インド英語のリスニング 研究社 |
「ついに、こういう本が出る時代になったのだな。」
友人の田中真知さんがfacebookで、”インド英語のリスニング”(研究社刊)という本を取り上げて紹介していた。
インド訛りの英語と、インド人独特のお国柄について書かれた本だという。
インドに駐在になった日本人ビジネスマン、アリさん(という名前設定も可笑しい!)が、日々の暮らしの中で遭遇するインドならではのエピソードを基に展開される内容らしい。
真知さんによると、”異なる価値観や文化の中で、アリさんがもまれ、鍛えられていくという、いわば成長物語になっている。”ということだ。
さらに、かれの紹介は続く。
”今、世界の英語人口は約20億。そのうち英米ネイティブは4億。
残りの16億はみな、自国語訛りのローカライズされた英語を喋っている。
なかでも、インド英語を喋っているのは10億人。
インドがすごいのは、政府が「インド英語はひとつの完成された英語であり、インド人学習者のモデルとなり得る。」と明言していることだ。” ※ 世界総人口71億5千万人(2013年)
実際に調べてみると、英語が話される国は、イギリス、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、南アフリカ共和国、フィリピン、シンガポールなど80の国、地域(Wikipedia)にも上るそうだ。
また、キンシャサで知り合った韓国の女性たちは、口をそろえて英語教育を重要視する本国の実情を言う。自国の教育熱は異常に感じる。特に英語、英語と叫ばれ、大切な自分たちの国の歴史の授業を削ってでも英語の授業を増やしている、と自嘲気味に言うのを聞いたことがある。
わたしが住むアフリカ地域でも、22カ国が英語圏だと記されている。
これらの国は、イギリスの旧植民地だった地域だと言えるが、ルワンダ共和国のように、旧宗主国がベルギーでフランス語が公用語だったのが、米国寄りになり、英語が公用語になった(2009年)という国もある。
その隣国、ここ、コンゴ民主共和国は旧宗主国がやはりベルギーだから現在も公用語はフランス語だ。
20年前にいた中央アフリカ共和国も公用語はフランス語だった(旧宗主国はフランス)。
首都のバンギでは当時フランス語しか耳にすることはなかった。アメリカ人ですら(!)、フランス語を話すのだった。
ところが、キンシャサでは英語を話すコンゴ人によく出会う。英語を耳にすることが多いのだ。
我が家の家政婦も、これからは英語を話せないと仕事に就けないから、子どもたちにはしっかり英語を勉強させたいと言う。
キンシャサの学校では、フランス語で授業が行われ、校内で、国語であるリンガラ語を喋っていると先生から注意されるのだそうだ。そして、英語の授業は12歳から始まるということだ。
知り合いの学生たちが持っていた英語リンガラ語対応の20ページほどの辞書を目にした家政婦は、我が家の子どもたちの英語の勉強のために、ぜひこのドキュメントをコピーさせてほしいと懇願してきたほどだ。
英語の重要性を訴えるかのじょではあるが、でもまずはフランス語をしっかり勉強しての英語だ、という言い方をする。
話は逸れるが、コンゴの国語とされるリンガラ語、スワヒリ語、チルバ語、キコンゴ語はどれも文字を持たない。話し言葉なのだ。だから、アルファベット文字を使って表す。
サハラ砂漠以南のアフリカの国で、独自の文字を持っている民族はエチオピアだけだと思う。どこの国の国語も部族語も話し言葉なのだ。
これは、かれらが言語を聞く能力に長けていることを意味するようにも思われる。
かれらは、公用語を話せて聞き取れても、正確な文章を書けないことが多い。かれらが受けた学校教育事情にもよるのだろうが。
話の逸れついでに思い出すのが、30年近く前に滞在していたネパール、カトマンズで出会った男子大学生の話だ。
ネパールは、当時、王国で、独自の文化を培ってきた誇り高い国民だった。
多民族国家だから、多数の部族語が存在するが、公用語はネパール語だ。そして独自の文字を持っている。
それでも、学校教育の授業は英語で行われ、国語の授業でネパール語を学習するのだと言うのだった。
わたしは、その男子大学生に言ったものだ。
いいわねえ、小さいときから英語で授業を受けられるなんて。だからあなたちは英語が上手なのね。
すると、かれは悲しそうな表情で、わたしたちは英語を勉強しなければ専門書を読めないのです、と言ったのだ。
大学での研究書も文献もネパール語で著された書物がないと言うのだ。
愕然とした。
わたしたち日本人はなんと恵まれた民族なのだろう。
以前、アイヌ語というものが存在したが抹殺され、いつのまにか単一言語を持つ単一民族という概念がまかり通っているが、ともあれ、わたしたち日本人は独自の三種類の文字を使って書き表すことができるのだ。
書き文字をもっていること、そして自国の文字で表された書物を入手できることは、当たり前のことではないのだということを想像してみてほしい。
また、こんなデータも見つけた。
英語母語話者は、世界人口の4.68%で、第1位の中国語母国話者(13.22%)と比べるとかなり少ない。ところが、公用語人口としては英語が世界一だというのだ。
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興味深いデータだ。
わたしがここ、キンシャサでメンバーになっているIWC(International Women's Club)で使用される第一言語は英語だ。第二言語としてフランス語でのアナウンスも必ず加わるのだけれど。
そこで知り合ったアジア女性たち(それに中南米や欧米出身の女性も加わる。)でよくランチやお茶の会を持つ。
ある日、インド女性の自宅でランチ会があった。
かのじょの自宅はアメリカ、テキサスで家族も皆、米国在住のスマートな女性だ。
もちろん、話す言葉は英語だ。
キンシャサでの厳しい生活のストレスを晴らさんばかりに思いっきりぺちゃくちゃとお喋りが始まると、リスニング力に自信のないわたしは更に聞き取りが辛くなる。
かのじょたちは、日本人は英語力が乏しいということを今までの任国で理解していて、時々わたしに、「今の話、分かった?」と訊いてくる。
長い力説の後にそんな確認をされても、「ごめんね、理解できなかった・・。」なんて言えないから、わたしは、うん、と言うしかない。
だから、どうにか聞き取ろうと必死で、単語と単語、そして、想像力を駆使して耳ダンボで聞き耳を立てるのだった。
わたしが、今、個人で習っているコンゴ人の先生のフランス語授業について、不満を言った。
書くことより話すことをしたいのに、「さあ、今日はこのテーマでフランス語文章を書いてもらいましょう」と言ってテーマを与えられる。わたしが、書くことは宿題にしてほしいと希望しても、書いてから、それを基に会話をしましょうと言い張る。
そして、わたしが作文している間、先生は何をしているかと言うと、リンガラ語高らかに電話をし始める。ひどいときは電話相手に向かって激怒し、挙句に泣き出すことすらある。
またあるときは、遅いランチだと言って、食事を始めることもあるのだ。
もちろん、そんな日ばかりではないのだけど。・・・
そんな愚痴をこぼすと、皆は一斉に、あなたは先生を替えるべきだと言い始めた。
ある人は、あなたはフランス語の授業を止めるべきね。英語をしっかりやるべきよ。と言ってきた。
もう世界は、英語で事足りる時代になっているのよ。英語のレッスンこそ受けるべきよ。
あなた、英語もフランス語も、ってやってるから混同するのよ。
この際、フランス語の授業は止めるべきよ。
そこにいた女性たちは、皆、お国訛りの強い英語を堂々と使う。
そして、そんな英語でしっかりコミュニケーションを取り合っている!
かのじょたちはまた、コンゴの公用語であるフランス語についても、使用人や買い物の交渉時に困らないくらいのフランス語力を持っている。
かのじょたちは、「わたしの英語の発音が聞き取りにくくてごめんなさい。」とは決して言わない。
言わないどころか、我が身は振り返らずに、あなたの英語は理解できない、と平然と言ってくるのだ。
自分の英語の発音に微塵の劣等感も持たず、あなたの発音こそが聞き取りにくいのよ、と言わんばかりなのだ。
わたしは日本人として謙虚な気持ちで、ごめんなさい、わたしは英語が下手だから、あなたは忍耐力が要るわね。と言うと、コクリと頷かんばかりの表情をするのだった!
確かになあ。
アメリカ人の納豆言葉といわれるレロレロしたアメリカ英語も、タイ人のポワンポワンと発音する英語も、インド人の”R”の強烈巻き舌発音も、中国人の飛び跳ねるような発音も、全部、地球英語なのだなあ。
英語を地球の共通語とするならば、クィーンズイングリッシュやアメリカンイングリッシュの優位性なんて関係ないのだ。
まずは、”ネイティブ原理主義”から開放されなければ。
それぞれのお国訛りの英語で堂々とコミュニケーションを取ればいいのだ。
いろんな国から来ている人たちと交わって、一期一会、いろんな出会いを持ちたい、と心から思う。
IWC(国際女性クラブ)での出会い、それからゴルフコンペを通しての出会い。
そのための英語、フランス語でのコミュニケーション力が欲しいと切に思う。
11カ国のマダムたちと 友人宅でのランチの集まり |
これからも、わたしは自然体でわたしなりの英語とフランス語で、いろんな国からの友人たちと交わっていこう。誠心誠意の姿勢を忘れずに。等身大で。
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