2011年12月31日土曜日

いってらっしゃい!

娘のYukiです。

母の書いた以前のブログにもある通り、フランスに嫁ぎました。
アルプス山脈のふともの町出身の大きな優しいお猿さんのような人と九月に結婚しました。
そして、先週こちら、フランスに引っ越ししました。
まだ一週間しか経っていないのに、家族のもとでぬくぬく過ごしていた私は、東京の実家が恋しくて仕方ありません…。

そんな東京の実家にいる両親ですが、本日アフリカに向けて出発です。
しばらく、数年くらい?、日本よりもフランスから近いアフリカに両親が住むことになります。

この l'éléphant vert のブログでは引き続き絵本に関するたわいもないお話を母娘で綴っていけたらと思っています。
このブログとは別にも、母娘それぞれブログを持っているのですが。

とにもかくにも、両親が無事にアフリカの目的地までたどり着きますように。

2011年12月25日日曜日

夫婦ふたりきり

以前、神田の古書店で入手したペイネの版画が、遂に我が家のリビングに飾られました!
娘たちがフランスへ行ってしまう前に見せてあげたいなと思って、古いビニルから取り出してリビングの壁に掛けてみたら・・・・なんと!!
もうドンピシャ!!
ここの壁に昔、昔からあったかのように、この絵の何もかもが我が家にぴったりだったのです。
よくぞ我が家にたどり着いてくれたねええ・・・ペイネの絵がとっても愛おしく感じられました。
(この絵について今日までずっとノーコメントを通している我が夫は、怒ってはいないようだけど・・ブキミだしフシギ。)

娘夫婦もとても良い絵だと褒めてくれて、大満足。
これで、娘たちの住むことになる南仏・アンティーブと繋がったぞ!!
この絵の中から、わたしはいつでも娘たちのいるアンティーブの町にピューンと飛んでいけるような、そんな気分でいます。
まるで「ナルニア国物語」の、洋服ダンスの中からナルニア国に繋がったように・・。

そんな日から2日後の今月21日のAM11:10成田発の便で、娘たち夫婦はフランスに向けて出発したのでした。
もう泣けて、泣けて。
娘を思っては涙。メイルが届いてまた涙。
ハイジの話で恐縮ですが、おじいさんの元から無理やり引き離されてクララの住むフランクフルトに連れて来られて、おじいさんに会いたくて会いたくて、とうとう夢遊病になった時のハイジの気持ち・・・ってもしかしたら今のわたしじゃん、とか思ってまた涙。

そんな日々ではありますが、わたしはこのペイネの絵をリビングに残して、夫とともに12月31日夜便でキンシャサに発ちます。
娘は、来年6月半ばにフランスで出産の予定です。

ペイネの版画には、すずらんの花がたくさん生えていて、鳩が2羽、小鳥が4羽、りすが1匹、かたつむりが1匹、きつつきが1羽、そして天使が1人描かれています。
よくよく見ると、天使にはちっちゃなオチンチンが付いています。

これから我が家は本当に夫婦ふたりの生活になります。
ああ、ペイネの版画が我が家に来てくれてよかった!!

母の寛子でした。

2011年12月8日木曜日

風に立つライオン

                「だれかがほしをみていた」(アスクミュージック出版)より

わたしは、さだまさしさんの「風に立つライオン」という歌が大好きだ。

それは、ケニアのナイロビに医師として赴任して3年が経つ青年が、元恋人から結婚通知を受け取り、彼女に宛てた近況を知らせる手紙、という形で書かれた歌だ。
彼女に伝えたかったこと・・・
「ビクトリア湖の朝焼け、百万羽のフラミンゴが一斉に飛び立つとき暗くなる空や、キリマンジャロの白い雪、草原の象のシルエット、何より僕の患者たちの美しさ」
「この偉大な自然の中で病と向かい合えば、神様についてヒトについて考えるものですね。・・・・闇の中ではじける彼らの祈りと激しいリズム、南十字星、満天の星、そして天の川。診療所に集まる人々は病気だけれど、少なくとも心は僕より健康なのです。」

さださんの澄んだ歌声を聴いていると、20年近く前家族と暮らしたアフリカの自然と人々を、涙が出るくらい懐かしくはっきりと思い出す。

あれは、1992年12月のクリスマス休暇で、中央アフリカのバンギからコンゴ共和国のブラザビルを経由してケニアのナイロビへ旅行したときのこと。ナイロビでの滞在先は夫の会社の宿舎だった。
ナイロビ最終日の前日、夕食にめちゃくちゃまずいカレーをわたしは作ってしまい宿舎のおじさんに激怒された。
お詫びに、染みだらけの宿舎ダイニングテーブルのクロスを洗濯して真っ白にし、いざアイロンかけだ!と思ったらアイロンがプチっと言って壊れた。
まさに泣きっ面に蜂・・。
途方に暮れたわたしは裏庭にある使用人棟のドアをノックした。宿舎で働く若いケニア人夫婦に助けを求めた。

宿舎のおじさんにまずい料理を作って怒られて、お詫びにテーブルクロスをぴかぴかにしようと思ったらアイロンを壊してしまった、わたしは今夜の飛行機で帰るから、急いでおじさんに知れずにアイロンを修理したいのだけど・・・と。
使用人夫婦の「今日は日曜だから店は閉まっているけど、明朝、わたしたちがこっそり修理に持って行くから大丈夫だよ。」という優しい言葉に、わたしは思わず涙がポトリ。
奥さんが、「おいしいミルクティーを作るからさあ入って!」。
いいのかなあ・・・Do I disturb you? お邪魔じゃない?
いいえ~、さあ入って、入って・・という言葉に部屋に入ると、まあ本当にきれいに片付いた部屋だった。
たんすやテーブルの上のそこここに奥さん手製のニットのクロスが敷かれ、西日の当たる清潔な明るい部屋にわたしは感動した。

二人がいままで座ってくつろいでいたと思われる椅子のところに編みかけの男の子用のベストが置かれていた。
もうすぐクリスマス休暇で帰省します、実家に幼い息子を置いてきているから再会が楽しみなのだと話す夫の傍で、わたしは編み物が好きだから、息子のためにこれを編んでいるのよ、と奥さんは優しく微笑んで話しながら、手際よく熱いケニアの生姜入りミルクティーを、さあ飲みましょう、体が温まるのよ、とテーブルに置いた。
その熱いミルクティーのおいしかったこと!
わたしのために入れてくれた彼らの温かい人柄とジンジャーの香りが心を和らげてくれた。
どうして小さな息子さんをナイロビに連れてこなかったの?という不躾なわたしの質問に、私たちが住み込みで外国人宅で働くのに子供連れだと仕事がないのよ、とちょっと寂しげに説明してくれた。

さあ、戻らなくっちゃ、飛行機に乗り遅れるわ、ありがとう、あなたたちのご親切に。
わたしはそういってドアをあけると、どっかりした地平線に届きそうな大きな夕日が本当に胸に染みた。

本当にしっかりと人生を受けとめてアフリカで生きる夫婦だった。
さださんが歌う、「アフリカに生きる人たちの瞳の美しさ」のところに来ると、ナイロビで出会ったあの夫婦をいつも思い出す。

この曲の間奏に「アメイジング・グレイス」のメロディーが使われているのが、またどうしようもなくいい。

さて、わたしは今夕、そのさださんのコンサートに行ってまいります!!それでは!
母の寛子でした。

2011年12月6日火曜日

「本当にあった話?」と訊く子と、「作り話をして!」と言う子と

もうじき5歳になるという頃から3年間アフリカのフレンチスクールに通っていた息子 の話から。

「”Il etait une fois ・・・”(イレテチュヌフォワ~)~”昔、昔あるところに~”と先生がお話を始めると、 '入れてッちゅーとふわぁ~ん~,."*,'*','*~という呪文で、たちまち物語の世界に入り込んでいた。あの言葉は不思議な響きだったなあ。」

息子より4歳上の娘は、私が物語を読み始めるとしばらくして必ず、「ねえね。これってホントにあった話??」と訊いていた。
「そうだよー。本当にあった話だよー。」とわたしが言うと、安心して更に深く物語に入り込んでいた。明らかにフィクションだと分かっていても、わたしは、「そうだねえ。本当にあった話だといいねえ。」
娘は了解したように静かに天井をじっと見ながら聞いていた。
「この話、おもしろいね!」というサインと、気に入った話が「本当のことであってほしい。」という願いからの言葉だったのだろう。

そうやってアフリカの長い夜、「ローラシリーズ」、「やかまし村シリーズ」、「牛追いシリーズ」、「飛ぶ船」、「年とったばあやのお話かご」・・と親子で読んでいった。
ずいぶん後になってのことだが、息子が、「お姉ちゃんはいつも”本当にあった話?”って聞いていたけど、フツーに考えて、あるわけねーだろ!!って思う話のときでも訊いてたよね。」と言ったのには笑った。

友人の息子さんがバンコクにいた頃(多分、4歳から7,8歳くらいの時かな)、お話上手のお父さんに、「ねえ。ツクリバナシして!!」とおねだりしていたそうだ。彼にとっては、「ツクリバナシ」が「作ったお話」だとは思っていなかったのかもしれない。
それでも思う。
「これって本当にあった話?」と訊く子と、「作り話して!」とおねだりする子と、もしもこの二人が姉弟だったら、毎晩大変なことになっていただろうなと。

余談だが、小さい頃から食いしん坊だった娘。食事の時、1,2口食べてから「おかわりある?」というのが、「おいしいね!」の合図だった。「うーん!たっくさん!」と応えると本当に幸せな顔をみせた。

それぞれの個性が楽しい。

2011年12月3日土曜日

ペイネの版画、見つけたっ

久しぶりです。母の寛子です。この1ヶ月間、何をしていたんだろう、と思うくらい瞬く間に過ぎていき、そしてわたしはまだ日本にいます。へへ。

昨日、わたしは神田神保町の古本屋でペイネの版画に出会ってしまいました。

わっペイネだ!!、と感動して店主のおじさんに、この9月に娘が南仏アンティーブ市役所の結婚の間で入籍式を挙げ、その部屋には、生涯をアンティーブで過ごした愛の画家、ペイネの大きな油絵が2枚掛けられていて、とっても美しい街で、ペイネ美術館があって、式の引き出物はペイネのカップで、そこへ娘は今月嫁いで行くんです、だからペイネ、欲しいな・・・とかぺらぺら感動して話していたら、そのおじさんは、この絵なかなか売れないし、そういうことならお勉強しましょう、と言ってくれて。
でも、狭い我が家で無駄遣いが多すぎだとわたしを責める夫の顔が過ぎり。
でも、娘たちとペイネの絵が結びついて、ペイネの版画に出会うチャンスはもう二度とないかも・・・とかも思って。
それで、諦めて店を出たけど、結局帰りかけた道を引き返して買ってしまいました。

若いカップルが、天使が飛び交う明るい日差しのベランダで見つめ合ってお茶を飲んでいる、といった絵です。
南仏の太陽は黄色なのですね。
駅に着いて、85×70の木枠の額をわっせわっせと持って帰りながら、どうやって我が家に運び入れてどこに隠そうか、やっぱり取りあえずは夫には見せないでおいたほうがいいな、よし、そうしよう。
そのとき、ぬうううう~っと横から覗き込んできたモノが!!!
ギャアア!コワアーイイ!
なんとわたしの顔前方15センチのところに見えたものは、夫の顔でした。

まだ、帰ってきてペイネの絵を開けて見ていません。正直、見たくてうずうずしています。
(上の写真は、娘の夫が2度目に来日した時にプレゼントしてくれたペイネの絵柄の大きな花瓶です。)
夫が不気味に沈黙を守っていましたが、先ほど、どこにそんなお金があるのか、どこにそんな大きなものを飾るスペースがあるのか・・・とぼっそり言いました。

それでも、もしかしたら本物のペイネの版画じゃないかもしれないけど、これから娘が遠く離れて暮らしても、いつも傍にいてくれるような温かいペイネの絵を眺めて暮らせるんだから、幸せだなあ・・と思っています。
ペイネの絵に出会えてよかった!

2011年11月3日木曜日

おてんば菊ちゃん、パリに生きた!

チェルビ菊枝さん、1910年3月20日生まれ。
彼女がパリに暮らして60年が過ぎた1999年に著した本が右の写真の「おてんばキクちゃん 巴里に生きる」(草思社)だ。
大好きなパリで100年の人生を思いっきり生きた日本女性のあっぱれな回想記だ。

書き出しに「幼い頃からわたしは利かん坊で、なんでも自分の思うとおりにしないと気がすまない子だった。」とあるように、また、「あなたのような正義感の強いひとはいないわね。」と言われ続けたように、本当にお転婆な正義の味方キクちゃんだったのだろう。

仏英和小学校(現在の白百合学園)の頃からフランス語が好きで、フランスに行きたくて憧れ続けて、とうとう1937年10月に神戸から1ヶ月の船旅でマルセイユ着。夜行列車で翌朝パリへ着いたのだった。当初の両親との約束は、「パリ滞在は2年間」だったそうだ。それが第二次世界大戦開戦。彼女は戦時中もパリに残った。

そして1947年3月、敗戦国・日本への定期航路もない時に、キクちゃんはマルセイユから出港。以後、サイゴン→香港→横浜と苦難を乗り越え船を乗り継ぎちょうど5ヵ月後に帰国。そして帰国を果たして1年後の翌年8月末に、空路羽田から上海、上海から香港へ。香港から船で1ヵ月半後にマルセイユ着。パリに戻っている。
戦後、フランスから単独で帰国した初めての日本人で、さらには渡仏のためにヴィザ申請に来た戦後初めての日本人だったそうだ。

娘が高校生で2000年からロータリクラブ交換留学生として北フランス Bethuneに約1年間滞在したとき、同窓の大先輩にお便りをしたことから娘とキクちゃんの交流が始まった。 
その後わたしもパリ17区クールセル通りのアパートを訪ね、キクちゃんの戦死された弟さんと同じ出身校だというご縁で息子も彼女を訪ねている。
パリの日本大使館近くのナポレオン時代のアパートの3階(?よく覚えていない)にお住まいで、古い建築物でスペースがないからエレベーターを設置できないということだったが、パリのとても良い場所にお住まいだった。

便りをするといつも10日ほどで返信があるのに、随分音信が途絶えた時があった。しばらくして菊枝さんからの手紙が届いたとき、封筒には中華民国やらどこやらの消印スタンプが何個も押されていて何ヶ月もかかってやっと東京の我が家へ配達されたことがあった。菊枝さんが「JAPON」と記入しなかったことから何カ国かの漢字の国を経由してきたのだろう。
まるで戦後、あちこちを経由して帰国し、また戻った菊枝さんと重なり、その手紙を愛おしく感じた。
その便りで、キクちゃんが夜中にトイレに立ったとき転倒して腰を骨折したことを知った。その後94歳のキクちゃんは、リハビリのために入院中も「ベッドに横たわる老人をお菓子を持って慰問しました。」としっかりした手紙が届き、遂には「こんな状態ではエレベーターのない部屋にあなたを帰すわけにはいかない、と医者は言いますがわたしは必ず自宅へ戻ります。」と、それを実現してしまった。あっぱれ!キクちゃん!

そして、「この調子だと100歳まで大丈夫ですからもう一度遊びにいらっしゃい。」という大らかな便りもいただいた。
「日本の駐在員家庭の子達がフランス語の勉強に来て、代わりにわたしの散歩におつきあいしてもらうのですよ。」とも書かれていた。娘が社会人となりパリのキクちゃんを訪ねた時、外食が大好きだというキクちゃんが「ひとりじゃ行けないからお付き合いしてね。」と言われて、近くの中華レストランに同行したそうだが、杖も使わずお元気で、さすがキクちゃんね!と話したものだった。

そして今年初夏にお会いしたパリ在住の画家、東公与さんから、菊枝さんが亡くなられたことを知った。
昨年のパリでの日本人会の新年会には元気な姿で菊枝さんが出席されていたと知人から聞いていたのに。
昨年8月から大激震のはしった我が家。そして今年3月の大震災。菊枝さんにご無沙汰していたことを悔やんだ。

「おてんばキクちゃん 巴里に生きる」は、当初、ご自身の回想記を書くことに乗り気ではなかった菊枝さんだったが、カメルーンで奉仕するパウロ会のシスターの支援金に回せたら、ということで承諾したと聞く。400枚の原稿用紙が送られてきたから400枚全部を使って書いたら、200枚分の原稿でよかったらしいのよ、と話されて笑っていたことも思い出す。

小柄なかたで、身だしなみをさっぱりと整え赤い口紅と白い刺繍のブラウスで出迎えてくださった。お若い頃のおしゃれな菊枝さんは健在だと思った。用意してくださったケーキをいただきながら静かにお話される菊枝さんのどこにこのようなバイタリティーあふれる歴史を刻まれるパワーが潜んでいたのだろう。

ご自身の思うとおりの人生を大好きなパリで全うしたキクちゃんに心からのエールをおくりたい。

2011年11月2日水曜日

アルプスへ嫁ぐ


母の寛子です。
これは、我が家にあるCD,「アルプスの少女ハイジ」、わたしの宝物。

テレビで「アルプスの少女ハイジ」を何度観たことだろう。再放映のたびに観ていた。

娘がお腹にいた頃にもまた放映されていた。


女の子が生まれたとき、この子の名前を”はいじ”にします。

「ばかも~ん!!」

家族中が叫んだ。

それで、”ゆき”になった。ハイジが可愛がっていたヤギの名前だ。


次に男の子が生まれて、この子を ”へいた” にしたいと言った。ハイジの仲良しの羊飼いがペーターだった。

やっぱり家族中で、「ばかも~ん!!」

それで普通がいいと、”こういち”になった。


ハイジのように、ペーターのように、元気に育て、といつも思っていた。

たわいのないことだけど、わたしのこのCDには、「ユキとわたし」、「ペーターとわたし」が入っていて、いつでも聴けるのがうれしい。


そんな我が家の、ゼラルダ大好き娘、ゆきがアルプスにお嫁に行った。

かれの実家がフランス、サヴォワ地方のSaint Jean de Maurienne~アルプスのふもとだということに、最近気が付いた。

ハイジのように育て~育て~、と願って育てた娘がホントにアルプスに行ってしまったのだ。


さて。
我が夢見るがんこジイが言うことには、「ヨハンナ・スピリ作”ハイジ”には続編があってね。おじいさんが亡くなった後、ハイジはクララのお医者さんの養女となり、学校の先生になってアルプスに戻ってペーターと結婚して幸せに暮らし、クララも毎夏ハイジを訪ね友情が続くんだ。ロッテンマイヤーさんはクララのお医者さんと結婚(ひえ~っ!!)して、アルプス近くで仲良く暮らしたということだ。」

・・ホントかなあ・・・わたしにウソの童謡メロディーを教えたロマンティックジイだからなあ・・。

2011年10月27日木曜日

海に沈む街を描く画家

初夏のころ、夜の深い眠りについた街を描く画家に会った。
彼女は、その街を ”海に沈む街”(実際の題名は忘れた。)として描いていた。
碧い海の底にたたずむ街には、透明な魚が静かに泳いでいて、深い深い眠りについた街、というイメージが心底湧いてくる絵だった。

昨年冬の絵本屋開店中、知人から、フランスで出版された一冊のかわいらしいイラストが描かれた詩の本をプレゼントされた。
表紙には、”Illustrations de Kimiyo Azuma”と書かれていた。
海に沈む街の画家、東公与(あずま きみよ)さんだ。


”JULIEN”





”L’HIRONDELLE”







”SUR LA LUNE”






この詩の本は、「Amon le petit crocodile」。64篇のとってもかわいらしい詩のうちの一篇を表題にしている。
辞書を引きながら読んでいって、きらきらの星の粉をふりまいたようなきれいな表現にうっとり。その詩にぴったりの絵がさらに詩をきらめくものにしていた。
タイムのハーブの枝を揺り動かして、さ~っと風に消えたかと思った妖精が、見てごらん!タイム色の雲に変えて、飽きもせず雲のなかでタイムの枝持って、けらけらと遊んでいるよ。
「真ん丸かたつむりさん、いったいあなたはどこ行くの?」翼に結んだきれいなレースをなびかせながら、つばめが訊きます。「こどもたちのために、かぼちゃに隠したボンボン(飴玉)をさがしに行くところ。」
月に二羽の小鳥がいるよ。え、小鳥?いるわけないでしょ?いるよ。いるよ。うそじゃないって。月の小鳥たちって、夢の番人なんだって。
上の3枚は、そんな詩に添えられた絵だ。

今年6月に恵比寿の日仏会館で開かれた個展で、パリ在住の画家、東公与(あずま きみよ)さんを初めて紹介された。
入り口に「海に沈む街」(という題だったか・・)の連作が掛かっていて、奥へ進むと日本の童謡や唱歌を題材にした、きれいな色彩の絵(アクリル画?)が目に飛び込んできた。
彼女はこれらのかわいらしい絵たちを絵はがきにして日本に持参し、売り上げを東日本大震災の義援金にしようと計画するも、個展会場での販売は禁止されていたのだそうだ。
そこで、夏の絵本屋で公与さんの10枚セット絵はがきを販売しましょう、と申し出たのだった。わたしの手元に残っていないのでうろ覚えだが、おひなさま、うさぎのダンス、海、お馬のおやこ、あわてんぼうのサンタクロースなどが金や銀のラインを特徴に描かれていて、37セットが完売した。
その売上金は、公与さんの厚意で日本赤十字社を通じて東日本大震災義援金として寄付された。

彼女が描く、「海に沈む街」は、「青い」と書くのか、「碧い」のほうなのか、深いブルーが印象的な絵だった。
わたしは公与さんに、「夜行便でサハラ砂漠上空を飛んだときに眼下に広がっていた光景と重なります。」と話した。
夜中のサハラ砂漠は深くきれいな青紫色の中に横たわり、まるで海の中を飛んでいるように思われた。また、月夜のサハラ砂漠に星の王子さまとテグジュペリがかわいらしい押し問答をしてるのが見えそうで、飛行機からじっと目を凝らして二人の幻影を真剣に探したりもした。
そんな、夜中のサハラ砂漠と、公与さんの「海の底に沈む街」と。
幻想的な深い青は、心が静まり、無音の世界を感じる。

寛子でした。

2011年10月25日火曜日

ゴリ子ちゃん


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夏の絵本屋で、人形作家、内田恵子さんの制作した9体のパペットを預かり、販売した。


ぬいぐるみ人形の中に組み込まれた手袋状のものの中に手を入れて動かすと本当に生き生きと愛くるしい表情をする動物たちだった。彼女は与勇輝のような作風の人形を制作し、多くの個展を開催している方で、今回、初めてパペットたちを制作したと聞く。今春の大震災で被害に遭われた方の癒しになればという思い、パペットとの交流の様子を知りたい、売上金を大震災の義援金にしたいという希望を持っていることを知り、夏の絵本屋で販売することにした。


まず、お孫さんがちょうど童謡♪かたつむり♪を覚えて一緒に遊びますという私の大学の先輩が、色使いもオシャレな「かたつむり」パペットを引き取って行かれた。

それから、夫婦で歯科医院をする友人が、前歯がチーズ好きを物語るいたずらっ子の「ねずみくん」を虫歯で来院する子どもたちの同志(!)に、と連れ帰った。

また、小学校で音楽を教える友人が、賢者の風格の「ふくろう奥さん&2匹の子どもふくろう」パペットを選ばれた。早速、授業に使い、低学年の子どもたちの目がランラン♪と輝いてかわいいのよ~と話してくれた。

そして、威風堂々としてるのになんだか笑いがこみ上げてくる「ゴリラ」パペットが娘たちの養女として引き取られていった。皮のむけるバナナとりんごとブドウのえさ付きで紫色の乳首がかわいく、絶対女の子だと言って”ゴリ子ちゃん”と名づけてかわいがっている。彼らの部屋を訪ねるたび、口にくわえる果物が違っている。

2匹のカラフルな「ヤドカリ」パペットと、さかなちゃんの頭に載せたくなるような「なまず」パペットの3体はまだ引き取り先が決まっていない。

友人が学校や教会のボランティアグループに訊いてみようと預かってくれている。

どなたか有効利用していただけるところがあったら是非教えてください。


パペットの大きさは、ゴリ子ちゃんはヨン様が持つ豪華な花束くらい・・・生後10か月くらいの人間の赤ちゃんくらいかな。

ほかのパペットたちは野球のグローブくらいか、ちょっと大きいくらいだ。

子どもたちは、ぬいぐるみが動いた瞬間にもう命あるものとして心から感動してくれて、こちらにも幸せが伝わってくる。


小さい頃、着ぐるみのファンタジックな劇団、「木馬座」の舞台を観に行ったのを思い出す。

たしか、題目は”ヘンデルとグレーテル”。お菓子の家が欲しかったけど、恐ろしい魔法使いのおばあさんのものと知った途端、不気味なお菓子に見えてきたものだ。劇が終わって舞台に上がって着ぐるみたちと握手するとき、異様なほどの顔と目の大きさに圧倒された。初めてディズニーランドでミッキーマウスに頭をなでられた時に大泣きした我が息子ほどではなかったけれど、宇宙人に出会ったときもこんなかなあ~と思うほど心はぶっ飛んでいた。


さて、パペット人形の細部にまでこだわって制作されたのを重々承知で、価格は気持ちででお願いしますという作者の言葉をそのままに三千五百円から七千円の幅で購入していただき、先日やっと日本赤十字社東日本大震災義援金として送金を済ませた。行動の遅い我が身を情けなく思う。ごめんなさい。


内田恵子さん、夢を与えてくださりありがとうございました。

パペットたちの末永い幸せな人生を心から祈ります。

母の寛子でした。

2011年10月24日月曜日

バンギのある日

母です。
夫がアフリカ出張の時に、ある方から、「中央アフリカ共和国を検索して、アフリカどまんなか→バンギのある日、と進むと奥さんの手記が読めますねえ。」と言われたそうだ。
1992年7月から1995年7月まで家族と過ごした中央アフリカ共和国、バンギでの思い出を書いてほしいと、滞在時たいへんお世話になった鹿島建設の所長さんから依頼され、帰国後2年ほど経って当時の普段の一日を思い出して書いたのが、まだ残っていたのだ。確かわたしはパソコンで送信することを知らず原稿用紙に書いて郵送したはず。
”バンギのある日”と題してパソコンに文章を入れてくれ、所長さんがホームページの載せてくれた、なつかしい手記だ。
読み返したら、あの頃のことがありありと思い出された。

4歳から7歳までを過ごした息子は、ボーイのフランソワおじさんに憧れ、一時期、パイロットになる夢を変更。
「フランスワおじさんのようなお手伝いさんになる!」と目を輝かせて言っていたっけ・・・本当に良いおじさんだったな。
帰国の時、わたしたちの持っていたキイボードを売ってくれと言ってきたおじさん。なのに、わたしは大きいほうのキイボードではなく、ちょっと小さいほうをおじさんにあげたんだ。大きいほうをあげればよかった。

帰国して何年か経ったころ、フランソワおじさんが亡くなった、と風の便りで聞いた時、家族でフランソワおじさんを偲んで悲しんだ。

いつも優しく子どもたちの送り迎えをしてくれた運転手のポールも感謝するひとりだ。よくエンコする赤いルノーで子どもたちを安全に運んでくれた。娘は、フランス大使のお嬢さんと約束してフランス大使公邸に行く時、おんぼろ車が恥ずかしいのか、こっそり父親のランドクルーザーで行っていいかお願いしていたことを思い出す。
娘はFacebookでフランス大使のお嬢さんからメイルが届き、フレンチスクールの仲間と次々に繋がったそうだ。
我らが運転手ポールは誠実な人柄から日本大使館、閉館後は石油会社の運転手として働いている、といつだったか手紙をくれた。

毎晩、蚊帳を吊ったベッドに寝た子どもたちと読み聞かせで楽しんだことも懐かしい思い出だ。
ああやって一日の出来事を鮮明を覚えていたのも、毎月発行していた通信があったからこそだろう。
わたしの通信は「バンギ便り」。
娘は「Bonjour便り」。
字を満足に書けなかった息子も、絶対書きたい!、と言って、「ライオン新聞」を書いていた。
それらの通信を日本に毎月送るのは私たちの大きな楽しみだったと、今あらためて思う。
帰国して翌年だったか、印刷会社に勤務する従兄が、思い出をまとめておくといいよ、と言って、母子3人の3年分の通信を一冊にして、「マンゴーの森」という本にしてくれた。

アフリカの生活から早16年。娘はフランスへ嫁ぎ、息子はパイロットでもお手伝いさんでもなく、今春、商船会社に入社。
もう一度アフリカへ行きたい!と思っていたら、コンゴ行きの話が転がり込み、10月4日出発だ、と思っていたら、なんとがっかり。
いまだ出発できないでいる。
寝室には準備万端整った大きなスーツケースがふたつ、並んだまま。

中央アフリカ共和国と、コンゴ民主共和国。
アフリカ大陸のど真ん中、赤道直下で上下に国境を接する国同士だ。

2011年10月20日木曜日

夕焼け空はいいなあ

母の寛子です。
東京はもう夕方5時過ぎたら暗く、冬はそこまで来ていることを実感します。
冬至の頃なんて4時半にはもう真っ暗です。
九州では夕方6時前に暗い、ということはなかったように思うのだけど。

わたしは夕焼け空が大好き。
夕焼けを美しく描く絵本といってまず思い出すのが、「赤い目のドラゴン」(岩波書店)。
かわいがっていたドラゴンが目を真っ赤にして夕焼け空を飛んで去ってゆくあのオレンジ色のページをめくる度、今でもこみ上げてくるものがあります。

いせひでこ作「絵描き」(理論社・・絶版かな)にも忘れられない夕焼けのページがあります。
絵描きが白いキャンパスに夕焼け空を描き、それを背負って「今日は夕焼け空を切り取って帰ろう・・」と、夕焼け空が四角くぽっかりと切り取られている、そんなページに小学生だった頃の自分を重ねます。

アフリカ、サバンナの大地に呑み込まれるように沈んでゆく真っ赤な夕日を描いた「だれかがほしをみていた」(アスクミュージック)。
だんだん夜の勢力が勝って、夕焼け色から紫色に変化してゆく絶妙な場面を描いた「ぼくのだいすきなケニアの村(BL出版)。
どちらもわたしたち家族にとって懐かしい胸キュンのアフリカの夕焼けの光景です。

谷川俊太郎の写真詩集「ゆう/夕」(アリス館)もいいです。
夕暮れ時に眺める町並みの光景はとてつもなく懐かしく、人間たちを愛おしく感じます。
ひとつひとつの灯りにどんな家族がどんな広がりを作っているんだろう。
悲喜こもごもの物語を感じます。

夕焼け空はいいなあ。
小さい頃の思い出が胸に広がりなんとも懐かしくなる。
でも、独りでいるのがどうにもやりきれない気持ちになるのもこの時間だ。
そんなときは何にも考えずに外にふらりと出て、散歩するのもいいかもしれない。

2011年10月18日火曜日

夏の絵本屋が遠くへ

こんにちは。あっという間に10月も半ば過ぎ。
ミラクルゴブサタしました。

夏の絵本屋を閉じた後、娘の南仏アンティーブ市役所での入籍式に合わせて10日間ほど日本を留守にしました。
入籍式の9月17日は晴天。空の青と地中海の青の中で、娘の薄桃色の着物が映えてとってもきれいでした。

娘は5歳の頃から絵本「ゼラルダと人喰い鬼」(評論社)が大のお気に入りでした。
料理が大得意の小さな女の子ゼラルダは、お父さんが丹精込めて作った農作物や酪農品をひとりで町の市場に売りに向かっていました。そこへ、お腹を減らした、人間の子どもが大好物の人喰い鬼が通りかかりました。
ゼラルダを食べるつもりがあまりの空腹に気絶し、気がついたらゼラルダに介抱され、おまけにゼラルダが作ったご馳走に完全ノックアウトされ、ゼラルダを父親と共に彼の城に住み込みで招き入れたのでした。
ゼラルダの作る料理を毎日食べるうちに、子ども喰い鬼から足を洗い、いつの間にやら柔らかい人相になり、ついには二人に愛が芽生え結婚するのでした。
そして何人もの子どもたちに恵まれ幸せに暮らしましたとさ!・・・という話。

以前にも書きましたが、「この絵本がわたしを料理好きへ導いた。」と明言する娘。
その娘が身長192センチの体の大きな、そして食べるの大好きな(特に和食とプリンとアイスクリームが大好物の)フランス青年と並んで写真に納まるのを見て、「ああ~娘はゼラルダの物語を実現したなあ~」と密かに思うのでした。

ゼラルダと夫と子どもたちの描かれる、この物語の最後のページをご覧ください。
美しい母親になったゼラルダと、にこやかな夫と、かわいらしい子どもたちに囲まれた幸せな一家に出会えますよ。
(絵本の作者トミー・ウンゲラーのブラック・ユーモアも忘れずにお楽しみください。)

2011年8月24日水曜日

チェロと詩の朗読のお知らせ

L’éléphant vert〜夏の絵本屋さんも残すところ一週間となりました。
来週水曜日、8/30までです。
どうぞお近くにお越しの際はお立ち寄りください!

チェロと詩の朗読のイベントのお知らせです。
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日時: 8/28 Sun 17:00-(18:00予定)
場所: L’éléphant vert〜夏の絵本屋さん


私のバレエの発表会でも、素敵な生演奏をしてくださった方が、絵本屋さんで演奏してくれます。
昨年も絵本屋さんでのチェロとハープの演奏会の際に、チェロと歌の素敵な時間をくださいました。
詩は、英語の翻訳家さんが朗読してくださいます。
お二方とも、私が大好きな、こんな女性になれたらって思う方々です。
いつも、教えられることがたくさんです!ありがとうございます。
お二方のチェロと詩の朗読のハーモニーが楽しみです!

2011年8月13日土曜日

絵本屋さんの雑貨さん達~アーティストの方々の作品

今日は(日本時間ではもう”昨日”ですね)、絵本屋さんでのトークイベントの日でした。
私も上山美保子さんのフィンランドのあれこれ話しを聞きたかったぁ。

さてさて、絵本屋さんの雑貨さん達をご紹介させていただきます!
アーティストの方々の作品はどれも絵本にちなんでの作品です。
どれもこれもかわいい!


小さくて見えづらいですが・・ごめんなさい・・・写真内の奥に立てかけてあるのが、ガラス作家さんの廣田理子さんの作品です。いつも素敵なアクセサリーを作ってくださいます。
『雨、あめ』の水滴のネックレスや、『ももいろのきりん』のネックレスは私も愛用しています!
今年はどんなアクセサリーがあるのでしょうか。
帰国後お店に行くのが楽しみです!



フェルト作家さんの柳楽晃太郎さん!
私と同い年だけど、落ち着いていて優しいお兄さんです。
染色家でありながら、絵本屋さんでは毎回とてもかわいいフェルトの作品を作ってくださいます。

『もりのこびとたち』や『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』のベレー帽。



ベレー帽の下にあるのは『つきのぼうや』のかばんです!
かわいい!


ベレー帽は私も持ってます!
かわいいでしょ!



毎週火曜日にお人形作りのワークショップもしてくださっているNANCY SCARLETさんは今年もたくさんのかわいい作品をつくってくださいました。
写真は、忍者と応援団(ちなみに弟が元応援部主将でした。まさにこの人形そっくり!?)。
アフロのお人形もなんとも言えずかわいい!



昨年は、みどりのゾウをプレゼントしてくださいました。
かわいすぎます!


NANCY SCARLETさんと同じくお人形作家さんでいらっしゃる大場陽子さん。


ピンクのぬいぐるみも大場陽子さんの作品。
私はまだ実物とご対面できていないのですが。



私も帰国後にちゃっかり絵本にちなんだアクセサリーを絵本屋さんに置かせてもらう予定です。
南フランスの海辺で、時間をみつけてはせこせこアクセサリー作りをしています。
素材は、木やカラーレザーやプラスティック。
大好きな『ゼラルダと人喰い鬼』をイメージしながら!


他にも絵本屋さんには、スウェーデン王室ご用達のオーガニックコットンのユニークな柄のタオル(エーケルンド)やアフリカの布(大好きです!!!)の作品やポストカードなどの商品を置いています。またブログ内でご紹介させていただきますね!

2011年8月11日木曜日

L’éléphant vert~夏の絵本屋~のようす



8/1と8/2は店内の準備の日でした。
8/2の夜から私(娘)はフランスに向けて出発。
帰国後8/21から店頭にいる予定です!




慌しい準備を終えて、8/3~お店はOpenしています。



100種類以上の絵本が並ぶ店内。
店内にはびっしり、母の思い入れのあるさまざまな絵本が詰まっています。
そして、アーティストの方々の、絵本から飛び出してきたかのような雑貨さん達も、店内にならんでいます!


私はワインのコルクとマスキングテープを使って内装しました。楽しい時間でした。
日本の母からの報告ですと、暑さでマスキングテープがはげて大変だとか・・・。
帰国まで持ちこたえてくださいなぁ!!!



今年もお店でたくさんの出会いがあることを楽しみにしています!

トークイベントのお知らせ~フィンランドのあれやこれや


3回目となる夏の絵本屋さんもOPENして10日が経ちました。

今週の土曜日、8月13日にフィンランドにまつわるあれやこれやのトークイベントを開催します。
お話いただくのは、マリメッコのワンピースがとてもお似合いの上山美保子さんです。
映画のかもめ食堂の雰囲気にぴったりの方だぁ~って、初めてお会いした時に感じました。
とてもお話し易く、初めてお会いしたのに、たくさんの質問をしてしまいました。

上山美保子さんはフィンランド在住の経験があり、フィンランド語の翻訳をされたり、フィンランドに日ごろから関わっていらっしゃる方です。
上山美保子さんご本人のブログ内でも、絵本屋さんでのトークイベントについて紹介していただいています。

上山美保子さんブログ
↓↓↓

上山美保子さんのブログ内に登場してくる、ラヤトンの曲はメロディーも歌詞のとても素敵です。
ラヤトンは、フィンランドのアカペラ歌手グループです。
CDジャケットが絵本になっていて、歌詞の翻訳を上山美保子さんが手がけられています。
絵も幻想的で素敵です!

っと、ここであれやこれや書いてしまっていますが・・・
是非、絵本屋さんで、直接上山美保子さんからお話をうかがってみてください!

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トークイベントのお知らせ
 ~フィンランドのあれやこれや~
日時:8/13 Sat 14:00~
場所:L’éléphant vert
お楽しみに!

2011年8月2日火曜日

ワークショップのお知らせ〜ぬいぐるみ作り

夏の絵本屋さんでぬいぐるみ作りのワークショップを開催します!
先生は、今年の夏の絵本屋さんのハガキを作成してくださったNancyScarletさん!
いつも楽しくおしゃべりができるNancyScarletさん。
明るい優しいお姉さんです!
今年もたくさんのかわいいぬいぐるみのキーホルダーやブローチを作ってくれました!

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ワークショップのお知らせ
開催日:8/9,16,23 Tue
時間:14:00〜16:00頃
場所:L’éléphant vert 夏の絵本屋さん
定員:小さなお店なので予約制で、定員5名です。(ごめんなさい!)

ナンシーさんのブログにも記載くださっています!

予約はメールをいただくか、絵本屋さんまでお問い合わせをお願い致します。
お待ちしています!

2011年7月30日土曜日

L’éléphant vert~夏の絵本屋~場所変更のお知らせ

絵本屋さんの開店を来週に控えた今日この頃ですが・・・
急遽、お店の場所が変更になりました。
当初予定していた場所と同じく赤羽での開催です!


多くの方々にご迷惑をおかけしております・・・
本当に申し訳ありません。
そして何よりもお手伝いくださっている方々に・・・
感謝の気持ちでいっぱいです。

みなさまにお会いできることを心より楽しみにしています。
今後も、詳しいイベント情報などをこのブログを通じてお伝えできればと思っています。

2011年7月19日火曜日

童謡の思い出

わたしが小さい頃、父がよく童謡の本を買ってきてくれました。
今でも、挿絵とともにいろんな歌がよみがえってきます。

わたしが小さい頃特に好きだったのは、「かえるの笛」(?)と「木の葉のお舟」。
挿絵の初山滋さんとか駒宮録郎さんとか好きだったなあ。
そんな童謡を歌ってくれたのが音痴の父だったものですから、とんでもないメロディーで覚えていたのもありましたが。
そんな父の編曲も情緒があって今となっては懐かしいです。
(あ。我が頑固じいは、元気に北九州の八幡で独り暮らし。この9月に傘寿を迎えます!)

我が家には今でも古い童謡の絵本が数冊ありますが、どれもわたしの宝物です。

ところで、童謡は、歌詞の2番、3番こそが感動の詩だ、ということをご存知でしょうか。
例えば、私の好きな”ゆりかごのうた”

   ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

   ゆりかごのうえに びわの実がゆれるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

   ゆりかごのつなを 木ねずみがゆするよ
   ねんねんこ ねんねこ ねんねこよ

   ゆりかごのゆめに 黄色い月がかかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

もうひとつ、”とんぼのめがね”

   とんぼのめがねは みずいろめがね 
青いお空をとんだから
 
   とんぼのめがねは ぴかぴかめがね 
おてんと様を見てたから

   とんぼのめがねは あかいろめがね 
夕焼け雲をとんだから

なかなかでしょ。
ぜひ歌詞の2番目以降をチェックしてみてください。
”あめふり”とか、”青い目の人形”とかかわいいですよ。


”青い目の人形”は、我が娘の小さい頃の愛唱歌で、
わたしは娘が歌うときのリアクションを毎回楽しみました。
「♪・・日本の港に着いたとき言葉がわからず何としょう・・」の後で、
必ず悲しそうな顔をして、”えーん、えーん”と泣くのです。
それから間をおいて、めちゃくちゃ明るい声で、
「♪♪かわいい日本の嬢ちゃんよ 仲良く遊んでやっとくれ」
と、高らかに歌い上げるのでした。

そんなわけで、3代続けて音痴なのですけど。

今夏の絵本屋では、童謡の本ではありませんが、詩の本を数点選んでみました。
自身を応援する詩、和みの詩を持っていて、折に触れ音読することは心癒され、
心がすっきりします。

2011年7月17日日曜日

L’éléphant vert~夏の絵本屋~

こんにちは!娘のYukiです。

母とブログを始め、早くも1ヶ月以上が経ってしまいました。
これからはもうちょっと頻繁に更新していきたいな。
母にも積極的にパソコン作業を学んでもらわないと。(ボケ防止にもなるし、きっと)

前回のブログに登場した鍋帽子&鍋座布団ですが、母の様子をみていると大活躍中のようです。
今朝はお豆さんを火にかけたまま放置・・・あやうく火事になるところでした。
(やっぱりボケ防止、何か必要・・・かと)


今年もL’éléphant vert~夏の絵本屋~を開催します!

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2011.08.03 wed~08.30 tue (11:00~18:00)
お休み:08.08 mon/08.15 mon/08.22 mon
場所:ギャラリー遊
東京都北区赤羽西1-35-8Red Wing BLDG 1F
JR赤羽駅西口より徒歩2分


今年の案内ハガキはぬいぐるみ作家のNANCY SCARLETさんが作成してくださいました!
ハガキに登場しているかわいいぬいぐるみは勿論NANCYさん作成です。

夏の絵本屋さんに遊びにいらしてください!

2011年6月8日水曜日

はじめまして

初めてのブログ作成の挑戦で、ちょっと緊張。

さて。
今日わたしは、知人の指導の下、「鍋帽子+鍋座布団」を作りましたよ。
ティーコゼーの鍋版、と言えば理解してもらえるかな。
もっと綿がたっぷり入って、もこもこしてるけど。
煮込み料理とか豆料理の時に、ある程度火を通したら、コンロから鍋を下ろして、
鍋座布団の上に置いて鍋帽子をかぶせていたら、中身が蒸されてやわらかく煮える、
という生活の知恵です。
炊き上がったご飯を鍋ごと、鍋帽子に入れておくと、温かいご飯のまま保温でき、
今どきの電力事情にもぴったり、とも。

小さい時から「ゼラルダと人喰い鬼」(評論社)と「リーヌスくんのお料理教室」(文化出版局・絶版)
が愛読書で、この本たちのお蔭で料理好きになった!と、母の面目丸つぶれのようなことを言う娘
からは、ちょーだーい!!と横取りされそうだけど、あげません。

明日は、これで煮豆を作ろうかな。

ちょっと、それで思い出したけど。
ままごとの両手鍋に、ごろごろ~っと何が入ってたと思う?
LEGOブロックの人形の「顔」だけを外して鍋に入れて、豆に見立てて遊んでいたどこぞの息子が
むかーし、いたなあ・・・。