2018年3月20日火曜日

童謡 春よ来い

    
      ”春は名のみの風の寒さや~♪”

「早春賦」の出だしだ。
ここ3,4日、春めいた陽気で、ベランダの蘭の花がいっきに咲いた。
っと思ったら、今日は一転。小雨がぱらついて寒い寒い。
三寒四温で春が近づくとは言うけれど。
まさに、春は名のみの風の寒さ、だ。

息子のところの孫娘が今月、初節句を迎えた。
そんなわけで、今月のわたしの鼻歌は、「春よ来い」だ。

♬1 春よ来い 早く来い
   歩きはじめた みぃちゃんが
   赤い鼻緒の じょじょはいて
   おんもへ出たいと まっている

いいなあ、この詩。
なぜだか、かわいくって、みぃちゃんのよちよち歩きのすがたが目に浮かぶ。
どうしてだろう。
ああ、そうだ。
この詩には、幼い子の言葉がそのまま使われているのだ。

じょじょはいて。
おんもへ出たいよぉ。
春よ、来い来い、早く来い。

みぃちゃんのよちよち歩きがはっきり見えてくる。

「唱歌・童謡ものがたり」読売新聞文化部(岩波書店)

久しぶりにこの本をめくってみた。
30年近く前になるだろうか、読売新聞日曜版の一面に唱歌、童謡誕生の背景を紹介する企画が連載されていて、小さい頃に父が童謡、唱歌の絵本を買ってきては挿し絵をめくって歌を聴かされて育ったわたしには、日曜版のその企画が待ち遠しかった。
そのときに、童謡、唱歌の詩が2番、3番と最後まで載っていて、ああ、童謡、唱歌は最後まで歌ってこそ、感動がさらに膨らんで伝わってくるのだなあと思った。

その後、夫のキンシャサ勤務に伴ってコンゴ民主共和国に赴き、一時帰国で健康診断を受けに行った御茶ノ水の書店、丸善に平積みされていたのが、この本だった。

わあ、懐かしい!
ページをめくるまでもなく、即決でレジに走って入手した本だ。
2013年10月16日第1刷発行、とある。

「唱歌・童謡ものがたり」は、春、夏、秋、冬に分けてそれぞれ15~20篇ほどの歌が紹介されている。作詞、作曲者の紹介から、その歌の作られた時代などの背景まで、興味深い記事だ。(全71曲)
最初に紹介されている歌は「早春賦」。
そして次が「春よ来い」。

「春よ来い」の作曲は広田龍太郎。
作詞は相馬御風(そうま・ぎょふう)。
かれは、早稲田大学の校歌の作詞もした人だ。
故郷の新潟県糸魚川市に戻ってからは、良寛の足跡をたどって世に紹介した最大の功労者なのだそうだ。彼自身も、良寛のように村の子どもたちと無心に交わった希代の思想家、芸術家だと記されている。

♬2 春よ来い 早く来い
   おうちの前の 桃の木の
   つぼみもみんな ふくらんで
   はよ咲きたいと まっている

おうちの、前の、桃の木の~♪
”の”が4つも重なって、とても軽やかな、春らしいリズムを醸し出しているなと思う。

でもね。
春よ来い!、といちばん待ち望んでいるのは、赤ちゃんを抱えてずっと家内で育児をしていたお母さんだよね。
わたしの娘は11月生まれだった。
とびきり寒い冬を過ごして、早く春よ来い来い、と待っていたことを懐かしく思い出す。もちろん、まだまだ娘は歩くことはできなかったけど、娘を抱っこして緑の春風の中を歩きたかった。もう30数年前のことだ。

娘は現在、春遅いアルプスの町に暮らしながら、幼稚園に通う孫娘と、きっと、春を待ちわびていることだろう。
もうひとりの娘も、昨年12月に生まれた孫娘を抱っこして窓越しに外を眺めながら、やっぱり、春よ来い来い、と歌っているのだろう。

春よ来い 早く来い
ふっくら 小さな手をつなぎ
春の野花の 道のなか
散歩をしたいと まっている

~なんて続きは、いかが?(寛子作)

2018年3月6日火曜日

雪山讃歌

雪に輝く北アルプス(雪山写真のHPより)
南仏Antibesからアルプスを望む(2015年2月、本人撮影)

雪よ岩よわれらが宿り
おれたちゃ町には住めないからに
おれたちゃ町には住めないからに

シールはずしてパイプの煙
輝く尾根に春風そよぐ
輝く尾根に春風そよぐ

けむい小屋でも黄金(こがね)の御殿
早く行こうよ谷間の小屋へ
早く行こうよ谷間の小屋へ

テントの中でも月見はできる
雨が降ったらぬれればいいさ
雨が降ったらぬれればいいさ

吹雪の日にはほんとにつらい
アイゼンつけるに手がこごえるよ
アイゼンつけるに手がこごえるよ

荒れて狂うは吹雪かなだれ
おれたちゃそんなものおそれはせぬぞ
おれたちゃそんなものおそれはせぬぞ

雪の間に間にきらきら光る
明日は登ろよあの頂(いただき)
明日は登ろよあの頂(いただき)

朝日に輝く新雪踏んで
今日も行こうよあの山越えて
今日も行こうよあの山越えて

山よさよならごきげんよろしゅう
また来る時にも笑っておくれ
また来る時にも笑っておくれ



2月最後の日曜日のこと。夫の母校のある鳥取の工芸展が目黒のギャラリーで開催されているというので、二人で中目黒の駅に降り立った。
信号を渡っていると、チャイムが街中に響いてきた。
懐かしいこのメロディーは何の曲だったかな?
「オーマイダーリン、オーマイダーリン」という詞がふっと頭に浮かんだ。
そして、なぜだか雪を被って真っ白の山々の景色も浮かんできた。
はて?
ますます混乱してきた。
雪山の景色は、平昌オリンピックで感動をもらっていた選手たちの活躍と重なったのかな。
そして。突然、♬ユキヨ イワヨ ワレラガヤドリ♬ の歌詞が口についてきた。
ああ、そうだ!「雪山讃歌」だ。

あらためて詩として読むと山を愛する山男たちの心情が浮かび上がってくる。
調べると、メロディーは、アメリカ民謡。1849年あたりのゴールドラッシュに沸いたアメリカで働く男の娘、クレメンタインが過って川に落ちて亡くなるという悲しい話らしい。
その歌を京大山岳部の部員たちが愛唱歌にしていて、ある冬の数日、山の悪天候で足止めに合った部員たちが嬬恋村の温泉宿で、主将の西堀栄三郎を中心に独自の詞を付けようということでできた「雪山讃歌」なのだそうだ。
西堀栄三郎は後に第一次南極観測越冬隊長となっている。
タロとジロの物語で知られる「南極大陸」としてテレビドラマ化され、西堀さんをモデルにした役を香川照之が熱演したらしい。(原作は、北村泰一著「南極越冬隊 タロとジロの真実」)

「南極大陸 タロとジロの真実」北村泰一著(小学館文庫)


冒頭に「雪山讃歌」の詩(詞ではなく、あえて”詩”と書きたい。)を載せてみた。
しみじみと良い詩だなあと思う。

どうしてこの”いとしのクレメンタイン”が京大山岳部の愛唱歌になったのか。
愛しのクレメンタインが川に落ちて亡くなったということと、部員仲間が山で滑落死したことを重ねているのだとも聞いた。
ゴールドラッシュに沸くアメリカ新大陸で労働者として生活した荒くれ男たちと、「俺たちゃ、街には住めないからに」、吹雪も雪崩にも「俺たちゃ、そんなもの恐れはせぬぞ」と詩にした山男たちと。
同じ心意気みたいなものを感じてしまう。

平昌オリンピックで「限界なんて忘れよう」と力を出し切って雄姿を見せてくれた選手たちの姿とも重なってしまう。

「雪山讃歌」が誕生した鹿沢温泉には、この歌碑が立っているのだそうだ。
また、嬬恋村では正午を告げる防災無線のチャイムにも「雪山讃歌」のメロディ―が使用されているとも知った。

でも、どうして中目黒の街に「雪山讃歌」のメロディーが流れてきたのだろう。

山(と言っても険しい山ではなかっただろうけど)に登ることが大好きだった父がよく歌っていたなあ。と書いたが、わが父は今年95歳になり、元気に独り暮らしをしている。この前も、電話先で、この歌をリクエストしたら、しっかり、時々間違えて(!)歌ってくれた。

アルプスの山々 ”猫の頭”の愛称で知られる猫の耳のような山も見える。(2018年2月娘の夫撮影)

「雪山讃歌」の歌のすばらしさを思い出させてくれたことに、ありがとう。