小さいながらも、挿し絵の下手さぐあいに親しみを覚え、内容をどこまで理解していたのか疑問だが、繰り返し読んで楽しんだ物語だった。
何度読んでもつかみどころのない、不思議な想いで読み終えていたのを覚えている。それでも、読み返していた。
フランスのアントワーヌ・ド・サンテグジュペリ作の物語だ。
岩波書店の、内藤濯さん訳のテグジュペリさんの「星の王子さま」の本が、我が家には愛蔵版も含めて数冊、ある。
もうじき還暦を迎えるこの歳になっても、いまだ読み返しているのだった。
星の王子さま (岩波書店) |
大人になったある時、序文に見つけたフレーズがわたしの心に響いた。
”おとなはだれもはじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。”
訳者の内藤濯さんは、この序文の冒頭部分に感動して訳に取りかかったと聞いた。
濯さん、70歳のときだったそうだ。
わたしが仲間たちと開いていた夏だけの絵本屋で、この序文と、レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」を礎に、「子どもと、子どもの心を忘れずにいるおとなのために」という思いを胸に、絵本や物語、詩集、写真集を選書して本屋に並べたことを懐かしく思い出す。
話は逸れるが、訳者の濯さんは、「まず、声の言葉があっての文字の言葉である」と言って、言葉の響き、リズム、音楽性を大切にする方だったとも聞く。
「星の王子さま」を日本で出版するにあたり、「この原文の美しいリズムを訳文に活かせるのは内藤のほかにありません。」と、訳者として白羽の矢が立ったのが濯さんだったそうだ。
(シューベルトの子守歌~ねむれねむれ母の胸に~も、なんと濯さんの訳だった!)
(もう一つ。”洗濯”の濯だから、わたしはしばらくの間、”ないとう たく”さんと読んでいた。ところが、”あろう”さんだったことを、大人になって知った。仏語の”Hello!”~アロウ~「やあ、こんにちは!」。わあ、すごい、音が同じだ!目を輝かせた日をこれまた懐かしく思い出す。あろうさん、がペンネームだったのか、あるいは本名で、それが、仏文学者の道を歩むことになったのか??想像を膨らますのだった。)
さて。話をもどして。
濯さんは、仏語の原文を一節ずつ彼自身が読み上げ、それを日本語にしたものをまた声に出し、編集者が書き上げ読み上げる。読み上げるときは、「ふつうの話し方で読んでください。思い入れなどはしないでください。」と注文が付いて、口述で翻訳作業に当たったのだとか。
わたしは、原文で通読したことはないが、サンテグジュペリさんの仏語文は本当に美しい流れ、言葉遣いなのだろうと想像できる。
息子の母校、暁星学園では第一外国語に仏語を選択すると、ある学年になると、「星の王子さま」を教材として読むと聞いて深く納得するのだった。
「星の王子さま」初版は、1943年4月6日、アメリカの出版社からだった。
王子さまとテグジュペリさんが別れて6年後に書かれたものだと設定されている。
その後、1944年7月31日にかれの操縦する飛行機がマルセイユ沖で消息を絶つ。
今日は、テグジュペリさんの命日だ。
わたしは、パリから夜行便でアフリカに向かう度に、または反対にアフリカからパリに向かう夜行便でいつも楽しみにしていたのが、サハラ砂漠上空を飛ぶことだった。
それは、月夜の晩でなければならないのだが。
青い、海の底のような砂漠が静かに横たわる月夜。
じっと見下ろしていると、確かにテグジュペリさんと星の王子さまが話し込んでいる姿が見えてくる。
あ、いたいた!
王子さまぁ!
テグジュペリさぁん!
楽しい想像だった。
もしかしたら、もうこのサハラ砂漠上空を飛ぶことは人生で最後かもしれない、とキンシャサから意気込んで乗り込んだ6月4日のパリに向かう夜行便で。
せっかくの月夜の晩だったのに、わたしの席は機体ど真ん中の席だった。
機体の前列から最後列まで、窓側の席はどこも満席だった。
しかも、機体最後尾の窓も堅く閉じられていた。
サハラ砂漠を見ることも、かれらに再会することもできなかった。
もしかしたら人生ラストチャンスだったかもしれないフライト。
そして、早朝のパリで乗り継いで、娘一家の住む町を目指して降り立ったところが、リヨン・サンテグジュペリ空港だった。
テグジュペリさんの故郷、リヨン。
大きく、空港の窓ガラスの描かれた星の王子さまがわたしを優しく(!)迎えてくれた。
さらに。
帰国して、友人たちとの再会パーティーで隣り合った写真家、大塚雅貴さんが、かばんから出してきたものが、なんと!
写真集「SAHARA」 |
写真集「SAHARA」!
もちろん、その場で大塚さんに譲ってもらった。
かれが10年、20年?の長い期間をかけて撮りためた、サハラ砂漠のいろいろな表情の写真たち。
国にしたら・・・北は、アルジェリア、リビアからモーリタニア、マリ、ニジェール、・・・、現在では、立ち入ることもできない区域もあるそうだ。
写真集「SAHARA」より |
「星の王子さま」。
星の王子さまは、子ども心が残っていたテグジュペリさんの分身だったのかな。
テグジュペリさんの心の葛藤が分身として現れたのかな。
不時着したテグジュペリさんと、小さな星から降り立った王子さまが寓話のように砂漠で出会って、たわいもない対話をする、というだけの、そのまま、ありのままの物語として読んでいいのかな。
二人の最期も不思議な結末だ。
分身だったのか。
星から舞い降りてきた王子さまと二人だけの世界で出会った話なのか。
わたしは、子どもだった頃の心のままに、この物語に添っていたい。
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