2012年7月17日火曜日

タンタンも冒険したコンゴ・キンシャサ


この本は、福音館発行のペーパーバック版”タンタンのコンゴ探検”(原題:”TINTIN AU CONGO”)だ。
物語の作者は、ベルギー人のエルジェ(Herge)。
タンタンの冒険シリーズは、ブリュッセルの新聞社の週1回発刊の子ども版の企画として誕生したのだそうだ。
そう、もともとエルジェは新聞記者だったのだ。


タンタンの冒険シリーズは、1929年の”タンタン、ソビエトへ”から、1976年の”タンタンとピカロたち”まで計23冊が、「7歳から77歳まで」をキャッチフレーズに、世界60カ国のそれぞれの言葉で出版されているのだそうだ。

日本では福音館から、そのうちの21冊が出版されている。


”タンタンのコンゴ冒険”が新聞に掲載されたのが1930年。翌年に、シリーズの中では2番目の物語として白黒版で出版されている。

物語は、少年新聞記者タンタンが愛犬スノーウィと共に、ヨーロッパ,北米、南米、アフリカ、インド、中国を駆け回り(残念ながら日本へは来ていない。)、ついには月旅行にも出かけ、その当時の政治や社会状況を反映しているシリーズもの、と言えるのだろう。
構成は、漫画タッチだ。吹き出しを使い、コマ割りが小さくて、絵本というより「漫画」だと思う。

タンタンがコンゴ・キンシャサに来た1930年、というのはコンゴ・キンシャサがまさにベルギーの植民地だった時期だ。当然、物語中でも当時のベルギーの世相を反映した描写が見られる。
登場する黒人たちは、腰蓑(こしみの)をまとっただけ。戦闘場面では槍と盾を持ち、どんぐり眼に分厚い唇で描かれ、何故だかお金持ち黒人マダムは裸足なのに白手袋と毛皮コートを着せられている。アフリカの人たちを愚かで怠け者で低等な人たちとして描写している。

それが理由で、今世紀に入って、イギリスの人権機関から批判を受け、南アフリカ共和国では、公用語の一つ、アフリカーンス語の出版が停止されている。
また、地元のブリュッセルでもコンゴ出身大学生が「植民地主義のプロパガンダだ。」と主張し、出版停止の訴訟を起こす事態を招いた。
また、イギリス、アメリカの書籍チェーン店で、タンタン・コンゴ冒険の本を児童書コーナーから大人向けコーナーに移す現象も起きている。

エルジェ本人は、戦後の1946年にカラーの改訂版が出版された時に、植民地支配に関する部分だけを削除した、ということだ。

英語版では、子ども向けのカラー版が出版されたのは2005年、と新しく、巻頭には、「当時のヨーロッパ人のステレオタイプ的な見方に基づいてアフリカの人々が描かれ、不快に感じる読者もいることでしょう。」というコメントが添えらたらしい。

わたしの手元にある、福音館ペーパーバック版にも、「この本には、2つの問題~① コンゴの人々の描き方、と② 野生動物への野蛮な考え方が含まれている。この本が生まれた時代~植民地全盛の歴史的背景を考慮して読んでいただきたい。そして、タンタンが生きた20世紀の時代変遷を見つめ、人間が犯してきた愚かな行為にも思い至ってほしい。」という添え書きが1ページ目に載っている。

そんな差別表現や描写の問題をひとまず無視して読んでみるとしよう。

コンゴ冒険の物語の冒頭に、タンタンの愛犬スノーウィが犬仲間に、「退屈しのぎに、ライオン狩りでもと思ってさ。」とコンゴ行きのいきさつを語っているように、ライオン狩り、ヒョウ狩り、ゾウ狩りが出てくる。他に、オウム、ワニ、鹿、猿、蛇、サイ、かば、きりん、バッファローも出てきて、アフリカの動物が出てくるたびに子どもたちはタンタンの活躍とともに楽しめると思う。

大きい子どもたちには、もっとアフリカを知るキイワードが目白押しだ。
日本にも昔存在した蚊帳、アフリカ探検と言えば短絡的に描写されるサファリルックとジープ(もう過去の物だが!)、酋長と呪術師、祈りの対象となる木彫りの像、丸木舟も出てくる。


さらに注意深く読むと、当時のアフリカをしっかり描いるなあと感心してしまうものたちが多く登場する。

当時、教会を建て、病院と学校を作って開拓の原動力となった神父様たちキリスト教布教者の存在。
現地の不甲斐無い戦闘隊と対比して「ヨーロッパ仕込みの精鋭揃い軍隊」という触れ込みの軍隊。(先進国の国々は自分たちの国益のために、かれらを操りアフリカの政府を優位に動かしてきた、と言えるのではないか。)
アフリカ探検を阻んできた、河に多く点在する”滝”。(今も、滝が大型船を内陸部までの運航を阻害している。)
「ヨーロッパの有名動物園御用達の密猟プロ」の暗躍。(こういう人たちがいるから、欧米の動物園で珍獣を見学できるということも知ってほしい。また、タンタンが仕留めたゾウの象牙をかついでいる場面も登場する。)
コンゴの最初の探検家・スタンレーのあだ名が、後に植民地の支配体制を総称する言葉となったことも知れる。(ベルギー人にとって、スタンレーさんは馴染みの探検家なのだろう。)
外国人用の豪華ホテルの存在。などなど。


もちろん、現在のコンゴ民主共和国の人々が暮らす町や村には、もはや大型の動物たちはいない。ケニアのサバンナの動物たちが棲むのは、国立公園という保護された地域なのだ。

そして、腰みの姿に槍と盾を持ったアフリカの人にも、もちろん会えない。(この国の首都・キンシャサはビルが林立し交通渋滞甚だしい都会だ。)

ただ、今も蚊が媒体となって発症するマラリアは広く存在し、日本のNGO団体が蚊帳を現地に送ってマラリアでの死亡率を減らそうと活動したり、先進国から武器類が入り込んで(槍や盾では決してない!!)天然資源の採掘権奪還を目的に戦闘を続ける地域が存在し、密猟者たちで動物たちは激減している、という事実は、現在も進行中だ。

タンタンは、大型客船でコンゴ入りし、サバンナに迎えに来たセスナ機でコンゴを飛び立っている。
現在は普通に旅客機が飛び交っているけれども。


アフリカの何十年も前の姿と、現在の姿と。
小さな子どもたちが混同してしまうのは仕方ないが、大きい子どもたち(!)は、どうかしっかり昔と今の線引きをしながらタンタンのコンゴ冒険を楽しんでほしい。


最後に、作家・曽野綾子がアフリカの日本人宣教師を支援しアフリカを訪れた感想を述べている箇所を抜粋する。

「アフリカは強靭な大陸であった。けなした意味でもなく、褒めた意味でもない。ただ、日本的判断を大きく超えた人間の生の闘いが挑み続けられている土地であった。」
(「生きて、生きて、生きて」海竜社刊より)

2012年7月10日火曜日

アフリカの夕暮れ


これは、絵本”だれかが星を見ていた”(アスクミュージック出版)からのものだ。
動物園勤務経験のあるあべ弘士氏の絵には、大雑把なのにしっかりサバンナの動物たちが描けていると感心する。
動物たちの一頭一頭のシルエットが夕陽の雄大さを教えてくれる。
わたしの大好きなアフリカの夕暮れの絵の一つだ。


     辛夷白み夕日の魔法まだとけず

日本の友人から送られてきた俳句(小野はなさん作)の、”夕日の魔法まだとけず”という言葉から中央アフリカ バンギにいた頃、飽きもせず毎夕、西側ベランダから緑濃い熱帯雨林に沈まんとする大きな夕陽に見入っていたことを思い出した。

そのうちに、熱帯雨林が広がる地平線に巨大な夕陽がドロリ、と呑み込まれてゆく様をどうにか表現したいと思うようになり、これは絵では表現できない、そうだ俳句でしか表現できないのだ、と思えて、毎夕、地平線にとろけるように消えてゆく夕陽を前に、紙とペンで格闘しいくつもの句を書いてみたものの、どれとしてぴったりくるものはなかった。

さだまさしの”風に立つライオン”を聴くと、やはりバンギの夕日を思い出す。


バンギは北緯4度くらいにあったから、ほぼ一年中夕方6時前後が日没時間だった。
夕陽がジャングルの丸く広がる地平線に近づくと、さらに真っ赤にトロリとなり、地平線のジャングルが燃えるのではないか!と思えるほど、太陽がドロリと溶けて呑み込まれてゆく。
地平線に太陽の端っこが当たってから上端まですっかり呑み込まれてしまうまでわずか数分だった。それから、ジャングル一体に静寂観が徐々に広がり,と同時に、赤色から赤みがかったむらさき色へ。そしてきれいな透明なむらさき色があたり一帯を制したか、と思ったら、さーっと”墨の一筆”のように黒色が加わり、夜を迎える。
その刻一刻と色彩が変わり、昼から夜へ移っていくひとときを、わたしは毎日見とれていた。


そのむらさき色が広がる瞬間を描いた絵本がある。


”ぼくのだいすきなケニアの村”(BL出版)だ。
今、わたしの手元にこの絵本がないから、その夕暮れの場面を描いたページをお見せできないのが残念だが、表紙に描かれているケニアのある村に住む元気いっぱいの少年が一日の冒険を終え夕暮れ時を家路に急いでいると、遠く我が家の前で少年の母親が立っている。
おかあさーん、と少年が走って、笑顔で腕を広げた母親のふくよかな胸元に帰った瞬間、夕暮れはむらさき色となり、夜を迎えんとするケニアの村だった、という場面がなんとも幸せで、わたしは大好きだ。

今、日本で、夕暮れまで冒険いっぱいめいっぱいの遊びを終えて満足げに家路に戻る子どもたちっているのかなあ、とか思ってしまう。
また逆に、今わたしが住むコンゴ民主共和国の東部で戦闘状態が続く村では、こんな長閑な子どもらしい生活を送って母親に愛情いっぱいに迎えられる子どもたちっているのかなあ、とも思い至る。


さて、もう一つ、夕暮れではないが、夜明けの美しさを描いた絵本も紹介したい。


”よあけ”(福音館)だ。
作者のユリー・シュルビッツは確かポーランド人だ。唐詩”漁翁”(詩人 柳宗元作)をモチーフに描かれた絵本だと聞くが、東洋の文芸・美術に造詣が深い作者の感性が光る。
湖畔で夜を明かすおじいさんと孫の二人が、夜明けと共に湖に船を漕ぎ出す場面の美しさは格別だ。前編、無音のままで読み終わる絵本だ。

まったくの余談だが、学生時代、一夜漬け専門だったわたしは、ラジオ深夜放送を聴きながら徹夜したものだ。深夜0時を回り3時台までは夜中と理解していて余裕なのだが、ラジオ放送も4時になると”おはようございます!”という雰囲気に変わり、そうなると焦りが出始める。そして夜が白み始め、ああとうとう一日が始まった、と心までしらじらした心境になる。

そんな夜から朝の狭間でよくラジオから流れていた中島みゆきの”時代”の、♪廻る廻るよ、時代は廻る♪という歌詞を、わたしは♪周る周る4時台は周る♪と聞き間違って、ああ、4時台が周って、朝が来る~!、と焦りまくっていたことを懐かしく思い出す。

余裕のある時の夜明けは、まさにユリーさんの描く、闇夜から透明なブルーに変わってゆく”よあけ”をわたしは静かに堪能していた。


話をまたアフリカの夕暮れに戻そう。
キンシャサの真っ赤な夕陽は、雄大なコンゴ河に沈んでゆく。
キンシャサはバンギとは赤道を対称軸に真反対の、南緯4度辺りだから、やはり一年を通して日没は夕方6時前後だ。
コンゴ河の十数メートル(と遥か遠くから眺めるわたしにはそう見えるだけだが・・)直上まで来ると、夕陽はコンゴ河の水蒸気に隠されてしまって見えなくなる。
真っ赤な夕陽が地平線に呑み込まれることは決して、ない。

それでも、やっぱり、アフリカの夕暮れは壮大な儀式を思わせる。