2013年10月26日土曜日

絵本 沖釣り漁師のバートダウじいさん

隣国、コンゴ共和国の港湾都市、ポアント・ノアールPointe-Noire に4年間、家族で住んでいたという日本人マダムとキンシャサで仲良くなった。

ポアント・ノアールは大西洋に面していて、地図を観ると湾になっているのがわかる。(下の地図参照。)


かのじょたちは、よく内海、外海で泳いでいたのだそうだ。外海は急流だったから気をつけていたという話まで楽しそうに話す前向きな女性だ。
かのじょの話すポアント・ノアールの町は、マリンスポーツを楽しんだり、海辺の美味しい海鮮料理のお店で新鮮な食材に舌鼓を打ったり、まるでアフリカの海辺の町とは思えないのだった。



コンゴ共和国の首都ブラザヴィル(キンシャサの川向こう)から西南西約390km。ブラザヴィル~ポワント・ノワール間、飛行機で約2時間という。


さらに拡大地図でポアント・ノアール湾を見ると、

Baie de Pointe-Noire(ポアント・ノアール湾)とポアント・ノアールの町


なんだか、ゴミ箱をひっくり返したようなアフリカの大都市、キンシャサとはまるで違うイメージを持ってしまう。



ポアント・ノアール沖にはなんと、イルカやクジラが集まってきていたから、ホェール・ウォッチング・クルーズもできたという話を聴きながら、わたしは、クジラが登場する、カラフルで壮大な絵が魅力的な絵本、”沖釣り漁師のバートダウじいさん”の大ぼら話(!)を思い出していた。



絵本 ”沖釣り漁師のバートダウじいさん”



この絵本もまた、娘が25年も前に幼稚園で出会って大好きになってしまい、我が家の本箱の一員になった絵本だ。
きっと、娘は、大きな波をたくましく進むカラフルな船とカラフルな合羽を着込む漁師が描かれた表紙からして気に入ってしまったのだろう。

絵と文は、ロバート・マックロスキーさん!
「かもさんおとおり」、「サリーのこけももつみ」、「海辺のあさ」、「すばらしいとき」でも楽しませてくれるアメリカの絵本作家だ。そして、訳はまたお馴染みの渡辺繁男さんでもある。

バートダウじいさんは、口うるさいけどしっかりものの妹と海辺の町に住んでいる。
庭には、引退した舟がリペインティングされて花壇に仕立てられ、ゼラニウムなどの花がこれまたカラフルに咲き乱れている。
(何度もこの絵本を娘、息子に読んでいるうちに、この廃船花壇の場面に来ると、どんな花かも知らないのに、呪文のように「ゼラニュ~ム」、「ゼラニュ~ム」と連呼していたことを懐かしく思い出す。)


ある日、バートダウじいさんはぽんこつ愛船、”潮まかせ号”に乗って沖へと繰り出した。
そこでかれの釣り針に引っかかったのが大きなくじらだった。
じいさんは、傷ついたくじらの尻尾にバンソウコウを貼ってやるのだった。

そして嵐に遭い、くじらに呑み込まれる。
くじらに呑み込まれてもちっとも恐怖なんか感じない。
くじらのお腹の中って、カラフルな洞窟みたいなところなんだなあ、わたしもクジラに呑み込まれてみてもいいかも、なんて幼心にあれやこれや想像して、バートダウじいさんの世界にそれこそ、”呑み込まれて”いくだろう。


クジラのお腹から見事に脱出したじいさんが見た光景とは!

カラフルなでっかいクジラたちが、バンソウコウを貼ってもらおうと順番待ちしている光景に微笑んでしまう。(このバンソウコウを張ってあげる、ということにも娘の目には魅力的に映ったようだ。その証拠に、我が家のぬいぐるみにはしばらくの間、バンソウコウらしき白テープが張られていた。)
そして、こんなにたくさんのクジラたちが集まってもまだまだ余裕のある海原!
海ってでっかいんだなあ!!、と改めて感じ入ってしまう場面でもある。


海を股に掛けて生きてきたバートダウじいさんの漁師としての仕事の終わりも間近だろう。

かれの愛船の名前のように、毎日の天気まかせ、潮まかせ、そして気分まかせで歩んできた漁師人生だったのかもしれない。
そんなかれの長い漁師人生の中での経験を、ちょっと脚色されて、楽しいほら話としてわたしも子どもたちと一緒にたくさん聴きたいものだ。


アフリカ大陸の中西部にあるポアント・ノアールPointe-Noireの町にも、バートバウじいさんと、しっかりものの妹そっくりのコンゴの兄妹が住んでいて、沖釣り漁師で生計を立て、沖ではクジラと交流して、こんな物語のようなことが起こっているのかもしれない、と想像してしまうのだった。


2013年10月14日月曜日

詩画集 ”詩ふたつ”

世界三大熱帯雨林が広がるコンゴの国。

わたしが頻繁に行くキンシャサのゴルフ場は、街の中心にありながら、うっそうとした森の中に広がっている。
街中を自由に歩き回れないキンシャサ暮らしにおいて、大切な散歩空間でもある。
ウイークデーの朝早くに行くと、外国人マダムがキャディをしたがえて、ゴルフと散歩を楽しんでいる。
静かな緑深い空間が広がる、気持ちが落ち着くところだ。


キンシャサ・ゴルフクラブ1番ホール手前 ウエンゲの木の下 散った紫の花のカーペット



今月27日にキンシャサを発ち、1年ぶりに日本に一時帰国する。
そのときに、我が家の書棚で再会を楽しみにする詩画集がある。


クリムトの絵が添えられた長田弘著の”詩ふたつ”(クレヨンハウス刊)だ。


”詩ふたつ” 表紙


「花を持って、会いに行く」と、「人生は森のなかの一日」の二篇で構成される、”詩ふたつ”。
どちらも”死ぬ”ということ、”生きる”ということをテーマにしている。
そうなのだ、人生を閉じる、とはこういうことなのだ。
クリムトの絵とともに、ページをめくりながら、静かに深く読んでいく。


わたしがこの詩の本に出会ったのは、2011年4月、神田神保町の岩波ホール近くにある本屋でだった。東北での大震災間もない頃で、日本中が混沌とした、雑然とした、鎮魂の空気に包まれている時期だった。
ふと、長田弘さんの名前に導かれて手にし、箱から出してページをめくって読んだとき。
ぽたん、と心にしずくが落ちて、水面の輪っかのように広がり沁みる波長がはっきり見えたように感じた。
そして、めくるたびに詩を読むたびに目に飛び込んでくるクリムトの花の絵,森の絵にも深いものを感じた。


震災後の日本全体に漂う喪失感の中で、詩を声に出して読むことの効果を身を持って感じていた時期でもあった。
今度の”夏の絵本屋”では、詩の本を置こう、と決めてもいた。
そうして、その年の夏に開店した”夏の絵本屋”で紹介する本の一冊になったのだった。


詩を声に出して読む。
そうだ、詩の朗読の時間を絵本屋で持とう。

友人のチェロの伴奏と友人の朗読。
人選はわたしの中で即決だった。
落ち着いた声で朗読してもらいたい、言葉の重み,深さをしっかり受け止めている人に朗読してもらいたい。
チェロの低く奏でる音質。
その中で朗読してもらいたい。
チェロ奏者にもぴったりの友人がいた。
選曲は、その年の春、バレエの舞台でかのじょが演奏した、”バッハ無伴奏”だ。
詩の選択は、朗読する友人に決めてもらおうと思った。

友人が選んだ詩は、この”詩ふたつ”だった。

そうして、2011年の8月、夏の絵本屋で、”チェロ・バッハ無伴奏”の生演奏とともに、”詩ふたつ”の朗読が実現した。
静かな夏の午後の、あのときの空間のことを、今も鳥肌が立つくらい、きれいな思い出として蘇ってくる。


この項を書くために調べていたら、長田弘さんは福島市出身のかただと知った。
この詩画集が出版される前年に奥様を亡くされている。


久しぶりの我が家で、この本に再会できる。
ひとり静かに声に出して読んでちょこっと心の休憩を、と思っている。