2016年11月9日水曜日

"ほうせき"の思い出

小さい頃、自宅にあったベージュとシルバーの表紙の大百科事典を眺めるのが好きだった。
全部で13巻か14巻くらい並んでいたと思う。
その10巻目くらいに載っていた、世界の宝石・原石のカラーページがわたしのいちばんのお気に入りだった。
ルビーやエメラルドやサファイヤ、そしてダイヤモンド。
昔の王様の冠もあったなあ。
そしてカラーページをめくると、宝石の世界分布図というのがあった。
インド洋のセイロン(まだスリランカと表示されていなかったような。)は宝石できらめく島のように思えたし、アフリカ大陸はダイヤモンドだらけで輝いて見えた。
いつか宝石探検に行くぞ、と虚弱体質気味のわたしは夢見ていた。

だから、わたしは、「しあわせの王子」とか「小公女」とか、宝石を連想する物語が大好きで繰り返し読んでいた。
広場に立つ「しあわせの王子」の像が、仲良しになったツバメに、ぼくの剣や帽子や靴に付いているエメラルドやルビーやサファイヤをあそこの貧しい家に届けておくれと依頼し、ツバメは宝石や金箔が取れて貧弱になってゆく王子のために冬の飛行を止めて最期まで王子のそばに寄り添い、二つの命は尽きてしまう。
優しく切ない物語の中で、きらめく宝石たちの名前に想像は膨らんだ。
一方、「小公女」の主人公セーラは、フランス人の母とイギリス人の父を持ち、インドで事業を展開する父親と暮らしていたが、イギリス社会の風習(?)で一定の年齢に達すると、セーラもロンドンの寄宿舎学校に入ることになる。優しいセーラは学校でも人気者となってゆく。

わたしの父が今度、インドでダイヤモンド鉱山の仕事を始めるのよ、ダイヤモンドを掘り当てたら、あなたにも首飾りを作ってあげるわね。

ああ、どんな首飾りをプレゼントしてもらえるんだろう~想像して、わたしはうっとりした。
大人になって思うと、ダイヤモンドで首飾りのプレゼントをしましょう、なんてちょっと鼻持ちならない女の子だなと胡散臭く感じるけど、物語の中の優しいセーラが小間使いの女の子にも話しかけるのだから、当時のわたしは正直に受け止められて、想像を膨らませたものだ。


岩波少年文庫 ”小公女”


わたしが最初に読んで楽しんだ「小公女」の本は、偕成社のもので子ども世界名作童話集とかいうものだった。多くの挿絵(カラーのものもあった)が載っていて、さらに夢を与えてくれた。

そんな時だっただろうか、わたしが暮らしていた製鉄会社の鉄筋コンクリートの社宅に一人の女の子が引っ越してきた。当時は日本中が浮足立っていて高度経済成長の真っただ中だった。
公害がひどく、工場地帯そばにあった社宅が廃屋になったのでこちらへ転校してきたのだと聞いた。わたしの通う小学校には、そんな子どもたちが結構な人数で転校してきた。
かのじょは、さちこちゃんと言った。
くりくり巻き毛の色の白い、かわいい女の子だった。
その子は、いつもクラスの女子たちに話すのだった。
わたしが引っ越す前の家にはたくさんのきらきらの”タカラモノ”があって、すべて、我が家の倉庫に入れてきたのよ。
今度、倉庫に行けたら、あなたにもそのタカラモノで首飾りを作ってあげるね。
あなたにはどんな首飾りが似合うかなあ。

クラス中の女の子たちは、さちこちゃんの話に想像をどんどん膨らませていった。
うっとり、さちこちゃんが作ってくれた首飾りを身に着けているような気分になるのだった。
そして、わたしの頭の中で、かのじょの倉庫がきらきらまぶしく輝きだすのだった。

でも。かのじょは、一向に以前の家の倉庫に行く気配がない。
いつ倉庫に行くの?、と尋ねても、そのうちね、でも近いうちに必ず行くからと繰り返した。
いつの間にか、さちこちゃんを取り囲んでいた女の子たちは離れていった。
そして、かのじょは、父親の転勤で遠くの町に引っ越していった。

そのかのじょの作り話にどのくらいの期間、幸せの想像を膨らませていたのかわからない。
一年だったのか。
もしかしたら、2,3か月のことだったのかもしれない。

今思うと、わたしの”タカラモノ”とか、”ほうせき”は、ガラス玉やプラスティックビーズだったようにも思う。だって、プラスティックの指輪をおばあちゃんに買ってもらって、ずっと宝石箱に入れて、時々、指にはめてみたりして大切にしていたもの。

それでも、わたしはこの歳になっても、かのじょのことを鮮明に思い出す。
ずっとずっと、忘れないだろうな。
ひがきさちこちゃん、あなたのことを。

うっとりするきらきらの思い出を、ありがとう。

2016年10月8日土曜日

物語 ”グリーンノウのお客さま”

今年5月末、アメリカのオハイオ州の動物園での出来事にわたしは愕然とした。
ゴリラの獣舎に男の子が転落し、人命救助のためにゴリラを射殺したのだった。
17歳の雄、ニシローランドゴリラ、Harambe。
遠いアフリカ、コンゴ周辺国から運ばれ、独りアメリカの動物園の檻の中に閉じ込められ、たまたま落下してきた人間の男の子を獣舎内で引きずり回しはじめたのだそうだ。
園側は当初、麻酔投与も考えたようだが、効き目があらわれるまでに数分はかかると考えられ、射殺された,と記事には書かれていた。


ニシローランドゴリラ 17歳の ハランべ(Harambe)



わたしは、このローランドゴリラ、ハランべと、「グリーンノウのお客さま」に登場するゴリラのハンノーが重なってきて、もう一度、この物語を手に取った。


我が家の旧版 ”グリーンノウのお客さま” 表紙

ルーシ・ボストン夫人による、「グリーンノウ物語」シリーズ(評論社)のうちの4番目のこの巻の挿絵は、ピーター・ボストン。ボストン夫人の息子さんだそうだ。
表紙の絵は、ゴリラのハンノーと父ゴリラの絵。
ほのぼのとしたゴリラ父子の様子が伝わってくる。

物語は、コンゴの密林で暮らすちびゴリラのハンノーの一家の日常から始まる。
すべての生き物の汗がしたたり落ちるような湿度の高い熱帯雨林の中で、お父さんゴリラが中心になって集団を作り、移動生活を送る。お父さんゴリラは、赤ちゃんゴリラの面倒をよくみると表現されている。
そんな平和なジャングルでの日々に突然、密猟者が入り込み、ハンノーとお姉ちゃんゴリラが捕まってしまう。子どもゴリラは親から離されると精神的ショックから、間もなく命を落とすのだと聞く。
お姉ちゃんゴリラは搬送途中で絶命。
ハンノーひとりが、遠いロンドンの動物園に運ばれて、檻の中でひとり成長していく。
人間以上の背丈で大きく育ったであろうハンノー。
飼育員の愛情ももらったであろう。
でも、集団でジャングルの中を移動して暮らすゴリラの習性で、檻の中のハンノーはどんな気持ちだったのだろう。
その動物園に、ビルマの戦争で父親と離れ離れになりロンドンの難民収容所で暮らす中国人少年のピンが見学に訪れ、二人(一頭と一人)は出会い、深い友情が育まれていく。
そして。
ある夏の休暇を幸運にもグリーンノウに暮らすオールドノウ夫人のお屋敷で過ごすことになったピン。
孤児のピンにとっては心解放され、オールドノウ夫人とどんなにか穏やかな生活を楽しんだことだろう。
そのお屋敷に隣接する森の中になんと、ロンドンの動物園の檻から逃亡してきたハンノーが逃げ込み、二人(一頭と一人)は再会する!
それから、ピンは密かにハンノーをかくまうことを決心。
優しいオールドノウ夫人に隠れてせっせとハンノーに食料を運ぶピンの、心苦しくも心弾む心境が伝わってくる。
オールドノウ夫人への裏切りに苦しみながらも、それでも、ハンノーの自由を、幸せを守ってあげたいと思ったのかな。
自身の境遇と重ねたはずだ。

この物語の悲しい結末と、うれしい結末。

猛獣とされる動物たちはどんな行動にも危険視される。
一見、暴れて危険に見える行動でも、我が子と遊ぶように接していたのかもしれない。あるいは、ストレスやパニックで起こした行動なのか。見分けは難しい。

やはりこの五月に井の頭自然公園で69歳で亡くなった象のはな子も、幸せな生涯だったのだろうか。
昭和24年にタイから来日し、昭和29年からずっと井の頭自然公園で過ごしたはな子。
象も森林の中で群れで過ごす動物だ。当初は、檻の中でストレスを感じていたのかと想像する。
井の頭自然公園に移って数年の間に、酔っ払い男性、飼育員を圧死させて、「人殺しの象」、とレッテルを貼られた時期もあったと聞く。以来、はな子は鎖をはめられて過ごすことになるが、新たな飼育員によって半年後に鎖をはずしてもらえたのだそうだ。
それからは、来園者に可愛がられ、お別れの会には全国から多くの参列者やメッセージが届いたと伝えられていた。

動物園側も、なるべく自然に近い形で動物を飼育しようとする動きが出てきている。
絶滅危惧種への対策も世界レベルで整ってきている。


新版 ”グリーンノウのお客さま” 表紙

新版のこの物語の表紙には、少年ピンがグリーンノウの森の中に作った竹の小屋と、後方にゴリラ(ハンノー?)が描かれている。

1961年に出版されたこの「グリーンノウのお客さま」は、同年度のカーネギー賞を受賞している。
この賞は、1936年に始まり、毎年もっともすぐれた子ども向けの本に与えられてきた、イギリス児童文学の世界で最高の名誉とされている賞、ということだ。

ピン老人(?)は、今頃、グリーンノウのお屋敷で(と信じて)、どのようにお孫さんたちに(!)かれの思い出を語っているのだろう。

2016年9月21日水曜日

絵本 ”木はいいなあ”

もう30年も前のこと。
ネパールの首都、カトマンズのラジンパットという地区に、とても大きな木のある白い家がありました。
そこに、日本から来た女の子が両親と住んでいました。
お父さんは、女の子のために木片とビニルロープで簡易(!)ブランコを作り、太い木の幹にロープを結んでくれました。
女の子はいつもいつも、ブランコを空高く空高く漕いで遊んでいました。
お母さんは、いつかこの子はヒマラヤの山々まで飛んでいくのではないかと思うほどでした。
そして、女の子は、大きな木の幹にするすると登る楽しみも覚えました。
幹に登って、はるか遠い空に浮かぶ白いヒマラヤをじっと見ているのでした。

女の子が日本に戻って、初めて幼稚園に行く日のこと。
女の子は、天使園という幼稚園の小さな園庭に何本かの木が植えられていることを見つけ、早速木の幹に登りました。
園長先生がやってきました。
女の子は園長先生に、こっちに来てごらん、おもしろいよ、と声を掛けました。
ちょっと歳を取った園長先生が梯子を持ってきて、どらどら~、と登って来たのだそうです。
女の子は木に登って来てくれた園長先生と天使園がこの時から大好きになりました。

女の子が住む家の裏の「しいの木公園」には、名前の通り、大きな椎の木がありました。
女の子は、その木に二つの幹が交差して座り心地の良いスペースがあることを見つけました。
そして、幼稚園から帰ると、バッグに水筒とおやつを詰めて、小さな座布団を抱えてしいの木公園に向かうのでした。
おやつの時間を椎の木の上で過ごすためでした。
周りの大人たちはあまりいい顔をしませんでしたが、女の子の幸せそうな顔を見て、お母さんは女の子の至福の時期を大切にしてあげようと思いました。
女の子がお母さんから読んでもらって大好きになった「長くつ下のピッピ」のピッピの真似をしたのかもしれません。


木に登って遊ぶ女の子 山脇百合子絵

「木はいいなあ」という、わたしの大好きな絵本があります。

最初から最後まで、「木って本当にいいなあ~」というメッセージがぎっしり詰まった絵本で、読む側も素直に「ホントになあ~、木って良いもんだなあ~。」としみじみ思ってしまうのです。


絵本 ”木は いいなあ” (偕成社)

わたしの大切な絵本です。
挿絵がなんだか日本画のタッチですが、画家は、マーク・シーモント。
フランス パリ生まれのスペイン人で、3年前に97歳で亡くなっています。
作家は、ジャニス・メイ・ユードリー。
アメリカ イリノイ州生まれで、大学卒業後に保育園に勤務とあり、この絵本の内容から納得してしまったのでした。
アメリカの、絵本の権威あるコルデコット賞も受賞しています。

今、わたしが住むアフリカ、世界三大熱帯雨林の地域、キンシャサにも都会ではありますが、あちこちに大木があり、庶民の憩いの場になっています。
大木の下には、カフェや床屋が店びらきされています。


キンシャサ 大きな木の下の床屋さん

ここにはマメ科の木が多いように思います。
火炎樹、アカシア、ウェンゲ、・・・。
わたしたちが毎朝呑むモリンガの葉の粉、そのモリンガの木もマメ科です。
もちろん、ヤシの木、シュロの木もあるし、マンゴ、パパイヤ、アボカドなどのおいしい果実をプレゼントしてくれる木もあります。
ウェンゲは、マメ科ナツフジ属でアフリカ黒檀とも言われて堅い木で高級家具や楽器に使われる木です。
今、キンシャサのゴルフ場はウェンゲの紫の花が満開で、ウェンゲの大木の下は紫の絨毯が敷かれたように美しいです。

ゴルフ場 ウェンゲの大木 2014年撮影

「木」、でいろいろなことが思い出されます。

わたしの名前は、HIROKO。
中央アフリカ共和国のバンギに住んでいた時、”Hotel Iroko”というホテルがありました。
フランス語では”H”は発音されないから、わたしは「イロコ」と言われていました。
現地に住む女性から、きれいな名前ねえ、女の子が生まれたらイロコっていう名前にするわ、と言われたことがあります。イロコという香りの良い木があるのよ、と。
そして、キンシャサに来て、"Iroko"という木の存在を再度、耳にしました。
わたしが前回、キンシャサを発つ前に、コンゴの木工職人のムッシュが、Irokoの木で作ったブレスレットをプレゼントしてくれました。

M.Auguyさんからのイロコの木のブレスレット

あらためて、木はいいなあ、と思います。

カトマンズで毎日ブランコを漕いで、木に登って楽しんでいた女の子は、今、アルプス地方に住んでいます。
あの頃の女の子そっくりの元気な女の子のお母さんです。

2016年9月14日水曜日

物語 ”ボノボとともに~密林の闇をこえて”

「ボノボとともに」(福音館書店)表紙

赤羽の子どもの本専門店”青猫書房”のオーナー岩瀬さんに「ボノボとともに」という本のことを聞いた時、とうとう、コンゴ民主共和国を舞台にしたこんな本ができたかあ、と感慨ひとしおだった。
作者と訳者のまえがきを読んで、絶対読みたい!!!、と思った。

わたしが2012年1月1日に夫がプロジェクトを持つコンゴ民主共和国キンシャサに着いた時、夫からほいっと渡された絵本があった。
キンシャサ郊外で森の仲間からはじき出されたボノボたちのサンクチュアリを運営するベルギー人女性、クロディーヌさんが執筆したボノボたちとの交流を描く絵本「Le Paradis des BONOBOS」だ。


フランス語で書かれた絵本、”Les Paradis des BONOBOS”


クロディーヌさんとサンクチュアリのボノボたち("Les Paradis des BONOBOS"より)


ボノボ、とは。
人類に最も近いと言われる類人猿で、猿の仲間のなかでは二足歩行の時間がいちばん長いとされ、コンゴの一部にしか生息しないボノボ。

そのボノボのサンクチュアリに長期間滞在し、クロディーヌさんに彼女自身の幼かった頃の話(彼女自身は両親ともベルギー人で、獣医の父の仕事で幼い頃コンゴに住んでいた。そして、彼女自身、孤児ボノボを、助からないだろうと言われる中を懸命に育て上げた経験者でもある。)を聞き、彼女たちの活動を間近にみてきたエリオット・シュレーファーさんがフィクションとして物語にしたのが、この「ボノボとともに」だ。

主人公は、ボノボのサンクチュアリを運営するコンゴ人を母に、アメリカ人を父に持ち、離婚した両親の中で、今では父と共にアメリカで暮らし、夏休みになると母のもとに戻るという生活をする、14歳の少女だ。

現在、コンゴ民主共和国としてみると国内東部では紛争が続き、首都のキンシャサはどうにか均衡は保ってはいるものの、いつ再び暴動がおこるか予測ができない不安定な部分もあるが、まがりなりにも平和が保たれてはいる。

この物語では、キンシャサに暴動が起き、コンゴ人の母のもとで夏休みを過ごしていた女の子が、街中で売られていた赤ちゃんボノボを買い取り、育てるのは難しいとされる赤ちゃんボノボを一生懸命育てていた。
一方、娘がコンゴに戻って来ても相変わらずボノボのために活動を惜しまず、サンクチュアリで十分に育ったボノボをコンゴ川をさかのぼって赤道州のボノボ棲息地に帰すために出かけた母が留守の間に、なんとキンシャサで暴動が起き、郊外のサンクチュアリにまで軍隊が押し寄せ、思わぬ展開で少女と赤ちゃんボノボがいろいろな危険に遭いながらも知恵を絞り勇気を持って突き進み、赤道州で立ち往生していた母に無事に再会するまでのサバイバルを本当に忠実に細かく描写して、手に汗握る、でも、感動の物語に仕立てあがっている。

作者がボノボのサンクチュアリでボノボの生態を細かに訊いて観察し、クロディーヌさんからの経験を聞き出して物語を構想したからこそ出せる忠実な描写が深みを与えている。
わたしが以前のキンシャサ滞在でサンクチュアリを何度となく訪ね、キンシャサ中心地からサンクチュアリのある森までの様子を知っているから真実味を持って読めるのかもしれない。

わたしは、先週、9月10日にキンシャサに降り立ち、再びここで暮らすことになった。
わたしのキンシャサ行きを喜んで送り出してくれた赤羽の青猫書房に、クロディーヌさんの「Les Paradis des BONOBOS」を置いてきた。
ぜひ、この”ボノボ”という類人猿のことを日本の皆さんにもこの2冊の本で知ってもらえたらと思う。

訳者の、ふなとよし子さんはこの本を翻訳するにあたり多くの本を読み、京都大霊長類研究の武市教授にも指南を仰いでいる。
彼女が参考にした文献の中に、なんと!田中真知さん著「たまたまザイール、またコンゴ」が入っていて、なんだかますます親近感が湧いてくる。

今年5月に出版されたばかりの本。
読んでもらうなら小学生から、自分で読むなら中学生から、とあるが、ぜひ大人の方にもお勧めだ。