検診に出かけた御茶ノ水で、時間つぶしに丸善書店に足を運んだ。
店内で平積みされている多くの書籍の中で、ふっと目に留まったのが、この岩波現代文庫の「唱歌・童謡 ものがたり」だった。
1996年6月から2年10ヶ月に渡って読売新聞日曜版に連載された「うた物語ー唱歌・童謡」。
それを多くの読者からの要望で1999年8月に岩波書店より単行本化。
増刷を重ねて、2013年10月に岩波現代文庫になって発行されたのだそうだ。
だから、わたしは、この本のできたてホヤホヤを手に取ったということになる。
そして、こうやってキンシャサまで運ばれて、いつも我が家のリビングのサイドテーブルにぽんと置かれ、日々思いつくままに頁が繰られ、あの歌、この歌と歌われ、リコーダーで演奏されているのだった。
この本には71曲の童謡・唱歌が収められているが楽譜は付いていない。
それでも、詩を口にすると自然とメロディーがついて出てくる。
それぞれの歌の作詩者、作曲者がその歌にこめた思い、そして作者自身の背景などが丁寧に取材されて一つ一つの「ものがたり」として構成されている。
更に,その歌にまつわるいろんな人々の思い出も記者は優しくすくい上げて「ものがたり」に添えている。
「靴が鳴る」の項では、海老名香葉子さんとお母さんの思い出話が添えられていた。
恥ずかしがりやで家事に追われ続けるお母さんとおつかいに出るとき、いつも必ず、行きは「靴がなる」、帰り道は「夕焼小焼」を口ずさむのだった。恥ずかしがりやのお母さんの小さな歌声にかよちゃんのちょっと元気な歌声が加わり、母娘は時々顔を合わせて手をつないでおつかいに行った。
その後、かよちゃんが兄とふたり残されて戦争孤児となったことを思うと切ない話ではある。
でもきっと、かよちゃんはこの二曲でお母さんとの思い出に繋がり、温かい想いに包まれたことだろう。
童謡・唱歌を歌って思うこと。
この「夕焼小焼」もそうだが、歌詞の一番より、二番、三番のほうが心に響くものがあるということだ。
「夕焼小焼」三番の歌詞は・・・。
”子どもが帰ったあとからは 円い大きなお月さま
小鳥が夢を見る頃は 空にはきらきら 金の星”
我が家のヨウムのポンにわたしがリコーダーを吹いて聴かせる曲の中に「みかんの花咲く丘」がある。
この曲の歌詞三番にもホロリとするのだった。
”いつか来た丘 母さんと
いっしょに眺めた あの島よ
今日もひとりで見ていると
やさしい母さん おもわれる”
この三番には作詞者の、長く母の無い子として苦労を重ねてきた自身の思い出が書かれているという。
戦災の影がまだ濃かった時代にできた歌。
戦争で大変な目にあった子どもたちを励ますような、明るい曲を作ろうと取り組んだ作曲者のメロディに乗って一番、二番と「伊東の丘に立って海に島を浮かべ,船には黒い煙をはかせる」景色を織り込み,三番で静かなトーンになって歌は終わる。
歌を物語として追っていくのなら、ちょっと別れの切ない「サッちゃん」、単純な繰り返しの「やぎさん ゆうびん」、娘が小さい頃泣きまねしながら愛唱していた「青い眼の人形」、この本には入っていないのだけど「雨ふり」などが思い浮かぶ。しっかり三番まで歌詞を追うと物語として楽しめる歌だ。
きれいな映像が思い浮かぶ歌として、わたしは「ゆりかごのうた」が好きだ。
北原白秋の詩の美しさにはうっとりしてしまう。
”ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのうえに 枇杷の実が揺れるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのつなを 木ねずみが揺するよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのゆめに 黄色い月がかかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ”
唱歌・童謡には外国のメロディのものもある。
異国のメロディに乗せて、「故郷の空」(スコットランド民謡)、「旅愁」(アメリカ人・オードウェイ作曲)を口ずさむと深い情緒が湧いてくる。
春の風景なら「朧月夜」、夏は「夏は来ぬ」、秋は「里の秋」、冬なら「冬景色」。
四季折々の歌をもっている我々は幸せだなあと思う。
日本語の言い回しの美しさ、深みにも改めて感動してしまう。
また、歌の中に夕焼け空が多く織り込まれていることにも気づかされる。
夕焼け空を見ているといろんな思い出が浮かんで、つい感傷的になる。
わたしは、キンシャサ我が家のベランダで、夕日が沈まんとするコンゴ河を眺めながらポンのためにリコーダーを吹いていると、キョトンとする当人を尻目に、わたしのほうが胸詰まる想いに駆られてしまうのだった。
巻頭の目次で歌は春夏秋冬に分けられて掲載されている。巻末には曲名索引と歌い出し索引も付いている。
これからも手元に置いておきたい本である。
岩波現代文庫 「唱歌・童謡 ものがたり」 |
1996年6月から2年10ヶ月に渡って読売新聞日曜版に連載された「うた物語ー唱歌・童謡」。
それを多くの読者からの要望で1999年8月に岩波書店より単行本化。
増刷を重ねて、2013年10月に岩波現代文庫になって発行されたのだそうだ。
だから、わたしは、この本のできたてホヤホヤを手に取ったということになる。
そして、こうやってキンシャサまで運ばれて、いつも我が家のリビングのサイドテーブルにぽんと置かれ、日々思いつくままに頁が繰られ、あの歌、この歌と歌われ、リコーダーで演奏されているのだった。
この本には71曲の童謡・唱歌が収められているが楽譜は付いていない。
それでも、詩を口にすると自然とメロディーがついて出てくる。
それぞれの歌の作詩者、作曲者がその歌にこめた思い、そして作者自身の背景などが丁寧に取材されて一つ一つの「ものがたり」として構成されている。
更に,その歌にまつわるいろんな人々の思い出も記者は優しくすくい上げて「ものがたり」に添えている。
「靴が鳴る」の項では、海老名香葉子さんとお母さんの思い出話が添えられていた。
恥ずかしがりやで家事に追われ続けるお母さんとおつかいに出るとき、いつも必ず、行きは「靴がなる」、帰り道は「夕焼小焼」を口ずさむのだった。恥ずかしがりやのお母さんの小さな歌声にかよちゃんのちょっと元気な歌声が加わり、母娘は時々顔を合わせて手をつないでおつかいに行った。
その後、かよちゃんが兄とふたり残されて戦争孤児となったことを思うと切ない話ではある。
でもきっと、かよちゃんはこの二曲でお母さんとの思い出に繋がり、温かい想いに包まれたことだろう。
童謡・唱歌を歌って思うこと。
この「夕焼小焼」もそうだが、歌詞の一番より、二番、三番のほうが心に響くものがあるということだ。
「夕焼小焼」三番の歌詞は・・・。
”子どもが帰ったあとからは 円い大きなお月さま
小鳥が夢を見る頃は 空にはきらきら 金の星”
我が家のヨウムのポンにわたしがリコーダーを吹いて聴かせる曲の中に「みかんの花咲く丘」がある。
この曲の歌詞三番にもホロリとするのだった。
”いつか来た丘 母さんと
いっしょに眺めた あの島よ
今日もひとりで見ていると
やさしい母さん おもわれる”
この三番には作詞者の、長く母の無い子として苦労を重ねてきた自身の思い出が書かれているという。
戦災の影がまだ濃かった時代にできた歌。
戦争で大変な目にあった子どもたちを励ますような、明るい曲を作ろうと取り組んだ作曲者のメロディに乗って一番、二番と「伊東の丘に立って海に島を浮かべ,船には黒い煙をはかせる」景色を織り込み,三番で静かなトーンになって歌は終わる。
歌を物語として追っていくのなら、ちょっと別れの切ない「サッちゃん」、単純な繰り返しの「やぎさん ゆうびん」、娘が小さい頃泣きまねしながら愛唱していた「青い眼の人形」、この本には入っていないのだけど「雨ふり」などが思い浮かぶ。しっかり三番まで歌詞を追うと物語として楽しめる歌だ。
きれいな映像が思い浮かぶ歌として、わたしは「ゆりかごのうた」が好きだ。
北原白秋の詩の美しさにはうっとりしてしまう。
”ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのうえに 枇杷の実が揺れるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのつなを 木ねずみが揺するよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのゆめに 黄色い月がかかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ”
唱歌・童謡には外国のメロディのものもある。
異国のメロディに乗せて、「故郷の空」(スコットランド民謡)、「旅愁」(アメリカ人・オードウェイ作曲)を口ずさむと深い情緒が湧いてくる。
春の風景なら「朧月夜」、夏は「夏は来ぬ」、秋は「里の秋」、冬なら「冬景色」。
四季折々の歌をもっている我々は幸せだなあと思う。
日本語の言い回しの美しさ、深みにも改めて感動してしまう。
また、歌の中に夕焼け空が多く織り込まれていることにも気づかされる。
夕焼け空を見ているといろんな思い出が浮かんで、つい感傷的になる。
わたしは、キンシャサ我が家のベランダで、夕日が沈まんとするコンゴ河を眺めながらポンのためにリコーダーを吹いていると、キョトンとする当人を尻目に、わたしのほうが胸詰まる想いに駆られてしまうのだった。
コンゴ河に夕日が沈む |
巻頭の目次で歌は春夏秋冬に分けられて掲載されている。巻末には曲名索引と歌い出し索引も付いている。
これからも手元に置いておきたい本である。