2017年9月19日火曜日

アーサー・ビナード ”ここが家だ”~ベン・ジャーンの第五福竜丸

先週の土曜日、赤羽の青猫書房でのアーサー・ビナードさんの講演に参加した。
かれは50歳くらい?のアメリカ人。来日して日本語を習得し、今では、執筆も日本語で行っている。いわむらかずお著の”14匹ねずみ一家シリーズ”の英訳もしているのだそうだ。

わたしは、アーサー・ビナードさん、と聞いて、ベン・ジャーンさんの絵とともに著した”ここが家だ”を懐かしく思い出した。


”ここが家だ”~ベン・ジャーンの第五福竜丸 表紙

わたしが最後に開いた、2011年の夏の絵本屋~”センス・オブ・ワンダー”を囲んで、の時に取り上げた書籍のうちの一冊だった。
2011年3月11日の東北大震災で、まだまだ混乱状態の続く日本に暮らし、未来を支える子どもたちと共に自然の現象に身を置き、目を凝らし、不思議だなあ、きれいだなあ、と感動する心を持って生きていきたい。そんな絵本や、物語、詩集を選書してみようと思っての、「2011年・夏の絵本屋」だった。

”ここが家だ”は、画家ベン・ジャーンさんが描いた、第五福竜丸のビキニ環礁での水爆実験被ばく前後の乗組員の一連の絵と共に、かれらの記録を記した物語だ。
ビキニ環礁で超極秘裏に行われたアメリカによる水爆実験。
世界中で、Happy dragon という名で知られる悲劇の第五福竜丸の乗組員たちにふりかかった思いもしない出来事。
現在、どこかの町でこの船が展示されて、水爆の恐ろしさをひそかに伝えていると聞く。

わたしは、ずっと、この第五福竜丸の乗組員の悲劇、不運を、悲しみを持って見てきた。
でも。
アーサー・ビナードさんは、かれらは、勇敢なすばらしい行動を示した人たちだったのだ、と言い切った。
確かに、漁業操業中に期せずして被ばくした乗組員たちは、悲劇の不運な人たちではあったが、かれらはそれだけで終わらなかったのだ、と。

世界一を誇るアメリカの軍隊!水爆実験も超極秘裏に進められ決行され、終結される予定だった。
その、実験の海域で操業していた第五福竜丸。船長の久保田さんはじめ乗組員たちは、西に太陽のように光るものを見たのだった。
西に昇る太陽はない、とすぐに異変を察知した久保田さんは、第二次大戦中、スパイとしての任務も併せ持って漁船の操業に従事していたという経験の持ち主だったのだ。
ぴかっと光って嵐のような天候に激変したことにさらに異様なものを感じた久保田さんは、とにかく、アメリカの無線機器のレーダーに第五福竜丸の存在を感知させたら一貫の終わりだと直感。大戦中、スパイの任務も併せ持って操業していた漁船が、無線レーダーから突然消え、消息を絶つという異様な経験を何度もしていた。とにかく、アメリカ軍がビキニ環礁海域に日本の漁船がいるとレーダーが感知することを回避すること。そのために日本に第五福竜丸から無線を発信してこの異変を知らせることを禁止し、万が一、アメリカ軍が第五福竜丸の存在を感知して尾行が始まり、これで最後だと思ったときにのみ海上保安庁に交信する、これは最後の発信になる、と覚悟した。
乗組員は、嵐のように吹き荒れる海に瓶を入れ、いくつもサンプルを集めたとも聞く。
そして、すぐに母港の焼津に向かって最短の航海コースを取るとそれこそアメリカ軍の思うつぼだ、ともかく、ビキニ環礁海域から早く逃れることだと決断し、コースを真北に取り、アメリカ軍の無線海域からの脱出を図った。
そして、第五福竜丸が焼津港に近づいたとき、折しも、焼津港は捕獲した漁船の水揚げ最盛時刻だと知った久保田船長は、沖で待機し、その時間を避けて入港。
航海途中で、すでに乗組員たちは体調に異変をきたしていた。
入港後、船長はじめ乗組員たちは、海上保安庁にすぐにビキニ環礁で見たことを知らせ、サンプルを渡し、病院へ搬送された。

乗組員たちは、その後、悲惨な状態で亡くなった。
しかし、かれらの取った行動が、アメリカの水爆実験の悪行を世に知らしめたのだった。
水爆は、広島や長崎の原爆の比ではないものすごい威力を持っているという。

アーサー・ビナードさんは、幼い頃、自宅にあったベン・ジャーンさんの描く第五福竜丸の画集を傍に育ったのだそうだ。ビナードさんの父親の蔵書だったとか。
そうして、ベン・ジャーンさんの絵と共に、第五福竜丸の乗組員たちのことを描いてみようと思ったのだった。

アーサー・ビナードさんは、世界で最初に原爆投下された広島に家族と共に住み、世界の原子力を使った地球上の悪行を見つめている。

彼は言った。
世の中に出回る情報は、すべて操作されている、と。
政府、企業などの都合の良いように変えられ、表現方法でいかようにでも変えられるのだと。
第五福竜丸の被ばくについても、日本政府は、乗組員たちが取った勇気ある行動、残したデータを封印?し、アメリカの悪行をおおっぴらには暴いていないし、批難さえもしていない。

個人個人がしっかり見る目を持って生きて行かなければと改めて思った講演だった。

センス・オブ・ワンダー。
不思議だなあ、どうしてだろう、きれいだなあ、おかしいぞ。
心を持って生きていきたい。

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