2013年1月29日火曜日

みどりのゆび

岩波少年文庫 みどりのゆび



”みどりのゆび”は、フランスの物語だ。
モーリス・ドリュオンがきれいな言葉で文章を紡ぎ、画家のジャクリーヌ・デュエームがまた美しい挿絵を添える。


少年文庫版に加えて、美しい言葉と美しいカラーの挿絵を堪能できる、”愛蔵版・みどりのゆび”も岩波書店で出版されている。
緑色の箱カバーに入った緑の布地の表装の愛蔵版を手に取ると、岩波書店のひとたちも愛する物語なのだということが伝わってくる。一枚一枚淡い緑色のページをめくると表れるカラーの挿絵たちは、わたしたちをこの物語の世界にいざなってくれる。


上の岩波少年文庫の表紙の中の、立派な鼻ひげのおじさんに隠れるように立っている小さな少年が、この美しい物語の主人公、チトだ。

チトは、”みどりのゆび”という不思議な力を持つ親指を持っていた。
チトがイメージして親指を土に差し込むと瞬く間に緑や花が芽をふくのだ。
その彼の能力を見出し、導く師匠格の庭師が、この表紙に描かれる立派なムスターシュ(口ひげ)を持つおじさんだ。


チトは、人の生きる場として過酷な場所=いちばん潤いの空間を必要とする場所・・・刑務所、貧民街、病室そして戦場に、かれの”みどりのゆび”を使って花を咲かせ、緑の芽を吹かせ、人々の心を蘇らせる。

そこの部分はフランス文学らしく、社会的断面を鋭くえぐってみせる。

そんな社会の矛盾にも素直に疑問を投げかけて真摯に生きるチトの姿に、わたしは同じフランスの物語の”星の王子さま”を重ねてしまうのだ。




この物語を読みながら思い出していたのは、わたしが小学生の時に住んでいた鉄筋アパートが建ち並ぶ社宅の敷地内にひとりで作った”花壇”のことだった。
高度成長期の、当時としてはモダンな北九州の製鉄所の社宅でのことだ。

種から植えて同じ花がまとまってきれいに咲く花壇ではなかった。
わたしが遊んでいるときやピアノレッスンの帰り道の道端や空き地に種が飛んで一輪だけ咲く花を見つけては根っこから引っこ抜いて、わたしだけの花壇に植えなおす、という一輪だけの寄せ集めの、おそらく貧相な花壇だったはずだ。
社宅の、シロツメクサで覆われた敷地内に畳三帖分くらいのスペースをスコップで掘り起こし、周囲を大き目の石ころで囲んだだけのわたしだけの花壇。
4階建ての鉄筋アパートの社宅が建ち並んでいるから、日も当たらない場所だったように思う。
それでも、わたしにはかけがえのない花壇だった。


わたしは飽きもせず、道端や空き地で見つけた一輪だけ頼りなげに、それでもきれいに咲く花をせっせとわたしの花壇に集めて植えなおした。
そしてどの花も水をあげると翌日にはしっかり根を張って元気に花を開いてわたしを楽しませてくれた。

肥料なんてことも思いつかない。母からお米のとぎ汁をもらって水撒きをしていた。
すみれ、パンジー、マーガレット、おしろいばな、ひまわり、ひなげし,コスモス。
名前も知らない花もあった。雑草といわれる花もあった。
一年中,何かの花が咲いていた。
花がしぼんだ後には種ができて、それがまたわたしの宝物だった。




チト少年には愛馬がいた。
物語の最後に、チト少年は地面に親指を突っ込んで間隔を置いて2本の(多分)天まで届く木を生えさせる。
そしてその2本の背の高い木の間に蔓性の植物を絡ませて梯子を作った。

チト少年は愛馬にさよならを告げて梯子を登っていくのだった。
愛馬がブルーの涙を流してチト少年を引き留めるのに、チト少年はどんどん登って行った。


チトのみどりの梯子


美しくも悲しい場面だった。


先週、キンシャサで一人の赤ちゃんがたった7ヶ月の生涯を閉じた。
生きて、生きて、という両親の声も届かず、その子は逝ってしまった。


運命に逆らえない、何か大きな「力」が存在するのだな。

そんな思いに駆られながら、わたしは”みどりのゆび”の最後のシーンを思い出していた。


2013年1月3日木曜日

へびのクリクター


絵本 へびのクリクター


キンシャサから、新年おめでとうございます。

2013年はへび年。
へびが登場する絵本、といったら何と言ってもこの絵本、”へびのクリクター”だ。

作者は、以前このブログでも紹介した絵本、”ゼラルダと人喰い鬼”も著したトミー・ウンゲラーさん。
この作品は細い線で描かれていて、フランスのおしゃれ感漂うイラストだ。
ゼラルダや三人組とはまた違った画風で、自由自在に筆を操りわたしたちを楽しませてくれるウンゲラーさんだ。
彼のウイットに富んだいたずら精神もまたこの物語のあちこちに散りばめられていて、わたしたちの心をホコホコっと遊ばせてくれる。

フランスのエスプリを感じさせる絵と”へび”がマッチングするとこんな風になるんだなあ、というウンゲラーさんの奇想天外さ、っていいなあ~。



この物語の表紙の夫人こそ、この物語の主人公クリクターの飼い主であり、準主人公である、ボドさん。
一見、アニメ”アルプスの少女ハイジ”のロッテンマイヤーさんを彷彿とさせる外見だが、救われることにボドさんは、ブラジルで爬虫類の研究をする息子さんからの誕生日プレゼントとして贈られた大蛇をすんなり受け入れるくらいの度量の広い女性なのだった!

クリクターと名づけられた大蛇は、ブラジルからドーナッツ型の箱に入れられて、つまり大蛇を丸めた形の箱でボドさんのお宅に届く。
一応、ボドさんは届いた蛇が毒蛇ではないことを関係機関に問い合わせてから飼育を始めるくだりが、ボドさんの職業、教師に由来していそうなところもまた愉快だ。

ボドさんがクリクターを手塩にかけて育てる場面を、ウンゲラーさん独特のとぼけたセンスで描いていてページを開くたびに楽しめる。


ボドさんに抱かれてミルクを飲むクリクター


クリクターの故郷に似せて作った観葉植物だらけの寝室に、クリクター用の長ーい長いベッド。
クリクターの長い体に合わせてセーターを編むボドさんの編み目製図を載せる台になるクリクター。
出来上がったセーターにも笑ってしまう。

物語の中身は、ウンゲラーさんのセンスで描く楽しくユーモアたっぷりのクリクターとボドさんの生活ぶりだ。

トミー・ウンゲラーさんは、ストラスブルク生まれのフランス人で、のちにアメリカに移住している。

この物語の最後に登場するクリクター公園、ってホントにフランスのどこかの町に実在するように思える。


さて、昨秋、日本に帰ったときに、わたしの大好きな目白の古絵本屋、”貝の小鳥”で太めのリリアン編みの道具を見つけて買ってきた。
これくらい太かったらわたしの大切な楽器、リコーダーのセーター(カバー)を毛糸で編めるかな、と思って。太い金具が8本も付いているのだから。そして、ちょっとボドさんのクリクター用セーターを思い浮かべて。


8本爪のリリアン編み機で編んでみたけど・・・

でも、思った以上に細い筒状のものしかできない。
アルトリコーダーはもちろん、ソプラニーノにも細すぎた。
あーあ、クリクターの赤ちゃんでもいたらな。

ほら!
こんなボドさんとクリクター人形を制作するかたを発見した!



皆さんにとって、平和で愉しいへび年の2013年となりますように!