2014年2月24日月曜日

絵本 みつわちょうに いきたいな

 
  
”みつわちょうに いきたいな”

南フランスの娘の本箱で、こんな題名の絵本を見つけ、娘宅に滞在中に何度も見入ったのだった。

絵本 みつわちょうに いきたいな 表紙

「みつわちょう」とは、埼玉県蕨市南町の旧町名、三和町のことだ。
戦後まで、”三和町”と言っていたが、戦後しばらくしての区画整理などで現町名、”南町”になったのだと聞く。

その蕨市南町に、わたしたち家族は、娘が幼稚園年長のときから、中央アフリカで暮らした3年間を挟んで、足掛け約15年間、お世話になった。
娘が蕨市立南小学校に入学したときの担任の先生が、杉山容子先生だった。
容子先生とは、いろんな縁で繋がり続け、娘の住む南フランスまで三回、訪ねてくださっている。
たくさんのプレゼントを持って。


その先生からのプレゼントのひとつが、絵本「みつわちょうに いきたいな」だったのだそうだ。
容子先生は、現在また約20年ぶりで南小学校に戻られて教鞭を取られている。

南町を歩くと、町がきれいに碁盤の目に区割りされていることに気づく。
二世帯住宅に建て替えられたりしているところもあれば、古い戸建てのまま時間が止ったような風情のところもある。
個人住宅が並ぶ中に緑が多く見え、公園がまた多いことから、とても温かみのある雰囲気を感じる南町だ。
さくら公園、椎の木公園、すずかけ公園、いちょう公園、・・・と公園には樹木の名前が付けられている。もちろん、公園に多く植えられる樹木からの命名だと聞く。
確か、いちょう公園だったか。そこには、大きなくじらの遊具が据え付けられていた。
だから、娘たちは”くじら公園”と言っていた。

その公園近くの桜並木沿いに、娘たちの通うプロテスタントの幼稚園、”天使園”があった。
そこの園長先生をはじめとする先生方は、個々人を尊重していろんな経験をさせてくれた。
そんな園の姿勢が大好きだったなあ。

そして、椎の木公園には、枝が二股に分かれている椎の木の大木があって、”長靴下のピッピ”に憧れていた娘は、小さなバッグにおやつを詰め込んで小さな座布団を持って、その大木に登り、すわり心地の良い場所に座布団を置いて、おやつを食べることを楽しみにしていた。
娘の「指定席」は大人の男性の背丈くらいはあったはずだ。

三和町は、戦前、国の住宅公団がモデル地区として区画し建設した最初の戸建て住宅だったのだそうだ。あるまとまり毎に空き地があり、戦時中は共同の畑となり、戦後は子どもたちの遊び場になり、そして公園として整備されていったのだそうだ。


絵本の裏表紙に使われる当時の住宅計画図


三和町はもともと湿地帯だったらしく、戦前の幻の東京オリンピックとなった時に整備された、隣市にある戸田のボートコースで掘り起こされた土がトロッコ(当時は土運搬のトロッコ用の鉄道が走っていたのだそうだ。)で三和町まで運び込まれて町が作られていったのだと絵本の最後に付記された町の歴史で知った。

また、町を流れていた用水路の両岸に桜の木が植えられ、戦後はその用水路の上を覆って、桜並木になった。毎年4月初めの桜の満開の時には、さくら祭りが開かれて、花見客で夜遅くまで賑わう。


そんな長閑な緑豊かな南町の歴史を子どもたちにも伝え残し、郷土に愛情を持ち続けて欲しいということから編まれたものが、”みつわちょうに いきたいな”、の絵本なのだなと思った。

表紙に描かれる女の子が、地元の三和稲荷神社で出会った不思議な男の子と一緒に、昔の三和町に入り込むというスタイルでストーリーは展開する。
ページいっぱいに、戦前、戦中,戦後の三和町の住民の人々の日常生活が描かれて、細かいところまで楽しめる。
「向こう三軒両隣」と言った死語になりかけた言葉がふと頭によぎってくる。
戦後、住宅は個々住民に払い下げられ、皆が工面して個人の持ち住宅にしていったのだそうだ。


この絵本は、三和町の変遷が深い愛情を持って本当によく描かれていて、子どもたちも興味津々でページをめくれるなと思う。
この絵本で我が町の歴史を知ると、きっと祖父母、曽祖父、曾祖母の代から住むこの町に愛着を持つことだろう。


絵本の最後のページ 現在の蕨市南町の様子


この絵本の最後に、多くの当時の写真と共に、歴史の詳細を記したページも添えられている。

老若男女が愛し続ける三和町,南町で子育て時期を暮らせたことを、わたしたち親子も誇りに思う。
絵本を編む計画を立てて完成させた、”三和町を語り継ぐ会”の存在をうらやましいとも感じる一冊だ。

2014年2月13日木曜日

バーバパパ一家

バーバパパがフランスの物語だった、なんて。

バーバパパもママもおばけなんかじゃなかった、なんて。

バーバパパもバーバママも卵生で土中から生まれた、だなんて。

かれらには7人の子どもたちがいた、だなんて。


・・・・・そんなことを今回のフランスの娘宅滞在中に初めて知った!


バーバパパとバーバママ、卵温め中!

フランスの孫娘の食事用のよだれかけも、普段使いの食器類も、バーバパパのものだ。
そして、孫娘の絵本棚の中に、バーバパパ一家を紹介する、厚手の紙のページの絵本を見つけた。

30年前の我が家の絵本棚にも、水色の表紙の「おばけのバーバパパ」(偕成社・1972年刊)があったことを思い出す。
わたしは、かれらは色んな物に変形できる”おばけ”なのだと思っていた。

でも、かれらはどうも、フィンランドのムーミン一家のように妖精のような生き物らしいのだ。
しかも、卵生で土中で孵化するという設定だ。


作者は、Annette Tison とTalus taylor。
フランス人かどうか不明だが、1970年代にパリ在住、とある。
物語の原語は、フランス語。
フランス語の”Barbe a papa”とは、”パパのひげ”という意味だ。
また、それから転じて(?)、”綿菓子”という意味もあるらしい。


ピンク色の大きな体を持つ優しい風貌のバーバパパに、一回り小柄な黒い体に赤い花の髪飾りを付ける奥さんのバーバママ。

上の写真のページでは、黒色に花を付けたバーバママがじょうろに変形して、土中の卵たちに水をやって(バーパパパも小さなじょうろを持って手伝っているところがフランスらしい!)孵化を待っている。
子どもたちの誕生を首を長くして待っている、まさに妊婦さん期の夫婦の様子だ。


そして、いよいよ赤ちゃんがうまれると・・。
バーバママは、カンガルーよろしく、ベビーベッドに変身して子育てにいそしんでいる。
かたわらには、バーバパパが寄り添い、子育てに参加しているところもまた、フランスらしい。

バーバママのベッドですやすや赤ちゃん
このページに、「バーバベベ(赤ちゃん)たちは、それぞれに違う性格を持っている。」と紹介されている通り、七人七様。それぞれの個性がおもしろい。
息子4人と娘3人。
息子たちは、青、ツンツン毛の黒、赤、黄色だ。
娘たちは、オレンジ、紫、緑色で頭には可愛らしい髪飾りを付けている。

それぞれに個性があるように、名前もしっかり持っている。

BARBIBUL      (青)         天体好き

BARBOTINE  (オレンジ)     眼鏡掛け、読書好き

BARBOUILLE (黒ツンツン毛)  芸術好き

BARBABELLE (紫)        おしゃれ好き

BARBIDUR   (赤)        スポーツ好き

BARBIDOU   (黄)        動物と話せる特技

BARBALALA  (緑)        音楽好き


命名もフランスらしい。
バービビュル、バーボチン、バーブイユ、バーバベル、バービデュ、バービドゥ、バーバララ、と日本人にとってはややこしい発音で耳慣れない音だ。
日本語の物語では、女の子のバーバベル、とバーバララの二人以外は、名前を変えていると聞く。


最後のページのばーばぱぱ一家

小さな子向けのバーバパパのこの絵本は、音声付で、まず「バーバパパ一家のところへようこそ!」で始まり、それぞれのページのボタンを押すと、家族の名前が音声で紹介される。
そして、「バーバパパ一家はみんなこのように仲良く楽しく暮らしているんだとさ!」で終わる、バーバパパの物語入門書のような絵本だ。

フランスで出版されているバーパパパのシリーズには、「バーバパパのアフリカ行き」というのもあるらしい。どんな物語なのだろう。

”バーバパパ”は、フランスにおける日本のアンパンマンのような人気キャラクターのような存在なのだと思う、と娘はわたしに説明した。

でもねえ。

わたしには、一番のバーバパパ大好きっ子は、レノパパ。娘の夫のように思えたのだけど、な。

2014年2月2日日曜日

和菓子のほん その2 パリ”とらや”に行く

1月16日の深夜便でキンシャサを発って早2週間。
今回の旅は、パリで2泊し、友人2人との再会を果たし、とても楽しい時間を持てた。
そして、パリのフォーブル・サントノーレにある和菓子の店、「とらや」に友人と行って来た!

午前中11時頃に店を訪れると、なんと満席だった。
そこで、午後2時なら席を確保できるというので、予約を入れてもらい再度午後の時間に訪れたのだった。

とらやパリ店はパリの高級品店が立ち並ぶフォーブル・サントノーレ脇の落ち着いた通りにある。
入り口で「とらや」のロゴ入りの白い暖簾に迎えられる。
店内に入ってすぐのところにショーケースがあり、羊羹などの和菓子、そして1月の公現祭Epiphanieのフランス祝い菓子、”Galette des Rois”が並べられていた。
このガレット・デ・ロワは1月の間、フランス中のケーキ屋さんでお目にかかる丸い型の焼き菓子だ。その中にそっとソラマメか陶製の人形(fève)が隠されていて、切り分けられた自分のケーキの中にそのプチおまけ(fève)を見つけた者がその日の王様になれる、という風習がある。もちろん、王様用の冠も付いている。紙製だけど、その冠もfève同様に収集家がいるのだそうだ。ケーキ屋の職人の感性が問われるところなのだろう。

さあ、日本のとらやがアレンジするとどんなお菓子になるのか!
それに!
ショーケースには、ガレット・デ・ロワの中には、ピンク色の和菓子をモチーフにした小さな陶器が入っていると説明書きがあり、「TORAYA」と刻印された陶製の和菓子が、本物の和菓子と共に陳列されていた。
このピンク色の小さな陶製和菓子fèveだけでも、18ユーロもする。
もちろん、わたしは‘ガレット・デ・ロワを買って、お菓子大好きの娘の夫のため、そしてfèveを収集する娘のためのお土産とした。
(娘のところで切り分けたら、中はあんこの焼き菓子だった。和菓子fèveは娘の元に!)


さて、店内に入り、右に広がるサロンに通される。

とらやパリ店の店内

売り場とカフェは1階フロアだけだ。
そんなに広くはない。10テーブルほどだったように思う。
もちろん、パリ店もしっとり落ち着いた和の雰囲気だ。
お客さんは9割以上外国人だった。

メニューを見ると、昼食メニューもある。
わたしと友人は迷わず、赤飯お重ランチにする。だって和菓子と抹茶のデザート付きだったんですもの!
とらや 赤飯お重ランチ


隣のテーブルにはちょっとお洒落なたぶんフランス人男性2人が座って、和菓子と抹茶を美味しそうに食べている。

わたしたちが注文した赤飯お重ランチのほうはというと。
一の重には赤飯が、二の重には卵焼き、さやインゲンや椎茸の煮物などがちょこちょこと並んでいる。そしてうれしいことに茶碗蒸しも付いてきた。
娘や息子の学校の父兄会の帰りに、そして会員になっていたギンレイ映画館の帰りによく立ち寄った神楽坂の甘党の店「紀ノ善」の赤飯弁当を思い出して、懐かしさがこみ上げてくる。

久しぶりの和のランチに舌鼓を打ちながら、ちらりと隣のフランス人男性に目を向けると、和菓子の2個目を注文していた。和菓子の真髄がかれらに届きますようにと願いながら(ほんの瞬間だけ、もう一度!)盗み見をしてしまう。

わたしたちもデザートの和菓子をお重に詰めて運ばれた4つの和菓子の中から選ぶ。抹茶か他のお茶も選択肢にあったが、やっぱり抹茶を注文する。

ランチのデザート 和菓子とお抹茶


店内は静かな雰囲気だった。
トイレは2階にあり、鼠色の石のシックな空間だった。

そして、店内に、福音館「和菓子のほん」を発見した!!

パリの人たちの中に浸透してゆくように感じられる、とらやパリ店の和菓子の文化。

ガレット・デ・ロワの入ったとらやの黒い紙袋と共に店を後にして、日本人としての誇らしさと、ほっと温かい安らぎを感じながら、どんより曇り空のパリの雑踏に混ざり込んでいったのだった。