2013年5月22日水曜日

いせひでこ  絵描き




いせひでこ 作  絵描き


先日参加したキンシャサ・オープンゴルフで、8番ホールのプレイを終えて小高い丘に立ったとき、西の空に真っ赤な夕陽が大きく沈もうとしているところに出くわした。

はーっ!!!

思わず息をのむ美しさだった。
なんと大きく、真っ赤で半透明に見える、厳かな夕陽だったろう。


キンシャサは今ちょうど、雨季と乾季の”端境期”だ。

雨季のときは、空に厚く厚くグレーの雲がこれでもかー!というくらい垂れ込めた、と思ったとたんに大粒の雨が降り、すっかり雲を落としてしまうと天空には真っ青な空が広がる。

乾季のときには、雨を一粒たりとも落とさないように、うまく、実に絶妙にバランスをとりながら空をグレーの雲で埋め尽くし、いつも太陽を隠している。

その気候は、キンシャサを流れる大河,コンゴ河に由来していると思われる。
(だから、ここの乾季は、乾季といえども乾燥はせず、朝晩の露で緑は保たれ、気温は上がらず、まるで夏の高原のような気候なのだ。)

この雨季と乾季のほんの数日の間にだけ現れる”いわし雲”。
まるで日本の秋の空のようだ。
そのほんのわずかの間だけ、この厳かな真ん丸で真っ赤な夕陽がキンシャサで拝めるように思われる。

大抵の季節、西の地平線に沈もうとする夕陽はコンゴ河上空の分厚い見えない層になっている水蒸気で隠されて、地平線よりはるか上空で真っ赤な夕陽はかまぼこ型になって消え入ってしまうのだ。
キンシャサの西側にはコンゴ河が流れているのだから、しかたない。
   


さて。
ゴルフコースの丘から見た真ん丸い真っ赤な夕陽を見ながら思い出したのが、この「絵描き」という絵本だ。
いせひでこさんの作品。

彼女は東京芸大の出身で、パリにも滞在して絵を描き続けた経験を持つと聞く。
パリの製本職人le relieurと女の子の交流を描いた「ルリユールおじさん」、雲の多彩な表情を描いた「雲のてんらん会」、ゴッホと弟のことを描いた「にいさん」などがある。

デッサン力は本物で(という言い方は横柄に聞こえるけれど)、さらに心で感じて描く、”絵描き”(le peintre)だと思う。



絵本「絵描き」の主人公は絵を描くことを大切に真摯に生きる青年だ。
自然の中に身を置いて、心のままに風景を切り取ってスケッチ紙に写し取っていく姿に感動する。

今日は夕日を切り取って帰った、というくだりをこの絵本の中で見つけたとき、この絵本はわたしにとって宝物となった。
そしてまた、いせひでこさんという人は、まさにこの主人公のように生きているのだろうと胸に迫るものを感じる。



「世田谷文学館でいせひでこさんの個展をやっていて、今日までなんだって。」

わたしがいせひでこさんのファンだということを知っている友人からの電話で、ふたりで彼女の個展会場に駆けつけたことがあった。
原画の大きな油絵に圧倒され、魅了され、ふらふらと会場内のカフェに入ると、いせさんご自身がいらした。
「絵描き」の絵本にサインしていただいたときに、
「この絵本,大好きです。今日は夕日を切り取って帰った、というこのページが特に。」
と伝えると、
(そうよ、この絵本を絶版にしてはいけない。)
いせさんは自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。

当時、絵本「絵描き」は、理論社から出版されていた。
理論社が民事再生法を出し、「絵描き」の版権が宙ぶらりんになっていた時期だったように思う。

今回、このブログを書くに当たり調べてみると、平凡社から復刊されていることがわかり、ほっとした気分になった。

(そうよ、この絵本を絶版にしてはいけない。)
いせひでこさんのつぶやきが今も耳に残っているようだ。


2013年5月2日木曜日

ロバのシルベスターとまほうの小石

ZONGOのコンゴ河で採った石ころたち

この写真の石ころたちは、今年の正月に訪れたZONGOのコンゴ河で採ってきたものだ。
近くに滝があって、うっそうとした茂みが続く河岸だったから、水晶が見つかるのではと期待して探したが、徒労に終わった。

思い起こせば、わたしは小さい頃から、きれいな石ころを集めるのが好きだった。
どこに行っても、きれいな石ころを見つけては家に持って帰って、母から迷惑がられた。


そんなことを思い出しながら、一冊の絵本が浮かんできた。




絵本 ”ロバのシルベスターとまほうの小石” の表紙


「ロバのシルベスターとまほうの小石」(評論社)という絵本だ。


ロバの子、シルべスターは、変わった形や色の石を集めて楽しんでいた。
ある日、シルベスターはきれいな赤い小石を見つける。
それは、願い事が叶う魔法の小石だった。

その時、シルベスターの眼前に突然ライオンが現れ、とっさに小石を持ったまま、「岩になりたい!」と思ってしまい、本当に岩になってしまったのだった。岩のそばには、赤い小石が残されたまま・・・。

ああ、岩になってしまったシルベスター自身の驚きようと嘆きを想像するだけで、読んでいる側も胸が張り裂けそうになってくる。

そして、そんなこととはつゆほども知らないシルベスターの両親、ダンカンさん夫妻の嘆きも察して余りある!
行方不明になった息子を探し回るダンカンさん夫妻の表情!


さあ、果たして誰かが魔法の赤い小石を拾い上げて、シルベスターが元の姿に戻ることを願ってくれるのだろうか!!



奇想天外な筋書きで、親が子を想う深い愛情を表現してる、というところにこの物語の魅力があるのかもしれない。
我が家でも、子どもたちが小さいころ、身を寄せ合いながら(共に間近にいる安心感をもって?)何度この絵本をいっしょに読んだことだろう。


ウイリアム・スタイグ作で、アメリカでの初版は1969年だそうだ。
そして翌年に、コルデコット賞を受賞している。

日本では瀬田貞二の訳で1975年に評論社から出版されている。
(・・ということは、この絵本もわたしの幼い頃には存在せず、母親にならないと出会えなかった絵本だったのかもしれない。)


娘は、この絵本を読みながら(読んでもらいながら)、岩になった自分を想像して、声も出せない、手も足も出せず身動きひとつできない状況を「怖いと思った」と言っている。


ああ、わたしが拾った小石たちが魔法の小石ではなくてよかった!

そして、子どもたちが魔法の小石を見つけなくてよかった!

2013年4月27日土曜日

一枚のぞうさんの絵はがきから



ぞうさん絵はがき、見つけた!


今回、娘のところに滞在したときのこと。
散歩の途中で入ったアンティーブの街の本屋で、こんなぞうさんの絵はがきを見つけた。


 "UN GROS BISOU"


直訳するとフランス語で ”大きなキスを!” という意味だ。
手紙の最後などに、愛情こめて、といった感じで書き添えられたりする。

大きなキスマークからぞうさんをイメージするなんて。
さすが、愛の国、フランスだ~、なんて思ってしまう。


わたしは、ぞうの絵はがきを見つけると、反射的に買ってしまう。


子どもたちが小さいときは、娘はクラシックバレエとピアノを、そして息子はバイオリンを習っていたことから、ダンスと楽器の絵はがきを収集していた。
どこに行っても絵はがきが売られていると飛んでいって探した。
それがまた楽しかった。

無印良品のシンプルな絵はがきファイルに綴じて眺める。
それもまた楽しかった。

そんなふうにしてずいぶんと集めた。


そして、みどりのぞうの絵本屋を始めたときから、ぞうの絵はがきの収集も加わった。


絵本屋のロゴマークのぞうさんは、娘が落書きのように、また自身のシンボルマークのように描いていたものだった。
絵本屋を開店するとき、娘が描いてきたぞうさんのイラストを使おう、と直感で思った。
そして、森の中のようなイメージで、みどり色のぞうさんにしよう。
即決だった。



第1回目の夏の絵本屋開店のお知らせはがき



夏の絵本屋の開店準備は5月の連休前、ちょうど今頃から始まっていた。
もう遠い昔のことのような気もする。
懐かしい、楽しい思い出ばかりがよみがえってくる。


今度、みどりのぞうの絵本屋を開店するときは、店じゅうに、ぞうさんの絵はがきを貼りたいな。
想いは膨らんでくる。


でも。
今は、キンシャサ。
キンシャサでしっかり足を地に着けて、いろんな人たちと出会い、いろんなものたちを見つめ、感じることを楽しんでいこう。


2013年4月17日水曜日

パリのおばあさんの物語

 これから先のわたしの人生の中で、手に携えてともに生きてゆきたい、と思う絵本がある。


 「パリのおばあさんの物語」(千倉書房)だ。


あかね色の帯が付いた表紙

あかね色の帯を外すと、パリの、上品で沈んだ色合いの、ぼーっと霞んだ町並みが一面に描かれている。

パリのアパルトマンが描かれた表紙

このグレイのアパルトマンの表紙の絵、原書では裏表紙に使われている。
原書の表紙には明るいグレイ一色に、上写真のあかね色の帯に見えるおばあさんの絵が描かれている。そしてA4サイズだっただろうか、一般的な絵本のサイズだ。

日本版では、原書の裏表紙を表紙に持ってきて、サイズを小さくして製本されている。
新書版よりちょっと大きめ、だろうか。
なんと素敵な絵本に仕上がっていることだろう。
日本版のほうが断然、雰囲気が良い!!

岸恵子の訳も良い!
(それから、岸恵子の”あとがき”も良い!)
絵本の帯をあかね色にしたのは、人生のたそがれを意味するのか。
わたしは、岸恵子のエッセイ、「パリの空はあかね色」と重ねてみたりもする。


この物語は題名でもわかるように、パリで独り暮らしをする、前向きに生きるおばあさんが主人公だ。
おばあさんにもこれまでに生きてきた長い道のりがあった。
このおばあさん、ユダヤ人で、第二次大戦中は過酷な人生を歩いてきている。
原書では、”ユダヤ人”という言葉がどこにも出てこない、と聞いた。
描かれるおばあさんの鼻で、自ずとああ彼女はユダヤ人だな、と欧米の人なら暗黙の了解があるのだそうだ。


パリのアパルトマンはどこも古い。
古いから、階段のところにスペースがなければ、エレベーターを後付けできず、階段のみの上り下りだ。長い年月で階段一段一段にくぼみができている。
また、玄関扉も古くて重い木のドアだ。
ドアや窓の建て付けも悪くなっているかもしれない。
そんなパリのアパルトマンに独りで暮らすおばあさん。
時々、息子から電話がかかってくる。
独り暮らしで不自由もあるけれど、しっかり前を向いて歩くおばあさんの姿が清々しい。



先月末、久しぶりでパリの街に出た。
パリのシャルル・ド・ゴール空港からバスでオペラ座界隈に向かう途中、シックなパリの町並みを年配のマダムが通る光景を見ながら、わたしはこの「パリのおばあさんの物語」を思い出していた。


わたしにもそこまで来ている老後の生活。
これから先、今まで生きてきたよりさらに多くの永遠の別れを経験するだろう。
不自由になってゆく我が身を辛く寂しく思うこともあるだろう。
家族で賑わっていたときの超多忙な日々もはるか遠くの思い出だ。


美空ひばりの歌う「川の流れのように」とも重なってくる。

知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば はるか遠く
ふるさとが見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように
ゆるやかに いくつも時代は過ぎて
ああ 川の流れのように
とめどなく 空がたそがれに染まるだけ



表紙のアパルトマンの中に、ひとつの部屋だけ明かりが灯っているのが見える。
このおばあさんが住んでいる部屋なのかなと思えてくる。

スージー・モルゲンステルヌ作、セルジュ・ブロック絵、岸恵子訳のこの薄手のコンパクトな絵本は、わたしのこれからの人生のエール本だ。

2013年3月10日日曜日

ラン パン パン

絵本”ラン パン パン”の表紙

先日、我が家のヨウム(コンゴのオウム)、”ぽん”が逃避行を果たした。
我が家に来た時にはすでに羽の一部を切られて飛べなくなったと聞いていたのに、三階の我が家のベランダの鳥かごから逃げ出し、庭へ飛行滑降したのだ。
門番の通報(!)で、残念ながらほどなく元の棲家に戻されたのだが、かれ(多分、オス?)の何か主張するような瞳を見ていたら、いじらしさ、みたいなものを感じる。


そして、我が”ぽん”と重なって思い出すのがこの絵本、「ラン パン パン」に登場するクロドリだ。


この物語「ラン パン パン」はインド民話の再話で、1989年に評論社から出版されている。。
ホセ・アルエゴ、アリアンス・ドウィのちょっととぼけた溶けるような線描きの絵に、マギー・ダフによる再話、そして山口文生の訳だ。
(お三人とも、どんな方たちなのかなあと想像してみたり・・・。)


物語は、愛しい女房を王様にさらわれ、怒り狂うクロドリが女房奪還を決意して一人雄雄しく立ち上がり、王宮へ向かい戦いに挑む、という展開だ。

その武装姿が、哀れなくらい!まことに失敬な話だが、笑ってしまう。
小さいクロドリが、刀、盾、かぶとに太鼓まで持って、完全武装でひとり決起する姿!
かれの”武者震い”が見えるよう。
まことにあっぱれなクロドリの覚悟だった。


クルミの半分でかぶとを作り、残り半分に皮を張って戦いの太鼓を作り、雄雄しく胸を張り、野を越え,谷を越え、♪ ラン パン パン ・ ラン パン パン ♪ と太鼓たたいて王宮目指し行進してゆくのだ。


♪ ラン パン パン ・ ラン パン パン ♪

♪ ラン パン パン ・ ラン パン パン ♪


小気味よい太鼓の音が勇ましくも滑稽で、これまた失敬なことだが、笑えてしまうのだ。
でも、太鼓、って士気を高める小道具なのだろうか。


こんな本を日経新聞コラムで見つけた。


書籍紹介文の中に、こんな箇所があった。

「西洋の軍楽には、軍隊の行進をたばねる力がある。隊列のうごきをととのえる効果が期待できる。幕末の諸藩がこれを取り入れようとしたのも、そのためである。」

やっぱり。
太鼓には、士気を鼓舞する効果があるのだ。
この前観たNHK大河ドラマ”龍馬伝”に、江戸の千葉道場で大太鼓をドーン、ドーンとリズミカルに鳴らして剣道の素振りの稽古をする場面が出てきた。
実際の話は分からないが、あの場面で子どもたちは更に勇ましく竹刀を振って練習していたもの。

(この本は残念ながら未読だが、もうじきやってくる日本からの友人に持ってきてもらうことになっている。)


話を「ラン パン パン」に戻すと・・。

主人公のクロドリが太鼓たたいて勇ましく行進する途中で、猫、蟻、木の枝、川に出会い、かれらをクロドリの耳の中に入れて味方につける。
(小さなクロドリの耳とかれらの大きさを問うようなやぼな疑問は持たないように。)
のちのち、戦いのときにかれらは大活躍してくれる。
なんとなく、日本の昔話の桃太郎の鬼征伐を彷彿とさせる場面だ。

物語はこれまた桃太郎と同じようにハッピーエンドでめでたし、めでたし。


♪ ラン パン パン ・ ラン パン パン ♪

♪ ラン パン パン ・ ラン パン パン ♪

本当に雄雄しく勇ましい軍楽隊の擬音語だ。

わたしも、我が”ぽん”にクルミで小さな太鼓を作って持たせてあげたい。

2013年1月29日火曜日

みどりのゆび

岩波少年文庫 みどりのゆび



”みどりのゆび”は、フランスの物語だ。
モーリス・ドリュオンがきれいな言葉で文章を紡ぎ、画家のジャクリーヌ・デュエームがまた美しい挿絵を添える。


少年文庫版に加えて、美しい言葉と美しいカラーの挿絵を堪能できる、”愛蔵版・みどりのゆび”も岩波書店で出版されている。
緑色の箱カバーに入った緑の布地の表装の愛蔵版を手に取ると、岩波書店のひとたちも愛する物語なのだということが伝わってくる。一枚一枚淡い緑色のページをめくると表れるカラーの挿絵たちは、わたしたちをこの物語の世界にいざなってくれる。


上の岩波少年文庫の表紙の中の、立派な鼻ひげのおじさんに隠れるように立っている小さな少年が、この美しい物語の主人公、チトだ。

チトは、”みどりのゆび”という不思議な力を持つ親指を持っていた。
チトがイメージして親指を土に差し込むと瞬く間に緑や花が芽をふくのだ。
その彼の能力を見出し、導く師匠格の庭師が、この表紙に描かれる立派なムスターシュ(口ひげ)を持つおじさんだ。


チトは、人の生きる場として過酷な場所=いちばん潤いの空間を必要とする場所・・・刑務所、貧民街、病室そして戦場に、かれの”みどりのゆび”を使って花を咲かせ、緑の芽を吹かせ、人々の心を蘇らせる。

そこの部分はフランス文学らしく、社会的断面を鋭くえぐってみせる。

そんな社会の矛盾にも素直に疑問を投げかけて真摯に生きるチトの姿に、わたしは同じフランスの物語の”星の王子さま”を重ねてしまうのだ。




この物語を読みながら思い出していたのは、わたしが小学生の時に住んでいた鉄筋アパートが建ち並ぶ社宅の敷地内にひとりで作った”花壇”のことだった。
高度成長期の、当時としてはモダンな北九州の製鉄所の社宅でのことだ。

種から植えて同じ花がまとまってきれいに咲く花壇ではなかった。
わたしが遊んでいるときやピアノレッスンの帰り道の道端や空き地に種が飛んで一輪だけ咲く花を見つけては根っこから引っこ抜いて、わたしだけの花壇に植えなおす、という一輪だけの寄せ集めの、おそらく貧相な花壇だったはずだ。
社宅の、シロツメクサで覆われた敷地内に畳三帖分くらいのスペースをスコップで掘り起こし、周囲を大き目の石ころで囲んだだけのわたしだけの花壇。
4階建ての鉄筋アパートの社宅が建ち並んでいるから、日も当たらない場所だったように思う。
それでも、わたしにはかけがえのない花壇だった。


わたしは飽きもせず、道端や空き地で見つけた一輪だけ頼りなげに、それでもきれいに咲く花をせっせとわたしの花壇に集めて植えなおした。
そしてどの花も水をあげると翌日にはしっかり根を張って元気に花を開いてわたしを楽しませてくれた。

肥料なんてことも思いつかない。母からお米のとぎ汁をもらって水撒きをしていた。
すみれ、パンジー、マーガレット、おしろいばな、ひまわり、ひなげし,コスモス。
名前も知らない花もあった。雑草といわれる花もあった。
一年中,何かの花が咲いていた。
花がしぼんだ後には種ができて、それがまたわたしの宝物だった。




チト少年には愛馬がいた。
物語の最後に、チト少年は地面に親指を突っ込んで間隔を置いて2本の(多分)天まで届く木を生えさせる。
そしてその2本の背の高い木の間に蔓性の植物を絡ませて梯子を作った。

チト少年は愛馬にさよならを告げて梯子を登っていくのだった。
愛馬がブルーの涙を流してチト少年を引き留めるのに、チト少年はどんどん登って行った。


チトのみどりの梯子


美しくも悲しい場面だった。


先週、キンシャサで一人の赤ちゃんがたった7ヶ月の生涯を閉じた。
生きて、生きて、という両親の声も届かず、その子は逝ってしまった。


運命に逆らえない、何か大きな「力」が存在するのだな。

そんな思いに駆られながら、わたしは”みどりのゆび”の最後のシーンを思い出していた。


2013年1月3日木曜日

へびのクリクター


絵本 へびのクリクター


キンシャサから、新年おめでとうございます。

2013年はへび年。
へびが登場する絵本、といったら何と言ってもこの絵本、”へびのクリクター”だ。

作者は、以前このブログでも紹介した絵本、”ゼラルダと人喰い鬼”も著したトミー・ウンゲラーさん。
この作品は細い線で描かれていて、フランスのおしゃれ感漂うイラストだ。
ゼラルダや三人組とはまた違った画風で、自由自在に筆を操りわたしたちを楽しませてくれるウンゲラーさんだ。
彼のウイットに富んだいたずら精神もまたこの物語のあちこちに散りばめられていて、わたしたちの心をホコホコっと遊ばせてくれる。

フランスのエスプリを感じさせる絵と”へび”がマッチングするとこんな風になるんだなあ、というウンゲラーさんの奇想天外さ、っていいなあ~。



この物語の表紙の夫人こそ、この物語の主人公クリクターの飼い主であり、準主人公である、ボドさん。
一見、アニメ”アルプスの少女ハイジ”のロッテンマイヤーさんを彷彿とさせる外見だが、救われることにボドさんは、ブラジルで爬虫類の研究をする息子さんからの誕生日プレゼントとして贈られた大蛇をすんなり受け入れるくらいの度量の広い女性なのだった!

クリクターと名づけられた大蛇は、ブラジルからドーナッツ型の箱に入れられて、つまり大蛇を丸めた形の箱でボドさんのお宅に届く。
一応、ボドさんは届いた蛇が毒蛇ではないことを関係機関に問い合わせてから飼育を始めるくだりが、ボドさんの職業、教師に由来していそうなところもまた愉快だ。

ボドさんがクリクターを手塩にかけて育てる場面を、ウンゲラーさん独特のとぼけたセンスで描いていてページを開くたびに楽しめる。


ボドさんに抱かれてミルクを飲むクリクター


クリクターの故郷に似せて作った観葉植物だらけの寝室に、クリクター用の長ーい長いベッド。
クリクターの長い体に合わせてセーターを編むボドさんの編み目製図を載せる台になるクリクター。
出来上がったセーターにも笑ってしまう。

物語の中身は、ウンゲラーさんのセンスで描く楽しくユーモアたっぷりのクリクターとボドさんの生活ぶりだ。

トミー・ウンゲラーさんは、ストラスブルク生まれのフランス人で、のちにアメリカに移住している。

この物語の最後に登場するクリクター公園、ってホントにフランスのどこかの町に実在するように思える。


さて、昨秋、日本に帰ったときに、わたしの大好きな目白の古絵本屋、”貝の小鳥”で太めのリリアン編みの道具を見つけて買ってきた。
これくらい太かったらわたしの大切な楽器、リコーダーのセーター(カバー)を毛糸で編めるかな、と思って。太い金具が8本も付いているのだから。そして、ちょっとボドさんのクリクター用セーターを思い浮かべて。


8本爪のリリアン編み機で編んでみたけど・・・

でも、思った以上に細い筒状のものしかできない。
アルトリコーダーはもちろん、ソプラニーノにも細すぎた。
あーあ、クリクターの赤ちゃんでもいたらな。

ほら!
こんなボドさんとクリクター人形を制作するかたを発見した!



皆さんにとって、平和で愉しいへび年の2013年となりますように!

2012年12月22日土曜日

3人のちいさな人魚

3週間ほど前だったろうか、我が家で数人が集まってわいわいと夕食をとっていたときに、コンゴ河で捕獲された人面魚をYoutube上で見た、ということが話題に上った。

不気味な姿で本当に人魚のようだったとか何だとか、話に尾ひれが付いて本当のところはわからないが、”人面魚”というとやっぱりちょっと見たくない感じがする。
ワニやら巨大なまずが棲息するアフリカのジャングルを蛇行しながら流れるコンゴ河に住む人魚には、申し訳ないが悲恋の主人公も似合わなければ、可愛いアニメにも不向きだと思ってしまう。
”人魚”はあくまでもきれいな光に満ちた海に住んでいなくっちゃ。

さて、人魚、といって思い浮かぶのは、アンデルセン作、「人魚姫」ではないだろうか。
あの話は最後の最後まで悲恋の物語だった。
失恋ばかりで生涯を独身で過ごしたアンデルセンおじさんの心境が映し出された物語だったのかもしれない。

この「人魚姫」にヒントを得て出来上がったのが、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」だと聞いたことがある。
わたしはこの映画を観ていないが、決して悲恋物語ではないようだ。


我が家の食卓でコンゴ河の人面魚の話題で盛り上がっているとき、わたしがひとり密かに思い出していた物語が、「3人のちいさな人魚」(評論社)だった。

コーラに、フローラに、ベラ。
南国の透き通った美しい海に住む、歌のとっても下手~な3人の人魚たちのかわいくも愉快な物語だ。






ティファニーカラーのブルーの表紙からして、お洒落でしょう。
上品でおしゃれなかわいらしさのあるイラストで、悲恋の”ヒ”もないどこまでも健康的(!)な物語だ。

作者は、ふたりのトレさん・・・・Denise Trez さんと、 Alain Trez さん。
勝手に、おしゃれなフランス人のカップルかな、と想像している。

物語は、3人の人魚たちが歌うあまりにひどい歌声のせいで沈没した客船に乗っていた可愛い女の子を救出したことから始まる。
沈没と言ったって、悲壮感のかけらもない。

人魚たちによって救出された女の子はしばらくかのじょたちと南国の島で暮らすことになる。
人魚たちの暮らしぶりはお洒落で清潔で明るく、海も島もいたってシンプルに描かれる。

人魚たちの日々の生活ぶりがまた愉快だ。
水の入った人魚たち用ベッドと、女の子のためのベッドが並ぶ場面にもうなずいてしまう。
海の底のあこや貝の中から、真珠の粒を集めて、女のこのためにネックレスを作ってあげる場面なんて、大人でさえもうっとりしてしまう。

すっかり人魚たちの生活になじんだ女の子だったが、魚たちに頼んで女の子を人間の住む陸地まで送り届けることになった。
最後に、女の子を送る歌を性懲りもなく人魚たちが歌うのだが、”忘れまじ~”という古典曲のような題名の歌だ、というのがまた笑える。

色味を抑えたページに明るいブルーが入り、人魚たちの住む透き通った光の世界をイメージできる。

1979年発行の絵本は、わたしと娘の大のお気に入りの一冊だ。
寒い日が続く冬の季節にこそ、暖かな人魚たちの南国の生活を想像して縮こまった心身をほぐすのも名案かもしれない。

2012年12月10日月曜日

むこう岸には

小さい頃、自分が住む町だけが、この世に存在する世界だった。
あの山の向こうも、こっちの坂の向こうも、誰も住んでいない何もない森か山か草地だろうと思っていた。
ある時、坂の向こうにも小学校がある、と聞いた。
へえ・・、向こうにも違う町があるのかもしれない。

坂を越えてみたら、わたしの住む町と同じように、バスが通り、パン屋があり、学校があり、町が広がっていた。

小学校の音楽の教科書で歌った、”どこまで行っても 続く道・・・”。
本当にそうだった。
坂の向こうにも、わたしが住む町と同じような町があった。


十何年前になるだろうか、NHKテレビで韓国のドラマ「冬のソナタ」を観た時も、同じ感覚を持った。
海を越えた、いちばん近い外国、韓国にもわたしたちの国ととても良く似た文化を持って暮らし、同じような感情を持って生きる人々がいる、というとても当たり前のことに驚愕した。
欧米の映画は見慣れているから、日本と違う彼らの文化や暮らしはよく知っていたのに。
いちばん近い隣国のことは、ぼやけて素通りしていたように思う。


そんなことを思い出す絵本が、ほるぷ出版の「むこう岸には」だ。


絵本 「むこう岸には」 表紙

川の向こうには、わたしたちと違う人種が住んでいるから、向こう岸には絶対に行っちゃいけません、と大人たちは言う。
どんな風にわたしたちと違うんだろう。
大人が行っちゃいけない、っていうのだからきっと危ないところなんだろう。女の子は漠然とそんなふうに考えていた。

ある日、向こう岸でひとりの男の子がこっちに住む女の子に手を振って笑いかけている。
女の子も手を振ってみた。
そして、またある日、岸辺にボートがたどり着いて、向こう岸から男の子が手招きをしている。
女の子は、それに乗って向こう岸に行った。

なんだ、少しわたしたちとは違うけど、わたしたちと同じように家族仲良く暮らす人々がいるんだ。
男の子の家族の中で楽しい時間を過ごして、また女の子の住むこちら側に帰った。
そして、ふたりは仲良しになる。

わたしたちの夢は、いつかこの川に橋を架けること。
そうしたら、いつでもわたしたちはこっちとあっちと会いに行けるんだもの。

この物語の冒頭に、作者のマルタ・カラスコさんの言葉が載っている。
世界平和を強く願うメッセージ。
チリの有名なイラストレーターだったマルタさんは2008年に亡くなっている。
絵も文章も彼女の手によるこの絵本は、マルタさんの遺作となった。

女の子が着る白いワンピースは、子どもの純粋無垢な心を象徴しているように思える。
大人は何にでも境界線を引いてしまうけれど、子どもの心にも、大人の考える境界線を植えつけてはいないだろうか。



12月2日の日曜日、キンシャサで第1回日韓親善ゴルフコンペが開かれた。
これまでの両国間の難しい歴史関係、そして今も領有地の問題が存在するわたしたちの国同士。
そんな中でこの企画は画期的なことだった、と思う。
キンシャサのゴルフクラブには多くの韓国人がメンバーでいるが、今までは挨拶程度しか交わりがなかったように思う。
そんな交わりの少ない日本人、韓国人間で、ゴルフコンペの企画を立て、コンペが行われ、夜は表彰式を兼ねて食事会を持ち、楽しい交流を持った。
きっとこれからは、ゴルフ場であってもキンシャサのどこであっても、立ち話の光景があちこちで見られることだろう。
キンシャサの小さな交流かもしれないが、大きな一歩だったと思う。



アフリカ大陸の地図を見ると、国境線が見事きれいな直線に引かれていることを見つけるだろう。

1884年、当時のヨーロッパ列強13カ国が参加したベルリン会議で、アフリカにおける植民地が分割され、列強の意のまま境界線が決定した。
”アフリカの年”と言われた1960年、多くの独立国が誕生したとき、植民地時代に引かれた直線の境界線がそのまま国境になった。列強が引いた境界線は、当然、民族とは無関係のものだった。
同一民族が離れ離れになったり、対立する民族が一緒にされたり。それが後の民族紛争の原因となる。
また、経済的に豊かな土地と貧しい土地が同一国家に組み入れられたことで、後に、豊かな土地が独立運動を起こすことにもなった。

わたしたちが現在住むコンゴ・キンシャサ(コンゴ民主共和国)は元ベルギー領。
コンゴ河を挟んだ対岸は、コンゴ・ブラザビル(コンゴ共和国)で元フランス領。
ふたつの国の首都同士が対岸で向かい合っている珍しい地域だ。
もとは、ここには中小の王国が割拠していたはずだ。それが、ベルギー領とフランス領に分けられ、その境界線のままそれぞれが独立した。
向かい合ったそれぞれの首都が、一つの経済圏を形成してると言われるが、両都市間は、フェリーで結ばれるだけだ。(空路もあるが。)
現在、両都市間に橋を架けようという計画案が浮上しているのだそうだ。
実現すると2kmほどの長い橋になるのだろうか。
橋の建設が両国間にどんな影響をもたらすのか。
3つの地点の候補が挙げられているそうだ。他方向から調査、検討する必要があるのだろう。

垣根のない交流。
交流があって初めて、真の理解が生まれる。
そんな生き方を自身でも心がけたいし、子どもたちにもさりげなく示してゆきたい。

2012年12月6日木曜日

クリスマスまであと九日~セシのポサダの日


コンゴのブラックウッドで作られたイエス降誕人形
 いよいよ、12月。
世界のいろいろな町で、クリスマスイルミネーションが瞬いている様子が目に浮かぶようだ。

キンシャサは、雨季真っ只中。
暑くて、クリスマスの雰囲気は感じられない。
また、クリスマスイルミネーションも今のところ見かけない。

キンシャサの我が家にもクリスマスの雰囲気を運びたくて、以前、中村寛子シスターに教えていただいたLimete5番通りにあるカトリック教会のブティックに、イエス降誕の木製人形を買いに行った。
ブティックを入ると、正面に大きな馬小屋がこしらえられてマリア様、ヨセフ様、3人の博士に羊飼いたちの人形が置かれていた。クリスマスが来るのを実感した瞬間だった。

その日購入した降誕の人形が、上の写真のものだ。
この人形たちをリビングに飾りながら一冊の絵本を思い出していた。

ひとりの女の子を通して、メキシコのクリスマスを描いた「クリスマスまであと九日~セシのポサダの日」だ。



絵本「クリスマスまであと九日」の表紙


アメリカの絵本作家、マリー・ホール・エッツとメキシコの作家、アウロラ・ラバスティダの共作で、日本では冨山房が最初、「セシのポサダの日」の題名で出版し、その後、しばらく品切れが続いていた。

その、品切れ状態が続いている時だった。
娘は幼稚園の先生にセシちゃんのこの絵本を読んでもらって以来、大のお気に入りとなったのだが、本屋では見つからない。
たまたま近所の文庫の会でこの本を見つけてからは、よく借りてきて読んだことを懐かしく思い出す。

そしてしばらくして、「クリスマスまであと九日」の題で(”セシのポサダの日”は副題となって)、再版されたのだった。


メキシコでは、クリスマスの前の九日間、毎晩どこかの家で”ポサダ”というパーティーが開かれるのだそうだ。
そのパーティーで、紙粘土でできた大きな張子の”ピニャタ”の中にたくさんのお菓子やくだものを詰めて庭にロープで吊るし、目隠しをした子どもたちが順番に棒を持ってピニャタを割る、という大きな楽しみがあるのだ。

メキシコの(おそらく)裕福な家庭で愛情いっぱいに育つセシという女の子が、お母さんから我が家でもポサダを開きましょう、と言われる。
市場に行ってセシちゃん自身のピニャタを選んでいいと言われて選んだのが、金色に光る大きな星のピニャタだった。
セシちゃんがポサダを迎えるまでの日常を、メキシコの町や、学校、市場の様子、お手伝いさんたちとの交流を確かなデッサン力と豊かなタッチで描いている。
1959年初版というから、きっと当時のメキシコの人々はこんな日々を送っていたのだろうとうかがい知れて楽しい。
メキシコを愛したマリー・ホール・エッツの温かな視線がこの作品の端々に注がれている。




セシちゃんの家の庭で開かれた、待ちに待ったポサダの様子が見開き2ページにわたって丁寧に描かれている箇所がある。表紙にもなっている場面だ。

セシちゃんが市場で選んだ大きな星が、満タンのお菓子を詰めて吊るされているのが見える。
きらきら光って、セシちゃんには「大切なわたしの星」だと思えてしまう。
メキシコの民族衣装を着ておめかしをしたセシちゃんとお友だちが、誇らしげにマリア様、ヨセフ様の人形を持って、ろうそく行列の先頭に立って行進している。
まるでセシちゃんのかわいらしい歌声が聴こえてくるようだ。

仲良しの人形をいつも抱えるはにかみ屋のセシちゃんが、クリスマスの行事を経て一段階、成長する様子もまた微笑ましい。

1960年にコルデコット賞(アメリカ)を受賞している。

コンゴの人々をこんなに優しく豊かに描写する絵本があればなあ。

世界中のキリスト教の町々で行われるクリスマスのイベントを、今年も楽しく想像してみよう。