それが6月中旬だった。
そして半月かかって我が家にかれからの茄子の種が届き、7月に入って庭のプランターに種まきをした。
キンシャサはちょうど乾季の真っ只中で気温が上がらず、しかも南向きのベランダにはお日さまが当たらない時季だった。
(南緯4度のキンシャサは3月下旬の春分の日頃から夏至を過ぎて秋分の頃まで太陽は北側の空を通過するのだ。)
念のために、我が家の家政婦の庭にある家庭菜園にも茄子の種を植えてもらうように頼んだのだった。
彼女は実際、よく家庭菜園で収穫したというチンゲン菜やかき菜のような野菜を運んでくる。
肥料も体に良いものだけを使用しているということだ。
ベランダの左のプランターに茄子の種を植えた7月 |
我が家のプランターの土にはタバコの葉が混ぜられたものが入れられた。
防虫に聞くといわれる土を夫が買ってきたのだった。
タバコの葉にはニコチンが含まれているのに、食用野菜の栽培に大丈夫なのか心配になり、種の送り主の獣医さんに尋ねたら、OKサインを貰えて安堵したのだった。
ところが、待てども待てども芽は出てこなかった。
家政婦のところの菜園でも、期待に反して茄子は発芽しなかった。
夫は、乾季の間は気温が22、3度まで下がるから茄子の発芽条件は満たされないのではないかと言った。
コンゴ南部の農業地域出身の家政婦は、土がいけない、水はけがよくないのだ、と言った。
でも、家政婦のところの菜園でもとうとう発芽しないまま7月も8月も終わったのだった。
8月末にキンシャサは3ヶ月ちょっとぶりにしっかりした降雨量を持った。
コンゴの人たちはいよいよ雨季に入るぞと言いまわった。
確かに気温も上昇してきた。
そして夫が新しい土を買ってきて、いよいよ茄子の発芽の条件がととのっだぞと言って、心機一転もう一度、茄子の種を植えたのだった。
9月6日のことだ。
9月6日;土を入れ替えて再度、茄子の種を植える |
ただいま、午後3時、気温26℃。
今度こそ、茄子の種が発芽しますように。
毎朝、毎夕土の表面が乾かないように水をやっていて、一冊の本についての懐かしい思い出が蘇ってきた。
「リネアの小さな庭」というスウェーデンからの家庭菜園の入門書のようだ絵本だ。
中央アフリカ共和国のバンギに暮らしていた頃、小学校高学年だった娘の愛読書の一冊が、この本だった。
絵本 リネアの小さな庭 |
”リネアの庭”とは植木鉢や空き缶や空き箱を利用したものを指し、そんな身近なところで植物を育てられるというところに娘は魅力を感じたように思う。
娘は、とくにリネアの果物を育てるページが好きだった。
アフリカには特別、熱帯地方の果物が豊富にあったことも影響しているだろう。
アボカドに目がなかった娘は、リネアが懇切丁寧にアドバイスするアボカド栽培に挑戦したのだった。
アボカドを毎日食べ続け、娘は選りすぐりのアボカドの種を乾かした。
そして、ベランダの発泡スチロールの植木鉢の土に種を置き、いとおしむように土の毛布をアボカドの種の上にそーっと掛けたのだった。
来る日も来る日も、娘はプランターの中と、リネアの本を見続けた。
そして、とうとう発芽。
ぐんぐん芽が伸び、茎に葉っぱもついた。
ところが、リネアのアドバイスは、確か、せっかく伸びた茎を葉っぱごと何十cmか残して切るように、というものだった。
娘は悩みに悩んで、リネアのアドバイスに従った。
本当に切ってよかったのだろうかと少々後悔するような表情が見えたが、娘は大好きなリネアを信じることにしたようだった。
そしてその後も順調に成長していったが、ある日クリスマス休暇のときに、中央アフリカ共和国の北、スーダン国境近くにある川に何百頭もの野生のかばを見に行くことになった。
おりしも、中央アフリカは乾季だった。
道なき道を四輪駆動ジープで進み、サバンナに野宿し、川にごろごろごろーっと平和に昼寝する野生のかばと対面して近くのロッジに1,2泊。それからまた、サバンナに野宿して道なき道をひたすら我が家に戻ってきたのだった。
1週間ほどの旅だった。
帰宅して娘が見た光景は・・・。
プランターの土の上に一本、葉が取れてスックと立つ枯れた茎だったのだった。
それ以来、むすめは二度とアボカドの種を植えようとはしなかった。
それでも、娘にとってリネアのこの本は愛読書の一冊であり続けた。
フランスに嫁いで、わたしは、きっと娘は二冊の本だけは絶対持って行っている、と確信している。
一冊は、このリネアの本。
もう一冊は・・・。
いつか娘自身で紹介してくれることを待つことにしよう。
残念ながら、この絵本ももう一冊の絵本も在庫切れ、重版未定の表示になったままだ。
「リネアの小さな庭」
世界文化社発行
クリスティーナ・ビョルク 文
レーナ・アンデジョン 絵
山梨幹子 訳