10月の声が聞こえ始めた途端に立て続けに雨が降りましたが、雨季もそろそろ終わりだとワガドゥグの人たちは言います。
そういう雨季から乾季へ移り変わろうとする時期に、二人のサワドゴさんに聴いたちょっと不思議でファンタジックな話をしたいと思います。
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2019.7.29.雨季の我が家近くの朝(夫撮影) |
ブルキナファソの人たちの姓のひとつである”Sawadogo~サワドゴ”、はモレ語(モシ族の言葉)で"nuage~雲”という意味を持つのだそうです。
そして、”サワドゴ Sawadogo ”という姓を聞いただけで、すぐにモシ族だなと解かります。
わたしは初めてサワドゴさん、と言う名を聞いたとき、サワガニの床屋、みたいな響きを持つこの名前がとても気に入りました。そして、あちこちにわさわさとサワドゴさんがいることに気づきました。
サワドゴさんはモシ族の中で最も一般的な姓(le nom de famille)のひとつなのです。
まずは雨季のときのサワドゴ一族のパワー(la puissance)からです。
サワドゴ一族は「雲になる」ことができました。
昔々、サワドゴ一族の村とよその村で戦いが起こったとき、サワドゴ一族は雲になって敵から逃れることができましたし、また、雲になって敵地へ行き強風や大雨を起こして何もかも根こそぎ全滅破壊することもできたということです。畑の大切なキビやトウモロコシまで被害にあうと一族にとっては一大事です。
そして、サワドゴ一族はいつも勝利を収めたのだそうです。
もう一つ、乾季の時のサワドゴ一族のパワー(la puissance)です。
かれらは、乾季の村で強い縦長の風が巻き起こると、その風に乗って旅に出かけることができました。
遠くの村でもよその国でも、普通だったら汽車、バス、バイク、飛行機で3日かかるところを風と共に2時間ほどでぴゅーっと目的地に到着できたというのです。
足取りも危うげな年寄りの人でさえも、さっと旅に出て何日でも滞在できて、また風と共に帰ってきたのだそうです。
なぜだか、目的地には夜に到着するのだそうです。
風に乗って旅をする・・・考えただけでわくわくします。
そういうパワー(la puissance)をサワドゴ一族の男衆(限定とか)は持っていて、代々、秘伝として伝わっていたのだそうです。
現在のワガドゥグでは、建物が立ち並び空き地がないから、強い縦長の風を見ることはできないと言います。でも、乾季の村落部では、家もまばら、木もカラカラで草さえ生えていないから、今でも、乾季の頃は大きな縦長の風(竜巻のことなのかなぁ)が起こり、ああだれかが旅に出たなと思うのだそうです。
1月、2月、3月、4月が縦長の強風に乗って旅をする季節だと言います。
さらにおもしろいことを聴きました。
強い縦長の風が起こると、誰かが風に乗って旅に出たんだと皆が思っていたということですが、その風の中にいる旅人を2つの方法でこっそりと見ることができるというのです。
風に乗って旅に出るのは秘伝だし家族にさえ秘密裏に行われることなのだから、決して旅人を覗き見る行為は良くないことだということですが。
一つは、古いひょうたん(la calebasse)が欠けてそこに空いた穴から、もう一つは針の穴から風の中の旅人の姿を覗き見することができるのだそうです。
禁止された行為であっても、やっぱり知りたくなりますね。
お話を聴いたひとりのマダム・サワドゴさんは、小さい頃に強い縦長の風が起こると、パワーを持った人が通るから家に入りないと大人たちから言われていたそうです。そして、かのじょは固くそれを信じていたから強風が起こると慌てて家に入ったそうです。
パワーを持った人が通り過ぎるとき、病気になると信じていた、ここの人たちは「風」は悪い運気をもたらすと信じていた、と言うのです。
目、口からウィルスが入って病気になるというよりも、不思議な風のパワーが悪いものを運ぶと考えていたのだなと感じました。
二人のサワドゴさんも、モシ族だけど姓の違うわたしのフランス語の先生も、アフリカには家族に伝わる秘伝が昔から多く存在したと口をそろえて言います。
そういう、一族に代々伝わる不思議なパワー(la puissance)の秘法は長男にだけ伝えられたそうです。
特に妻たちはよそから嫁いできた血縁の無い身、そして娘たちもいずれは他家へ嫁ぐ身。女性はいつもどの場にいてもよそ者(l'etrangere)だったのだと低身分の弱い立場だったことを強調します。
そんなわけなのか、昔は女性も男性も特別なパワー(能力)を持っていたのだけど、今では、ある年代以上の、その存在を信じる男性だけがパワー(能力)を駆使できるのだそうです。
また、その秘法は決して”魔法”などではないとかれらは言います。
それをかれらは、"パワー(la puissance)とわたしたちの文化(la culture)が結合したもの"とも言い換えました。
そして、”サワドゴ一族のニョンニョンセ(gnongonse)」”という言い回しもします。
「ニョンニョンセ」とは、”le puissant, 能力のある者、強者。”かれらの言葉、モレ語なのでしょう。
これらのパワー(能力)は秘伝を信じ守る世代だけが駆使できると考えられていて、二人のサワドゴさんたちは、今もニョンニョンセの存在を信じているときっぱり言いました。
小さいときから信じていたものをずっと持ち続けるかれらの純粋さ。
わたしも信じてみたくなりました。
わたしたち一家が中央アフリカ共和国のバンギに住んでいた時に毎晩母子で楽しみに読んだイギリスの物語『飛ぶ船』(ヒルダ・ルイス著、岩波書店)をわたしはふっと思い出しました。
4人の弟妹の一人が街角の古物商の店で手に入れた小さな帆船が、かれら弟妹を時空間を飛び越えていろいろな時代のいろいろな場所へいざない、冒険をするという物語なのですが、物語の最後で、かれらも成長して大きくなって、外の世界へ目を向けるようになって、飛ぶ船の持つ不思議なパワーのことがだんだんかれらの記憶から遠のいてゆき、”飛ぶ船”も、普通の帆船の置物となったのです、と話は結ばれていました。
大人になってこの物語を読んだわたしには、大人になると大切なものを失うのだなあ、ととても寂しく思ったものです。
アフリカの二人のサワドゴさんたちが、かれらのパワーを信じていると言い切ったとき、忘れてはいけないものを思い出したようで、胸がどきん!とひとつ高鳴りました。