昔の話ですが、L’éléphant vert(レ・レファン・ベール)という小さな絵本屋さんを、毎年夏休みの期間限定でオープンしていました。多くの方々のお力のおかげで…。 いつかまた絵本屋さんを実現できたらな、そんなことをひっそりと夢みながら、 このブログで絵本に関するたわいもない話を、 現在アフリカのブルキナファソに住む母(2012年~2014年はコンゴ民主共和国からの更新)と、フランスに嫁いだ娘が綴ります。
2019年9月30日月曜日
西アフリカの鳥の図鑑の本~”Oiseaux de l'Afrique de l'Ouest”
とうとう入手しました。
アフリカの鳥の図鑑の本を。
中央アフリカのバンギにいたときから、思い続けて約20数年。
”西”アフリカの鳥の図鑑ですが、しっかり、バンギ時代の鳥にも、キンシャサ時代の鳥にも、この図鑑の中で再会することができました。
ワガドゥグの中心地区にある大きなおしゃれな本屋で、鳥の図鑑が欲しい、解説付きできれいな写真付きの図鑑が、と店員さんに尋ねると、あなたの所望する図鑑がついこの前までこの棚のこの辺りにあったのだけど、最近売れてしまったわぁと言われました。
がっかりするわたしに、あと2か月したら再注文の本が届くから待っててと声をかけてくれました。
そして、きっかり2か月経って本屋に行くと同じ店員さんが、荷物が届いたばかりで2,3日うちに開封して店に取り置いておくから連絡先を教えてと言われたのです。
本当に翌々日に連絡をくれて、すぐに受け取りに行きました。
それが、上の写真の本です。
ハードカバーではないにもかかわらず、本の厚みは2.5cmもあります。
きれいな写真に、分布地図まで載っています。
ページ数は500を超えています。
もう嬉しくなって、毎日毎日ページをめくって眺めています。
初版はロンドンの出版社から2001年に”Birds of Western Africa”の題で出版され、その後、パリの出版社”Delachaux et Niestle”から第3刷のものが4年ぶりに2019年6月に出版されたばかりなのでした。
なんというめぐりあわせ!
西アフリカ23か国の、1308種類の鳥たちを148色を使って印刷していると書かれています。
これは裏表紙です。
ちょっと高価でしたが、一生大事にするからと夫にも承諾してもらいました。
アフリカの鳥の本が欲しいというわたしのことを覚えてくれていた本屋の店員さんにも感謝です。
くちばしの長い、体は黒色だけど胸のところが赤と緑でとてもきれいな鳥。
この鳥が、バンギ(中央アフリカ共和国の首都)の我が家のアパートに寄り添うように立っていた高い木の枝にとまって夜明け前からパッピエポッ、ピッ!と繰り返し鳴いていましたっけ。
”souimanga”~”タイヨウチョウ”の種類の一つだと解かりました。
また同じアパートで、夜に「お母さん、ベランダの所に”ほくろう”がとまっているよ。」と息子が気づいて、家族でそーっと覗くと大きな”ふくろう”だったという、思い出のふくろうもたくさん載っています。
キンシャサゴルフクラブは町の中心地にあるにもかかわらず、豊かな緑とあちこちに点在する多くの池があって、鳥たちの宝庫でした。
こんな青い鳥、コルドンブルーもよく見かけました。
赤と青と黒が鮮やかなカワセミも、キンシャサゴルフ場にいました。
フランス語では、”martin-pecheur”~朝の釣り人。なんと詩的なネーミングだろうとうっとりしたことを思い出します。
ゴルフ場を飛び交っていた、グレーの体にきれいな朱色のしっぽを持つコンゴインコ、”perroquet jaco”もしっかり載っています。
ワガドゥグではきれいな小ぶりの鳩が飛んでいますが、この鳥図鑑には鳩のことも詳しく載っています。
夫の事務所に勤務する女性から聴いた、彼女の家族に伝わる鳩への恩返しを思い出します。ワガドゥグで見つけたアフリカンプリントの柄にも鳩が使われています。
バンギにいたときのこと。
夜中には「ゲギョ・・」とか「ホ・ゲギョ!」とか下手な鳴き方しかできなかったうぐいすが、何度も何度も練習を繰り返して、なんと明け方には「ホー・ホケキョ!」と立派に鳴けるようになったという思い出も忘れられません。
夫は、わたしが夢を見たのだと言い張りましたが、ケニアに長期滞在していた、やはり鳥の大好きな日本人の方が、ケニアにもうぐいすが確かにいましたよ、と証言してくれたので、今、この図鑑で一生懸命探しているところです。
日本でもおなじみの、すずめ、からす、つばめ、鶴。いろいろな種類があるのですね。
仏語辞書で調べても見つけられない鳥の種類もあります。
根気よく、この本と仲良くなって調べてゆきたいと思います。
2019年9月23日月曜日
イエネンガ姫の絵本を見つける
ついに、イエネンガ姫物語の絵本を発見しました。
ワガドゥグ在住の日本人の友人が見つけてプレゼントしてくれました。
”Yennenga La Princesse de Dagomba”という題名で、2016年にガーナの Sub-Saharan Publishers という出版社から出されたものです。
しかも、ガーナ人の作、絵で、訳者(ガーナの公用語は英語)はコートジボワール人という、すべてがアフリカで完結された絵本なのでした。感動ものです!
文:Eric Bawah
絵:Edmund Opare
編者:A.Ofori-Mensha
仏訳:Fatoumata Keita
そのためでしょう。
素晴らしいデッサン力で描写される内容は濃く、西アフリカに伝わる文化がちりばめられているように思います。
これは、イエネンガ姫が愛馬にまたがり弓槍を駆使して戦う場面。かのじょの戦闘服に見入ってしまいます。
これは、イエネンガ姫が母となり、深い母性愛で息子のウエドラォゴの成長を夫と見守る場面。ページごとに広がる背景にも興味がわき、西アフリカ出身の画家だから描けた場面だと思います。
息子が成長してイエネンガ姫の父に受け入れられて、のちに立派になって、多くの騎兵隊を引き連れて故郷に戻る場面も壮大です。
なぜ、イエネンガ姫の物語を隣国であるガーナの出版社が扱ったのか。
これにも頷けます。
イエネンガの父親はガンバーガ出身と伝えられています。
この絵本の表題、La Princesse de Dagomba(ダゴンバの王女)、とあるように、イエネンガの父親はダゴンバ王国の王様、首長と言い伝えられています。
”ガンバーガ”という土地はダゴンバ王国の首都ととらえられ、これらの地域は、今でいうガーナ北部地域を指すのだそうです。
イエネンガ姫から脈々と繋がるモシ族をはじめとするブルキナファソに広がる子孫、イエネンガ姫に繋がるダゴンバ族、マンプルシ族、ナヌンバ族(この部族たちはガーナに広がっているものと思われます。)は、現在もイエネンガを”我らの母”と考えて尊敬し、ともに兄弟姉妹、従兄弟のように考えて仲良く共存している、と物語は結ばれています。
また、最終ページの補足書きには、ブルキナファソとガーナの地図が(国境線こそ引かれてはいますが)同じ色で塗られていて、まるで一つの国のように描かれています。
ガーナ北部のほうの人々とブルキナファソの人々は、ともにイエネンガ姫を母と仰いで繋がっているのだと再び書かれています。(イエネンガの孫たちの子孫は更にブルキナファソの北部や東部に広がっているのですから。)
この補足書きを読んでも、ガーナとブルキナファソの国境線は英仏が勝手に植民地時代に引いたものなのだと憤りさえ感じます。今では、英語を話す国とフランス語を話す国になってしまってはいますが、両国間には現在もバス便やトラック便が頻繁に行きかって、深いつながりを持っていると感じ取れます。
アフリカの人たちによる、アフリカの物語の絵本。
こんな絵本が、アフリカの子どもたちのために出版されていくといいなあ。
さらに補足書きには、ワガドゥグ市内にはイエネンガ姫の像が建てられ、ブルキナファソのサッカーナショナルチーム名は、「Les Etalons」(仏語で”牡馬”の意味。イエネンガ姫の愛馬を意味する。)であり、また、ワガドゥグで2年に一度開催されるアフリカ映画祭”FESPACO”のグランプリ受賞監督には愛馬にまたがって戦うイエネンガ姫の雄姿のゴールドトロフィーが渡される、と言うことも書かれて、いかに今でもイエネンガ姫が皆に尊敬され続けているかを紹介しています。
2019年9月14日土曜日
お月さまの中に見えるもの
日本はもう9月14日ですね。
こちら、ワガドゥグでは、9月13日夜を迎えました。
我が家の窓からは、満月(の1日前?)が見えなくて残念!
今年は、日本では9月13日が中秋の名月。そして、翌日の14日が満月になるのだそうです。ワガドゥグも日本より9時間後(時差分)に中秋の名月、満月となるのかな。
日本では、月と農業は深い繋がりを持っているそうです。人間の体のリズムとも繋がっているとも言います。
日本では明治5年まで太陰太陽暦(太陰暦)が使われていたと知りました。
さて、日本人は、満月の中でうさぎが餅つきをしていると考えますね。
もちろん、わたしもずーっとそう思って月を見ていました!
30年近くも前に、家族で中央アフリカのバンギに暮らすことになったとき、貴重な荷物のスペースを使って、天体望遠鏡を持って行ったことを思い出します。
北緯35度の日本と、北緯4度のバンギでは、絶対に月の模様が違って見えると信じて疑わなかったわたしは、家族でそれを実証しようと思ったのです。
まったくごくろーさん、な話です。
確かに、夜、庭に望遠鏡を持ち出して観た満月の模様は違っている!、と夫や子どもたちと言い合って感動したものですが、今となってはそれが本当だったのかどうか、疑わしく思ったり・・・。科学的にはどうなのでしょうねえ。
日本だけでなく、中国、韓国でも月にうさぎがいるという言い伝えが存在しているようです。ただ、中国では、うさぎが杵臼でついているのは薬草だと考えるのだそうです。
他のアジアの国を調べてみると、インドではワニが、インドネシアでは編み物をする女性が見えるのだとも書かれていました。
ヨーロッパ北部では本を読む女性。ヨーロッパ南部では大きなはさみを持つカニ。ヨーロッパ東部では髪の長い女性。
アラビアでは吠えるライオン。
カナダではバケツを運ぶ少女。アメリカ南部ではワニ。南米ではロバ。
やはり緯度が違うと、見え方も違うのでしょうか。それとも、その土地、土地で育まれた文化、感性の違いかな。ふしぎです。
さて、アフリカの人たちには、どのように見えるのでしょう。
コンゴ民主共和国のキンシャサの人たちに尋ねると、母親が子どもをかたぐるましている姿だと考える、とこたえました。
マリ共和国のトアレグ族の女性に訊いたときには、おばあさんが繕い物をしている姿ととらえられているそうです。
そして、ここ、ワガドゥグのモシ族の女性に訊くと、赤ちゃんにおっぱいを飲ませる母親がいると考えるのだそうです。
なんとおもしろい!!!
このように、アフリカで訊いた3か国の人たちは、月の中に”女性”を見ています。
インドネシア、ヨーロッパ北部、東部、カナダでも月の中に女性を見ています。
フランス語で月のことを ”La lune” と言い、女性名詞です。
こんなことにも興味がわきます。
ワガドゥグの人たちに、日本人には月にうさぎがいて餅つきをしている姿が見えるんだよと説明すると、目をまん丸にしてびっくりされました。
トアレグ族の女性は、おばあさんが繕い物をしているのが見えるお月さまの歌もあると言っていましたが、キンシャサにも、ワガドゥグにも(わたしが訊く限り)月の歌はありませんでした。(そもそも子どものための歌というのがどちらの国にもないように思います。)日本にはお月さまの歌がいくつかあるよというと、これまたびっくりされました。盆踊りの歌にまであるよ、とは言いませんでしたが。
また、日本人には平安時代に中国から入ってきたといわれる”お月見”の風習がありますが、アフリカのこの3か国では月をめでるという文化は存在しないようです。
わたしは、もっともっとアフリカの人たちに「月の中に見えるもの」について聴き取っていきたいと思います。
こちら、ワガドゥグでは、9月13日夜を迎えました。
我が家の窓からは、満月(の1日前?)が見えなくて残念!
今年は、日本では9月13日が中秋の名月。そして、翌日の14日が満月になるのだそうです。ワガドゥグも日本より9時間後(時差分)に中秋の名月、満月となるのかな。
日本では、月と農業は深い繋がりを持っているそうです。人間の体のリズムとも繋がっているとも言います。
日本では明治5年まで太陰太陽暦(太陰暦)が使われていたと知りました。
さて、日本人は、満月の中でうさぎが餅つきをしていると考えますね。
もちろん、わたしもずーっとそう思って月を見ていました!
30年近くも前に、家族で中央アフリカのバンギに暮らすことになったとき、貴重な荷物のスペースを使って、天体望遠鏡を持って行ったことを思い出します。
北緯35度の日本と、北緯4度のバンギでは、絶対に月の模様が違って見えると信じて疑わなかったわたしは、家族でそれを実証しようと思ったのです。
まったくごくろーさん、な話です。
確かに、夜、庭に望遠鏡を持ち出して観た満月の模様は違っている!、と夫や子どもたちと言い合って感動したものですが、今となってはそれが本当だったのかどうか、疑わしく思ったり・・・。科学的にはどうなのでしょうねえ。
日本だけでなく、中国、韓国でも月にうさぎがいるという言い伝えが存在しているようです。ただ、中国では、うさぎが杵臼でついているのは薬草だと考えるのだそうです。
他のアジアの国を調べてみると、インドではワニが、インドネシアでは編み物をする女性が見えるのだとも書かれていました。
ヨーロッパ北部では本を読む女性。ヨーロッパ南部では大きなはさみを持つカニ。ヨーロッパ東部では髪の長い女性。
アラビアでは吠えるライオン。
カナダではバケツを運ぶ少女。アメリカ南部ではワニ。南米ではロバ。
やはり緯度が違うと、見え方も違うのでしょうか。それとも、その土地、土地で育まれた文化、感性の違いかな。ふしぎです。
さて、アフリカの人たちには、どのように見えるのでしょう。
コンゴ民主共和国のキンシャサの人たちに尋ねると、母親が子どもをかたぐるましている姿だと考える、とこたえました。
マリ共和国のトアレグ族の女性に訊いたときには、おばあさんが繕い物をしている姿ととらえられているそうです。
そして、ここ、ワガドゥグのモシ族の女性に訊くと、赤ちゃんにおっぱいを飲ませる母親がいると考えるのだそうです。
なんとおもしろい!!!
このように、アフリカで訊いた3か国の人たちは、月の中に”女性”を見ています。
インドネシア、ヨーロッパ北部、東部、カナダでも月の中に女性を見ています。
フランス語で月のことを ”La lune” と言い、女性名詞です。
こんなことにも興味がわきます。
ワガドゥグの人たちに、日本人には月にうさぎがいて餅つきをしている姿が見えるんだよと説明すると、目をまん丸にしてびっくりされました。
トアレグ族の女性は、おばあさんが繕い物をしているのが見えるお月さまの歌もあると言っていましたが、キンシャサにも、ワガドゥグにも(わたしが訊く限り)月の歌はありませんでした。(そもそも子どものための歌というのがどちらの国にもないように思います。)日本にはお月さまの歌がいくつかあるよというと、これまたびっくりされました。盆踊りの歌にまであるよ、とは言いませんでしたが。
また、日本人には平安時代に中国から入ってきたといわれる”お月見”の風習がありますが、アフリカのこの3か国では月をめでるという文化は存在しないようです。
わたしは、もっともっとアフリカの人たちに「月の中に見えるもの」について聴き取っていきたいと思います。
2019年9月6日金曜日
一族に伝わる森鳩への恩返しの話
ワガドゥグ暮らし初期に滞在したホテルの庭によく鳩が来ていた。(2019年3月) |
これもまた、夫の事務所に勤務する、モシ族のジナボさんから聴き取った話です。
この国の人たちは、鶏肉を食べるのと同じように、鳩の肉も好んで食べると聞きますが、ジナボさんの一族の女性たちは決して鳩を食べないというのです。
なぜなのでしょう。
話は、かのじょのひいひいひい…おばあちゃんが長旅に出た場面から始まります。
旅の途中で、ひいひいひい…おばあちゃんは、持ってきた食べ物も水もなくなってしまいました。疲れ果てて、しばらくバオバブの木の下でやすんでいました。これ以上歩けなくなってしまったのです。
そこへ、一羽の森鳩(le pigeon de brousse)が飛んできました。
ひいひいひい・・・おばあちゃんが疲れきってすわっているのに気づいた森鳩は川へ行き、一枚の葉に水を入れて、ひいひいひい…おばあちゃんのところへ何度も何度も運んできてくれました。
少しずつ、少しずつ。
一滴、二滴…と森鳩が運んできてくれた水を口に含んで、ひいひいひい…おばあちゃんは少し歩けるようになり、森鳩のあとについて行って川のあるところまでやってきました。
そして、水を心ゆくまで飲むことができたということです。
ひいひいひい…おばあちゃんは、この一羽の森鳩のおかげで助かったのだと心から感謝しました。
そして、水を葉っぱに入れて少しずつ運んできてくれた森鳩の優しさは、子どもたち、孫たちに代々語り継がれて、ジナボさんの一族の女性たちは、けっして森鳩を食べないのだということです。
これはジナボさんの一族の中だけに伝わる森鳩への恩返しなのだそうです。
ジナボさんは、4人の兄弟と2人の姉妹のいる7人きょうだいだと言います。
7人とも、この話をかのじょたちの、語り上手なおばあちゃんから聴いたということです。
おばあちゃんの語り口が素晴らしかったのでしょうか。ジナボさんの知っている限り、ジナボさんのお父さんも兄弟たち男性でさえ鳩を食べることはなかったそうです。
ジナボさんは、おじいちゃんのことは覚えていないと言います。
日本の昔話にも恩返しの話はありますが、恩返しをするのは動物たちのほうですね。
恩返しを受けるのは、人間です。
でも、アフリカでは、動物たちがしてくれたことへの恩返しを子孫後裔までし続ける人間たちの話が多く伝わるのだそうです。それも、一族にだけ伝わる恩返しの話が。
それは、また次の機会に回しましょう。
登録:
投稿 (Atom)