2016年9月21日水曜日

絵本 ”木はいいなあ”

もう30年も前のこと。
ネパールの首都、カトマンズのラジンパットという地区に、とても大きな木のある白い家がありました。
そこに、日本から来た女の子が両親と住んでいました。
お父さんは、女の子のために木片とビニルロープで簡易(!)ブランコを作り、太い木の幹にロープを結んでくれました。
女の子はいつもいつも、ブランコを空高く空高く漕いで遊んでいました。
お母さんは、いつかこの子はヒマラヤの山々まで飛んでいくのではないかと思うほどでした。
そして、女の子は、大きな木の幹にするすると登る楽しみも覚えました。
幹に登って、はるか遠い空に浮かぶ白いヒマラヤをじっと見ているのでした。

女の子が日本に戻って、初めて幼稚園に行く日のこと。
女の子は、天使園という幼稚園の小さな園庭に何本かの木が植えられていることを見つけ、早速木の幹に登りました。
園長先生がやってきました。
女の子は園長先生に、こっちに来てごらん、おもしろいよ、と声を掛けました。
ちょっと歳を取った園長先生が梯子を持ってきて、どらどら~、と登って来たのだそうです。
女の子は木に登って来てくれた園長先生と天使園がこの時から大好きになりました。

女の子が住む家の裏の「しいの木公園」には、名前の通り、大きな椎の木がありました。
女の子は、その木に二つの幹が交差して座り心地の良いスペースがあることを見つけました。
そして、幼稚園から帰ると、バッグに水筒とおやつを詰めて、小さな座布団を抱えてしいの木公園に向かうのでした。
おやつの時間を椎の木の上で過ごすためでした。
周りの大人たちはあまりいい顔をしませんでしたが、女の子の幸せそうな顔を見て、お母さんは女の子の至福の時期を大切にしてあげようと思いました。
女の子がお母さんから読んでもらって大好きになった「長くつ下のピッピ」のピッピの真似をしたのかもしれません。


木に登って遊ぶ女の子 山脇百合子絵

「木はいいなあ」という、わたしの大好きな絵本があります。

最初から最後まで、「木って本当にいいなあ~」というメッセージがぎっしり詰まった絵本で、読む側も素直に「ホントになあ~、木って良いもんだなあ~。」としみじみ思ってしまうのです。


絵本 ”木は いいなあ” (偕成社)

わたしの大切な絵本です。
挿絵がなんだか日本画のタッチですが、画家は、マーク・シーモント。
フランス パリ生まれのスペイン人で、3年前に97歳で亡くなっています。
作家は、ジャニス・メイ・ユードリー。
アメリカ イリノイ州生まれで、大学卒業後に保育園に勤務とあり、この絵本の内容から納得してしまったのでした。
アメリカの、絵本の権威あるコルデコット賞も受賞しています。

今、わたしが住むアフリカ、世界三大熱帯雨林の地域、キンシャサにも都会ではありますが、あちこちに大木があり、庶民の憩いの場になっています。
大木の下には、カフェや床屋が店びらきされています。


キンシャサ 大きな木の下の床屋さん

ここにはマメ科の木が多いように思います。
火炎樹、アカシア、ウェンゲ、・・・。
わたしたちが毎朝呑むモリンガの葉の粉、そのモリンガの木もマメ科です。
もちろん、ヤシの木、シュロの木もあるし、マンゴ、パパイヤ、アボカドなどのおいしい果実をプレゼントしてくれる木もあります。
ウェンゲは、マメ科ナツフジ属でアフリカ黒檀とも言われて堅い木で高級家具や楽器に使われる木です。
今、キンシャサのゴルフ場はウェンゲの紫の花が満開で、ウェンゲの大木の下は紫の絨毯が敷かれたように美しいです。

ゴルフ場 ウェンゲの大木 2014年撮影

「木」、でいろいろなことが思い出されます。

わたしの名前は、HIROKO。
中央アフリカ共和国のバンギに住んでいた時、”Hotel Iroko”というホテルがありました。
フランス語では”H”は発音されないから、わたしは「イロコ」と言われていました。
現地に住む女性から、きれいな名前ねえ、女の子が生まれたらイロコっていう名前にするわ、と言われたことがあります。イロコという香りの良い木があるのよ、と。
そして、キンシャサに来て、"Iroko"という木の存在を再度、耳にしました。
わたしが前回、キンシャサを発つ前に、コンゴの木工職人のムッシュが、Irokoの木で作ったブレスレットをプレゼントしてくれました。

M.Auguyさんからのイロコの木のブレスレット

あらためて、木はいいなあ、と思います。

カトマンズで毎日ブランコを漕いで、木に登って楽しんでいた女の子は、今、アルプス地方に住んでいます。
あの頃の女の子そっくりの元気な女の子のお母さんです。

2016年9月14日水曜日

物語 ”ボノボとともに~密林の闇をこえて”

「ボノボとともに」(福音館書店)表紙

赤羽の子どもの本専門店”青猫書房”のオーナー岩瀬さんに「ボノボとともに」という本のことを聞いた時、とうとう、コンゴ民主共和国を舞台にしたこんな本ができたかあ、と感慨ひとしおだった。
作者と訳者のまえがきを読んで、絶対読みたい!!!、と思った。

わたしが2012年1月1日に夫がプロジェクトを持つコンゴ民主共和国キンシャサに着いた時、夫からほいっと渡された絵本があった。
キンシャサ郊外で森の仲間からはじき出されたボノボたちのサンクチュアリを運営するベルギー人女性、クロディーヌさんが執筆したボノボたちとの交流を描く絵本「Le Paradis des BONOBOS」だ。


フランス語で書かれた絵本、”Les Paradis des BONOBOS”


クロディーヌさんとサンクチュアリのボノボたち("Les Paradis des BONOBOS"より)


ボノボ、とは。
人類に最も近いと言われる類人猿で、猿の仲間のなかでは二足歩行の時間がいちばん長いとされ、コンゴの一部にしか生息しないボノボ。

そのボノボのサンクチュアリに長期間滞在し、クロディーヌさんに彼女自身の幼かった頃の話(彼女自身は両親ともベルギー人で、獣医の父の仕事で幼い頃コンゴに住んでいた。そして、彼女自身、孤児ボノボを、助からないだろうと言われる中を懸命に育て上げた経験者でもある。)を聞き、彼女たちの活動を間近にみてきたエリオット・シュレーファーさんがフィクションとして物語にしたのが、この「ボノボとともに」だ。

主人公は、ボノボのサンクチュアリを運営するコンゴ人を母に、アメリカ人を父に持ち、離婚した両親の中で、今では父と共にアメリカで暮らし、夏休みになると母のもとに戻るという生活をする、14歳の少女だ。

現在、コンゴ民主共和国としてみると国内東部では紛争が続き、首都のキンシャサはどうにか均衡は保ってはいるものの、いつ再び暴動がおこるか予測ができない不安定な部分もあるが、まがりなりにも平和が保たれてはいる。

この物語では、キンシャサに暴動が起き、コンゴ人の母のもとで夏休みを過ごしていた女の子が、街中で売られていた赤ちゃんボノボを買い取り、育てるのは難しいとされる赤ちゃんボノボを一生懸命育てていた。
一方、娘がコンゴに戻って来ても相変わらずボノボのために活動を惜しまず、サンクチュアリで十分に育ったボノボをコンゴ川をさかのぼって赤道州のボノボ棲息地に帰すために出かけた母が留守の間に、なんとキンシャサで暴動が起き、郊外のサンクチュアリにまで軍隊が押し寄せ、思わぬ展開で少女と赤ちゃんボノボがいろいろな危険に遭いながらも知恵を絞り勇気を持って突き進み、赤道州で立ち往生していた母に無事に再会するまでのサバイバルを本当に忠実に細かく描写して、手に汗握る、でも、感動の物語に仕立てあがっている。

作者がボノボのサンクチュアリでボノボの生態を細かに訊いて観察し、クロディーヌさんからの経験を聞き出して物語を構想したからこそ出せる忠実な描写が深みを与えている。
わたしが以前のキンシャサ滞在でサンクチュアリを何度となく訪ね、キンシャサ中心地からサンクチュアリのある森までの様子を知っているから真実味を持って読めるのかもしれない。

わたしは、先週、9月10日にキンシャサに降り立ち、再びここで暮らすことになった。
わたしのキンシャサ行きを喜んで送り出してくれた赤羽の青猫書房に、クロディーヌさんの「Les Paradis des BONOBOS」を置いてきた。
ぜひ、この”ボノボ”という類人猿のことを日本の皆さんにもこの2冊の本で知ってもらえたらと思う。

訳者の、ふなとよし子さんはこの本を翻訳するにあたり多くの本を読み、京都大霊長類研究の武市教授にも指南を仰いでいる。
彼女が参考にした文献の中に、なんと!田中真知さん著「たまたまザイール、またコンゴ」が入っていて、なんだかますます親近感が湧いてくる。

今年5月に出版されたばかりの本。
読んでもらうなら小学生から、自分で読むなら中学生から、とあるが、ぜひ大人の方にもお勧めだ。