あの山の向こうも、こっちの坂の向こうも、誰も住んでいない何もない森か山か草地だろうと思っていた。
ある時、坂の向こうにも小学校がある、と聞いた。
へえ・・、向こうにも違う町があるのかもしれない。
坂を越えてみたら、わたしの住む町と同じように、バスが通り、パン屋があり、学校があり、町が広がっていた。
小学校の音楽の教科書で歌った、”どこまで行っても 続く道・・・”。
本当にそうだった。
坂の向こうにも、わたしが住む町と同じような町があった。
十何年前になるだろうか、NHKテレビで韓国のドラマ「冬のソナタ」を観た時も、同じ感覚を持った。
海を越えた、いちばん近い外国、韓国にもわたしたちの国ととても良く似た文化を持って暮らし、同じような感情を持って生きる人々がいる、というとても当たり前のことに驚愕した。
欧米の映画は見慣れているから、日本と違う彼らの文化や暮らしはよく知っていたのに。
いちばん近い隣国のことは、ぼやけて素通りしていたように思う。
そんなことを思い出す絵本が、ほるぷ出版の「むこう岸には」だ。
絵本 「むこう岸には」 表紙 |
川の向こうには、わたしたちと違う人種が住んでいるから、向こう岸には絶対に行っちゃいけません、と大人たちは言う。
どんな風にわたしたちと違うんだろう。
大人が行っちゃいけない、っていうのだからきっと危ないところなんだろう。女の子は漠然とそんなふうに考えていた。
ある日、向こう岸でひとりの男の子がこっちに住む女の子に手を振って笑いかけている。
女の子も手を振ってみた。
そして、またある日、岸辺にボートがたどり着いて、向こう岸から男の子が手招きをしている。
女の子は、それに乗って向こう岸に行った。
なんだ、少しわたしたちとは違うけど、わたしたちと同じように家族仲良く暮らす人々がいるんだ。
男の子の家族の中で楽しい時間を過ごして、また女の子の住むこちら側に帰った。
そして、ふたりは仲良しになる。
わたしたちの夢は、いつかこの川に橋を架けること。
そうしたら、いつでもわたしたちはこっちとあっちと会いに行けるんだもの。
この物語の冒頭に、作者のマルタ・カラスコさんの言葉が載っている。
世界平和を強く願うメッセージ。
チリの有名なイラストレーターだったマルタさんは2008年に亡くなっている。
絵も文章も彼女の手によるこの絵本は、マルタさんの遺作となった。
女の子が着る白いワンピースは、子どもの純粋無垢な心を象徴しているように思える。
大人は何にでも境界線を引いてしまうけれど、子どもの心にも、大人の考える境界線を植えつけてはいないだろうか。
12月2日の日曜日、キンシャサで第1回日韓親善ゴルフコンペが開かれた。
これまでの両国間の難しい歴史関係、そして今も領有地の問題が存在するわたしたちの国同士。
そんな中でこの企画は画期的なことだった、と思う。
キンシャサのゴルフクラブには多くの韓国人がメンバーでいるが、今までは挨拶程度しか交わりがなかったように思う。
そんな交わりの少ない日本人、韓国人間で、ゴルフコンペの企画を立て、コンペが行われ、夜は表彰式を兼ねて食事会を持ち、楽しい交流を持った。
きっとこれからは、ゴルフ場であってもキンシャサのどこであっても、立ち話の光景があちこちで見られることだろう。
キンシャサの小さな交流かもしれないが、大きな一歩だったと思う。
アフリカ大陸の地図を見ると、国境線が見事きれいな直線に引かれていることを見つけるだろう。
1884年、当時のヨーロッパ列強13カ国が参加したベルリン会議で、アフリカにおける植民地が分割され、列強の意のまま境界線が決定した。
”アフリカの年”と言われた1960年、多くの独立国が誕生したとき、植民地時代に引かれた直線の境界線がそのまま国境になった。列強が引いた境界線は、当然、民族とは無関係のものだった。
同一民族が離れ離れになったり、対立する民族が一緒にされたり。それが後の民族紛争の原因となる。
また、経済的に豊かな土地と貧しい土地が同一国家に組み入れられたことで、後に、豊かな土地が独立運動を起こすことにもなった。
わたしたちが現在住むコンゴ・キンシャサ(コンゴ民主共和国)は元ベルギー領。
コンゴ河を挟んだ対岸は、コンゴ・ブラザビル(コンゴ共和国)で元フランス領。
ふたつの国の首都同士が対岸で向かい合っている珍しい地域だ。
もとは、ここには中小の王国が割拠していたはずだ。それが、ベルギー領とフランス領に分けられ、その境界線のままそれぞれが独立した。
向かい合ったそれぞれの首都が、一つの経済圏を形成してると言われるが、両都市間は、フェリーで結ばれるだけだ。(空路もあるが。)
現在、両都市間に橋を架けようという計画案が浮上しているのだそうだ。
実現すると2kmほどの長い橋になるのだろうか。
橋の建設が両国間にどんな影響をもたらすのか。
3つの地点の候補が挙げられているそうだ。他方向から調査、検討する必要があるのだろう。
垣根のない交流。
交流があって初めて、真の理解が生まれる。
そんな生き方を自身でも心がけたいし、子どもたちにもさりげなく示してゆきたい。
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