2019年6月1日土曜日

ブルキナファソ モシ族の伝説~La Princesse Yenega

馬上のイエネガ イラスト(YouTubeより)


現在のブルキナファソの部族の過半数を占めるといわれるモシ族は、モレ語を話し、今も、皇帝と呼ぶのか、首長がワガドゥグに臨座してるのだそうだ。

モシの王国を作ったと言われるウエドラオゴの話は、この国の誰もが知っているのだと聞く。
わたしは、モシ族の伝説を書き留めておきたいと、わたしのつたない仏語力を全力駆使して、わたしの仏語の先生と夫の事務所で秘書として勤務する女性に根掘り葉掘り、くっ付きまわって聴きとった話をまとてみたいと思う。二人の女性は、ともにモシ族だ。かのじょたちは、しつこく聞きまわるわたしにイヤな顔一つせず、好意を持って根気強く話し説明してくれた。特に、ひとりの女性は、自身の蔵書を持ち込んで、地図を見せてくれながら、確認しながら話してくれた。
間違いがあったのなら、わたしの仏語力不足のせいだ。また、かのじょたちは、わたしたちの伝説は口承文化なので、いろいろなバリエーションで伝わってきていることも考慮して聞いてほしいと話した。

では、モシ族に伝わる建国の物語を始めましょう。


 かれらは、ガンバーガ(今のガーナ国境近く)からやってきました。当初、かれらは森の中に暮らしていました。先住民から離れた場所を選んでのことでした。先住民たちは、かられのことを”Mogho Naaba”モゴナアバ(森の長)と呼びました。
かれらは一生懸命働き、次々に家を建てていきました。そして、たくさんの子を産み育て、彼らの部族は少しずつ大きくなっていきました。
そして、かれらはモシの王国を作ったのです。


その時代のブルキナファソ一帯には、小さな王国がたくさんあり、国同士が長いこと戦争を続けていました。
そんな戦いの繰り返される時代に、馬に乗って走ることが大好きなひとりの女の子が家族と暮らしていました。
名前は、”Yenega”(イエネガ、イエネンガ)と言いました。これは、細い、という意味の言葉ですが、実際に女の子は細い体でした。女の子の本当の名前は”Poko”と言ったそうですが、皆からはイエネガ(イエネンガ)と呼ばれていました。
女の子は、馬に乗ることが得意でした。女の子は自分の馬をとても可愛がりました。そしてまた、女の子は弓矢や槍を使うことも大変上手だったのです。

話は遡ります。
その女の子の父親の名前は”Dagomba”ダゴンバと言い、ガンバーガから移ってきた部族の長でした。ダゴンバには奥さんが何人もいて子どももいましたが、皆、女の子ばかりでした。当時は、男の子が生まれることを良しとしていた時代だったので、ダゴンバは次々に生まれるのが女の子だったので気落ちしていたかもしれません。

そんな中で、イエネガ(イエネンガ)は女の子でありながら馬に乗ることが得意で、弓矢も槍も上手に操ることができたので父親のダゴンバはイエネガをとても可愛がりました。
ガンバーガから移り住んだイエネガの父、ダゴンバはそんな小王国の一つのシェフ(長、首長)だったので、イエネガもひとりの王女(プリンセス)だということになります。

イエネガはいつも男の子のような恰好をして馬にまたがり、弓矢と槍を上手に使いこなし、父親の力となるために敵と戦いました。
イエネガは、とても勇敢な女の子でした。同時に、女の子は、当時の社会の慣習に馴染まず、父親の意見に従うことを嫌がるようなはっきりした性格も持っていました。
女の子は、戦のために、また馬に乗って弓矢や槍を駆使して飛び回るために、いつも男のような恰好をしていました。
息子のいない父には、イエネガはたいそう自慢の存在だったのでしょう。


戦いに挑むイエネガ (Wikipediaより)



イエネガは、成長すると共に、普通の女性が望むような結婚をしたいと考えるようになりましたが、父はそのイエネガの気持ちを理解してはくれませんでした。

イエネガは、自分の気持ちを父親に分かってもらおうと自分の畑を作り、そこにゴンボ(オクラ)の種を蒔きました。ゴンボは早く成長し育てやすいということで、当時の結婚した女性たちは家の傍に畑を作ってゴンボの種を蒔き育てていました。
イエネガはゴンボが大きく育ってもあえて採ろうとせずに枯れていくゴンボを畑に放っておきました。父親はそんなイエネガの様子を見て怒りました。
イエネガは父親に対し、「この枯れたゴンボはわたしです」~ゴンボは種を蒔いて大きく育ち実が成りますが、放っておくと、いつか枯れて醜くなります。まさに、わたしはゴンボです~と父に訴えましたが、父親はイエネガの気持ちを理解することはなく、怒って娘を部屋に閉じ込めて錠をかけてしまいました。

 ある日、イエネガはそっと部屋から抜け出すと、ひとり馬にまたがり森へ逃げたのでした。自分のことを理解してくれない父親への反抗でした。
森へ一人逃げたものの、かのじょは森の中で迷子になってしまいました。
そのとき、イエネガは森の中でひとりの狩人に出会いました。若い青年でした。
名前は、”Riale”(リアレ)といいました。

リアレは、馬にまたがったその若者を男の子だと思い込みました。当時、馬にまたがる女性などまずいなかったし、その馬上の若者は男のような恰好をしていたからです。

馬に乗ったイエネガのことを男だと思い込んだリアレは自分の家へ連れて行きました。
リアレは狩人のような様相でしたが、かれもまた、本当は王子、プリンスだったのです。
リアレも、自分の身分を嫌い、社会通念を嫌って、森の中で狩人としてひとりで暮らしていました。そのリアレが暮らす森は、”Tenkodogo"と言われていました。
イエネガと共に暮らすことになったリアレは、かのじょのことを男だとずっと思っていました。
しかし、そのうち、イエネガは狩人のリアレと恋に落ち、それからふたりは結婚しました。ふたりは、森の家、”Tenkodogo”(古い土地、という意味。ブルキナファソ東部。)で暮らしました。


それから、イエネガとリアレの間に一人の男の子が生まれました。
イエネガは息子に、”Ouedoraogo”ウエドラオゴ(牡馬、という意味。)と名付けました。かのじょの大好きな牡馬に感謝の気持ちを込めての命名でした。

イエネガとリアレの息子、ウエドラオゴが10歳を迎えた時に、母親のイエネガはその土地の慣習に従って、息子のウエドラオゴを絶縁のままになっていた父親の元へ送り届けます。父親の住む家の近くまで息子を連れて行ったイエネガは父親に会わないまま、ひとりでリアレの待つ森へ帰って行きました。
息子に、あなたのおじいさんに伝えてほしいと言う伝言を託して。
その伝言は、娘のイエネガから父親へ、今までの自分のわがままの許しを請うものでした。

おじいさん(イエネガの父親)は、その地域の大変な権力者でした。
ウエドラオゴは、母親と別れて、初めて会う自分のおじいさんをひとり訪ねて行きました。そして、「わたしはイエネガの息子です。あなたの孫です。」と名乗ったとき、おじいさんはとても喜んで、ウエドラオゴを孫として受け入れました。
こうして、ウエドラオゴは祖父の元で多くのことを学び、大きく成長しました。
後に、イエネガは、夫のリアレと共に父親に会いに行き、仲直りをすることができたということです。

ウエドラオゴは大人になって今のワガドゥグ辺りに移ります。
ウエドラオゴは結婚して3人の息子の父親となりました。
ひとりは、マリのほう、北部の”Ouahigouya”へ。ひとりは、ニジェールのほう、東部の”Fada Ngourma”へ拠点を移してゆきました。
もうひとりの息子は、ある日、馬に乗ったままバオバブの木に駆け上り天に消えて行った、という言い伝えが残っているそうです。その証拠に、バオバブの木の幹には、今も馬が幹を登ったときの蹄の跡が残っているということです。


こうして、ウエドラオゴは、モシ王国の最初の王様になり、皆に尊敬されました。
そして、多くの子孫が国中に広がっていったということです。
今も、ブルキナファソには、モシ族の皇帝(王様)がいます。
現在は、”Naba Baongo”(Nabaというのは、”chef”、長、首長)という名の皇帝(王様)だそうです。 

また、”Princesse Yenega”(イエネガ姫)は、モシ王国初代皇帝、ウエドラオゴの母親として、そしてかのじょのキャラクターと相まって、今もブルキナファソの人々から深く親しまれています。(完)                                 


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