3月9日。
わたしは夫の赴任に伴って、西アフリカの国、ブルキナファソの首都であるワガドゥグに降り立った。
サハラ砂漠の南に位置する、はるか遠い国だ。
今、わたしたち夫婦が滞在するホテルの庭は緑であふれ、鉄製のオブジェが点在して心和ませてくれる。
わたしは、特にこのおじいさんとこどもの像に心惹かれた。
花を持った子どもがおじいさんを見上げている。
ひげのおじいさんもにっこりと見つめ返している。
優しい空気が流れている。
ワガドッグ時間22日早朝、パソコンを開けた。
いちばんに目に入ってきたメッセージ。
ちょうど3年前にわたしが検査入院した時に、二人部屋で同室になった友人が亡くなったという知らせだった。
突然のことだったそうだ。でも、最期は家族に見守られて眠るように旅立ったと書かれていた。
ご家族から届いた報告だったが、友人の生きてきた姿勢をその数行に感じた。
3年前の3月の初め。
共に検査入院ということだったから、毎日、検査は受けるものの、お互いの空き時間には下の階の売店でコーヒーを買った後、図書室で絵本を借りて病室に戻り、おしゃべりばかりしていた。
わたしたちの飛行機部屋(病室の入り口に飛行機の絵が貼られていた)は、春の陽だまりのように明るくて心地の良い場所だった。
下の階には、小児病棟があったから、図書室は絵本や童話が充実していた。
わたしたちはお互いに二人の子どもの母として絵本の読み聞かせをしてきて、今度は孫にも絵本を選びたい、そして、自分自身のためにも絵本を手元に置いておきたい、と意見は一致し、絵本や物語、詩について深く語り合った。
友人は病気の宣告を受けて、想像を超えた葛藤を繰り返したことだろう。
そして、乗り越えた姿は魅力的だった。
友人は、いつかは自身の声も失われることを知り、病院の作業療法士の先生の元でパソコンに日本語五十音の肉声を残すことにも取り組んだ。
お孫さんにわたしの声で絵本を読んで聞かせたいと言って。
それから、わたしは夫と共にコンゴ民主共和国のキンシャサに発った。
その間、友人は徐々に身体機能を失っていったようだった。
それでも友人は前向きだった。
いくつかの手術を受けながらも、2020年の東京オリンピックを見たいとも言っていた。
わたしは、ずっと一緒に同じ時間を生きていく仲間だと信じて疑わなかった。
友人のブログの中にも、「まだ大丈夫」、という言葉がいつも綴られていた。
花の好きな友人はブログにたくさんの花の写真を載せていた。
友人の最後のブログ更新は、3月8日だった。
外出したときのことが綴られていて嬉しくて涙が出たと。
そして、その日のブログに庭の梅が開花した写真を大きく載せていた。
桜の季節も近い。
庭のこぶしの花ももうすぐ咲く。
春が来ることを待ち望んでいたのだ。
このおじいさんと花を持つ子どもの像を見て、友人を思い出す。
あちらの世界でも、友人は花を愛し、絵本を読み聞かせて、自由になった心で楽しんでいるんだろうな、きっと。