隣人がもし災難に遭っていたら助けてあげなさい、自分に災禍が降りかかってきたときに今度は隣人が助けてくれる。順繰りなのだから、他人の災禍に知らないふりをしてはならない、という教訓を示唆する物語です。
庭でお爺さんの話に夢中になる子どもたち~布に染めて描いた絵のワガドゥグ産カードより |
ブルキナファソの家は大家族だから、敷地内にいくつかの小さな家が点在して建てられていて、庭で共同作業をしたり、遊んだり物語を聴いたり、木陰や軒先で昼寝をしたりする、と聞きます。
ある日、お母さんが庭で雑穀のミル、マイスをついていたら、鶏がやってきて辺りに散る雑穀をせっせとついばんでいました。
雑穀のミルとソルゴ 2019.10. |
そこへ犬がやってきました。
犬は鶏にまとわりつくものの、雑穀を横取りして食べたりはしませんでしたが、鶏は犬を邪魔もの扱いをしました。それに怒った犬は、鶏と喧嘩を始めました。
ものすごい取っ組み合いの喧嘩に発展しました。
そんな中で、庭に寝そべる牛はかれらの騒動にかまわずに眠りこけていました。
あまりに鶏と犬の喧騒がひどくてとばっちりを受けそうになると、のっそりと起き上がって庭の中で居場所を変えるだけで、犬と鶏の仲裁に入るでもなく素知らぬふりをするだけで、決してかまうことはありませんでした。
お母さんが食事の準備のために庭で火を起こしていたら,鶏と犬の騒ぎでその火がすぐそばの家に燃え移りました。ここの家は土壁と藁ぶき屋根の小さな家です。
そして、その家にはおばあさんが寝ていて逃げる間も助ける間もなく、家は焼け落ち、おばあさんは死んでしまいました。
死んだおばあさんを埋葬するためにお葬式をしました。そこで、宴を張るために、牛が殺されて皆の料理に供されることになったのです。
鶏では小さいし、犬を食べる習慣はありません。そこで、牛が殺されることになったのでした。
もし、牛が鶏と犬の喧嘩の仲裁に入り、喧嘩が収まって火事を起こすこともなければ、おばあさんの家に火が移って死ぬこともなかったし、葬式を出すこともなかったし、ついには牛が殺されることもなかったのです。
隣人の災難、争いごと、もめごとに入って助けてあげる、と言うことの大切さを子どもたちにわかりやすく諭す教訓のお話しです。
この女性のおばあさんは、人生に大切な教訓や諫言を取り込んだ話もよくしてくれたのだそうです。おばあさんから聴くからこそ、身に付く教訓、諫言なのかもしれませんね。
なんだかちょっとアフリカ版イソップ物語だなあとも思えてきます。
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