で、ふっと目に留まったのが、この岩波現代文庫の「唱歌・童謡 ものがたり」だった。


岩波現代文庫 「唱歌・童謡 ものがたり」

1996年6月から2年10ヶ月に渡って読売新聞日曜版に連載された「うた物語ー唱歌・童謡」。
それを多くの読者からの要望で1999年8月に岩波書店より単行本化。
増刷を重ねて、2013年10月に岩波現代文庫になって発行されたのだそうだ。
だから、わたしは、この本のできたてホヤホヤを手に取ったということになる。

そして、こうやってキンシャサまで運ばれて、いつも我が家のリビングのサイドテーブルにぽんと置かれ、日々思いつくままに頁が繰られ、あの歌、この歌と歌われ、リコーダーで演奏されているのだった。


この本には71曲の童謡・唱歌が収められているが楽譜は付いていない。
それでも、詩を口にすると自然とメロディーがついて出てくる。
それぞれの歌の作詩者、作曲者がその歌にこめた思い、そして作者自身の背景などが丁寧に取材されて一つ一つの「ものがたり」として構成されている。
更に,その歌にまつわるいろんな人々の思い出も記者は優しくすくい上げて「ものがたり」に添えている。


「靴が鳴る」の項では、海老名香葉子さんとお母さんの思い出話が添えられていた。
恥ずかしがりやで家事に追われ続けるお母さんとおつかいに出るとき、いつも必ず、行きは「靴がなる」、帰り道は「夕焼小焼」を口ずさむのだった。恥ずかしがりやのお母さんの小さな歌声にかよちゃんのちょっと元気な歌声が加わり、母娘は時々顔を合わせて手をつないでおつかいに行った。
その後、かよちゃんが兄とふたり残されて戦争孤児となったことを思うと切ない話ではある。
でもきっと、かよちゃんはこの二曲でお母さんとの思い出に繋がり、温かい想いに包まれたことだろう。

童謡・唱歌を歌って思うこと。
この「夕焼小焼」もそうだが、歌詞の一番より、二番、三番のほうが心に響くものがあるということだ。
「夕焼小焼」三番の歌詞は・・・。

”子どもが帰ったあとからは 円い大きなお月さま
小鳥が夢を見る頃は 空にはきらきら 金の星”

我が家のヨウムのポンにわたしがリコーダーを吹いて聴かせる曲の中に「みかんの花咲く丘」がある。
この曲の歌詞三番にもホロリとするのだった。

”いつか来た丘 母さんと
いっしょに眺めた あの島よ
今日もひとりで見ていると
やさしい母さん おもわれる”

この三番には作詞者の、長く母の無い子として苦労を重ねてきた自身の思い出が書かれているという。
戦災の影がまだ濃かった時代にできた歌。
戦争で大変な目にあった子どもたちを励ますような、明るい曲を作ろうと取り組んだ作曲者のメロディに乗って一番、二番と「伊東の丘に立って海に島を浮かべ,船には黒い煙をはかせる」景色を織り込み,三番で静かなトーンになって歌は終わる。


歌を物語として追っていくのなら、ちょっと別れの切ない「サッちゃん」、単純な繰り返しの「やぎさん ゆうびん」、娘が小さい頃泣きまねしながら愛唱していた「青い眼の人形」、この本には入っていないのだけど「雨ふり」などが思い浮かぶ。しっかり三番まで歌詞を追うと物語として楽しめる歌だ。

きれいな映像が思い浮かぶ歌として、わたしは「ゆりかごのうた」が好きだ。
北原白秋の詩の美しさにはうっとりしてしまう。

”ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

 ゆりかごのうえに 枇杷の実が揺れるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのつなを 木ねずみが揺するよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのゆめに 黄色い月がかかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ”


唱歌・童謡には外国のメロディのものもある。
異国のメロディに乗せて、「故郷の空」(スコットランド民謡)、「旅愁」(アメリカ人・オードウェイ作曲)を口ずさむと深い情緒が湧いてくる。

春の風景なら「朧月夜」、夏は「夏は来ぬ」、秋は「里の秋」、冬なら「冬景色」。
四季折々の歌をもっている我々は幸せだなあと思う。
日本語の言い回しの美しさ、深みにも改めて感動してしまう。

また、歌の中に夕焼け空が多く織り込まれていることにも気づかされる。
夕焼け空を見ているといろんな思い出が浮かんで、つい感傷的になる。

わたしは、キンシャサ我が家のベランダで、夕日が沈まんとするコンゴ河を眺めながらポンのためにリコーダーを吹いていると、キョトンとする当人を尻目に、わたしのほうが胸詰まる想いに駆られてしまうのだった。

コンゴ河に夕日が沈む


巻頭の目次で歌は春夏秋冬に分けられて掲載されている。巻末には曲名索引と歌い出し索引も付いている。
これからも手元に置いておきたい本である。

2014年3月25日火曜日

"Diapason" ~ 地球シンフォニー

いよいよ日本に春到来!
東京で桜開花の報を電子ニュースで受け取り、熱帯雨林の広がるキンシャサから、こんな森の絵本を紹介したくなった。


この1月、フランスで字のない縦長の絵本を見つけた。


フランスの絵本 Diapason 表紙 33×14.6cm

Diapason。
音域。

フランス語だ。
なるほど。
表紙の横線五本は、五線譜なのだな。

開けると、ページがつながっていた。


蛇腹状につながった頁


モノクロにわずかに緑色が添えられたシンプルな色彩だ。
全開すると。

広大な森の風景が広がっている!
すごい!

まるで、森林の中に入り込んだような、そして、静かに、かすかにメロディーが聴こえてくるような、静寂さを感じてしまう。



一頁め。
指揮者が一歩、森の中に入り込むところから。

一本の高い木を見上げる。
その高い木の上に上った指揮者のタクトが振れる。
静かな序奏の音楽が聞こえてくるようだ。

少しずつ、森の中にさざ波が立ってきたぞ。


森じゅうの葉っぱたちがおどり始めた。
月の満ち欠けにざわめくように、森からの音楽にもさざめき立つ海の様子すら見えてくる。


今や、指揮者は地球に立っているかのようだ。


まるでお月様から宇宙に向かって指揮しているような・・・



いよいよ、クライマックスだ。

宇宙に向かって、大きくタクトが振られる。




森を突き抜けて宇宙へ


すべての生命の息吹があちらから、こちらから、響き合っている。

偉大な地球シンフォニーが聴こえてきた。

自然の奏でるハーモニーだ。



終演


そして。

終演。

静かな余韻が森じゅうに漂うときだ。

ほら、まだ、葉っぱたちが戻ってきていない、でしょう。

素晴らしい地球シンフォニーだったな。


余韻を楽しもう。




指揮者、退場


指揮者退場。

このあと・・・。

さらにまた、新たな生命のメロディが始まるような、そんな最終頁でしめくくられる。


そんな絵本をフランスで見つけた。
レティシア・ドゥヴェルネ作
パリ生まれの絵本作家、イラストレーター。
出版社; Joie De Lire 2010年


いつかの夏の絵本屋でこの絵本を広げて飾れたらな。
わたしは独りニンマリ空想するのだった。


2014年3月10日月曜日

OWL MOON  月夜のみみずく

1月に南仏の娘のところに滞在したとき、かれらの本箱で二冊の懐かしい絵本と一冊の本に再会した。
「すばらしいとき」(福音館)と「OWL MOON 月夜のみみずく」(偕成社)、そしてレイチェル・カーソン著の「センス・オブ・ワンダー」だ。

娘たちが父親,母親になると知ったとき、かれらに贈った三冊だった。



今日は、冬が完全に終わってしまう前に、「OWL MOON 月夜のみみずく」(偕成社)について書いてみたいと思う。


絵本 OWL MOON 月夜のみみずく(偕成社)


ジェイン・ヨーレン詩、ジョン・ショーエンベール絵、くどうなおこ訳による絵本。
作者二人はニューヨーク生まれ。訳者も入れて3人とも1934年、35年生まれということだ。

1987年に初版が発行され、日本では1989年に偕成社から発行されている。
また、1988年度のコルデコット賞を受賞している絵本でもある。

絵本のページをめくるとまず、作者二人のメッセージに出会う。


こどもたちをみみずく探しにつれていってくれた夫に      J.Y

いつか、みみずく探しにいく日をむかえる孫娘ニッサに  J.S


こんなメッセージにほのぼのしながらページをめくると、ジョン・ショーエンベールのデッサン力豊かに描かれた絵が目に飛び込んでくる。
わたしたちはさっそく、夜明け前の空気がぴーんと張り詰めた冬の森に入り込んでいくのだった。


冬の森を父と娘は進んでいく



「 冬の夜ふけのことでした

とうさんと わたしふたりきり 森にむかって あるいたわ
とうさんといっしょにこうやって でかける夜を わたし ずっとずっとまってたの

とうさんはよびかけた
”ほうー ほう ほ・ほ・ほほーーーう”
わしみみずくの うたごえで

”ほうー ほう ほ・ほ・ほほーーーう”
みみずくにあうために 勇気だっているのよね

そのときなの やまびこのように へんじがかえってきた
木のあいだをくぐりぬけて ”ほうーほう ほ・ほ・ほほーーーう”
まるでね とうさんとみみずくは おしゃべりしているみたいだった

わたしたち じっとみつめあった」


初めてみみずく探しに連れて行ってもらう女の子の胸の高鳴りが、夜明け前の白い森の空気の中からトクントクンと聴こえてくるかのようだ。
父が娘を見守る温かい視線、そして父への強い信頼感。
そんなものもページの端々からしっかり伝わってくる。
そして、とうとう父さんと女の子は神聖さすら漂う大きな”わしみみずく”に出会う。
自然の神々しいまでの美しさや偉大さを体全体で感じた女の子が父におんぶ(だっこ?)されて幸せ感満載で進む先に家路が続くのだった。

わたしは、表紙の絵が大好きだ。
月に照らされた父と小さな娘の深い絆がしっかりと描かれた良い絵だなあ、としみじみ思える。


ジェイン・ヨーレンの詩(なのだ!)が胸に染みてくるのは、かのじょ自身の経験に裏打ちされたものだからなのだなあ、と思う。


日本での発行にあたり、かのじょからこんなメッセージが寄せられたそうだ。

「息子や娘たちが小さい頃、夫はよく近くの森にみみずくを見に連れて行きました。

この絵本で、わたしは、そんな父と子の心あたたまるふれあいを描きたかったのです。

今では子どもも大きくなり、それぞれに興味のつばさを広げていますが、

あのふしぎな神秘的な美しさにみちた夜の森での体験は、今も生き生きと覚えています。」



わたし自身も、小さかった頃、父によく連れて行ってもらった神社の森の川原での冒険(に思えた!)や、夕飯の後の夏の野原道の散歩(九州の夏の夕暮れは19時半過ぎだった!)といった、今でもしっかり五感に染み込んでいるとても良い体験を多く持つ。

わたしの子どもたちも覚えているだろうか。
中央アフリカに住んでいた頃、夫がどうしても子どもたちを連れて行きたいと言い張って、道なき道を四輪駆動で走った日々を。
森の塩沼に群がるゾウの群れを見に熱帯雨林に入っていったこともあった。
スーダン国境に広がる名ばかりの国立公園では、川にドテーっと寝そべるカバの群れにびっくりし、ウンチをかけられても平気にポヤポヤと眠り続けるカバたちに呆れ返ったこともあった。
アフリカの夜空に広がる天の川や星座の見事さに息を呑んだりもした。


わたしの子どもたちには、今度はかれらの子どもたちと共に自然の中でいろいろなものを見て触って感じる楽しみを持ってほしいと思う。

「沈黙の春」の著者として有名なレイチェル・カーソンも、かのじょの著書「センス・オブ・ワンダー」で、自然の中で探検し発見する喜びに胸をときめかせる体験を子ども時代に(大人も共に)させてほしい、と書いている。

美しいもの,未知なもの、神秘的なものに目を見張る感性、"Sence of Wonder"を育むことの大切さ、そして自然の中での体験を子どもと共有する喜びを、絵本「OWL MOON 月夜のみみずく」は教えてくれる。

2014年3月1日土曜日

東公与個展 ”おかしな どうぶつ園” 

パリ在住の童画家の東公与(あずま・きみよ)さんから、今年は桜の季節に神楽坂で個展を開きます、とメッセージが添えられて、わたしのメイルアドレスに案内が送られてきた。


はがきには、とってもおめかしをしたピンクのぶたのイラストが描かれている。

個展名が、”おかしなどうぶつ園”。なんだか愉快になってくるネーミングだ。





はがきの案内を見ると、まさに桜満開の季節。4月6日から20日まで。神楽坂のサロン・ド・テでの個展だそうだ。午後ティーを楽しみに、どうぶつ園に行く気分かな。きっと楽しいだろうな。


以前開かれた恵比寿の日仏会館での公与さんの個展の様子を、このブログでも書いたことがある。
会場入り口に掛かった、海の底に広がる青い街の絵の連作がとても印象的だった。
今年の個展は、会場の雰囲気から明るい色合いの絵を描いてみた、と1月にかのじょのパリのお宅を訪れたときに話されていた。

さて、どんなゆかいなどうぶつたちに出会えるのだろう。

また、公与さんの個展ポスターがかのじょらしい!

東公与さん個展の案内ポスター

カラスを採用!!
童謡で歌われ親しまれていたカラスが、いつのまにか憎まれ役に変わってしまった。
公与さんが描くと、カラスだってこんなにおしゃれなのだ。

わたしは、今春の公与さんの個展には行けないが、わたしの思い入れのある街、神楽坂で開かれるなんて、とってもうれしい。

どうぞ、皆さん、公与さんの描く「おかしなどうぶつ園」を訪ねてみてください。
そして、その園長さんと話してみてください。
すてきな出会いがありますように♪

2014年2月24日月曜日

絵本 みつわちょうに いきたいな

 
  
”みつわちょうに いきたいな”

南フランスの娘の本箱で、こんな題名の絵本を見つけ、娘宅に滞在中に何度も見入ったのだった。

絵本 みつわちょうに いきたいな 表紙

「みつわちょう」とは、埼玉県蕨市南町の旧町名、三和町のことだ。
戦後まで、”三和町”と言っていたが、戦後しばらくしての区画整理などで現町名、”南町”になったのだと聞く。

その蕨市南町に、わたしたち家族は、娘が幼稚園年長のときから、中央アフリカで暮らした3年間を挟んで、足掛け約15年間、お世話になった。
娘が蕨市立南小学校に入学したときの担任の先生が、杉山容子先生だった。
容子先生とは、いろんな縁で繋がり続け、娘の住む南フランスまで三回、訪ねてくださっている。
たくさんのプレゼントを持って。


その先生からのプレゼントのひとつが、絵本「みつわちょうに いきたいな」だったのだそうだ。
容子先生は、現在また約20年ぶりで南小学校に戻られて教鞭を取られている。

南町を歩くと、町がきれいに碁盤の目に区割りされていることに気づく。
二世帯住宅に建て替えられたりしているところもあれば、古い戸建てのまま時間が止ったような風情のところもある。
個人住宅が並ぶ中に緑が多く見え、公園がまた多いことから、とても温かみのある雰囲気を感じる南町だ。
さくら公園、椎の木公園、すずかけ公園、いちょう公園、・・・と公園には樹木の名前が付けられている。もちろん、公園に多く植えられる樹木からの命名だと聞く。
確か、いちょう公園だったか。そこには、大きなくじらの遊具が据え付けられていた。
だから、娘たちは”くじら公園”と言っていた。

その公園近くの桜並木沿いに、娘たちの通うプロテスタントの幼稚園、”天使園”があった。
そこの園長先生をはじめとする先生方は、個々人を尊重していろんな経験をさせてくれた。
そんな園の姿勢が大好きだったなあ。

そして、椎の木公園には、枝が二股に分かれている椎の木の大木があって、”長靴下のピッピ”に憧れていた娘は、小さなバッグにおやつを詰め込んで小さな座布団を持って、その大木に登り、すわり心地の良い場所に座布団を置いて、おやつを食べることを楽しみにしていた。
娘の「指定席」は大人の男性の背丈くらいはあったはずだ。

三和町は、戦前、国の住宅公団がモデル地区として区画し建設した最初の戸建て住宅だったのだそうだ。あるまとまり毎に空き地があり、戦時中は共同の畑となり、戦後は子どもたちの遊び場になり、そして公園として整備されていったのだそうだ。


絵本の裏表紙に使われる当時の住宅計画図


三和町はもともと湿地帯だったらしく、戦前の幻の東京オリンピックとなった時に整備された、隣市にある戸田のボートコースで掘り起こされた土がトロッコ(当時は土運搬のトロッコ用の鉄道が走っていたのだそうだ。)で三和町まで運び込まれて町が作られていったのだと絵本の最後に付記された町の歴史で知った。

また、町を流れていた用水路の両岸に桜の木が植えられ、戦後はその用水路の上を覆って、桜並木になった。毎年4月初めの桜の満開の時には、さくら祭りが開かれて、花見客で夜遅くまで賑わう。


そんな長閑な緑豊かな南町の歴史を子どもたちにも伝え残し、郷土に愛情を持ち続けて欲しいということから編まれたものが、”みつわちょうに いきたいな”、の絵本なのだなと思った。

表紙に描かれる女の子が、地元の三和稲荷神社で出会った不思議な男の子と一緒に、昔の三和町に入り込むというスタイルでストーリーは展開する。
ページいっぱいに、戦前、戦中,戦後の三和町の住民の人々の日常生活が描かれて、細かいところまで楽しめる。
「向こう三軒両隣」と言った死語になりかけた言葉がふと頭によぎってくる。
戦後、住宅は個々住民に払い下げられ、皆が工面して個人の持ち住宅にしていったのだそうだ。


この絵本は、三和町の変遷が深い愛情を持って本当によく描かれていて、子どもたちも興味津々でページをめくれるなと思う。
この絵本で我が町の歴史を知ると、きっと祖父母、曽祖父、曾祖母の代から住むこの町に愛着を持つことだろう。


絵本の最後のページ 現在の蕨市南町の様子


この絵本の最後に、多くの当時の写真と共に、歴史の詳細を記したページも添えられている。

老若男女が愛し続ける三和町,南町で子育て時期を暮らせたことを、わたしたち親子も誇りに思う。
絵本を編む計画を立てて完成させた、”三和町を語り継ぐ会”の存在をうらやましいとも感じる一冊だ。

2014年2月13日木曜日

バーバパパ一家

バーバパパがフランスの物語だった、なんて。

バーバパパもママもおばけなんかじゃなかった、なんて。

バーバパパもバーバママも卵生で土中から生まれた、だなんて。

かれらには7人の子どもたちがいた、だなんて。


・・・・・そんなことを今回のフランスの娘宅滞在中に初めて知った!


バーバパパとバーバママ、卵温め中!

フランスの孫娘の食事用のよだれかけも、普段使いの食器類も、バーバパパのものだ。
そして、孫娘の絵本棚の中に、バーバパパ一家を紹介する、厚手の紙のページの絵本を見つけた。

30年前の我が家の絵本棚にも、水色の表紙の「おばけのバーバパパ」(偕成社・1972年刊)があったことを思い出す。
わたしは、かれらは色んな物に変形できる”おばけ”なのだと思っていた。

でも、かれらはどうも、フィンランドのムーミン一家のように妖精のような生き物らしいのだ。
しかも、卵生で土中で孵化するという設定だ。


作者は、Annette Tison とTalus taylor。
フランス人かどうか不明だが、1970年代にパリ在住、とある。
物語の原語は、フランス語。
フランス語の”Barbe a papa”とは、”パパのひげ”という意味だ。
また、それから転じて(?)、”綿菓子”という意味もあるらしい。


ピンク色の大きな体を持つ優しい風貌のバーバパパに、一回り小柄な黒い体に赤い花の髪飾りを付ける奥さんのバーバママ。

上の写真のページでは、黒色に花を付けたバーバママがじょうろに変形して、土中の卵たちに水をやって(バーパパパも小さなじょうろを持って手伝っているところがフランスらしい!)孵化を待っている。
子どもたちの誕生を首を長くして待っている、まさに妊婦さん期の夫婦の様子だ。


そして、いよいよ赤ちゃんがうまれると・・。
バーバママは、カンガルーよろしく、ベビーベッドに変身して子育てにいそしんでいる。
かたわらには、バーバパパが寄り添い、子育てに参加しているところもまた、フランスらしい。

バーバママのベッドですやすや赤ちゃん
このページに、「バーバベベ(赤ちゃん)たちは、それぞれに違う性格を持っている。」と紹介されている通り、七人七様。それぞれの個性がおもしろい。
息子4人と娘3人。
息子たちは、青、ツンツン毛の黒、赤、黄色だ。
娘たちは、オレンジ、紫、緑色で頭には可愛らしい髪飾りを付けている。

それぞれに個性があるように、名前もしっかり持っている。

BARBIBUL      (青)         天体好き

BARBOTINE  (オレンジ)     眼鏡掛け、読書好き

BARBOUILLE (黒ツンツン毛)  芸術好き

BARBABELLE (紫)        おしゃれ好き

BARBIDUR   (赤)        スポーツ好き

BARBIDOU   (黄)        動物と話せる特技

BARBALALA  (緑)        音楽好き


命名もフランスらしい。
バービビュル、バーボチン、バーブイユ、バーバベル、バービデュ、バービドゥ、バーバララ、と日本人にとってはややこしい発音で耳慣れない音だ。
日本語の物語では、女の子のバーバベル、とバーバララの二人以外は、名前を変えていると聞く。


最後のページのばーばぱぱ一家

小さな子向けのバーバパパのこの絵本は、音声付で、まず「バーバパパ一家のところへようこそ!」で始まり、それぞれのページのボタンを押すと、家族の名前が音声で紹介される。
そして、「バーバパパ一家はみんなこのように仲良く楽しく暮らしているんだとさ!」で終わる、バーバパパの物語入門書のような絵本だ。

フランスで出版されているバーパパパのシリーズには、「バーバパパのアフリカ行き」というのもあるらしい。どんな物語なのだろう。

”バーバパパ”は、フランスにおける日本のアンパンマンのような人気キャラクターのような存在なのだと思う、と娘はわたしに説明した。

でもねえ。

わたしには、一番のバーバパパ大好きっ子は、レノパパ。娘の夫のように思えたのだけど、な。

2014年2月2日日曜日

和菓子のほん その2 パリ”とらや”に行く

1月16日の深夜便でキンシャサを発って早2週間。
今回の旅は、パリで2泊し、友人2人との再会を果たし、とても楽しい時間を持てた。
そして、パリのフォーブル・サントノーレにある和菓子の店、「とらや」に友人と行って来た!

午前中11時頃に店を訪れると、なんと満席だった。
そこで、午後2時なら席を確保できるというので、予約を入れてもらい再度午後の時間に訪れたのだった。

とらやパリ店はパリの高級品店が立ち並ぶフォーブル・サントノーレ脇の落ち着いた通りにある。
入り口で「とらや」のロゴ入りの白い暖簾に迎えられる。
店内に入ってすぐのところにショーケースがあり、羊羹などの和菓子、そして1月の公現祭Epiphanieのフランス祝い菓子、”Galette des Rois”が並べられていた。
このガレット・デ・ロワは1月の間、フランス中のケーキ屋さんでお目にかかる丸い型の焼き菓子だ。その中にそっとソラマメか陶製の人形(fève)が隠されていて、切り分けられた自分のケーキの中にそのプチおまけ(fève)を見つけた者がその日の王様になれる、という風習がある。もちろん、王様用の冠も付いている。紙製だけど、その冠もfève同様に収集家がいるのだそうだ。ケーキ屋の職人の感性が問われるところなのだろう。

さあ、日本のとらやがアレンジするとどんなお菓子になるのか!
それに!
ショーケースには、ガレット・デ・ロワの中には、ピンク色の和菓子をモチーフにした小さな陶器が入っていると説明書きがあり、「TORAYA」と刻印された陶製の和菓子が、本物の和菓子と共に陳列されていた。
このピンク色の小さな陶製和菓子fèveだけでも、18ユーロもする。
もちろん、わたしは‘ガレット・デ・ロワを買って、お菓子大好きの娘の夫のため、そしてfèveを収集する娘のためのお土産とした。
(娘のところで切り分けたら、中はあんこの焼き菓子だった。和菓子fèveは娘の元に!)


さて、店内に入り、右に広がるサロンに通される。

とらやパリ店の店内

売り場とカフェは1階フロアだけだ。
そんなに広くはない。10テーブルほどだったように思う。
もちろん、パリ店もしっとり落ち着いた和の雰囲気だ。
お客さんは9割以上外国人だった。

メニューを見ると、昼食メニューもある。
わたしと友人は迷わず、赤飯お重ランチにする。だって和菓子と抹茶のデザート付きだったんですもの!
とらや 赤飯お重ランチ


隣のテーブルにはちょっとお洒落なたぶんフランス人男性2人が座って、和菓子と抹茶を美味しそうに食べている。

わたしたちが注文した赤飯お重ランチのほうはというと。
一の重には赤飯が、二の重には卵焼き、さやインゲンや椎茸の煮物などがちょこちょこと並んでいる。そしてうれしいことに茶碗蒸しも付いてきた。
娘や息子の学校の父兄会の帰りに、そして会員になっていたギンレイ映画館の帰りによく立ち寄った神楽坂の甘党の店「紀ノ善」の赤飯弁当を思い出して、懐かしさがこみ上げてくる。

久しぶりの和のランチに舌鼓を打ちながら、ちらりと隣のフランス人男性に目を向けると、和菓子の2個目を注文していた。和菓子の真髄がかれらに届きますようにと願いながら(ほんの瞬間だけ、もう一度!)盗み見をしてしまう。

わたしたちもデザートの和菓子をお重に詰めて運ばれた4つの和菓子の中から選ぶ。抹茶か他のお茶も選択肢にあったが、やっぱり抹茶を注文する。

ランチのデザート 和菓子とお抹茶


店内は静かな雰囲気だった。
トイレは2階にあり、鼠色の石のシックな空間だった。

そして、店内に、福音館「和菓子のほん」を発見した!!

パリの人たちの中に浸透してゆくように感じられる、とらやパリ店の和菓子の文化。

ガレット・デ・ロワの入ったとらやの黒い紙袋と共に店を後にして、日本人としての誇らしさと、ほっと温かい安らぎを感じながら、どんより曇り空のパリの雑踏に混ざり込んでいったのだった。

2014年1月15日水曜日

写真集 LE GOLF DE KINSHASA et ses oiseaux キンシャサゴルフ場と鳥たち

キンシャサゴルフクラブから、とても素晴らしい写真集が出た。

コンゴの出版社からではないはずだ。
ハードカバーで装丁もきれいだし、写真の色がとても自然で美しいのだ。
50米ドルというのは、許せる、かな。

緑深い自然公園のようなキンシャサゴルフ場の1ホールから18ホールすべての自然と、そこに棲息する珍しくも美しい小鳥たち、そして、植物たちを見事にカメラでとらえて160ページにまとめ上げた写真集だ。
大きな写真で鳥にいたっては45枚もの写真が収められている。


写真集 LE GOLF DE KINSHASA et ses oiseaux

プロの写真家 Jean-Luc Delsemme、アマチュアの写真家 Michel Amato の二人による撮影だと紹介されている。
ふたりとも、長い間、このキンシャサゴルフクラブのメンバーで、この写真集をめくっていけば、どれだけかれらがこの大都会キンシャサの中心部にありながらこんなにも自然が残されているゴルフコースを愛しているかが理解できる。(もちろん、わたしだって!ここのゴルフスペースをこよなく愛するひとりだが!)

かれらはこう記している。
この写真集は、このゴルフコースの美しさを分かち合うこと、そして、大都市キンシャサの中枢部分に奇跡的に残る緑の楽園を守り続けるために、大都市の中のゴルフコースにこんなにも多種類の豊かな鳥たちが棲息していることをしっかり見つめてもらうことを意図して制作された、と。


この写真集の製作者のふたりの写真とメッセージ


この写真集には、もちろんコースにあふれんばかりに咲く花たち、木たちの写真も載っている。
コースの半分に池がぽっかり口を広げて(いるようにわたしには見える!)横たわっているが、だからこそ、多種類の鳥たちが集まり、池には何種類もの蓮の花がわたしたちを楽しませてくれるのだ。


多種類の花たちが咲き乱れるコース内


鳥と花の写真は1頁全体に~45枚もの鳥の写真たち


各コースの写真は1頁半の大きさで紹介される


コースに出ていると、時間帯で刻々と風景が変わってくる。
夕焼けの空は息を呑むほど美しい。

ある日のコンペで最終組を回っていたわたしは、17ホールで夕日を背にグリーンを目指していた。
みるみる夕日が沈んでいき、ふっと正面を見たとき!今度はグリーン向こうから真ん丸の満月が姿を現したのだ。
まるで満月めざしてボールを投げているようで、わたしはアフリカの大地にいるぞー!!、と体中で感じる時間だった。


わたしは、プレイしながら(夫と二人だけのときに限るが)コース内の鳥や花たち、そして夕日の風景にシャッターを押し続けた。そして、キャディーたちに鳥や花の名前を訊いてきた。
どうにかしてこのキンシャサ・ゴルフコースの自然豊かな美しさを切り取って保存しておきたい、という想いからだった。

キンシャサ・ゴルフクラブのスコアカード表紙にも採用されている”カワセミ”(仏語では、”MARTIN-PECHEUR”、 「朝の釣り人」と表現されることにも感動。)も、それから、初めて見たとき、幸せの青い鳥だー!と叫んだ ”CORDON BLEU DE L'ANGOLA”(仏語)も、それから、すずめの半分くらいの大きさの鳥でいつも集団を成して飛んでいて、まるで絵本「スイミー」を思わせる”ンブンジ”(リンガラ語)も、わたしのお気に入りの鳥たちだ。

10月のウェンゲの大木の紫の花の満開の季節もまた美しかった。
木の下には、紫色の絨毯が敷かれたようだった。


そんなわたしの熱い想いを見事に実現してくれたのが、この写真集だった。
昨年クリスマス休暇前の最後のクラブコンペで、各カテゴリーの1位、2位を受賞した人たちの賞品がこの写真集だった。
残念なことに夫は3位、わたしにいたってはブービー賞で写真集をもらえなかった。
その後、ゴルフ場内のブティックで購入できることがわかって、早速購入したのだった。

ミッシェル・アマトさん、ジャンラック・デルソムさん、すばらしい写真集をありがとうございました。
キンシャサ生活の一番の思い出になります。
そして、キンシャサ・ゴルフクラブの自然が、これからさきも守られていきますように。

M.Michel Amato et M.Jean-Luc Delsemme .
Merci beaucoup pour partager votre art et votre passion !

"LE GOLF DE KINSHASA et ses oiseaux"
CORNEILLE&SIMA 2013.10.15