昔の話ですが、L’éléphant vert(レ・レファン・ベール)という小さな絵本屋さんを、毎年夏休みの期間限定でオープンしていました。多くの方々のお力のおかげで…。 いつかまた絵本屋さんを実現できたらな、そんなことをひっそりと夢みながら、 このブログで絵本に関するたわいもない話を、 現在アフリカのブルキナファソに住む母(2012年~2014年はコンゴ民主共和国からの更新)と、フランスに嫁いだ娘が綴ります。
2019年9月23日月曜日
イエネンガ姫の絵本を見つける
ついに、イエネンガ姫物語の絵本を発見しました。
ワガドゥグ在住の日本人の友人が見つけてプレゼントしてくれました。
”Yennenga La Princesse de Dagomba”という題名で、2016年にガーナの Sub-Saharan Publishers という出版社から出されたものです。
しかも、ガーナ人の作、絵で、訳者(ガーナの公用語は英語)はコートジボワール人という、すべてがアフリカで完結された絵本なのでした。感動ものです!
文:Eric Bawah
絵:Edmund Opare
編者:A.Ofori-Mensha
仏訳:Fatoumata Keita
そのためでしょう。
素晴らしいデッサン力で描写される内容は濃く、西アフリカに伝わる文化がちりばめられているように思います。
これは、イエネンガ姫が愛馬にまたがり弓槍を駆使して戦う場面。かのじょの戦闘服に見入ってしまいます。
これは、イエネンガ姫が母となり、深い母性愛で息子のウエドラォゴの成長を夫と見守る場面。ページごとに広がる背景にも興味がわき、西アフリカ出身の画家だから描けた場面だと思います。
息子が成長してイエネンガ姫の父に受け入れられて、のちに立派になって、多くの騎兵隊を引き連れて故郷に戻る場面も壮大です。
なぜ、イエネンガ姫の物語を隣国であるガーナの出版社が扱ったのか。
これにも頷けます。
イエネンガの父親はガンバーガ出身と伝えられています。
この絵本の表題、La Princesse de Dagomba(ダゴンバの王女)、とあるように、イエネンガの父親はダゴンバ王国の王様、首長と言い伝えられています。
”ガンバーガ”という土地はダゴンバ王国の首都ととらえられ、これらの地域は、今でいうガーナ北部地域を指すのだそうです。
イエネンガ姫から脈々と繋がるモシ族をはじめとするブルキナファソに広がる子孫、イエネンガ姫に繋がるダゴンバ族、マンプルシ族、ナヌンバ族(この部族たちはガーナに広がっているものと思われます。)は、現在もイエネンガを”我らの母”と考えて尊敬し、ともに兄弟姉妹、従兄弟のように考えて仲良く共存している、と物語は結ばれています。
また、最終ページの補足書きには、ブルキナファソとガーナの地図が(国境線こそ引かれてはいますが)同じ色で塗られていて、まるで一つの国のように描かれています。
ガーナ北部のほうの人々とブルキナファソの人々は、ともにイエネンガ姫を母と仰いで繋がっているのだと再び書かれています。(イエネンガの孫たちの子孫は更にブルキナファソの北部や東部に広がっているのですから。)
この補足書きを読んでも、ガーナとブルキナファソの国境線は英仏が勝手に植民地時代に引いたものなのだと憤りさえ感じます。今では、英語を話す国とフランス語を話す国になってしまってはいますが、両国間には現在もバス便やトラック便が頻繁に行きかって、深いつながりを持っていると感じ取れます。
アフリカの人たちによる、アフリカの物語の絵本。
こんな絵本が、アフリカの子どもたちのために出版されていくといいなあ。
さらに補足書きには、ワガドゥグ市内にはイエネンガ姫の像が建てられ、ブルキナファソのサッカーナショナルチーム名は、「Les Etalons」(仏語で”牡馬”の意味。イエネンガ姫の愛馬を意味する。)であり、また、ワガドゥグで2年に一度開催されるアフリカ映画祭”FESPACO”のグランプリ受賞監督には愛馬にまたがって戦うイエネンガ姫の雄姿のゴールドトロフィーが渡される、と言うことも書かれて、いかに今でもイエネンガ姫が皆に尊敬され続けているかを紹介しています。
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