2017年2月20日月曜日

とんび

キンシャサ滞在の前、赤羽の子どもの本専門店、”青猫書房”で、スタッフとして楽しんでいた。
当たり前の話だけれど、スタッフ皆、本が大好きで、すぐに本の話題になった。
子どもの本、とひとくくりに表現するけれど、大人にこそ手に取ってほしい絵本や児童書がある。
逆にティーンエイジャーにこそ出会ってほしい小説やエッセイもある。
だから、年齢枠を取り払って、自由に本の世界へどうぞようこそ、というのが青猫書房の姿勢だとわたしは思っている。

そして、今日は、この本。


以前、青猫スタッフと重松清さんの小説の話題になった。
わたしが、「その日の前に」は大感動ものだ、と話すと、「とんび」も大感動だよと勧められたことがあった。
そして、先月、再度キンシャサに戻るときに、スタッフからこの「とんび」をプレゼントされてこちらへ持ってきた。
なんとなく、読むのがもったいなくて。
楽しみを温めて温めて。
そしてとうとう。
一気読みだった。
涙、涙で読了。

生後まもなく実母が亡くなり、実父とも生き別れ、家族の縁が薄いヤスさんが、これまた広島原爆で家族を失い疎開先でひとり助かったミサコさんと結婚し、ふたりで懸命に幸せな家族を作ろうとする姿にまず心動かされる。
1934年生まれのヤスさんと、2歳年下のミサコさんが1956年に結婚し、1959年にアキラくんが誕生する。
会社の社長にカメラを頼み込んで借りては家族で出かけて写真を撮りまくるヤスさん。
家族で出かけるたびに車が欲しいと思い、車だったら家族を疲れさせることもないと一大決心をして車を手に入れたヤスさん。運送会社勤務のヤスさんには車の運転は朝飯前なのだった。
当時の映画を観て、生まれてくる子が女の子だったら吉永小百合の「小百合」、男の子だったら小林旭の「旭」だと心に決めたヤスさん。
何ごとにも一生懸命の熱血漢で、超照れくさがり屋で、そんなヤスさんのすべてを理解して支えるミサコさん。
高度経済成長期の日本で、家族を一途に思って滑稽なくらい護り抜くヤスさん。

そして。
そのヤスさんとアキラくん父子を、これまた深い愛情で見守る広島備後の人たちの交流にもほのぼのし、読後は魂がすっかりぴかぴかに洗われたようになった。

さすが、重松清さんの筆さばきに完全にはまってしまった。
かれの、文庫本あとがきの一行目に、
「不器用な父親の物語を描きたい、というのが始まりだった。」
と記している。

この物語も、ぜひ、幅広い年齢層のかたたちに読んでほしい。


今朝、起きてすぐ、ALS(筋委縮性側索硬化症)と向き合って真摯にすすむ友人のブログを開けた。
かのじょは、クリス・ハートさんの歌う「いのちの理由」について書いていた。
作詞は、さだまさしさん。


わたしが生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため

わたしが生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため


まさに、このままの姿勢を貫き通して生きてきたヤスさんだ、とまたまた朝から感動を新たにするのだった。
「とんび」とは、「とんびが鷹を生んだ。」の「とんび」。
失礼ながら、ヤスさんのことだ。

こんな生き方をするヤスさんにわたしは多くのことを教えてもらったな。

2003年10月から、2004年7月にわたって、中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、神戸新聞などに連載され、その後、2008年10月に角川書店から出版されている。

ヤスさん、1934年広島県備後市生まれ。
今も仲間たちと備後の町で、きっときっと元気ににぎやかに過ごしているのだろう。

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