2017年4月18日火曜日

NHKカルチャーラジオ 「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」を読んで

生命誌絵巻(JT生命誌研究館蔵)

わたしたちが昨年末に、キンシャサの治安不安定を受けて一時帰国を余儀なくされたとき、たまたま本屋で見つけたNHKカルチャーラジオ、2017年1月~3月放送予定のテキスト。

「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」(中村桂子著)

NHKカルチャーラジオ 2017年1月~3月放送のテキスト

わたしはちょうど、まど・みちおさんの詩「ぞうさん」(こぐま社)が絵本になったものを手にして、そのシンプルさに心沁みていたときだったので、”まど・みちお”という文字に惹きつけられて、このテキストを手に取って、パラパラとページをめくってみた。

第6回の放送分、”つながっていく生きもの~ゲノムと「ぞうさん」”で、まどさんの「ぞうさん」の詩が取り上げられていた。
ふむ?
自然科学の分野である生物学が、まどさんの詩とどのようにつなげられて展開されるのだろう。
生物学、ではなく、生物史、でもなく、「生物誌」ってなんだ?
13回分の講義はプログラム表を確認すると、最初から一度も聴くことはできない。
でも、毎回ラジオを聴いたつもりになって、自分で読んでいこうと思って、テキストを購入してキンシャサまで持ってきたのだった。

この「ぞうさん」の詩が取り上げられる第6回の冒頭部分でまず出てくるまどさんの詩、”空気”。
  
 
 ぼくの胸の中に いま 入ってきたのは いままで ママの胸の中にいた 空気
 
 そしてぼくが いま吐いた空気は もう パパの胸の中に 入っていく

 同じ家に住んでおれば いや 同じ国に住んでおれば 

 いやいや 同じ地球に住んでおれば

 いつかは同じ空気が 入れかわるのだ

 ・・・・・・(中略)

 5月 ぼくの心が いま すきとおりそうに 清々しいのは

 見わたす青葉たちの 吐く息が ぼくらに入り 

 ぼくらを内側から 緑にそめあげてくれているのだ

 ・・・・・(中略)

 一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!

 それはうたっているのか 忘れないで 忘れないで・・と

 すべての生き物が兄弟であることを・・・と


外とのつながりがあって、そして、「すべての生き物は生き物からしか生まれない」ということ。
ゾウはゾウからしか生まれない。
ヒトはヒトからしか生まれない。
でも、ヒトが持っているDNA~ゲノムは、一人ひとりみな違っている、という事実。
そして、ヒトは生まれて死ぬまでの間にさまざまに変化しながら、でも底の底では変わらぬ自分としてつながり、そうやってすべての生きものは38億年もの歴史を持ち続け、連綿と繋がっているという事実。

その相関図がこのブログの最初に掲げた「生命誌絵巻」だというのだ。

人間は生きものであり、自然の一部だ、とまどさんも詩の中で表している。

そして、まどさんは小さな蚤や蟻の目線から大きく大きく視点を広げていって、生きものの舞台を「地球」、そして「宇宙」にまでふくらませて見ている!

「みなさんは 日本の子どもである前に 地球の さらに宇宙の子どもです。」(百歳の言葉)

大きなくくりで、ヒトも含めて生きものとしての繋がりを時空間で考えてみる。
そうしたら、あたえられた人生のちっぽけなこと。
でも、そのひとりひとりのちっぽけな人生が繋がっていって歴史が創られ続いていく。
そう考えると、わたしの人生、友だちの人生、みなの人生をしっかり大切にして繋げていきたい、
と思えてくる。

中村桂子さんは、まどさんの”ぼくがここに”という詩も大きく取り上げている。


 ぼくがここにいるとき ほかのどんなものも 

 ぼくにかさなって ここにいることは できない

 もしも ゾウがここにいるならば そのゾウだけ

 マメがいるならば その一つぶのマメだけしか

 ここにいることはできない

 ああ このちきゅうのうえでは こんなにだいじに

 まもられているのだ

 どんなものが どんなところに いるときにも

 
 その 「いること」こそが なににもまして

 すばらしいこととして


生きものの歴史、38億年のなかで、 今、ここにいること、そのことがすごいこと。
存在することそのことへの賛美、憧れ、畏れをもって生きよう。
そう提唱する生命誌。

また、「生命誌」は、”生きものは長い歴史の中で、唯一無二の個体を生み出すと同時にその個体に老いと死を組み込んだ”ということ、そして、いわゆる障害ということにも触れ、さらりと教えてくれていると感じる。
 
”生命科学が急速に進展され、それらの技術が産業を進歩させていきました。でも、その結果、世の中は、「生きること」を大切にする方向に向かったでしょうか。”
と読者に投げかけ、
”DNAを基盤にする科学を「生きものを生きものとして見る」という新しい見方に繋げたい、ということで「生命誌」という分野を創った。”
この巻の”はじめに”で中村桂子さんは明言している。
 
わたしは、自然科学の分野が人文科学の視点を持って、垣根を取っ払って新しい見方を提示してくれたように感じて、この「生命誌」の捉えかたに魅了された。
大げさに言うと、時空間の中でヒトとしての本来の生き方をも見せてくれるように感じた。

わたしたちが、”時間”と”関係”とを大切に生きることが、「こころ」を働かせることであり、皆でそのような生き方をしていくことが「こころを考える」ことだ、というのが「生命誌」から引き出せる答えです、とも中村桂子さんは結んでいる。

「生命誌」の求めるもの・・・今、ここに子どもたちが、「人間は生きものであり、自然の一部である」
という当たり前のことを、当たり前として育っていくこと、とも言い換えている。

大きな視点と繊細な視点を混ぜ合わせて、長く続いてきた生きものの歴史の流れと、大きな宇宙、空間の中で”自然の一部である生きもの”として生きているわたしたちの存在をもう一度見つめ直
させてくれる科学者であり、同時に哲学者のような視点をも合わせ持つ中村桂子さんグループ(?)の提唱する「生命誌」に触れて本当に良かったと思う。

かのじょのお歳を考えるとわたしの亡き母よりちょっと下くらいのかたか。
子育て期間中は、研究者としての仕事を辞めて子どもと向かい合ってもいらっしゃる。
そういう生き方をしてこられたからこそ、生物科学を普段の生活にまで下ろして考えほぐして見せてくれる柔軟な視点もご自身の中で育まれたのではないか,と想像したりした。
学問と学問の境界域の空白部分こそ研究がなされてその境界線を無くすということは重要な作業だと思えてならない。

この、中村桂子さんの「生命誌」と、まど・みちおさんの「詩の世界」との融合について、3か月にわたる講座内容をわたしなりにまとめて残しておきたいと思いつつも、なかなか書き出せないでいた。

そんな中、わたしの大切な友人で、現在、ALSという病気と向き合うケイコさんが送ってくれた詩が
今朝届いて、その詩がわたしの背中をそっと押してくれた。

最後にその、ヘルマン・ホイヴェルス神父の詩を引用して締めくくりたい。


 「最上のわざ」 ヘルマン・ホイヴェルス著 ”人生の秋に”より

  この世の最上のわざは 何?
 
  楽しい心で年を取り、働きたいけど休み、しゃべりたいけど黙り、
  失望しそうな時に希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

  若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
  人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
  弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔軟であること。

  老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
  まことのふるさとへ行くために。

  おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ外していくのは、 真にえらい仕事。
  こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
  神は、最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

  それは、祈りだ。
  手は何もできない。
  けれども、合掌できる。
  愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
  全てをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
  
  『来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ』と。

 
宇宙を感じながら自然の中の生きものの一つとして、人生を全うして次世代にバトンタッチしたいな。
いつか、中村桂子さんのお声をお聞きしながら、お話を伺う機会がおとずれますように。

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