2019年10月19日土曜日

岸田衿子訳 赤毛のアン





岸田衿子さん訳の「赤毛のアン」に陶酔して読了。
アンがわたしのすぐそこに生きていて、アンの息遣いまで聴こえてくるような訳のすばらしさ。

挿絵は、安野光雅さん。
わたしの想像の邪魔をしない、軽いぼぅーっとしたタッチがまたわたしに嬉しかった。




この、岸田衿子さん訳の「赤毛のアン」は、なんと、以前我が家に毎月配本されて本棚に鎮座してわたしをじぃーっと見つめていたあの「少年少女世界文学全集」の第9巻(1969年刊行)に入っていたものだった、と読み終えて知った。
またまた、わたしの「少年少女世界文学全集」への後ろめたいような後悔の念が疼いた。
小学校高学年のときはほとんど見向きもせず、毎月我が家の本棚に増えていく全集を重荷にさえ感じていたものが、実は物語の宝庫だったのだと知った時の気持ちが再び蘇ってきた。(今はもう実家の本棚には残っていない。)

岸田衿子さん訳のこの本の一番の魅力は、アンの天真爛漫さ、想像力の豊かさが訳の全体にこぼれあふれていることだ。
さらにこの本の随所にマシュウ、マリラの人柄、気持ちも控えめに(でもきっと的確に)描かれているからこそ奥深く感じ取れる”人生の機微”が確かに存在している。(これは、歳を取った今だからこそ、読み取れるものであったかもしれないが。)
なんと魅力的な人たちだろう。

これは、わたしの人生の最期にもう一度、しっとりと読み返したい本だと思った。
また一冊、わたしの「最期の日々のための本棚」に加わった。

岸田衿子さんは詩人として知られる。
彼女と懇意なお付き合いがあった安野光雅さんは、このような訳本の仕事を残していたとは知らないまま、また彼女も一言も言わないまま亡くなったことが、近ごろ、こんなに惜しいと思ったことはない、とあとがきに書いている。
もし知っていたら、「あれはすばらしい本だった」と一言、彼女に告げたかった、と。

さらに、安野光雅さんはあとがきにこう付け加えていた。

”これは、アンのすぐれた想像力を大人も忘れないようにするために、読むべき一冊の本である。”

2018年6月初版第一刷発行。朝日出版社より。

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