2024年12月28日土曜日

うみのむこうは

 


五味太郎作。
ちょうど45年前に出版され、まったく色あせることなく、ずーっと読み継がれている絵本だ。
海に囲まれた島国の日本に生まれ、海辺に行くたびに、地球儀を眺めるたびに海の向こうにはどんな町があって、どんな人たちが住んでいるんだろうと、わたしは小さいころからひとり想像していた。
海を見るのが好きだったし、地球儀をながめるのも大好きだった。

わたしが月に2回参加する学習支援教室のボランティア活動でも提案して、今年、ひとつの地球儀が置かれた。
この前の教室でのクリスマス会で、この「うみのむこうは」を選んだ。
もちろん傍に地球儀を置いて。

”ツルツルの地球儀だけど、本当の地球ってこんなに何にもないつるつるなのかなあ?”

こんな質問を子どもたちに投げかけることから読み語りの時間は始まった。
子どもたちは全員首を横に振る。

わたしたちの住む日本の東京に小さな人形を置いて、わたしたちのいる場所を確かめ合った。
そして地球儀の上に、3大都市のところに3か所のビル群を貼った。
3大熱帯雨林のところにジャングルを貼って、三大砂漠には砂に見立てた茶色の紙を貼った。
南極大陸にはキルト綿を貼って雪原を作った。
海には船を浮かべて、サンタさんの国にサンタ人形を置いた。
雪原と子どもたちとサンタ人形以外は手作りの紙で作った。




そして、絵本「うみのむこうは」のページを開いた。

海の向こうにもだれかがいるよ。
わたしたちの住む町と同じように、だれかが暮らしているよ。
仲良くみなで地球を守って手を取り合っていこうよ。

こんなメッセージにあふれた本だと感じる。
子どもたちにも伝わったかな。


うみは ひろいな おおきいな
つきが のぼるし ひがしずむ

うみは おおなみ あおい なみ
ゆれて どこまで つづくやら

うみに おふねを うかばせて
いって みたいな よそのくに

文部省唱歌の”うみ”の歌詞を書いてみた。
・・・行ってみたいな よその国・・・

地球儀を見ながら、たくさんのことを想像してほしい。

2024年9月21日土曜日

絵本 「ジンガくん いちばへ いく」

 


 福音館書店から2002年に出版された絵本。
 ふしはら のじこさん作・絵。
本当のアフリカが詰まっているなと思える絵。大人や子どもたち、赤ん坊のしぐさ。
赤ん坊のおんぶの仕方も本物だ。アフリカの人たちが着ている布地の柄から、頭に巻き付けているスカーフ、アクセサリーもありのまま。荷物の運び方も懐かしい。市場で売られる商品のひとつひとつ、売られるものたちの並べ方もこんなだったな。教会が見える。建物の様子もそのまんま。街角で歌うミュージシャンたちもいる。火焔樹(かえんじゅ)もあるぞ。こんな枝ぶりの大木も見かけたものだ。
押し合いへし合いの乗り合いバスも、なにもかもが本当のアフリカの光景だ。

作者のふしはらのじこさんは、家族と共にコンゴ民主共和国の地方都市に2回にわたって暮らしたのだそうだ。
だから、本当のアフリカを描けたんだな。

友だちのシンゴくんにのじこさんの絵本のファンなのよと話すと、なんと出会いの場を作ってくれた。この絵本をもちろん持って行った。
広い市場の見開きページに、ぼくたち家族が描かれているんです、とのじこさんのご主人が教えてくれた。
え?
ほんとだ!
かのじょのご主人はゴリラの研究者。
ゴリラ研究のフィールドワークに同行したのだそうだ。
絵本の最後のページにサインしてもらった。
わたしのたいせつな絵本だ。     

2022年4月11日月曜日

絵本「みずをくむプリンセス」

 ブルキナファソから帰国してもうじき2か月になります。
10年以上の間、アフリカと東京の自宅を往復している間にたまった本や衣類やこまごましたものを処分して生活基盤を立て直すことに集中するだけの日々だったように思います。

そんな中で出会った絵本が「みずをくむプリンセス」でした。


さえら書房・刊 2020年5月第1刷発行
スーザン・ヴァ―デ・文
ピーター・H・レイノルズ・絵
さくまゆみこ・訳

この本の制作者の中にはアフリカ出身の人はいません。
でも、この絵本のあとがきで、「この物語のもととなる話をしてくれたのは、西アフリカのブルキナファソ出身のスーパーモデル、ジョージー・バディエルです。ブルキナファソで育ったかのじょは夏の間、祖母のところで暮らし、毎朝、村の女性や子どもたちと何キロも先にある川へ行って水くみをしていたと話しました。きれいな水を手に入れることの困難さを知っていたジョージーは大きくなって、ブルキナファソやその周辺に井戸を作るプロジェクトを始めたのです。」ということを知りました。
からからに乾いたサヘル地域にある国、ブルキナファソで生きる人々の暮らしを描く物語なのです。

作者たちは連名で、あとがきの中に、「水は命の源であり、安全な水を手に入れることは、誰にとっても基本的な権利です。この絵本を読んだ人たちが水の問題に気づき、もっと多くの人たちに安全な水をとどけるための力になってくれるとうれしいです。」と添えています。

この絵本全体に広がる茶色い風景が、サヘル地帯に位置するブルキナファソでは水を入手することがいかに大変で大切なことかをわたしたちに教えてくれます。
そして、ぎらぎらと照り付ける大地で生きる人たちにも、バオバブやカリテの大木が木陰を作ってくれて、木の実をかじってひとやすみできること、夜にはさえぎるもののない大きな星空が広がること、気候はきびしいけれど穏やかな生活が子どもたちに安らぎをもたらしてくれていること・・・そんな幸せがあるのだということも教えてくれます。

イマジン。
水がないくらしをおもいうかべてみてください。
人が生きる環境が、地域、地域で違っているということを想像してみてください。
地球上のいろんなところで起こっていることを身近に感じることの大切さを思います。

この絵本のページをめくりながら、ブルキナファソの村に広がる大きな星空の美しさを思い出して、そして人々の瞳の美しさを思い出して、ブルキナファソがきゅーんと恋しくなってしまいました。

2021年11月13日土曜日

”アルケミスト~夢を旅した少年” ワガドゥグで読んで

 


ものすごく不思議な物語に出会いました。
ワガドゥグの日本大使館内にある図書室で出会った本でした。

「アルケミスト」 夢を旅した少年
パウロ・コエーリョ 著
山川紘矢・山川亜希子 訳
角川文庫
1994年12月 地湧社より刊行/ 平成9年2月 角川文庫より初版発行


いつだったか友人がこの物語のことを私に勧めてくれたことを、大使館の図書室本棚に「アルケミスト」を見つけたときに瞬時に思い出し、手に取ってしまいました。
”羊飼いの少年がアンダルシアの平原からアフリカの砂漠を超えてピラミッドを目指す。・・”
少年がサハラ砂漠を越えて旅をする物語なのだ。
ブルキナファソもサハラ砂漠の南の淵~サヘル諸国のひとつ。
この国で、わたしも少年の夢を旅してみよう。

この物語の著者は、ブラジル出身のパウロ・コエーリョ。3年間の世界放浪の旅の後、本国で流行歌の作詞家としてヒットメーカーとなったものの、反政府運動の嫌疑をかけられ投獄。再び世界を巡る旅に出ています。その後、作家として徐々に名声を得て、1988年に出版した「アルケミスト」で不動の地位を確立したということです。
彼の略歴をざっとみただけで、きらりと光る言葉がちりばめられた不思議なファンタジーの世界をなぜ物語に描けたのかがわかるように思います。

アンダルシアで羊飼いとして一人で旅をする少年、サンチャゴが同じ夢を二度見て、直後に不思議な老人に出会うのです。
「これからおまえがやっていくことは、たった一つしかない。そして、前兆の語る言葉を忘れてはいけない。運命に最後まで従うことを忘れずにな。」
世界のすべての素晴らしさを味わいながらも、根底にある大切なものを持ち続けること。

そして、少年は老人からもらった2つの石と、羊を売って得たお金をもって旅に出ます。
二度見た同じ夢を追って、自分の心に熱心に耳を傾けながら、目標に向かって進んでいきます。
「何かを強く望めば、宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる。」
「前兆に従うこと。」
彼の旅の途中で出会ったジプシーの女や老いた王様、どろぼう、クリスタル商人、オアシスの少女、そして錬金術師(アルケミスト)。
すべての出会いと少年の行動が無駄なく時系列で書き出されて、まるでチェーンの繋がりのように書き進められていく文体。繋がれていくチェーンがどこに向かうのか、わたしこそがその鎖を辿りながら少年の跡を歩いていくように物語を追っていけたのでした。
簡潔なのに、行間に宇宙のような広がりを見せる文体だからこそ、ファンタジーの世界に入り込めたのかもしれません。

物語の始まった場所に、少年サンチャゴは物語の最後にまた戻ってきて”終演”する、という終わり方にも魅了されました。

つかみどころのない不思議な文体で物語を紡ぐ手法は、まるで「星の王子さま」の世界だ、と思って読んでいたら、”羊飼いの少年サンチャゴが夢に従って旅に出て、ついには錬金術の秘密を手に入れるというこの童話風の物語は、サン・テグジュペリの「星の王子さま」に並び称されるほどの称賛を浴びました。”という一文を訳者あとがきで見つけました。

パウロ・コエ―リョさんの紡いだこの宇宙の中に漂っているようなファンタジーの物語の世界をそのまま届けてくれたのであろう山川紘矢・亜希子夫妻の翻訳にも感謝です。


2021年11月6日土曜日

本「現代アフリカ文化の今」

 最近、在ブルキナファソ大使館図書室に届いた本です。
ラッキーにもわたしは、いち早く借りて読むことができました。



「現代アフリカ文化の今 15の視点からその現在地を探る」
編者: ウスビ・サコ、清水貴夫
青幻舎刊/ 発行日:2020年5月30日

この本の帯には、

”同情と救済の対象から地続きのアフリカ世界へ” 
現代アフリカのポピュラーカルチャーを切り口にグローバル時代の新しいアフリカ像を展望する15の思考実験

とありました。
この本のまとめ役、ウスビ・サコさんは、マリ共和国出身で、中国で建築学を実践的に学んだ後、京都大学大学院で建築計画を学び工学博士取得。専門は空間人類学ということです。
サコさんの書いた「現代アフリカ建築と建設の今」の項は、わたしが足かけ30年の間見続けてきたアフリカ都市の町並みを思い出しながら読めて、おもしろかったです。(といっても、わたしはアフリカの下層レベルの人たちの中心地区には足を踏み入れることはなかったのですが。)
アフリカのそれぞれの国で根付く慣習、世界中に広がるアフリカ人ネットワークとアフリカの人々のタフな精神、商売力。
土地で生まれ育まれてきた宗教、伝統音楽と現代音楽、映画、写真、ファッション、そして建築。
芸術家として生きる姿勢、国際的に活躍するプロスポーツ選手や芸術家などを通して見えてくる”アフリカを生きる”ということ。
そして、アフリカとアジア、中南米の国々がこれからますます繋がっていくという重要性も考えさせられました。

いろいろな問題を抱えながらも、独特の文化風習を背景にバイタリティーあふれる生き方をするアフリカの人たちの今の姿とこれからを多方面からアプローチして提示する一冊でした。
実際には、政府間レベルでは未だに解決の難しいこともいくつも横たわっているのでしょう。国民の健康問題や環境問題にまでは行きつかないアフリカの政府の力。まだまだ国際援助に頼ろうとする政府の姿勢。

これからのアフリカには同情も救済も要らない。庶民レベルでは、対等に認め合って同じ地球人として生きることだなとしみじみ思いました。

2021年9月19日日曜日

絵本 そのこ ~遠く離れたガーナの子どもたちに想いを馳せて

 


 ブルキナファソの国の首都、ワガドゥグからまた本屋ブログを再開します。

わたしがワガドゥグに戻ってきて1週間が経ちました。
1年半ぶりに帰ってきたこの町は、一見、全く何の変わりもないように見えたのですが・・。ブルキナファソの伝統工芸織物を外国人向けに奇麗な色の糸を使って織る、ちょっとおしゃれなブティックに立ち寄ったとき、店は半分カーテンが閉められ、店に並ぶ商品も半減して色あせて、ちょっと元気のない店主と再会しました。1年半前にわたしが緊急出国する前に会った店主マダムはコロナ禍で外国人が減るとわたしの店は大きな打撃を受けることになると心配そうにしていたのを思い出しました。

この店は間違いなく、その損失を受けていると直感しました。
ということは、店の奥で簡素な織機を使って織る職人さんたちもいなくなったのかな。奥はとてもひっそりしていました。かれらの暮らしが心配になりました。

そんな折、ワガドゥグでこの国の男性と家庭を持って暮らす、元気な3人の子の母親でもある日本人女性から、絵本「そのこ」を教えてもらい、借りてきました。

「そのこ」
谷側俊太郎 詩、 塚本やすし 絵、晶文社 刊





日本から遠く離れたアフリカの国、ガーナに暮らす一人の男の子の話です。
ガーナ、といえばチョコレートの国だ、と連想するのが一般の日本人でしょうか。

そのチョコレートの原材料のカカオはどのようにして収穫されて、どのように出荷されて日本にたどり着くのでしょう。
収穫の時に、子どもの手が入っていることを連想したことがありますか。

同じ地球に生まれて、同じ空を見上げる子たちなのに。
学校に行ける子と行けない子。
ふかふかの布団にくるまって寝られる子と堅い地面に横たわって寝るだけの子。
ゲームがいつもそばにある子とそんなものに無縁の子。
ゲームなんかなくても、子どもらしく一日中遊びに夢中になれる子とそうではない子。

いろんな境遇の中で生きている子に想いを馳せてみてほしいなとこの絵本を読んで思います。
お友だちでもないけど、本当に出会ってもないけど、世界中に生きる子たちのことを思い描いてみてください。
家族で思い描いてみてください。

わたしが借りた本は、2011年6月10日の初版本です。
2012年11月20日2刷からは、中保佐和子(詩人・翻訳家)さんによる英訳が加筆されているということです。


世界中の子どもたちが幸せに暮らせますように。



2021年2月26日金曜日

友だちからのプレゼント~『映画・えんとつ町のプペル』の絵本

 



映画 えんとつ町のプペル
製作総指揮・原作・脚本:西野亮廣
幻冬舎

昨年の暮れ、友だちから『映画・えんとつ町のプぺル』をプレゼントされた。
この映画を日本で観てから夫の元に行こうと思ったけど、観られないままで残念だと言い残してフランスに戻って行った。
空想の世界を描く物語が好きな友だちが勧める物語だけあって、とっても幻想的な絵と物語だ。
絵本に出てくる絵はすべて夜の町。
絵本に使われる紙自体が、黒い。
舞台は、煙がもうもうと上がる工業地帯と、そこに広がる夜の飲み屋街。

まるで、わたしが3歳まで住んでいた北九州工業地帯を見下ろす枝光の高台からの夜景を思い出す。

公害がひどくなって長い煙突が2本建設された後の北九州工業地帯の夜景だ。夜の工業地帯風景の名所に挙げられているとも聞く。




戦後すぐに宅地整備された高台の住宅地から下って行くと、路面電車が通る雑踏の工場の街が広がる。八幡製鉄所の工員たちが仕事を終えた後に繰り出す飲み屋街からの喧騒、路面電車や工場からのざわめきが高台に建つ木造の我が家にも上って来ていた。
北九州工業地帯の高い煙突や曲がりくねって林立する太い鉄の管に取り付けられたピカピカと点滅する照明の手前には、鹿児島本線が土手の上を走っていた。
当時は、夜行列車も頻繁に走っていたから、工業地帯の星のような灯りの中を長い光が尾を引くように走り抜けていた。
わたしは、耳に入ってくる街の音が溶け込む光景を、夢の中にいるようにうっとり見とれるだけだったが、あの漫画家の松本零士さんはしっかりとその感覚を『銀河鉄道999』の漫画に昇華させていたのだと知ったときは、ヤラレタァー!!!、と思ったものだ。

そんな幻想的な煙にむせぶ工業地帯の夜景の中で、せつなくも美しい話が進んでいく。
ゴミ山のごみでできたゴミ人間、プぺルから出るくさい臭いもガスになってもうもうとプペルの回りに漂っている。
さぞかしくさいんだろうなあ。臭ってくるようだ。
工場からの煙と、ゴミ人間から出るガスの煙と、それから冬の凍える空気に漂う蒸気が入り混じって町じゅうがもやっている。

母親と二人暮らしの少年、ルビッチとの間に芽生える友情もまた、煙の中でせつない。
煙が目に沁みるんだか、心が感動しているんだか、そんな不思議な気持ちが湧いてくる。

ハローウィーンの夜に出会った二人の因縁。

少年の父親は船乗りだった。
父は、煙を通り越したその上には、光り輝く石っころが浮かんでいると言った。
何万個もの光る石っころ~「ホシ」が浮かんでいると言った。
地上からは決して仰ぎ見ることのできない「ホシ」。

そして、ついに二人は煙の層を突破して、父が話してくれた何万個もの光るホシを観た。
何もかもを理解したプペルとルビッチの深い繋がりに心洗われる。

今も、あの北九州工業地帯を見下ろす高台にわたしのいとこ夫婦が住んでいる。
代が替わっていっても、ドアを開けるといつも同じ懐かしいにおいがする高台の家。
いとこ夫婦にこの絵本を贈った。
小さいころから、いつもわたしたちを温かく迎えてくれてありがとう、の気持ちを込めて。

2021年1月25日月曜日

「剣と蝸牛(かたつむり)の国 コンゴ―」~60年前のコンゴにタイムスリップ~

 




思いもかけず、一冊の本によってタイムスリップしたかのように60年前のコンゴを訪ねることができました。
アフリカのエキスパートのおひとり、T大使の紹介で蔵書をお借りして読んだ、「剣と蝸牛の国、コンゴ― 黒い大陸の明るい人達」(山本玲子著、野田経済社、1961年9月30日初版、現在廃版)です。

1960年6月30日のベルギー領コンゴ独立の前後、1年半を、レオポルドヴィルの日本領事館(現キンシャサの日本大使館)勤務の夫の転勤に伴って同行した一日本人女性の滞在記です。
かのじょの生き生きとした文章力と鋭い観察力にのめりこみ、実際に1959年~61年のコンゴに入り込んだように、大笑いし、大きく頷き、わたしたちが2012年から暮らしたキンシャサとの違いに驚きながら読みました。

表題になっている、「剣と蝸牛(かたつむり)」とは何だろう、と読み進めていくと・・。
1960年の独立を推し進め、”独立の父”として亡くなった今も人気を保つ初代大統領カサヴブ氏の出身地、バコンゴ地域に14,5世紀の頃に栄えたバコンゴ王国の象徴が「蝸牛と剣」だということです。
また、カサヴブ氏によってバコンゴで結成されたアバコ党の結束力が1960年のコンゴ独立に導いたと言われていて、そのアバコ党の微章にも蝸牛と剣が使われているとも書かれていました。
「剣」は権威を、また「蝸牛(かたつむり)」は指導者に求められる資質を示しているのだそうです。
かたつむりのようにゆっくりと正確に黙々と忍耐を持って進む指導者。
著者が身近に見聞したカサヴブ氏の印象は、かたつむりそのものだったと記されています。

独立前後のコンゴのエネルギーを肌に感じ、直後に起こったコンゴ動乱にも遭遇し、間もなくコンゴを後にし帰国した著者の、未来のコンゴの国への応援の言葉でこの滞在記は終わっています。

「・・急激にベルギーの枠から外れ、独り立ちし、この世界に飛び込んだ彼らには、これからもあらゆる面での困難は多いことでしょうが、この勇敢であり、進取の気性に富んだ楽天的な国民は、その進み方は外からの目には遅く見えるかもしれないのですが、でも、あらゆる困難を押しのけ、躍進していくこととわたしは信じています。」

その後、国民たちはモブツ大統領の下で困難にあえぎ、豊富に眠る天然資源のために先進国から翻弄され、未だに戦闘状態の地域もあり、平和とは言い難いコンゴですが、著者の言葉のようにわたしもこの国の未来を信じて、コンゴの人たちを見守り続けたいと思います。

2020年11月28日土曜日

絵本”いつも ふたりで” ~ 夫婦で歩んできて

 昨日から、本箱の絵本”いつも ふたりで”を引っぱり出して読み返しています。


ジュディス・カー作、亀井よし子訳。
ブロンズ新社からの出版です。


おばあちゃんは、ひとりソファで何かを待っている、という場面で物語は始まります。

お茶の時間を待っているの?
いいえ。
かのじょは、今では天国にいる夫が毎日午後4時から7時のあいだ、せなかの翼を広げて戻ってきて、二人でいろんなところへ出かけて行くのを待っているのです。

おばあちゃんったらソファでうとうとしてる、なんて思ってない?
いいえ。
かのじょは、夫といっしょにいろんなところに出かけて二人で楽しんでいるのです。

おばあちゃんの本音も語られています。
夫と二人で、こことは別の世界に行って、あの幸せだった日々を生き直したいと思うこともあるわ、って。
いつも、ふたりでいたいから、って。

毎日、今でも二人は午後4時から7時の間、共に過ごしているのです。


この絵本のページをめくると、さいしょに、

     ”わたしのトムへ”

と書かれています。
「いつも ふたりで」の作者、ジュディス・カーは1923年ベルリン生まれ。ナチスの迫害を逃れてスイス、フランスと渡った後、イギリスで脚本家のトム・ニールと出会い、3人の子どもを育てながら絵本作家として活躍した女性なのだそうです。
2006年に50数年共に歩んだ夫が天国へ。
この絵本は、夫トムに捧げた絵本なのでしょう。
日本では、2011年に翻訳されて初版が出ています。


さて、この絵本をなぜ紹介しようと思ったのか、というと・・・。

今週で、わたしの毎朝の楽しみだったNHKテレビ小説「エール」が完結しました。
裕一と音(おと)の夫婦が戦争を挟んで昭和の時代に音楽とともに生きてきた人生を描いたドラマでした。
そして、物語の終幕の描き方に大きく感動しました。

妻である音(おと)がベッドに横たわる最期の場面で。
音(おと)が言います。
「海が見たい。あなたと出会った頃のように。歌を歌ったり。」
「わかった。行こう。」
ふたりはゆっくりと病室の床に足を下ろしてぽつり、ぽつりと歩を進めると・・・。
木の床がいつしか砂地になって、二人の歩も力強いものに変わっていって浜辺に移って・・・二人の出会った頃に戻って海辺をのびやかに走っているのです。
海辺に置かれたオルガンを裕一が弾いて、音が歌って、ふたりが輝いていたあの頃にもどり。

「出会ってくれて、ありがとう。」
「わたしも。あなたといられて、しあわせでした。」

夫婦で伴走してどんなことにも乗り越えていく力強い姿をこの絵本とこのテレビドラマに感じました。
人生は過ぎてしまえば短いのだなあ。
だからこそ、わたしも一生懸命に誠実に生きてゆくぞ!、と思うのです。
最期に、感謝の言葉を言いたいから。

2020年9月25日金曜日

「森のおくから」~むかし、カナダであった ほんとうのはなし~カリフォルニアで起こった山火事によせて

 


アメリカ南西部で大きな山火事発生のニュースが日本にまで届きました。
夜になってもオレンジ色に染まった空をカリフォルニアから遠く離れたところからでも観察できたそうです。
からからに乾燥した森林で自然発生した小さな火種から、森全体を焼けつくす山火事の恐ろしさはローラ・インガルス著の「大草原の小さな家」でも描かれています。


そして、今回、コロナ渦中で地球の大国が敵対する中で起こったこの山火事のことに重ねて思い出したのが、アメリカ人のレベッカ・ボンドが著した絵本「森のおくから~むかし、カナダであった ほんとうのはなし」です。


物語の主人公のアントニオは、カナダのゴーガンダ湖畔でお母さんが経営するホテルに住んでいました。アントニオの友だちと言えば、ホテルで働く大人たち。そして、アントニオはホテルにやってくるお客さんたちを観察することも大好きでしたし、森に入っていろいろなものを発見するのも好きでした。
けれども、動物は決して彼の前に姿を見せませんでした。

ある夏、森でくすぶっていた煙から火が瞬く間に広がっていきました。
辺り一帯、煙と炎でものすごい暑さになり、逃げる場所は湖だけでした。
ゴーガンダじゅうの人たちは赤ちゃんも年寄りも皆、湖に集まりました。

そして、不思議なことが起こったのです。
炎と煙の向こうから、ぞくぞくと森じゅうの動物たちが湖に入ってきたのです。
小さな動物から大きな動物まで。
アントニオは目を見張りました。
皆、静かに湖の水に浸かって火事がおさまるのを待っていたのだそうです。
すぐ近くに動物たちがいる。動物たちのにおいも、あつい息遣いも感じます。
人間も、小動物も大きな動物も入り混じって、同じ湖に入って山火事から身を守っていたのです。
皆こうべを垂れて手を合わせて湖に浸かりながら待っている姿が、遠くの空はオレンジ色に染まって、辺り一帯は煙に覆われた真っ暗な空の下に描かれています。

皆が”共生”している。
美しい光景でした。

そして、山火事がおさまったとき、人間も動物も湖を離れて、静かにそれぞれの住み家に帰っていったのだそうです。

1914年、夏。アントニオが5歳の時だったそうです。

この話は本当にあったことです、と作者あとがきの冒頭に書かれています。
”あとがき”に主人公のアントニオの可愛らしい写真も見ることができます。
アントニオは、この物語の作者レベッカさんの亡きおじいさんです。
作者は、この話をおじいさんの娘である作者の母親から何度も何度も聴いたのでしょう。
おじいさんは、子どもたちにいろんな話をしてくれて、その話が今度は孫に伝わっていく。
レベッカさんは、お母さんが話してくれるおじいさんの物語の中で、この話がいちばん好きだったと回顧しています。

この絵本は、東京都下にあるゴブリン書房という、ご夫婦で営む出版社から出ています。
世界中の本を探して、ご夫婦が日本で紹介したいという本だけを出版しているということを経営者の講演で聴きました。

災難の中で、森じゅうの生き物たちが、静かに身を寄せ合って災難が去るのを待ち、災難が去ると、また何事もなかったかのようにいつものそれぞれの日常に戻っていく。

静かな時間の流れの中に、共に生きることの真実を描いている、感動の絵本でした。