2020年3月10日火曜日

人間の言葉を話す羊の話

ワガドゥグ近郊のサーバという町にある現地の子どもたちの幼稚園にわたしがボランティア先生で通い始めてまだ半年にもなりませんが、自由な教育の中で子どもたちはのびのび、元気はつらつです。
ある日、おやつの時間に園長先生とお茶を飲みながら、キンシャサの我が家で飼っていたコンゴヨウムの話になりました。

コンゴヨウムは体長30cmを超える大型の鳥で、体毛はグレー。尾羽は見事な朱色です。コンゴヨウムは長生きし、人間の言葉を真似るだけでなく言葉の意味を理解し、人間とコミュニケーションを取る能力を持つと言われています。
ところが、我が家のヨウムときたら一言も話さないし、一芸たりともしなかった、というがっかり話を園長先生に披露しました。


キンシャサで飼っていたコンゴヨウムのぽんちゃん(2014.6.18.撮影)


すると、思い出したように園長先生が、小さいときに聴いて大好きだった口承話があるのよと話しくれました。ブルキナファソの話かというと定かではないのだけど、でも私が小さいときによく聞いた話よ、と言いおいて話が始まりました。


昔、ある村に、人間の言葉を話す羊がいました。
そして、家族にとてもかわいがられていました。
しかし、家族が貧しくなって食べ物に困ったある日、お父さんは決心をしたのです。
人間の言葉を話す世にも珍しい羊を市場に連れて行って、わたしたちの羊を可愛がってくれる人を見つけて高い値で買ってもらおう。

―人間の言葉が分かるし、しゃべることもできる、賢い羊だよ~。そんな羊はいらんかね~。

ーへぇ、人間の言葉をしゃべる羊かい。ちょっとしゃべってみてくれないかい。

ー ・・・・・・。
羊は黙ったまま一言もしゃべろうとしません。

―ちっ。何もしゃべらないじゃないか。

そういうやり取りが何度か繰り返されましたが、羊は無言を押し通しました。そして客は皆、去っていきました。

家では、お父さんが大金を持って、鶏や魚を山ほど買って帰ってくると信じて、トマトや玉ねぎなどの野菜をたくさん使って煮込み、あとはお父さんが買ってくる肉と魚を入れるだけという状態で、お父さんと肉と魚の到着を今か今かと待っていました。

市場に人間の言葉をしゃべる羊を連れて売りに行ったお父さんはどうしたでしょう。
お客さんの前では一言もしゃべらない羊だったのですから、お客さんからはうそつき呼ばわりされ、散々な目にあいました。お父さんは羊のことでうんざりし、かんかんに怒って、羊を家に連れて帰ってきました。
皆は、羊をまた連れて戻ってきたうえに、怒り心頭の様子のお父さんを見てびっくりです。

ーまったく!! この羊め!まったくしゃべりやがらない。

人間の言葉を理解する羊はしょんぼりしていました。
そして、人間の言葉を話せる羊は言いました。

ー どうぞ、わたしを食べてください。

賢い羊は、この家で皆と暮らしたい一心で、市場では一言もしゃべらなかったのです。
人間より一枚うわての羊だったのです。

そして、羊は以前にも増して幸せに暮らしました、とさ。

2020年2月23日日曜日

自分から自分へ出す旅先からの絵葉書

 昨年末から1週間ほど、夫の仕事の休暇を利用してフランスのシャンベリーとリヨンを二人で旅しました。
リヨンの広場前の郵便ポストに投函した絵葉書が、なんと1か月半もかかってわたしのところへやっとこやっとこやってきた~♪
サンテグジュペリさんの故郷のリヨンから、サハラ砂漠を超えて(想像)無事にワガドゥグの我が家の私書箱にたどり着いたのです。


LYON Guignol操り人形の絵葉書

旅先から、自分から自分あてに出す絵葉書。
地元の土産屋とか、本屋とかで絵葉書を数枚探して。
家族に出す手紙の中に、自分用にも。
ちょこっとした旅先での出来事を書いて。
地元の郵便局で買い求めた切手を貼って。
郵便局の消印も刻印されていて。




旅先の冷たい空気や、人々の温かい交わりが蘇ってきます。
何枚集まっただろう。
これから、どれだけ増えていくのだろう。
わたしの大切な旅の想い出です。

2020年2月2日日曜日

ブルキナファソの教訓話~他人の災禍に知らないふりはしない

今日は、夫の事務所に勤務するモシ族女性から聴いたブルキナファソの教訓話です。口承物語に長けていたおばあさんを持つ女性は、おばあさんから、こんな話もしてもらったそうです。

隣人がもし災難に遭っていたら助けてあげなさい、自分に災禍が降りかかってきたときに今度は隣人が助けてくれる。順繰りなのだから、他人の災禍に知らないふりをしてはならない、という教訓を示唆する物語です。


庭でお爺さんの話に夢中になる子どもたち~布に染めて描いた絵のワガドゥグ産カードより


ブルキナファソの家は大家族だから、敷地内にいくつかの小さな家が点在して建てられていて、庭で共同作業をしたり、遊んだり物語を聴いたり、木陰や軒先で昼寝をしたりする、と聞きます。

ある日、お母さんが庭で雑穀のミル、マイスをついていたら、鶏がやってきて辺りに散る雑穀をせっせとついばんでいました。


雑穀のミルとソルゴ 2019.10.

そこへ犬がやってきました。
犬は鶏にまとわりつくものの、雑穀を横取りして食べたりはしませんでしたが、鶏は犬を邪魔もの扱いをしました。それに怒った犬は、鶏と喧嘩を始めました。
ものすごい取っ組み合いの喧嘩に発展しました。

そんな中で、庭に寝そべる牛はかれらの騒動にかまわずに眠りこけていました。
あまりに鶏と犬の喧騒がひどくてとばっちりを受けそうになると、のっそりと起き上がって庭の中で居場所を変えるだけで、犬と鶏の仲裁に入るでもなく素知らぬふりをするだけで、決してかまうことはありませんでした。

お母さんが食事の準備のために庭で火を起こしていたら,鶏と犬の騒ぎでその火がすぐそばの家に燃え移りました。ここの家は土壁と藁ぶき屋根の小さな家です。
そして、その家にはおばあさんが寝ていて逃げる間も助ける間もなく、家は焼け落ち、おばあさんは死んでしまいました。

死んだおばあさんを埋葬するためにお葬式をしました。そこで、宴を張るために、牛が殺されて皆の料理に供されることになったのです。
鶏では小さいし、犬を食べる習慣はありません。そこで、牛が殺されることになったのでした。

もし、牛が鶏と犬の喧嘩の仲裁に入り、喧嘩が収まって火事を起こすこともなければ、おばあさんの家に火が移って死ぬこともなかったし、葬式を出すこともなかったし、ついには牛が殺されることもなかったのです。

隣人の災難、争いごと、もめごとに入って助けてあげる、と言うことの大切さを子どもたちにわかりやすく諭す教訓のお話しです。

この女性のおばあさんは、人生に大切な教訓や諫言を取り込んだ話もよくしてくれたのだそうです。おばあさんから聴くからこそ、身に付く教訓、諫言なのかもしれませんね。

なんだかちょっとアフリカ版イソップ物語だなあとも思えてきます。

2020年1月20日月曜日

ブルキナファソの伝承話~人間の動物たちへの恩返し その2

 以前、ブルキナファソには、人間が動物たちに恩返しするという話が多く部族間で語り継がれていると書きましたが、今日はその第2編です。

小ワニとヘビに恩返しをするブルキナべ(ブルキナファソの人)たちの伝承話です。

2019.4.22.ワガドゥグ郊外にある動物園にて


ワニの画像もヘビの画像もなかったから、ワガドゥグに来て初めて動物園に行ったときに撮ったカバのもので失礼!(なんの脈絡もなし・・)


 我が家のコックさんはFada N'Gourma(ファダ・ングルマ)というブルキナファソ東部の出身です。
この土地は現ブルキナファソの五大モシ王国のうちの一つで、昨年の8月に第31代国王の訃報記事が新聞で大きく報道され、というのもイエネンガ姫とリアレの一人息子でモシ初代国王ウェドラオゴの三男(Diaba Lompo)の流れをくむ王族が住む、歴史ある地域なのです。
現在、この地域の種族はグルマンシェ族だと言われますが、我が家のコックさんはモシ族(この両方の種族はどうも元を辿れば同じみたいなのだけど)だということです。

そのコックさんの一族全員は、大ヘビと小ワニ(かれは、kaiman・・”i”の上に点二つを載せたほうを使い、かれは”カイユマン”と発音しています。フランス語です。)に恩義を感じているから、それらの肉を絶対に食べなのだと言います。
大小のヘビも普通のワニも、死んでいるヘビ、ワニも決して食べないのだそうです。
かれらの祖先は、大ヘビと小ワニ(カイユマン)に助けられたと伝えられているからなのだそうです。

大ヘビにまつわる言い伝えとは・・。
あるとき、彼の祖先が森の中を歩いていた時、食べ物の蓄えが底を尽いてしまった。疲れ果てて困って動けずにいたときに大ヘビが現れて、水を飲ませんてくれた。その恩義を忘れないでいるのだとうのです。

小ワニ、カイユマンについてはこんな言い伝えが残っているそうです。
戦いのときに敵から逃れていたら、大きな水たまり(川)があった。敵に追い詰められて危機一髪、もう後がない、と悟ったとき。
川からカイユマン(小ワニ)が現れて、背中をそっと差し出したそうです。その背中に載って向こう岸に渡り、敵から逃れることができた。そんな言い伝えが一族に残っているのだそうです。

そんなわけで、かれらの一族は今でもヘビもワニも決して食べないのだそうです。
これまた律儀なブルキナべの一面を見る話です。

動物を助けたのでこんなすごい贈り物をもらえたぞ、という手柄話を聞いて二番煎じを期待するような我が日本人と、動物から助けられたその恩義を代々語り継いで、絶対に食糧としない掟を作って恩返しを続けるブルキナべと。
ちょっと了見が狭い日本人のような気がしてきます。
(まあ、日本人は鳩もヘビもワニも食用にはしませんけど。)

こういった類の、動物に対する恩義が代々一族に伝えられて、現在に至るまでその対象動物を食べないでいる、という話は、いたるところに残っているのだそうです。

武士道精神を感じるブルキナファソの動物への恩義伝承話でした。

2020年1月13日月曜日

ガーナのアクラで子どものための本を出版し続ける女性

書きたい、書きたい、ブログに残しておきたいと思い続けて2か月半が過ぎてしまいました。感動しすぎて、頭の中でまとめきれずにいたのだと思います。
それくらいにインパクトの強いガーナ人女性でした。
彼女の名前はAkoss(アコス)さん。
出版社は、”Sub-Saharan Publishers”。

この出版社を知ったのは、ワガドゥグでお子さんを育てる日本人女性からフランス語で書かれた絵本「イエネンガ姫」をプレゼントされたことからでした。昨年の9月頃のことでした。





友人は、イエネンガ姫をこよなく愛するわたしを思い出して、お子さんの通う学校での絵本販売会でその絵本を見つけて、わたしにプレゼントしてくれたのでした。
立派な装丁の大型絵本は、ガーナの出版社から出たもので、絵と文はガーナ人、英語から仏語への翻訳者(ガーナの公用語は英語)はコートジボワール人、というアフリカ内で完結されものだったのです。
こんな出版社がアフリカのガーナに存在するのだ!
まずはそのことに感動し、ワガドゥグに暮らす間にいつかアクラのこの出版社を訪れたい、と強く思いました。

そして、夫の仕事の休みとの兼ね合いでやっとアクラ旅行が決まりました。
2019年10月31日夜にガーナの首都アクラの空港に到着するという3泊4日の夫との二人旅。
とはいえ、実質動けるのは、11月1日と2日の2日間のみ。2日は土曜日なので、出版社を訪ねるのは11月1日の金曜日しかない、というので、わたしたちのアクラ旅行が決まってすぐに、出版社に一通のメイルを送りました。
絵本をめくると、Sub-Saharan Publishersのメイルアドレスが記されているのをわたしは知っていました。

出版社からの返信はその日のうちに届きました。
何度かやり取りをして、わたしにメイルをくれているのはAkossさんという方だと解かりました。電話番号も書かれていて、11月1日の午後3時にわたしたちの泊まるホテルロビーまで迎えに来てくれる約束になりました。

そして、わたしたちより先にロビーで待ってくれていたAkossさんはしっかりした骨格を持つにこやかな女性で、Sub-Saharan Publishersの代表者だったのです。

わたしのオフィスはちょっとわかりにくいところにありますからね、とかのじょ自身が運転してきてくれたのは軽トラック。
舗装の良くないアクラの道をバッコンバッコンと軽快に軽トラックで走り続けること20分ほど。庶民の暮らす地区に入ったなと思われる頃、3階建てのアフリカではよく見かけるコンクリートの建物の前で停まりました。
出版社はその建物の最上階奥にありました。

二人の若い社員が礼儀正しく入り口でわたしたちを出迎えてくれました。
玄関入ってすぐの小さなロビーの隅に、刊行書籍の案内パンフレットがラックにきれいに並べられていました。
まずは、わたしの部屋を紹介しましょうと、かのじょの執務室へ案内されました。




彼女の机の上も綺麗に整理され(あ、上の写真の手前の雑多なものはわたしのノートやハンカチ、サングラス、そして、おもてなしを受けた飲み物たちです、すみません!)、新刊本が数冊積まれていました。広い机の左横には大きなファックス・コピー機がありました。
壁の上の棚と、執務室奥のテーブルにはたくさんのトロフィーや盾が並んでいます。
日本の出版社の野間文学賞、ユネスコ文学賞なども見つけました。
また、日本の援助団体からの寄付を受けた記念盾のようなものもあります。
この出版社が世界のいろんな国で認められて活動支援を受けていることも理解できました。アコスさんの敏腕ぶりが見て取れます。

かのじょは元中学校の教師。アフリカの子どもを描いた、アフリカの子どもの暮らしに密着した絵本や物語をアフリカの子どもたちのために出版したいという夢を20年前に実現させて以来、しっかりと出版社を経営している聡明な女性だという印象を受けました。
これまでの出版書籍は300を超えると言います。
教科書を刊行する出版社は2,3社あるけど、かのじょの手掛けるような絵本や物語を出版する会社はガーナにはここだけだとのこと。
この出版社の発行する書籍たちの印刷の発色のきれいなこと、そして装丁のしっかりしていることにはびっくりです。
価格を抑えるために、印刷製本はハンガリーに発注するのだそうです。
わたしたちの国ガーナには、港がありますからね、と。
どおりで。アコスさんの乗り回す愛車が軽トラックと言う理由が分かりました。

ある程度の階層の、教育に関心のある家庭の子にしか手に入らないであろう絵本、物語であっても、価格設定を庶民の手の届く値段にしないといけない。かのじょの経営力にも目を見張りました。

アコスさんに訊いてみました。どうしてブルキナファソのモシ王国の建国者の母としてブルキナファソで今でも絶大な人気を誇るイエネンガ姫のことをガーナの出版社が取り扱っているのか、と。
イエネンガのお父さんがダゴンバという小国の国王で、現在のガーナ北部にあります。イエネンガもダゴンバで生まれ育ったのです。(ああ、だから、イエネンガ姫の絵本の副題が”La Princesse de Dagomba”になっているのか~)イエネンガの父親は一家で現在のブルキナファソに移住して、イエネンガはそこで結婚し、ウェドラオゴという息子を産み育て、そのウェドラオゴがモシ王国(現在のブルキナファソの最大の部族)の初代国王だと伝えられ、イエネンガはモシ王国建国の母と敬われています。イエネンガはわたしたちのガーナの国とも繋がりがあるのです。ガーナ北部の人たちはモシ族の言葉を話すし理解もできる部族がたくさん存在し、イエネンガの従姉妹、親戚たちなのです。だとしたら、イエネンガはわたしたちの母でもあるのです、だから、ガーナのわたしの出版社で英語で発行し、ブルキナファソの子どもたちにも読んでもらえるように、仏語訳の絵本も出したのです、と説明してくれました。
昔は、ガーナという国もブルキナファソという国も存在せず、国境もなかったのだなあ。
それを伝えんばかりに、イエネンガの絵本の最後のページに現在の国境線が薄く引かれる、ガーナとブルキナファソの一体となった地図が載っています。そして、イエネンガが今もブルキナファソの人たちに愛され続け、ガーナ北部の人たちとも繋がっているのだという解説が付いています。

かのじょは、ガーナの公用語は英語なので、採算上、公用語の英語での発刊にならざるを得ないと話していましたが、例えば、ハウサ族というガーナ西部の部族に伝わる蜘蛛の話をヒントに環境問題を取り上げる絵本はハウサ語と英語で発刊されていました。ハウサ語はガーナ西部一帯で広く話されているし、ハウサ族の伝説をもとにした絵本なのだから、ハウサ語で書かれた本も出版したのだということでした。
かのじょの葛藤が少し垣間見えるようでした。

かのじょがガーナ(アフリカ)の子どもたちに発信する絵本、物語は、ガーナ周辺の伝説、アフリカの子どもたちの日常を描いたもの、環境問題、そして障碍者問題にまで及んでいます。そして、すべてがアフリカの画家や作家の手によるものです。アコスさん自身が執筆している本もありました。自身も文筆家として活躍しているのです。
出版物を見て、アコスさんのぶれない姿勢を感じました。
アコスさんはガーナで生まれ育ったと話していました。
彼女の行動力と広い視野はどこで養われたものなのでしょう。

かのじょ自身も出版社を20年続けながら母親として立派に子育てを終え、二人のお子さんたちは海外で勉強した後、アクラに帰って活躍しているのだそうです。
アコスさんは、わたしより数歳若いかなと想像します。

アコスさんに、今ここで、あなたの出版社の絵本を買えるかと訊くと快諾してくれて、8冊の絵本を購入しました(もっと欲しかったけど夫にたしなめられた!)。あとで計算すると、支払った額はなんと日本で買う絵本2冊分でした。
それが判明した時、金額をよく理解しないままに提示された請求書通りに支払ったことに対して赤面してしまいました。
アコスさんがホテルまで送り届けてくれた時、金額をよく理解していなかったことと、書籍代金はあなたからわたしたちへの贈り物だと思うことにします、とお礼をしっかり伝えました。
わたしが支払った絵本8冊分の代金は、ガーナ国内での価格だったのかもしれません。
Sub-Saharan Publishersは、世界からのファックス注文も受け付けているようで、カラーのカタログを見るとだいたいどれも1冊千円ほどでした。

かのじょの出版社で働く若い社員たちもきっとアコスさんの大切な片腕なのでしょう。
きびきびと対応してくれて気持ちの良いお二人でした。

ガーナで出版社を続けるということの厳しさ、それでも信念を持って進むアコスさんの逞しさと明るさ、経営手腕には感動するばかりでした。
そばで聞く夫も同様でした。
かのじょとの会話のやり取りを思い出すと、今でも心から感動の響きが湧き起こってきます。



アコスさん、そして、Sub-Saharan Publishersというガーナの出版社に出会えて本当に良かった。温かく迎えてくださり、ありがとうございました。
これからのあなたたちのご活躍を遠くから応援しています。

2019年12月1日日曜日

アフリカの頓智話~夫婦のお話

今回は、モシ族の女性から聞いた、大人のための笑い話と言うか、頓智話です。

ブルキナファソのカッセーナ族の家~月刊たくさんのふしぎ4月号より(福音館)


以前わたしたちが住んでいたアフリカの国で聞いた話で、3年経っても子宝に恵まれない女性が夫のほうから離婚を切り出された~というのをわたしが一人のブルキナべ(ブルキナファソ人)に言ったことから話題に上ったのでした。
その女性は離婚したくなかったから病院で検査を受けたけど妻側に何の問題もなく、夫に検査を受けに来るように医師から言われたことを話すと、夫は病院に行こうとせずに、妻に問題があるのだと主張して、結局、離婚したのです。(かのじょは、元夫はどんな女性と何度結婚しても子どもはできないのよ~とほくそ笑むのでした。)
アフリカでは、夫の権力は絶大な上に子どもを産めない女性は妻の座から追われるというのは今も続いていると言います。
ブルキナべの女性は、さもありなん、と言う表情をして、一つの頓智の効いた話を持ち出しました。
これはモシ族に伝わる頓智話かどうかは知りませんが、イスラム教徒の家族の話です。

イスラム教徒は妻を複数養える力さえあるならば、4人まで妻を持つことができるのだそうです。そして、家族の中で夫の存在は大きく、女性は結婚しても夫に従順で、子宝に恵まれない場合それは女性側に非があると考えられて、女性は離婚やむなしという弱い立場にあるのだそうです。現在は、いくらか改善されてきていると聞きますが、なんだか戦前の日本の家族社会のように映ります。

ある村に、二人の妻を持つ男性が住んでいました。最初の妻との間には5人の子どもが、2番目の妻との間には3人の子どもがいました。そして、もうそんなに若くはない男性は3番目の若い妻をもらいました。
その3番目の若い妻との間には結婚して3年経っても子どもができませんでした。
子どもを産まずば実家に帰されると心配した生真面目な女性は思い詰めて、ひとりで病院に行きました。そこの病院には、最初の妻の長女が医師として勤務していました。自分とそんなに年齢も違わない父親の第3夫人に当たる女性を診察し検査を担当した医師は、第一夫人の長女でした。
深刻に悩む女性(父親の第3夫人)を診察し検査して出た診断は、かのじょには全く問題なしと言うものでした。
第3夫人は医師に言いました。わたしの夫と第1夫人の間にも第2夫人との間にも子どもがいるのに、わたしとの間に子どもができないのはわたしに問題があるに違いない、その診断は間違っていると、医師に食い下がりました。医師(第1夫人との間の長女)は、夫のほうの検査をしてみましょうと言いました。
第3夫人は夫に病院に行って検査を受けるように懇願しましたが、頑として夫は受け付けません。何故わたしのほうに問題があるのか!、わたしと妻たちの間には8人もの子どもがいるのだから、おまえに問題があるのは明らかではないか!
第3夫人は医師に夫が検査を拒否することを話しました。医師は、その男性の長女ですから、父親に、もうあなたは年齢的に持病が出てきてもおかしくはありません、早期治療が大切だから、一度検査を受けたほうがいいと促し、父親の一般内科の受診に成功し、隠密でその検査に生殖機能を調べる項目も入れたのです。
すると、なんと男性の生殖機能に問題があったのです。

では、どうして第1夫人と第2夫人との間には子供が授かったのでしょう・・・。

帰宅した女性医師は、母親に詰め寄りました。
わたしの父親は誰なのかと。
医師の母親(第1夫人)は結婚後に夫のほうの問題に気付いて、このままでは子宝に恵まれないことを自分のにせいにされて離縁されると思って、よその男性と関係をもって5人子どもを作ったのでした。第2夫人もそれに気づいて、何食わぬ顔をしてよその男性と関係を持って3人の子どもを授かったのでした。
でも、第3夫人はまだ若く生真面目で、2人の先妻たちとの間にも気兼ねがあって、夫の無能に気付かずに、ただ独り真剣に悩んで病院に行ったのでした。

さて、その第3夫人はその後、どのような行動に出たかはわかりません。
平和にことなく第3夫人として地位を保てたことを祈りましょう。


2019年11月30日土曜日

月刊「たくさんのふしぎ」家をかざる 2019年4月号

月刊たくさんのふしぎ2019年4月号~家をかざる(福音館)

先日、日本からのお客さまを迎えました。
何でも持って行きますよ、と言う言葉に甘えて、ネットで注文(本当は本屋で買いたかったけどやむを得ず)して、数冊持ってきてもらいました。
思いもかけず、以前に注文しかけてそのまま”買い物かご”に入ったままだった月刊絵本、「たくさんのふしぎ」が入っていました。
そうだった。
ブルキナファソに来てすぐ、たくさんのふしぎ4月号は世界の家の特集号で、しかもその中にブルキナファソの家が紹介されていると知って買おうとしたけど、あきらめてそのままになっていたのでした。

今回こうやってわたしの手元に届いて、ご縁とはこういうものなのだなあ、としみじみ思うのでした。

ユーラシア大陸から6か国、中東から1か国、アフリカから2か国、南米から3か国の家がたくさんの美しい写真とともに紹介されています。

アフリカ地域はモロッコとブルキナファソです。
ブルキナファソからは、南部のガーナ国境近くのカッセーナ族の家が図解入りで紹介されています。
一夫多妻制の大家族の家です。庭では毎夜、子どもたちは、年寄りたちが語るおもしろい話、怖い話、悲しい話に満天の星の下で耳を傾けるのでしょうか。
”土かべにもようがある家”として紹介されています。家に色を付けるのは女性たちの仕事なのだそうです。
この辺りは、ブルキナファソの人たちが今も敬愛し続けるイエネンガ姫の出身地でもあります。




わたしたち家族が最初に暮らしたネパールの家も紹介されています。カトマンズではなくて、南部のジャナカプールという町です。
夫が若い頃に滞在したモロッコやイエーメンの家も載っています。

中央アフリカ共和国に暮らした時に家族で訪れたピグミー族の家~葉っぱだけを何層にも固めて作られた”葉っぱのかまくら”の家を紹介できたらなあ、なんて空想しました。

写真と文は、世界中を旅する写真家の小松義夫さんです。
本当に写真がきれい!
わたしの永久保存の本になりました。

2019年10月28日月曜日

モシ族の口承物語~母を亡くした女の子の話


ポストカードの母子の手書きの絵

今日もまた、夫の事務所に勤務するモシ族の女性から聴いた、かのじょのおばあさんの口承話の中のひとつを書こうと思います。

以前にもお伝えしましたが、かのじょのおばあさんはすばらしい語りの名人で、短い話、長い話を織り交ぜ、その中にはお腹を抱えて大笑いをする話、教訓めいた話もあれば、森に潜む悪霊の話で怖がらせたり、悲しい話で皆で涙を流したり、バラエティー豊かな話で飽きることのない夜をちろちろと燃える火の明かりの下で過ごしたと言います。


昔々の話です。
ある村にPokoという小さな女の子が住んでいました。
Pokoは、優しいお母さんに育てられて、心根の優しい女の子に育っていきました。
しかしある日、お母さんはまだ幼い我が子を残して、病気で死んでしまうのです。
Pokoは悲しくて寂しくて心の穴をふさぐことはできませんでした。

まもなく、お父さんは新しい奥さんを迎えました。
Pokoの新しいお母さんはとても意地悪で、Pokoをこき使って一日中働かせました。
ご飯は少ししか与えず、家の中の一切をPokoにさせたので、Pokoはだんだん痩せていきました。
Pokoは優しかった自分の本当のお母さんを思い出しては泣いていました。
悲しくて悲しくて、どうしようもなくなったPokoは、ある晩、お母さんが埋められているお墓(この国は土葬です)までひとり歩いていきました。

お母さんのお墓にすがってPokoは泣きながら、お母さんに日々のつらい暮らしのことを話し続けました。
すると、お母さんの優しい声が聞こえてきました。

お母さんは、いつも、あなたのそばにいるよ。
あなたのそばで、いつも見守っているよ。
そのことを忘れないで。
安心しなさい。

その晩、Pokoはお母さんと歌って、ダンスをして一晩を過ごしました。
お母さんの愛情をいっぱいもらったPokoは気持ちが満たされて心が和らいでゆくのでした。
そして、Pokoは勇気が湧いてきて、家に戻りました。

家に戻ったPokoを継母は怒ってせっかんして、どこに行ってきたのか、何をしていたのかと問いただすのでしたが、Pokoは絶対にその晩、母と過ごしたことを言いませんでした。

Pokoは、悲しくなるとお母さんのぬくもりを求めてお墓に行き、お母さんと一晩を過ごして慰められて勇気をもらって、また家に帰るのでした。それは、Pokoの誰にも言わないお母さんとの秘密でした。
母の面影を求めて母が埋められたお墓まで行き、母の魂と共に安らかな時間を持つということは、幼いPokoには何にも代えがたいことだったでしょう。

こうして年月は流れて、Pokoは心も姿も美しい女性になってゆきました。
そんなPokoの話を聴いた近くの小さな国の王様は、Pokoを息子のお嫁さんに迎えることを決めました。
Pokoと小王国の王子さまは結ばれて結婚しました。
そうして、Pokoは幸せな家庭を持ちました。
~とさ。

モシ族の女性は、このおばあさんの話を聴きながら一緒になって悲しみ、泣き、そして、最後に主人公の女の子が幸せな結婚をしたと聞いて胸をなでおろして、皆で喜び合った、とわたしに話してくれました。
口承物語のすばらしさを思いました。

2019年10月25日金曜日

それぞれが人生の主人公

岸田衿子さん訳の「赤毛のアン」を読みながら、脇役の人々の描写にも想いが移っていった。
アボンリーで人生を生きた、脇役の登場人物たちにスポットを当てて、かれらを主人公にして、それぞれの人生を描いたシリーズがあったことを懐かしく思い出す。

村岡花子さん訳のアンシリーズ10冊+1冊(後にかのじょの孫にあたる村岡美枝さん訳で、「アンの想い出の日々」が2009年に出版されている。)の中の、「アンの友達」と「アンをめぐる人々」だ。(もうずいぶん昔に読んで、記憶もあやふやなのだけど・・)











この短編たちにも感動したなぁ。ああ、人それぞれに人生があり、それぞれが人生の中の主人公なのだ、と強く思った。


そんな想いが綴られて歌になったものがある。
さださん(さだまさし)作詞作曲で、自身で歌う「主人公」だ。

さださんがソロ活動を始めて初期の歌と記憶しているから、わたしが長崎の大学に入学して独り暮らしを始めた頃だっただろうか。
大人になって、歳を重ねるたびにさらにしみじみ心に響いてくる歌だ。


 ”主人公”
 時には思い出行きの旅行案内書ーガイドブックーにまかせ
 「あの頃」という名の駅で降りて 「昔通り」を歩く
 いつもの喫茶店ーテラスーには まだ時の名残りが少し
 地下鉄ーメトローの駅の前には 62番のバス
 プラタナスの古い広場と 学生だらけの街
 そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる
 あなたの眩しい笑顔と友達の笑い声に抱かれて
 わたしはいつでも必ずきらめいていた

 「或いは」、「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど
 時をさかのぼる切符があれば 欲しくなる時がある
 あそこの別れ道で選びなおせるならって
 もちろん 今のわたしを悲しむつもりはない
 確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる
 そうでなきゃ あなたにとても とてもはずかしいから
 あなたは教えてくれた 小さな物語でも自分の人生の中では
 誰もがみな主人公
 時折 思い出の中であなたは支えてください
 わたしの人生の中では わたしが主人公だと


詩の中の、わたしとあなた・・・。
どんな立場で書かれた詩なのか。
自分の中の、昔の自分と今の自分。
それとも、わたしと、亡くした大切な人。


さださんが何かの本の中で語っていたことを、わたしは書き留めていた。

「・・・だから僕は、人は必ず選ばれて生まれてきたのだと信じたいし、
だからこそ、生きてゆくことに誇りを持ちたい。
自分が主人公であるという考え方はとかく”利己”を感じさせる危険な言い回しですが、
生きてゆく強さを奮い立たせるために必要な起爆剤だと思ってください。
自分の人生はドラマであると信じることが、時として自分の不幸を救うこともあるのです。
『せいいっぱい生きる。
そうでなきゃ、あなたにとてもはずかしいから。
あなたが教えてくれた。
小さな物語でも、
自分の人生の中では だれも皆、主人公。

”わたしの人生の中では わたしは主人公だと”』」
 

2019年10月19日土曜日

岸田衿子訳 赤毛のアン





岸田衿子さん訳の「赤毛のアン」に陶酔して読了。
アンがわたしのすぐそこに生きていて、アンの息遣いまで聴こえてくるような訳のすばらしさ。

挿絵は、安野光雅さん。
わたしの想像の邪魔をしない、軽いぼぅーっとしたタッチがまたわたしに嬉しかった。




この、岸田衿子さん訳の「赤毛のアン」は、なんと、以前我が家に毎月配本されて本棚に鎮座してわたしをじぃーっと見つめていたあの「少年少女世界文学全集」の第9巻(1969年刊行)に入っていたものだった、と読み終えて知った。
またまた、わたしの「少年少女世界文学全集」への後ろめたいような後悔の念が疼いた。
小学校高学年のときはほとんど見向きもせず、毎月我が家の本棚に増えていく全集を重荷にさえ感じていたものが、実は物語の宝庫だったのだと知った時の気持ちが再び蘇ってきた。(今はもう実家の本棚には残っていない。)

岸田衿子さん訳のこの本の一番の魅力は、アンの天真爛漫さ、想像力の豊かさが訳の全体にこぼれあふれていることだ。
さらにこの本の随所にマシュウ、マリラの人柄、気持ちも控えめに(でもきっと的確に)描かれているからこそ奥深く感じ取れる”人生の機微”が確かに存在している。(これは、歳を取った今だからこそ、読み取れるものであったかもしれないが。)
なんと魅力的な人たちだろう。

これは、わたしの人生の最期にもう一度、しっとりと読み返したい本だと思った。
また一冊、わたしの「最期の日々のための本棚」に加わった。

岸田衿子さんは詩人として知られる。
彼女と懇意なお付き合いがあった安野光雅さんは、このような訳本の仕事を残していたとは知らないまま、また彼女も一言も言わないまま亡くなったことが、近ごろ、こんなに惜しいと思ったことはない、とあとがきに書いている。
もし知っていたら、「あれはすばらしい本だった」と一言、彼女に告げたかった、と。

さらに、安野光雅さんはあとがきにこう付け加えていた。

”これは、アンのすぐれた想像力を大人も忘れないようにするために、読むべき一冊の本である。”

2018年6月初版第一刷発行。朝日出版社より。